2020年7月31日金曜日

ルターナイツinまつもと

26日(日)18時半から、ルターナイツinまつもと、再開しました!


本日はファーストアルバム販売記念も兼ねて、
ウクレレ弾き語りの伊藤寛人さんをゲストにお招きしました!


ルターナイツにお呼びするのは三度目となりましたが、涼やかなウクレレの音が礼拝堂に響き渡りました。
ファーストアルバム「noise」は、Kasai Tanaka名義でAppleMusicなどに配信されています。
BGMとしてのんびり流すのにピッタリな、全11曲です。



今回の牧師の讃美歌ウラ話は、「ガリラヤの風かおる丘で」の作曲者つながりで、「ウルトラマンとキリスト教」でした。


「ガリラヤの風かおる丘で」の作曲者、蒔田尚昊 氏はウルトラマンの楽曲をつくっている冬木透 氏であったと知り、いろいろと調べてみましたら、まさか「特撮の神様」円谷英二、シナリオの市川森一も、カトリック教会にゆかりのある人物でした。
ウルトラマンを見て育ってきた身として、そこにキリスト教のモチーフを見つけることができたことはうれしいことでした。

次回8月2日・平和主日礼拝のご案内。

次週8月2日(日)は平和主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「愛は動く」

と題して、10時半より
松本教会では聖餐礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
 
──ヨハネ福音書15章9-12節

2020年7月29日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ14:1)

神を信じなさい。
そして、わたしをも信じなさい。
──ヨハネ福音書14:1

† † †


神を信じる、という言葉は、神の存在を信じている、という意味で使われることが多いかもしれません。
しかし、これは妙なことです。
たとえば友人を信じると言ったときに、友人の存在を信じる、という意味にはならないように、神様に対しても同じことが言えるはずだからです。
このことからわかるのは、私たちにとって目に見えないものに信頼を置くということがいかに難しいかということです。
それは、2000年前の人々にとっても同じでした。
だからこそ神は一人の人間イエスとして生まれ、ご自身を顕されました。
十字架にかかられる前の晩、キリストは弟子たちに最後の説教を始められます。
その一言目に語られたのが今日の御言葉です。
神は私たちと関わりのないところでただ存在しているわけではない、確かに私たちと共に生き、関わっておられる方なのだということを、万感の思いをもって伝えようとしておられたのです。
私たちが神様を「信じる」とは、神でありながら私たちと全く同じいのちにおいて喜び悲しみ、悩み苦しまれる方であることを受け止めることなのです。

(20200726週報記載)


……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。


2020年7月26日日曜日

聖霊降臨後第8主日礼拝 20200726

本日は聖霊降臨後第8主日礼拝でした。
松本教会では信徒礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られました。
長野教会では聖餐を予定していましたが、市内感染者が増加したこと、またこの連休での感染リスクを考え、やむを得ず中止となりました。





礼拝中、外から蝉の声が聞こえてきました。
夕方は大雨でしたが、いよいよ夏がやってきそうです。

また、松本教会では18時半から、ルターナイツinまつもとが再開されました。
食事の交わりはありませんが、またご機会あればどうぞお越しください。

本日の礼拝全体の録音は
(クリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の音声となります。
※「ファイルのウィルススキャンを実行できません」と表示されたら、「このまま再生」を押すと再生できます。


**本日の使徒書・福音書朗読**
列王記上3章5-12節〈旧p531〉
ローマの信徒への手紙8章26-39節〈新p285〉


マタイによる福音書13章31-33節&44-52節〈新p25〉



*本日の主日説教「出会いという宝」(礼拝中録音)*



*祈り*

救い主なるわたしたちの神様。
あなたは私たちに、様々な時をお与えになります。
あなたとの出会う前から恵みで満たし、あなたとの出会いの時を与え、時には信仰の試練を与え、絶えずみ言葉を通してあなたへと立ち返るようにと招いておられます。
そのすべての時が、あなたの御心によって定められ、私たち一人ひとりを救いへと導くためのものであると信じます。
あなたは私たちの日々に起こる全ての出来事を通して語り掛けてくださっています。そこには出会いもあり、別れもあります。喜びがあり、悲しみもあります。
そのすべての時においてあなたが私たちと共におられ、全ての思いを分かち合ってくださっていることを信じます。

主よ、今日もあなたに祈りを捧げます。新型コロナウイルスの感染者が再び増えつつある中で、誰もが不安と疑いに心を苛まれています。
各地で起こる地震や大雨、特に九州での豪雨災害によって、より一層苦難の中を過ごしている方がおられます。その一人ひとりの心に、あなたが寄り添ってください。あなたに出会う喜びを支えとし、慰めと励ましをお与えください。
あなたが多くの人々にしたように、あなたへの信仰のゆえに、私たちも心の痛みに苛まれる誰かのために、その痛みに寄り添っていくことが出来ますように。
そしてどうかそこにこそあなたが始められた天の国が広がっていきますように。
この祈りを尊き主イエスキリストの御名を通して御前にお捧げ致します。

