2020年4月29日水曜日

今週の黙想文(フィリピ4:6)

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。
──フィリピの信徒への手紙4章6節

† † †

キリストが私たちの重荷を担ってくださることを表すわかりやすい物語を聞きました。
買い物に出かけたおばあさんが大荷物を背負って家へ帰る途中、隣の家のおじさんが荷車を引きながら「荷車に乗って一緒に帰りましょう」と誘いました。
おばあさんは喜んで荷車に乗るのですが、背中の荷物を降ろそうとしません。
「乗せていただけるだけで幸せです、自分の荷物は自分で持ちます」と言うのです。
このおばあさんの姿はまるで私たちのようではありませんか。
救いの荷車を引いたキリストが私たちを招いておられます。
その招きを受けて荷車に乗り込んでも、私たちはその背中に抱える日々抱え込んだ思い煩いを降ろせずにいるのではないでしょうか。
キリストは私たちをあらゆる思い煩いから救い出そうとしてくださいます。
十字架と復活は私たちのいのちそのものを救ってくださるという証なのです。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイ11:28)」という命を懸けたキリストの招きに対して、私たちも祈りを通し、いのちのすべてを委ねてまいりましょう。

(20200426週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れていただく機会として用いてくだされば幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年4月26日日曜日

復活後第3主日礼拝 家庭礼拝用式文・音声

4月26日・復活後第3主日の家庭礼拝用式文です。
讃美歌・聖書朗読・説教音声等と一緒に用いていただければ幸いです。
♪が付いているところは、音声が流せます。

1 初めのことば
 主よ、わたしの唇を開いてください。この口はあなたの讃美を歌います。
 神よ、速やかにわたしを救い出し、主よ、わたしを助けてください。
 父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン

2 特別の祈り
神様、御子はパンを裂くことによってあらゆる弟子たちにご自身を知らせてくださいます。贖いの働きをされる主イエスを見ることができるように、私たちの信仰の目を開いてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン

3 讃美歌♪
み言葉の歌 教会讃美歌253番

↑拡大できます



4 聖書朗読
使徒言行録2章14a&36-41節〈新p215〉 ペトロの手紙第一 1章17-23節〈新p429〉


ルカによる福音書24章13-35節〈新p160〉



5 説教♪


6 讃美歌♪
感謝の歌 教会讃美歌256番

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  7 信仰告白 使徒信条
天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン

8 交唱 
 神に向かってわたしは声をあげ、
     助けを求めて叫びます。
 主の慈しみは決して絶えない。
     主の憐れみは決して尽きない。
 それは朝ごとに新たになる。
     あなたのまことはそれほど深い。
 わたしの罪にみ顔を向けず、
     咎をことごとくぬぐってください。
 神よ、わたしのうちに清い心を創造し、
     揺るがぬ霊を、わたしのうちに新しくしてください。
 わたしをあなたのみ前から捨てず、
     あなたの聖なる霊をわたしから取り上げないでください。
 あなたの救いの喜びをわたしに返し、
     喜び仕える霊を与えて、わたしを支えてください。
 主よ、この日も、
     わたしたちを罪から守ってください。
 主よ、憐れんでください。
     わたしたちを憐れんでください。
 主よ、わたしたちの祈りを聞いてください。
     わたしたちの叫びの声をみ前に至らせてください。
 父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、
     初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン

9 祈 り
永遠の命の与え主なる神様。
わたしたちがいのちの危機に苛まれるなか、私たちの思いの全てをあなたの御前にお捧げいたします。
どうかあなたが私たちの信仰の目を開き、あなたがいつでも私たちと共におられること、不安には平安を、悲しみには慰めを、死には復活と永遠の命を与えてくださっていることを、信じさせてください。
そして今まさにあなたのみ言葉と救いを求めている人々にこそこの福音が届くように、私たち一人ひとりを力づけ、遣わしてくださいますように。

