2019年6月28日金曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。


──ルカ福音書7章11-17節

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1.やもめの悲しみ

当時のイスラエルにおいて、妻は夫の所有物、財産と数えられていました。それゆえ、やもめ──未亡人となった女性が男性の力を借りずに、一人で生きていくことは大変難しいことであったと思います。
やもめは母親であり、一人息子がいました。それはたった一人の家族でありました。若者であった、ということからも、もしかしたら彼女を経済的にも支えていたかもしれません。
それゆえ、たった一人の家族を失った彼女の悲しみは計り知れないものです。彼女は最後まで一言も言葉を発してはいないからです。
そこに、イエス様は一人息子を生き返らせるために、やってこられました。

2.民を心にかける神様

生き返らされた若者を見て、人々は「神はその民を心にかけてくださった」と讃美の声をあげています。
この「心にかけてくださった」と訳された言葉は、ルカ福音書では1章78節のザカリアの預言の中にも使われています。
「これは我らの神の憐みの心による。この憐みによって、高いところからあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の影に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」
ここでは「訪れる」という言葉に訳されています。
それゆえ、人々がイエス様の奇跡を通して見たのは、まさにイエス・キリストという神様が、人々に訪れ、憐れみのゆえに心をかけてくださったのだということが、ザカリアが預言したとおりに、はっきりと人々の口から語られることになったのです。

3.もう泣かなくともよい

ルカ福音書で初めてイエスを「主」と地の文で呼んでいるのも、ここが最初です。
ここでのイエスの言葉は、神の言葉として語られています。一言も声を発することさえできない悲しみに沈んだ彼女に、神様の言葉が力強く響いていくのです。
「もう泣かなくともよい」のだと。
それは私たちの深い悲しみに対して、深い憐れみをもって寄り添ってくださる神様である、ということであるのです。

4.語られ続ける神の言葉

この箇所のの直前には百人隊長の部下を癒す話が置かれています。
ここで百人隊長の部下はイエス様に手を触れて癒してもらったのではありません。イエス様が部下のところに到着する前に、百人隊長がこのように言っているからです。
「ひとことおっしゃってください。そして、わたしの僕を癒してください。」
神様の言葉は語られるだけで、それが実現するということを百人隊長は固く信じていたのだと思います。そしてそれゆえに、部下は癒されていきました。
ルターもまた、この世に光があるのは、神が今もなお聖書を通して「光あれ」と言ってくださっているからだと語っています。
聖書を通して、神様はその言葉を今なお語り続けてくださっているのです。

5.その悲しみに憐れみを

私たちも大きな悲しみや不安にさいなまれるとき、心が疲れ果て、一歩も動けず、神様に祈ることすらもできなくなる時があるかもしれません。
しかしそのようなときにも、神様はきっと、今日の御言葉を私たちに向けて語ってくださっているのだと思うのです。
「もう泣かなくともよい」のだと。
そのように憐れみをもって私たち一人ひとりに心をかけてくださる神様が、聖書のみ言葉を通して私たちのところにも、訪れてくださっています。
私たちの生きる中に神様が語ってくださっている御言葉を、いつでも聖書の中から聞き取ってまいりたいと思います。

2019年6月27日木曜日

松本教会のあんず

松本教会の庭のあんずが熟してきたのであんず狩りをしました。
今年もたくさんの実がなりました。まさに恵みとしか言いようがありません。
感謝。



今年も松本教会ではジャム作りをしたいと思います。
教会のバザーや三鷹の神学校での一日神学校などで販売する予定です。
ぜひご購入ください。

このラベルが目印です!

