2019年3月29日金曜日

四旬節第4主日礼拝のご案内。

次週3月31日(日)10時半から、四旬節第4主日の礼拝が行われます。

松本教会、長野教会では野口和音牧師の説教
「うしなわれていたふたり」

と題して、松本教会では主日礼拝、長野教会では信徒礼拝として守られます。
どうぞご自由にご参加ください。
牧師は松本教会におります。ぜひお越しください。

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また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

──ルカ福音書15章11-32節

ルターナイツinまつもと・春の全国ティーンズキャンプ

24日の夜は松本教会にてルターナイツinまつもとが行われました。
残念ながら牧師は次の日からのティーンズキャンプの準備のため、参加することができませんでしたが、ゲストの方々をお招きし、楽しい時が持たれました。




ゲストの方としてお呼びしたウツミさんと安藤則男さんの他にも、飛び入り参加で阿部さんやフランソワーズさんが演奏してくださいました。
参加できなかったのが惜しいです。

25日から28日まで、千葉市少年自然の家にて、春の全国ティーンズキャンプが行われました。
関東はもう桜が咲いていました。


野口和音牧師はチャプレンとして参加してきました。
主題聖句は創世記1章31節。天地創造を終えた神様が語られた言葉です。
「神様はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めてよかった。」


「極めて良かった」という言葉は、英語の聖書では「Very Good」と訳されています。
私たちの目の前にある世の中は決して「極めて良い」とは言えないことばかりです。私たち自身においても、神様からそのようには言ってもらえないと思う部分をたくさん抱えています。

けれども神様からのその言葉を受け取ることのできない私たちがありながらも、神様はそれでも「あなたは極めて良い」という言葉を私たちに語り続けておられる、イエス・キリストを通してその言葉を届け続けてくれる、その喜びを分かち合う3日間となりました。


チャプレンとしてティーンズに向けて劇をしたり、メッセージを語るということを通して、牧師自身も大きな喜びと恵みをいただいて帰ってきました。
事前研修を含め、共に喜び、共に涙する4日間となりました。

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日本福音ルーテル教会・春の全国ティーンズキャンプは、日本福音ルーテル教会の新中学1年生から、高校3年生までのティーンズが参加をするキャンプです。
ティーンズは80名近く、スタッフを入れると100名以上の参加者で共に神様のみ言葉からたくさんのものを学び、受け取り、分かち合うキャンプとなっています。
スタッフもティーンズキャンプを卒業した大学生なども多く、毎年3月末に行われています。
ティーンズの方々はぜひルーテル教会にお越しください。お待ちしています。

四旬節第3主日礼拝。 20190324

24日は四旬節第3主日礼拝でした。
長野教会では聖餐礼拝として守られました。


礼拝後は信徒の方が持ち寄りをしてくださったものをいただきました。
カレーが出てくるたびに元気が出ます。お肉を稲荷で包んだものなど、次の日からの活力となりました。


月曜日からのティーンズキャンプに向けて送り出してくださった教会の皆様のお気遣いに感謝です。
無事に昨日までのキャンプを終えることができました。

松本教会では巡回説教者として高塚郁男牧師をお招きし、礼拝を守ることができました。
昼食後の交わりにも加わってくださいました。
またよろしくお願いいたします。




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この記事をご覧の皆様にも
神様からの恵みが満ち溢れますように




2019年3月20日水曜日

四旬節第3主日礼拝のご案内。

次週3月24日(日)10時半から、四旬節第3主日の礼拝が行われます。

松本教会では高塚郁男牧師の説教
「力強く生きる」

長野教会では野口和音牧師の説教
「一年が終わる」

と題して、長野教会では聖餐礼拝として、松本教会では主日礼拝として守られます。
どうぞご自由にご参加ください。
牧師は長野教会におります。ぜひお越しください。

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ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

──ルカ福音書13章1-9節 

2019年3月18日月曜日

四旬節第2主日礼拝 20190317

昨日日曜日、17日は四旬節第2主日の礼拝でした。
長野教会では信徒礼拝、松本教会では聖餐礼拝として守られました。



先週日曜日に続き、別の信徒の方も金曜日に天に召されたことをおぼえつつの礼拝でした。
また、ご病気のために教会に来られなくなった、という方もおられました。
心を痛めることが多く起こる中で、神様の慰めと平安とを祈りました。
また、礼拝後には宣教60周年を記念して信徒の方から捧げられたステンドグラスの奉献の祈りを共にしました。

羊をよく見ると、
実は額に十字が刻まれています

お昼の親子丼はたべてもたべてもなくならない贅沢仕様でした。
玉ねぎの代わりに煮込んだ大根を入れたものでした。味がしみこんで甘めなのも美味しくいただきました。

お吸い物とほうれん草の煮びたしもおいしかったです

宣教60周年記念式典まであと20日を切りました。
せっかくの記念の時、リニューアルしよう!ということで、長年使用していた礼拝献金の袋を新しくしました。

これまで使っていたもの。
4種のバリエーションがあります

これまでのものは聖句もそれぞれ違っており、凝っています。
いままでありがとうございました。

新しくつくったもの

これまでのものは大変丈夫な封筒でしたが今回は薄いものを使っています。
また来年にでもしっかりしたもので作り直したいと思います。

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この記事をご覧の皆様にも
神様の恵みと平安とが与えられますように

長野手仕事会。

先週15日、長野教会では手仕事会が行われました。
昨年度はおやすみしていましたが、今年度から復活です!