新型コロナウイルスの感染拡大の報道を聞かない日はありません。日々私たちの心は摩耗し、他の病もまたわたしたちに忍び寄っています。
余裕をなくし、人と人との関係が崩されていく、そのような現実の中にこそあなたが寄り添い、平和の道へと導いてください。一日も早い終息が与えられますように。
私たちの信仰は弱く、その目は遮られています。どうか主よ、あなたが私たちの目を開き、命を懸けて私たちに示してくださった神様の愛と救いに気づかせてください。感染の不安に立ち向かいながら、病にかかった人々を救おうとしておられる医療従事者の方々、すでに病にかかり、苦しみの中にあるひとりひとりと共にあなたがおられて、いっときの逃れ場を与えてください。
日々の思い煩いから傷ついた心を整え、あなたが与えてくださる豊かないのちのゆえに、明日からの現実を堪え抜く力を与えてくださいますように。

(※そのほか各家庭における祈りの課題を自由にお祈りください。)

すべてをあなたにお委ねいたします。この祈りを尊き主、イエスキリストの御名を通し、御前にお捧げいたします。アーメン

10主の祈り
  天の父よ。
  み名があがめられますように。
  み国が来ますように。
  み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。
  私たちに今日もこの日の糧をお与えください。
  私たちに罪を犯した者を赦しましたから、
  私たちの犯した罪をお赦しください。
  私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。
  み国も力も栄光も とこしえにあなたのものだからです。 アーメン

11 祝 福
 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、
 あなたがたと共にあるように。アーメン

† † †

「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。(ルカ24:30)」
私たちを逃れ場・エマオへと導き、ご自身の身体を通して復活のいのちを与えてくださる主の恵みをおぼえつつ。

背景は松本教会の聖壇左側にあるステンドグラスです。聖壇右側には対になるオメガのステンドグラスが嵌められています。
礼拝のとき、司式者席に座るといつもこのステンドグラスが正面に見えます。そのたびに牧師としてのつとめが恵み深く委ねられていることを思い起こしています。


2020年4月23日木曜日

次回26日・復活後第3主日礼拝は中止です。

次週4月26日(日)は復活後第3主日の礼拝です。

長野教会・松本教会の礼拝は、
5月3日まで中止となりました。

現時点では5月10日より礼拝再開を予定しています。

当日10時半より、家庭礼拝の式文と説教音声等を公開いたします。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。


──ルカ福音書24章13-35節

2020年4月22日水曜日

今週の黙想文(ヤコブ1:12)

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。
──ヤコブの手紙1章12節

† † †

新約聖書には福音書の他に21通もの手紙がありますが、それらは教会に起こった問題に対処し、正しい福音を教えるためや、あるいは人々を力づけるために書かれています。
ヤコブの手紙はその中でキリスト者の行いについて教えていますが、その最初と最後に述べられているのは「忍耐」についてです。
「信仰が試されることで忍耐が生じる(3節)」と言われるように、忍耐が必要となるような現実が目の前にあるときこそ、私たちの信仰を通して神様からの呼びかけを聞くときなのだと勧めているのです。
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む(ロマ5:2-3)」とパウロも言っています。
たとえ私たちの目の前にあらゆる苦難が立ちはだかろうとも、それによって私たちの信仰はより一層強められ、希望へとつながる道が必ず残されているという幸いがあることをみ言葉から聞いてまいりたいのです。

(20200419週報記載)


……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れていただく機会として用いてくだされば幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年4月19日日曜日

復活後第2主日 家庭礼拝用式文・音声

4月19日・復活後第2主日の家庭礼拝用式文です。
讃美歌・聖書朗読・説教音声等と一緒に用いていただければ幸いです。
♪が付いているところは、音声が流せます。

1 初めのことば
 主よ、わたしの唇を開いてください。この口はあなたの讃美を歌います。
 神よ、速やかにわたしを救い出し、主よ、わたしを助けてください。
 父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン

2 特別の祈り
全能・永遠の神様、あなたは信じる者の力です。疑う私たちを、見ないで信じる信仰によって、キリストの豊かな祝福に与からせてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。

3 讃美歌♪
み言葉の歌 教会讃美歌292番

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4 聖書朗読
使徒言行録2章14a&22-32節〈新p215〉
ペトロの手紙第一 1章3-9節〈新p428〉