2019年6月26日水曜日

次回・6月30日の礼拝の御案内

次週6月30日(日)10時半から、聖霊降臨後第3主日の礼拝が行われます。

長野・松本教会では野口和音牧師の説教
「ゆるしと愛」

と題して、長野教会では主日礼拝として、松本教会では通信礼拝として守られます。
野口和音牧師は長野教会におります。
礼拝後、長野教会では墓前礼拝が行われます。
どうぞご自由にご参加ください。

† † †

さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。
 この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。
そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」
シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」
 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

──ルカ福音書7章36-50節

2019年6月24日月曜日

聖霊降臨後第2主日礼拝。 20190623

23日(日)は聖霊降臨後第2主日礼拝でした。
長野教会は聖餐礼拝として守られました。
この数週間は聖壇の色がコロコロと変わります。(白→赤→白→緑/今日)
これは教会の暦とその日読む聖書箇所によって、象徴となる色が決まっているからなのです。
白は神様、赤は聖霊、緑は希望と信仰の成長に関わる色として選ばれています。




三位一体主日を超え、聖霊降臨後の季節となりました。
わたしたちの避けることのできない悲しみに大きな憐みを与えてくださる神様がおられることを分かち合いました。

松本教会は巡回説教者としてお迎えした栗原茂先生により、主日礼拝として守られました。



トルコ・パウロの旅をしてこられたとのことで、わかちあってくださいました。
深くみことばに触れるために素敵なおみやげもいただきました。ありがとうございました。




† † †

この記事をご覧の皆さまの日々の中においても
聖書の中に生きた人々を聴き取り
神様と共に生きることが出来ますように

昼カフェ・手仕事会。

21日(金)は松本教会でひるカフェ&手仕事会が行われました。


まず教会員の方々が用意してくださったお昼を、皆さんといただきました。


普段雨がほとんど降らないこの信州でも雨が多くなってきました。
季節に合わせた紫陽花のあんこゼリーを添えて、いただきました。

お昼からはUVレジンを使ったヘアゴムを作りました。



マスキングテープを下地として、ラメなどを使った個性の出るヘアゴムができあがりました。



どれも素敵にできあがっていました。
光にあてるときらきらと光ってきれいでした。

† † †

夏の間はひるカフェ・手仕事会はおやすみです。
また秋にお待ちしています。

2019年6月20日木曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

──ヨハネ福音書16章12-15節

† † †

1.3人の神様?

キリスト教には三位一体という言葉があります。これは、神様、イエス・キリスト、聖霊という存在が、一つの神様である、ということを表す言葉です。
しかしこのことは普通に考えて、合理的ではありません。
なぜ、この合理的ではない説明を当時のキリスト者たちは採用したのでしょうか。様々な理由があると思いますが、そこには「一人の神様である」ということを、譲ることのできないものとして大切にしていたのではないでしょうか。

2.彼らが持っているもの

今日の箇所では、神である三者が一体である、ということよりも、彼らが持っているものは同じものである、ということがあらわされています。
「父」と言われる神様と、「わたし」と言われるイエス・キリスト、そして「その方/真理の霊」と言われる聖霊は、同じものを「持って」おり、そしてそれを弟子たちに「告げる」というのです。
それでは彼らが持っているものとは何であるのでしょうか。

3.与えられる約束

ヨハネ福音書の14章から、イエス・キリストの告別説教が語られ始めています。今日の箇所はその最後の部分になります。
告別説教は「ぶどうの木」のたとえ話を挟んで前半と後半に分けられます。
後半で語られているのは、弟子たちに聖霊を与えるという約束です。それに対して、前半の箇所の中心的なキーワードになっているのは「愛」です。
ヨハネ福音書全体から見ても「愛」「愛する」という言葉の8割がこの箇所の中で使われているからです。
告別説教は、いわば弟子たちに向けた遺言のようなものです。
キリストの最期の教えとして、弟子たちにどうしても知っておいてほしかったこと。それは、神様があなたがたを愛しているということ、それゆえに聖霊を送り、あなたがたを絶対にひとりにはしないということでした。
それゆえに、今日の箇所で神様、イエス・キリスト、聖霊が持っている一つのものとは「愛」だと、言えると思うのです。

4.ゼロ距離の神様

私たちは誰かとの距離が離れれば離れるほどに、その人を愛することが難しく感じるのではないでしょうか。
私たち人間にとって神様もまた、そのような存在であったのだと思います。
旧約聖書の中では、天におられる神様から何度も心を離してしまう人々の姿が描かれています。それでも神様は彼らを赦し、愛し続けました。
だからこそ、新約聖書においては人々と同じように関わることのできる、イエス・キリストという存在となられました。
けれども人々は神様を、十字架にかけようとしました。
だからこそ、ついに神様は聖霊という形をとって、私たちのところへ来られたのです。
神様の愛を私たちに届けるために、聖霊として、私たちのゼロ距離にまで神様は近づいてくださったのです。