2020年7月25日土曜日

いのち学2020 第2回

先週7月20日(月)は松本教会で19時から、いのち学が行われました。




2020年度、いのち学第2回!
感染予防対策のため従来の食事を自粛し、常時換気と椅子の数を減らして行いました。




今回のサブタイトルは「生体防御システム 感染とがん」。
免疫のしくみについて深く知ることが出来ました。未知のウイルスに対してさえもちゃんとブロックして攻撃したり、型をおぼえて次に備えて抗体をつくったりと、私たちの体は大変よくできていることを改めて知らされる思いでした。

わたしたちの命が脅かされているように感じる、新型コロナウイルス。
しかし私たちよりもはるか昔から、ウィルスは存在し、私たちとは別の場所で、確かに共存をしてきたのです。
そしてこのパンデミックを通して、疑心暗鬼や差別や暴力など──私たちのうちにある別の問題もまた浮き彫りになってきました。
わたしたちの生物学的な命だけではない「いのち」にも問いを与えてくれているのかもしれません。

またどうぞ次回もお越しください。
次回は9月28日(月)19時~の予定です。

2020年7月24日金曜日

次回26日・聖霊降臨後第8主日礼拝のご案内。

次週7月26日(日)は聖霊降臨後第8主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「出会いという宝」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では聖餐礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」 
「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」

──マタイ福音書13章31-33節&44-52節

2020年7月22日水曜日

今週の黙想文(2テサ2:13)

神はあなたがたを、
救われるべき者の初穂として
お選びになったからです。
──テサロニケの信徒への手紙 II 2章13節

† † †

神が与える救いの選びについて、パウロは「あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって」選んだと言います。
また、「自らの力ではなく、神の賜物(エフェソ2:8)」とも言うのです。
救いの選びとは神の選びなのです。
私たち人間にとって「選ばれる」ということは、そこには「選ばれなかった」人がいるということです。
だから救いが自分の力ではなく神の意思によるものであると知るとき、既に救われる人と救われない人が神によって定められていると考え、絶望するかもしれません。
どうやっても自分が救われるかどうかの確証が得られないからです。
しかし神の選びは、驚くべきことに「すべての人を救いに選ぼうとする」選びなのです。
ここに、人間の予想を超えた神の愛があります。
それを示されるために、神はキリストの姿を通してその愛を表され、すべての人を招いておられます。
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。(ロマ10:17)」とパウロが言っている通り、み言葉にこそ耳を澄ませ、それに信頼して全てを委ねつつ、救いの日を待ち望みたいものです。

(20200719週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。



2020年7月19日日曜日

聖霊降臨後第7主日礼拝。20200719

本日は聖霊降臨後第7主日礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られました。
久しぶりにからりと晴れた天気で清々しい気持ちで礼拝ができました。


長野にしては珍しいくらい長い梅雨がようやく終わりを迎えそうでホッとしています。
これからは日差しが強くなります。新型コロナウイルスだけでなく、熱中症にも気を付けつつ過ごしていきましょう。


本日の礼拝全体の録音は
(クリックすると再生されます)
※松本教会の主日礼拝の音声となります。
※「ファイルのウィルススキャンを実行できません」と表示されたら、「このまま再生」を押すと再生できます。


**本日の使徒書・福音書朗読**
イザヤ書44章6-8節〈旧p1133〉
ローマの信徒への手紙8章12-25〈新p284〉


マタイによる福音書13章24-30節&36-43節〈新p25〉



*本日の主日説教「部下の失態は上司の責任」(事前録音)*



*祈り*

私たちの罪の贖い主なる神様。
あなたは御子をこの地上にお遣わしになりました。それは、あなたの御国が今まさに近づいておられること、そしてそのために全ての人々を救いへと招くためでありました。
わたしたちの日々の中には、以前よりまして心を乱す出来事ばかりが起こってきています。私たちの心も余裕を失い、人と人との関わりもより一層希薄なものになりつつあります。
主よ、このような現実の中だからこそ、私たちがみ言葉から希望と救いとを聞いていくことが出来ますように。失われたものばかりに目を向けるのではなく、それによって気付かされた恵みを受け取ることが出来るようにしてください。

新型コロナウイルスによる感染拡大も第二波が予想される中、長野県にも再び感染者が出てきました。それに加えて地震や大雨による被害が各地で起こってきています。
特に九州における豪雨災害、球磨川の氾濫による被害は誰もが予想できなかった形で広がっています。
どうか主よ、あなたへの祈りを通して、この時を乗り越えるための勇気をお与えください。
今まさにあなたによって立たされ、被害を受けた地で災害支援にあたっている牧師たち、信徒の方々、ボランティアの方々に、励ましと力をお与えください。
家を失った人々、様々な不安の中にいる人々の心に、一日でも早く平安が与えられますように。

あなたは私たちを関わりあうものとしてお造りになりました。
あなたが救いを求め苦しむ人々に心を寄せ、愛の奉仕を担っていかれたように、あなたへの信仰のゆえに、私たちもまた赦しあい、理解しあい、共に生きる兄弟姉妹としての交わりを保つことが出来ますように。
この祈りを尊き主イエスキリストの御名を通して御前にお捧げ致します。



2020年7月17日金曜日

次回19日・聖霊降臨後第7主日礼拝の御案内。

次週7月19日(日)は聖霊降臨後第7主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「部下の失態は上司の責任」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
 それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

──マタイ福音書13章24-30節&36-43節

2020年7月16日木曜日

いのち学のご案内。

7月20日(月)19時より、松本教会にて
「いのち学~現代の生命科学~」が行われます!