 ヨハネによる福音書20章19-31節〈新p210〉


5 説教♪


6 讃美歌♪
感謝の歌 教会讃美歌311番

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7 信仰告白 使徒信条
天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、に下り、三日目に死人のうちから復活し、天に上られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。聖霊を私は信じます。また聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン

8 交唱 
 神に向かってわたしは声をあげ、
     助けを求めて叫びます。
 主の慈しみは決して絶えない。
     主の憐れみは決して尽きない。
 それは朝ごとに新たになる。
     あなたのまことはそれほど深い。
 わたしの罪にみ顔を向けず、
     咎をことごとくぬぐってください。
 神よ、わたしのうちに清い心を創造し、
     揺るがぬ霊を、わたしのうちに新しくしてください。
 わたしをあなたのみ前から捨てず、
     あなたの聖なる霊をわたしから取り上げないでください。
 あなたの救いの喜びをわたしに返し、
     喜び仕える霊を与えて、わたしを支えてください。
 主よ、この日も、
     わたしたちを罪から守ってください。
 主よ、憐れんでください。
     わたしたちを憐れんでください。
 主よ、わたしたちの祈りを聞いてください。
     わたしたちの叫びの声をみ前に至らせてください。
 父、み子、聖霊の神にみ栄えあれ、
     初めも今ものちも、世々に絶えず。アーメン

9 祈 り
赦しと救いの主なる神様。
私たちは未だかつてない危機の中に立たされています。かつで弟子たちがそうであったように、いのちの危険に囲まれ、不安と怖れのゆえに起こる罪に苛まれています。
主よ、あなたが私たちの心の中心に立ってくださいますように。
嵐の時にも叱咤の言葉をかけ、弟子たちを奮い立たせたように、私たちがあらゆる危険のなかにあるときにも揺らがず、互いに平和を祈りあうことのできる信仰に立たせてください。
新型コロナウイルスの拡大感染はとどまることを知らず、私たちの霊は怯え切っています。それでも私たち一人一人が誰かを救う働きのために召し出されていることをおぼえさせてください。
あなたから与えられた賜物を生かし、平和をうしなっている多くの人々のために祈り、あなたの愛のゆえにつながりを保つことができますように。
そして今まさに命の危険を冒しながらも、病にかかった人々を一人でも救うために働いておられる医療従事者の方々を省みてください。必要な休息を与え、力づけてください。病の中にある人々をいやしてください。心無い言葉が投げかけられる現実の中で、誰かを傷つけるのではなく、誰かを愛し救い出すために、御心のままに私たちを用いてくださいますように。

(※そのほか各家庭における祈りの課題を自由にお祈りください。)

すべてをあなたにお委ねいたします。この祈りを尊き主、イエスキリストの御名を通し、御前にお捧げいたします。アーメン

10主の祈り
  天の父よ。
  み名があがめられますように。
  み国が来ますように。
  み心が天で行なわれるように、地上でも行なわれますように。
  私たちに今日もこの日の糧をお与えください。
  私たちに罪を犯した者を赦しましたから、
  私たちの犯した罪をお赦しください。
  私たちを誘惑から導き出して、悪からお救いください。
  み国も力も栄光も とこしえにあなたのものだからです。 アーメン

11 祝 福
 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、
 あなたがたと共にあるように。アーメン


2020年4月17日金曜日

次回19日・復活後第2主日礼拝のご案内。

次週4月19日(日)は復活後第2主日です。
長野教会・松本教会の両教会ともに、礼拝は中止となりました。

当日10時半より、家庭礼拝の式文と説教音声等をこのブログにて公開いたします。
4月の両教会における昼食・すべての集会は中止とします。
また、礼拝中の聖餐も自粛いたします。

長野県では4月22日まで「感染対策強化期間」とされました。
「県外を対象とする緊急事態宣言がなされたことを受けた知事メッセージ」にもあるように、最大限の感染防止策にご協力ください。

また、コロナウイルスが終息するまで、引き続き説教音声をブログでも配信いたします。
体調等ご不安の方など、ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

 ──ヨハネ福音書20章19-31節

2020年4月15日水曜日

今週の黙想文(ルカ24:15)