5.愛を届ける三位一体

だからこそ、今日の福音書の箇所の最後に、イエス様はこのように言うのです。

「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

この言葉は、このように読み替えられると思います。

「神様が持っておられる愛はすべて、わたし(イエス様)の愛でもある。だから、わたしは『聖霊がわたしの愛を受けて、あなたがたにその愛を告げる』と言ったのである。」

どんなに合理的でなかったとしても、キリスト者たちがこの三者を一つの神様であると告白し続けた理由は、ここにあるのだと思います。
唯一の神様が、私たちにたったひとつの愛を届けるために、三つの姿を取って近づいてきてくださった。
今やわたしたちのただ中に、ゼロ距離に生きておられる神様、それが、三位一体という名の福音であるのです。

2019年6月19日水曜日

次回・6月23日の礼拝案内。

次週6月23日(日)10時半から、聖霊降臨後第2主日の礼拝が行われます。

長野教会では野口和音牧師の説教
「その悲しみに憐みを」

松本教会では栗原茂牧師の説教
「もう泣かなくてもいい」

と題して、長野教会では聖餐礼拝として、松本教会では主日礼拝として守られます。
野口和音牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にご参加ください。

† † †

それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。

──ルカ福音書7章11-17節

2019年6月17日月曜日

甲信地区女性の集い・三位一体主日礼拝。 20190616

15日(土曜日)は甲信地区センターにて2019年度東教区教育部・甲信地区女性の集いが行われました。

3年に2度行われる女性の集いですが、今回は「新しい礼拝式文について」の学びをしました。
日本福音ルーテル教会はその歴史の中で式文を改定してきましたが、今回試案として出されている新式文は9つ目になります。



時代に合わせて式文を改定し、その文言や音楽を新しくする、という試みは、20~30年に一度くらいのペースで続けられてきました。
式文の文言とその流れの中には、私たちが神様に出会い、受け止められたり、喜びや慰めを与えられたりする関わりがあり、そしてまた日々の中に送り出されていくことが表現されているように思います。
それは私たちが日常の中で他の人々との関わりをするように、目には見えないけれども、神様は何を考え、わたしたちにどのように関わろうとしてくださっているのかを知ることができるものとして、ルーテル教会は式文を大切にしてきたのです。

新しい音楽と、新しい言葉で、いろんな説明を聞きながら、試しに歌ってみよう、という会になりました。
とても楽しく、それぞれにいろいろな意見が出てよかったと思います。


翌日16日(日曜日)は三位一体主日礼拝でした。
長野教会は信徒礼拝として、松本教会は聖餐礼拝として守られました。
松本教会の庭には今年もあんずが実り始めていて、数週間後には収穫できそうでした。


礼拝ではキリスト教における三位一体についてのお話を分かち合いました。
なぜ神様、イエス・キリスト、聖霊を3人の神ではなく、一つの神であるということを当時の人々は大切にしたのかについて考えるときとなりました。

昼食後は野口和音牧師がアメリカ訪問の報告と女性会がありました。


サウザンルーテル神学校のチャペルですが、聖卓にはマタイ福音書の11章28節が刻まれていました。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
教会がそのような場所であってほしいと願います。

† † †

この記事をご覧の皆様の日々にも
神様の平安がありますように

2019年6月14日金曜日

次回・6月16日の礼拝案内。

次週6月16日(日)10時半から、三位一体主日の礼拝が行われます。

長野教会・松本教会では野口和音牧師の説教
「ゼロ距離の神様」

と題して、長野教会では信徒礼拝として、
松本教会では聖餐礼拝として守られます。
野口和音牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にご参加ください。