お食事と共に、色とりどりのイースターエッグを参加者の皆さんで作りました。
イースターではこのように飾ると映えますね。素敵な色合いです。


長野教会、次回の手仕事会は4月4日(木)となりました。
お楽しみに!

ひるカフェ&手仕事会 3月

先週金曜日、15日は松本教会で手仕事会が行われました。
当日はひな祭り。信州では一か月遅れの旧暦でするんだそうです。
ランチのメニューもそれに合わせたものを皆さんでいただきました。



今日の手仕事会は、「つまみ細工のブローチづくり」!
色とりどりの記事から好きなものを選び、三センチ角に切って折ったのち、台紙に貼り付けていきます。


色とりどりのブローチが出来上がりました!
裏には安全ピンが付けられています。


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ひるカフェ&手仕事会は
二か月に一度のペースで行われています。
どなたでもご自由にご参加ください。

2019年3月15日金曜日

ルターナイツinまつもとのご案内

3月24日(日)の18時30分から、
松本教会にてルターナイツ in まつもとが行われます!


今回のプログラムは……
・ウツミさんのソロギター
・安藤則男さんの弾き語り
です!
今回も野口和音牧師のヴァイオリンと、”讃美歌のウラ話”もあるカモ?

参加費は軽食込みで500円、事前申し込みは不要です。
日曜日の夜を、ちょっとトクベツな時間にしませんか?

皆様どうぞご参加ください。お待ちしています。

†会場の松本教会はこちらです†

2019年3月13日水曜日

四旬節第2主日礼拝のご案内

次週3月17日(日)10時半から、四旬節第2主日の礼拝が行われます。

長野教会、松本教会では野口和音牧師の説教
「神にむかって叫び続ける」

と題して、長野教会では信徒礼拝として、松本教会では聖餐礼拝として守られます。
どうぞご自由にご参加ください。
礼拝後は松本教会にて宣教60周年記念事業委員会を行います。
牧師は松本教会におります。ぜひお越しください。

† † †

イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。
イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。
イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。

──ルカ福音書18章31-43節

2019年3月11日月曜日

四旬節第1主日礼拝。 20190310

10日の日曜日は四旬節第1主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られました。


四旬節に入りましたので聖壇の典礼布や牧師のストールも紫に変わりました。
説教では聖書の中で繰り返し現れる40(日/年)という数字から”四旬”節についてわかちあうところから始まりました。

昼食はおかずもりだくさんのカレーをいただきました。


去年度ご葬儀でお別れをした方のご遺族と久しぶりにお会いでき、その後のお話もできたことは大きな恵みでした。

また、数日前に入院された教会員の方が急変し、天に召されたという知らせが入りました。
大変長らく教会を支えてくださっていた方であり、堪えがたい悲しみと共に、誰もが言葉を失っています。
主の慰めを祈りつつ、葬儀の準備に取り掛かっています。

† † †

この記事をご覧の皆様に
また痛みと悲しみを覚える方々のもとに
神様の深い慰めがありますように

2019年3月8日金曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。

──ルカ福音書9章28-36節

† † †

1.十字架は何のシンボル?


多くの人にとって、十字架はキリスト教を思い起こすシンボルです。信仰を持つ人々にとっては、救いの喜び、というイメージが大変強いのではないでしょうか。
十字架のキリストによってわたしたちが赦されていること、キリストを信じる者には、復活の喜びが約束されるという救いこそ、キリストの語った福音であるのは確かです。
しかし十字架が本来、磔刑という最も罪の重い者がかかる極刑であった、ということも私たちは忘れてはならないことなのだと思います。

2.示される十字架への道


キリストが山で祈っておられると、服が真っ白に輝き、モーセとエリヤの二人がキリストと語り合っているのを弟子たちは目撃しました。
彼らはエルサレムで遂げられるキリストの最期について語っていた、とあります。最期とは、キリストの十字架の死のことを指しています。
まさにこの瞬間、キリストにとって十字架への道が神様からはっきりと示された時でもあるのです。
旧約聖書の中でモーセはイスラエルの人々をエジプトから救い出し、十戒を始めとした神様の律法を人々に取り次いだ人でした。エリヤもまた不信仰に陥る人々に神様の言葉を取り次ぐ預言者でした。キリストを含めたこの三人は、神様の言葉を人々に取り次ぐ役目を担った三人であったと言えるかもしれません。
雲の中から神様が言った「これに聞け」という言葉は、キリストこそが神様の言葉を取り次ぐものである、ということと共に、十字架の道を進みゆくキリストに従っていきなさい、と神様は言っておられるのです。