話し合い論じ合っていると、
イエス御自身が近づいて来て、
一緒に歩き始められた。

──ルカ福音書24章15節

† † †

エマオへの途上で復活のキリストが近づかれた時、二人には誰なのかわかりませんでした。しかもキリストであることが分かった瞬間に「見えなくなった」というのです。
復活したキリストはマリアに「わたしにすがりつくのはよしなさい。(ヨハネ20:17)」と言われました。それは、マリアが復活を単にこの世での甦りと同じものだと捉えていたからです。
永遠に生きておられるキリストは、私たちと共におられます。見ることも、触れることはできません。しかし確かにキリストは私たちと関わりあってくださいます。
私たちはその時、心が燃えるような希望と信仰に満たされるのです。
キリストの死を聞いて意気消沈していた弟子たちは心燃えてエルサレムへ引き返しました。
マリアは立ち上がって弟子たちに復活を告げに行きました。
私たちの眼前には重苦しい現実がありますが、しかし私たちは信仰によって立ち、信仰の目を通してキリストを見、キリストが切り開いてくださった希望、そこにキリストが共におられるという慰めにこそ目を向け、心を寄せたいのです。

(20200412週報記載)


……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れていただく機会として用いてくだされば幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年4月12日日曜日

復活祭(イースター)20200412

本日12日は復活祭の礼拝でした。
松本教会は10時半から、長野教会は14時半から主日礼拝として守られました。



長野県でも感染が拡大するなか、できる限りの感染予防対策をしたうえでの礼拝となりました。
皆さんと共に復活のキリストについてのみ言葉を分かち合えたことは喜ばしいことでした。
どうか一人一人の健康が主によって守られますように。


**本日の福音書朗読(ヨハネ20:1-18)**


**本日の主日説教「もう墓なんか見なくていい」**



**祈り**

復活し、今なお生きて働いておられる私たちの主よ。
教会が、揺れています。私たち一人一人の信仰が、揺さぶられています。
目に見えぬ病への恐れを通して、私たちは様々なことを問われているのだと思います。
私たちの信仰が問われています。礼拝とは何かを問われています。祈りの力が問われています。私たちの罪は、いともたやすくあなたから心を離し、ただこの状況が過ぎ去るまで耐え抜くことだけを考えさせようとしています。
しかし主よ、あなたは復活し、私たちに呼びかけておられます。全ての生きたみ言葉を通して、私たちがどのような日々の中にあろうともあなたが共におられることを証ししてくださっています。
今、あなたが私たちと共に生きておられることを、信仰の基として立たせてください。
あなたの愛と、正義と、慈しみと愛によって、私たちが希望を失うことのないようにしてください。そしてこのわざわいの時が一刻も早く過ぎ去りますように。

主よ、この状況の中で一人でも多くの人々を救おうと奮闘している人々がいます。病の中に苦しんでいる人々がいます。その人々のために、私たちにできることを教えてください。
あなたはわたしたちの心をも振り向かせてくださいました。私たちが苦しむ人々に心を寄せることができますように。そしてこれ以上誰一人苦しみの中に踏み込み、留まることのないように、配慮と知恵の霊を私たちに注いでください。
今日ここに集うことのできなかった人々がいます。働き場の中で、あるいはそれぞれのご家庭で、私たちはあなたに祈りを捧げます。その祈りを通して私たちを一つにしてください。
心の目を開き、不安と怖れにさいなまれている兄弟姉妹と支えあい、この試練を乗り越えさせてくださいますように。

2020年4月10日金曜日

受苦日礼拝。20200410

本日10日(金)は、受苦日礼拝でした。
10時から松本教会、14時半から長野教会にて守られました。


四旬節最後の週は聖週間と呼ばれ、特に今日の聖金曜日は、キリストの受難と十字架を思い起こす日です。
新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、私たちに対する愛のゆえにその苦難を共に担っておられる神様を思い起こしつつ、祈りの時を持ちました。