† † †

言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

──ヨハネ福音書16章12-15節

2019年6月11日火曜日

聖霊降臨祭 20190609

6月9日は聖霊降臨祭でした。
長野教会では巡回説教者として勝部哲牧師にお世話になりました。
松本教会でも聖餐礼拝として守られました。



礼拝ではアメリカでの出来事も交えて、聖霊の働きについて分かち合うことができました。
信徒の方が作られたペンテコステのカードもいただきました。
開くと白いハトのクラフトが立体的に入っていて、とっても素敵です。


お昼は皆さんでハヤシライスをいただきました。
聖霊の力に満たされて、交わりを深める一週間へと歩みだしてまいりたいと思います。


† † †

神様から送られた聖霊が
互いの関係を整え
良き関わりへと導いてくださいますように

2019年6月8日土曜日

いのち学 第2回の御案内。

6月17日(月)19時より、松本教会にて
「いのち学~素粒子・生命・人間・宇宙の不思議~」が行われます。


2019年度いのち学、始まりました!
今年度のテーマは「素粒子・生命・人間・宇宙の不思議」です。
わたしたちを取り囲むこの世界について、また生命科学としての「命」について、
そしてその枠を超えたわたしたちの「いのち」について──。
信州大学特任教授の谷口俊一郎先生を講師として、共に考える時を持ってみませんか?

前回までの内容も振り返りながらですので、今回からの参加でも大丈夫です!
参加費は500円。 事前申込は不要です。

6月17日の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

6月のひるカフェ&手仕事会の御案内。

6月21日、日本福音ルーテル松本教会にて「ひるカフェ&手仕事会」が行われます!

6月のひるカフェ&手仕事会は、
レジンのヘアゴムをつくろう!です。

UVライトで固めるレジン液を使って、ヘアゴムを作ってみませんか?
お好きな柄のマスキングテープで簡単に素敵なオリジナルヘアゴムが作れます!

6月21日12時より、日本福音ルーテル松本教会にて行われます!
参加費はランチ代も込みで500円!
お好きな柄のマスキングテープなど、材料のご用意をお願いいたします。

締め切りは6月19日(水)までです!
お待ちしております。

会場の松本教会はこちらです。



次回・6月9日の礼拝の御案内。

次週6月9日(日)10時半から、聖霊降臨祭(ペンテコステ)の礼拝が行われます。

長野教会では勝部哲牧師の説教
「見えないものによって立つ世界」

松本教会では野口和音牧師の説教
「わたしたちをひとつにするもの」

と題して、両教会聖餐礼拝として守られます。
教会の三大祝日の一つ、お祝いの時を、皆で過ごしましょう。
野口和音牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にご参加ください。

† † †

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。』

 ──使徒言行録使徒2章1-21

昇天主日礼拝。20190602

6月2日は昇天主日の礼拝でした。
長野教会では主日礼拝、松本教会では聖餐礼拝として守られました。
野口和音牧師はアメリカ訪問のため、長野教会では清重尚弘先生、松本教会では伊藤文雄先生にお世話になりました。


松本教会にて 子供のお話からお世話になりました



松本教会では伊藤文雄先生に、子どものお話からお世話になりました。
久しぶりの松本教会とのことで、皆様と共に聖餐礼拝を共にできた喜びを述べておられました。



お昼は皆さんでカレーをいただき、普段は遠くにおられる方も来てくれたそうで、とても賑やかなときになったようです。

***

野口和音牧師のアメリカ訪問についての詳しい報告は後日に教会でしたいと思いますが、アメリカでも6月2日の主日にはオレンジバーグのルーテル教会(Orangeburg Lutheran Church)で礼拝を守りました。
ここの牧師のJimさんのお宅に前日からホームステイをしました。
当日は「Japan Sunday」と題して迎えていただき、日本語での礼拝最後の祝福(benediction)の担当や奉献・陪餐時のBGMとしてヴァイオリンを弾かせていただきました。
約1週間(往来含めて10日間)の旅の中で、大きな恵みと学びをいただきました。
教会を守ってくださった皆様、祈りに覚えてくださった方々に感謝をいたします。

オレンジバーグという地名が
そのまま教会の名前になっている

奉献時の演奏奉仕