3.罪の姿


しかし福音書は誰一人として、最期までキリストに従っていけなかった弟子たちの姿を記しています。
十字架とは本来、神様からの救いから最も離れている私たちの罪をあらわにし、挫折させるものであるからです。
だからこそ私たちはその先にある赦しと救いだけに目を向けるのではなく、今一度、たったおひとりでその堪えがたい苦しみにむかっていかれたキリストに迫ってみたいのです。
それは、私たち自身の罪の深さに目を向けることです。

4.「エクソドス」とは


キリストの「最期」という言葉は、原典では「エクソドス」という言葉が使われています。この言葉は「死」という意味だけでなく「旅立ち・出発」という意味も持っています。
ルカがこのように真逆の意味を持つ言葉を選んだのは、このような逆転こそが、神様の御業における特徴であるからなのだと思います。
まさにキリストの十字架の「最期」は、復活によって永遠の命への「出発」へとつなげられていきました。私たちが罪によって挫折するからこそ、キリストの赦しと招きによって再び起こされるように、私たちが罪の深さを知れば知るほど、キリストの救いと恵みはより一層深く私たちの心に与えられていくものなのです。

5.「エクソドス」に向かって


私たちの地上での歩みは十字架の重荷と共にあります。キリストの十字架によって私たちの罪が赦されても、罪そのものが取り除かれるわけではないからです。
しかし私たちがその十字架の重さを知るときにこそ、全く罪のないキリストがその十字架を共に担ってくださるという福音に出会うのです。
そのようなキリストを信じて地上の生涯を歩みとおした「最期」の時にこそ、私たちは永遠の命へ向かって「出発」することになるのです。
だからこそ神様は今も、十字架を背負って歩む私たちに、語っておられます。
「これに聞け」と。
どのような試練の中にあってもなお、私たちの十字架を共に背負って歩んでくださるキリストの言葉を支えとして、私たちは私たち自身の罪をいつだって見つめなおしてまいりたいと思います。

2019年3月7日木曜日

松本教会3月ひるカフェ&手仕事会のご案内

2019年3月の昼カフェ・手仕事会は、
「つまみ細工のブローチづくり」です!

手のひらサイズの手作りブローチを作りましょう!
ピンセット、ものさし、はさみ、ハンドタオル、チャコペンシルをお持ちください。
チャコペンシルをお持ちでない方はえんぴつでも大丈夫ですよ!

来週3月15日(金)12時から、日本福音ルーテル松本教会(宮渕1-4-9)にて行われます。
おいしいランチもあります。

参加費は500円です。お申込みは13日(水)まで!

お問い合わせは教会・野口までどうぞ。
たくさんのご参加、お待ちしています。

†日本福音ルーテル松本教会はこちらです†


四旬節第1主日礼拝のご案内

次週3月10日(日)10時半から、四旬節第1主日の礼拝が行われます。

長野教会、松本教会では野口和音牧師の説教
「誘惑と試練の時に」

と題して、長野教会では主日礼拝として、松本教会では通信礼拝として守られます。
どうぞご自由にご参加ください。
礼拝後は長野教会にて定例役員会を行います。
牧師は長野教会におります。ぜひお越しください。

† † †

さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
 更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」
 そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、/あなたをしっかり守らせる。』また、/『あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える。』」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。

──ルカ福音書4章1-13節

2019年3月4日月曜日

変容主日礼拝・教職授任按手式

昨日3日は変容主日の礼拝でした。
長野教会では信徒礼拝として、松本教会では聖餐礼拝として守られました。
来週から始まる四旬節をおぼえ、キリストの十字架の”最期”とともに、その先の復活と永遠の命へ向かう新しい”旅立ち”をみ言葉から分かち合いました。
松本教会では、いよいよ宣教60周年記念式典まで1か月となりました。


それぞれに案内をお送りしていますが、どうぞご参加ください。お待ちしています。
お昼にはちらし寿司などをいただきました。


持ち寄ってくださった色とりどりのおかずを皆さんで囲む交わりの時は、いつもにぎやかです。


礼拝後は19時から東京教会で行われる教職授任按手式のために、牧師は東京へ。
礼拝の中でも牧師となる神学生たちを憶えて祈りをあわせました。
按手式では、既に教会に配られた新しい式文案を用いた礼拝として行われました。

小澤周平さん、筑田仁さん、中島共生さん

聖壇にて跪き、各教区長の方々から頭に手を置かれて按手を受けます。
昨年自分も受けた時のことを思い起こし、胸が熱くなりました。


礼拝ののち、1階の集会室で祝辞と新任牧師による挨拶がありました。
三名それぞれから、感謝とこれから共に福音宣教のための意気込みをいただきました。
小澤周平牧師はなごや希望教会、中島共生牧師は下関教会へ、そして筑田仁牧師は甲府・諏訪教会へと任命を受けました。

筑田仁牧師には甲信地区で共に働く牧師として、お世話になります。
日本福音ルーテル教会で新しく牧師として働きを始める三名の”旅立ち”と、赴任するそれぞれの教会に、神様の祝福が豊かにありますように。

† † †

この記事をご覧の皆様にも
神様の祝福がありますように