長野教会でも14時半から同じく祈りを合わせることができました。
長野教会の庭に咲いた桜が満開で、その美しさに心が少し軽くなりました。


2020年4月9日木曜日

次回12日・復活祭(イースター)のご案内。

次週4月12日(日)は復活祭(イースター)の礼拝です。

長野教会、松本教会では
「もう墓なんか見なくていい」

と題して、
松本教会では10時半から、
長野教会では14時半から、
両教会、主日礼拝として守られます。
4月の両教会における昼食・すべての集会は中止とします。
また、礼拝中の聖餐も自粛いたします。

長野県では4月22日まで「感染対策強化期間」とされました。
「県外を対象とする緊急事態宣言がなされたことを受けた知事メッセージ」にもあるように、ご自身や大切な方の命を守るため、最大限の感染防止策にご協力ください。
大変申し訳ありませんが、体調等ご不安がある方や、公共交通機関をお使いの方などは礼拝参加を自粛いただければ幸いです。

また、コロナウイルスが終息するまで、引き続き説教音声をこのブログでも配信いたします。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。
マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

 ──ヨハネ福音書20章1-18節

2020年4月8日水曜日

今週の黙想文(2テモテ1:7)

神は、おくびょうの霊ではなく、
力と愛と思慮分別の霊を
わたしたちにくださったのです。
──第二テモテへの手紙1章7節

† † †

パウロは自らの命の終わりが近づくなか、テモテを力づけるために手紙を書いています。
弟子たちの裏切りと迫害に対する力強い励ましを思い起こすとき、誰しもにとって最大の怖れは死の恐怖にあることがわかります。
世界中で新型コロナウイルスが蔓延し、感染した人が数日で亡くなる現実が報道されています。
キリストが十字架を通して私たちに与えてくださった永遠の命の約束は、私たちの地上の命をないがしろにするためではなく、より一層希望に満たすものです。
パウロは獄中ですら祈り、手紙を書き続け、多くの信徒たちを力づけていきました。
それは、パウロが死の淵にあってもいのちの希望に満ちていたからこそ出来たことです。
家から一歩も動くことができなくとも、私たちもなおキリストのために出来ることがあります。
キリストの霊は、力と愛と思慮分別をもって、死の恐怖にさいなまれている誰かを救うために、私たちを押し出していくのです。
絶えず祈り、関わりを保ちましょう。

(20200405週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れていただく機会として用いてくだされば幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年4月7日火曜日

牧師のヒトコト(2020年4月)

♪朝露に 輝き咲ける 野の花は さやかにたたう み神のさかえ……(讃213番)

吉田康登(やすなり)氏が作詞したこの讃美歌は、日本語のリズムである5・7・5・7・7で歌詞が書かれているため自然と私たちの心にしみわたってきます。
吉田氏は十勝池田の出身で、長い冬が終わり、雪解けの後に咲く野の花から、春の訪れと神様の恵みを聞き取っていったのだと伝え聞いています。
長野県でも先日大雪が降りましたが、その雪が解けると、様々な花のつぼみが開きつつあるのが見つかりました。
連日コロナウイルスの感染拡大の報道に伴い、私たちの心も深い雪に閉ざされた冬のようですが、きっと神様はその先に花開く私たちの喜びと希望とを、雪の下に用意してくださっているのだと思います。

♪野の花を かくよそいます みこころは われらの滅び 見捨てたまわず……(3節)
あらゆる不安の中にある今この時だからこそ、み言葉にこそ信頼し、日々を過ごしてまいりましょう。

(20200405週報記載)

2020年4月5日日曜日

受難主日礼拝。20200405

本日4月5日は受難主日の礼拝でした。
長野教会では信徒礼拝として、松本教会では主日礼拝として守られました。

礼拝堂正面の軒下に咲いていました

ユダとキリストとの関わりの中から、すべての人の罪を赦すために十字架にむかっていかれたキリストを分かち合いました。

新型コロナウイルスの感染者が関東では急激に増える中、長野県においては比較的抑えられている状況が保たれています。
それでも以前よりも速いペースで新たな感染者の報道があり、教会としても注意を払いつつ礼拝を行っています。
来週はいよいよ主の復活を祝うイースター。そのための聖週間が始まります。

† † †

松本教会・長野教会では聖金曜日(受苦日)礼拝を行います。

4月10日(金)
10時~ 松本教会にて、
14時30分~ 長野教会にて
受苦日礼拝を行います

ので、ご都合がつく方はお越しください。
また、外出に不安を持たれる方は、遠慮なくご自宅にて祈りを合わせていただければ幸いです。

一日でも早い終息へと向かいますように。

**本日の福音書朗読(マタイ)**


**本日の主日説教「裏切り者すら友と呼ぶ」**



*祈り*

十字架のキリスト、私たちの贖い主なる神様。
いつ終息するかもわからない新型コロナウイルスの感染拡大と、それに伴い尽きることのない不安が、わたしたちを取り巻いています。私たちの現実の中に、あなたが語られた罪の姿を目の当たりにしています。
そして私たち自身もまた、時にあなたの教えを裏切り、他者への配慮に欠け、自分の思いを優先してしまうことがあります。
私たちは今日、わたしたちの罪を思い起こし、御前に告白いたします。そして思い起こすことのできない罪もまたあることをおぼえます。
この苦難の時、私たちが罪を増し加えるのではなく、あなたの十字架にこそより頼み、誰かを愛する関係へと生かしてください。
あなたへの信仰を強く保ち、それゆえに平安と愛に満たされつつ、不安の中にある人々と分かち合うことができますように。
十字架への苦難の道を歩まれたキリストのゆえに、私たちに忍耐する心を与えてください。

東教区の多くの教会が閉じられ、あなたの兄弟姉妹が集う場所が失われています。
どうか祈りを通して私たちを一つにしてください。私たちがあなたのみ言葉を聞き、賛美の声を響かせ、そして祈ることを通して一つとされていることを、そのたびに思い起こさせてください。
今なお病の苦しみの中にある人々を、癒してください。
医療崩壊と首都圏のロックダウンの可能性が高まりつつある中で、私たちの手では救うことのできない人々が出てきています。
その絶望にさいなまれ、心の叫びをあげている医療従事者がいます。
主よ、苦しみと痛み、悩みと嘆きの中にある人々にその御手をのばし、彼らを救ってください。
一日一日と移り変わる状況の中、不安に苛まれているすべての人々のために、あなたが共におられて、その心を慰めと平安に満たしてください。

2020年4月2日木曜日

次回4月5日・受難主日礼拝のご案内。

次週4月5日(日)は受難主日の礼拝です。

長野教会、松本教会では
「裏切り者すら友と呼ぶ」

と題して、
長野教会では信徒礼拝として、松本教会では主日礼拝として守られます。
4月の両教会における昼食・すべての集会は中止とします。また、礼拝中の聖餐も自粛いたします。
再開については、地方自治体の対応を見つつ判断いたします。
健康に気を付けてお越しください。

また、コロナウイルスが終息するまで、引き続き説教音声をこのブログでも配信いたします。
体調等ご不安の方など、ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』/と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。
それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」
イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」またそのとき、群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。

──マタイ福音書26章14-54節

2020年4月1日水曜日

今週の黙想文(ルカ10:2)

収穫は多いが、働き手が少ない。
だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。
──ルカ福音書10章2節

† † †

牧師が足りない、教会員が増えないという話題を今年になって何度聞いただろうかと思います。
そのような教会の現実の中で、私たちはどうしても「働き手が少ない」という言葉にばかりに目が行ってしまいます。
弟子たちがここでキリストによって遣わされていったのは、まだ信徒でない人々と関わって発掘する、地道で先の見えない働きのためでした。
そしてキリストは「収穫の主に願いなさい。」と続けられています。
神ご自身から全ての権能を受けていながら、キリストはその力を振るわれるのではなく、祈ることを弟子たちに教えられるのです。
なぜなら、誰かが働き手とされていく奇跡は、最終的には神様ご自身が彼を送ってくださることによって起こるからです。
わたしたちが問題に取り組むときにも、あらゆる手を尽くした果てに、神様にすべてを委ねる祈りへとたどり着くのだと思います。
「収穫は多い」というキリストの言葉にこそより頼んでまいりましょう。

(20200329週報記載)
……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れていただく機会として用いてくだされば幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。