直前のお知らせになり申し訳ありません!
いのち学、第2回です。
今回のサブタイトルは「生体防御システム 感染とがん」。
新型コロナウイルスが今なお猛威を振るう中、私たちはどのようにその現実を受け止めていけばよいのでしょうか。
わたしたちを取り囲むこの世界について、また生命科学としての「命」について、
そしてその枠を超えたわたしたちの「いのち」について──。
信州大学特任教授の谷口俊一郎先生を講師として、共に考える時を持ってみませんか?

今回からの参加でも大丈夫です!
参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。軽食(市販品を別途販売)もあります。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方、2週間以内に感染者多発地域に訪問があった方は、ご参加をご遠慮ください。
万が一の場合に備え、受付にてご連絡先をお聞きします。ご了承ください。

7月20日(月)の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

ルターナイツinまつもと のご案内。

7月26日(日)の18時30分から、
松本教会にてルターナイツ in まつもとが行われます!



ルターナイツinまつもと、再開します!

今回のプログラムは伊藤寛人さんによるウクレレ弾き語りです!
なんとファーストアルバム発売記念!
今回も野口和音牧師のヴァイオリンと、”讃美歌のウラ話”もあるカモ?

参加費は軽食込みで500円、事前申し込みは不要です。
新型コロナウイルス感染予防のため、従来のような食事の時は持ちません。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方、2週間以内に感染者多発地域に訪問された方は、ご参加をご遠慮ください。
万一の場合のため、受付にて連絡先をお聞きします。ご了承ください。

日曜日の夜を、ちょっとトクベツな時間にしませんか?
皆様どうぞご参加ください。お待ちしています。

†会場の松本教会はこちらです†

2020年7月15日水曜日

今週の黙想文(ルカ14:17)

『もう用意ができましたから、おいでください』
──ルカ福音書14章17節

† † †

地震、異常気象、ウイルス……昨今では私たちの平安を脅かす出来事が次々と起こっています。
そのような今だからこそ、私たちは自分のいのちを今、どのように扱うかを問われているのではないでしょうか。
キリストは天の国のたとえを今日の言葉から始められました。
キリストの十字架によって罪赦された私たちにも、今や天の国への招待状が差し出されているのです。
しかしここで招待した人々は現世の関わりや富を理由に断ってしまいます。
私たちはどうでしょうか。
神様が招待してくださる天の国は、私たちが死んだあとに約束されている次の世界のことではありません。
今ここで、そのいのちが神様から与えられたいのちとして生きるかどうかが問われているのだと思います。
キリストは隣人への愛に生きること、その覚悟についての話の中でこのたとえを語られました。
私たちのいのちを愛に満たし、十字架を背負って歩むために、その招待状を受け取ってまいりましょう。

(20200712週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年7月12日日曜日

聖霊降臨後第6主日礼拝。20200712

本日12日は、聖霊降臨後第6主日礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。
長野教会からSkypeで松本教会につなげ、同時に礼拝を守ることができました。




本日の礼拝全体の録音は
(クリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の音声となります。
※「ファイルのウィルススキャンを実行できません」と表示されたら、「このまま再生」を押すと再生できます。


**本日の使徒書・福音書朗読**
イザヤ書55章10-13節〈旧p1153〉
ローマの信徒への手紙8章1-11節〈新p283〉


マタイによる福音書13章1-9節&18-23節〈新p24〉



*本日の主日説教「心に希望が実る種」(礼拝中音声)*



*祈り*

御言葉と救いの源である主なる神様。
あなたが語られた御言葉によって、多くの人々が救いに導かれてきました。今日このときにも全国の教会があなたの御言葉に聞き、あなたの御心を探し求めています。
新型コロナウイルスによる不安だけではなく、頻発する地震や、今回九州で大きな被害をもたらした豪雨被害も耳にしています。私たちの知らないところで大変な思いをしておられる方もたくさんいると思います。
主よ、どうかあなたが語ってくださった御言葉のゆえに、私たちの中に不安ではなく平安を、絶望ではなく希望に満たしてください。
日々の中に起こりうる様々な苦難を乗り越えるための忍耐を、あなたが私たちを信じて御言葉の種を蒔き続けてくださっていることを通して、教えてください。
あなたは私たちを救うための御言葉を語り続けてくださっています。
私たちがあなたの御言葉こそ心を注ぎ、豊かな実をつけるようにと労を惜しむことのないように、絶えずあなたへの信仰に立ち返るようにしてください。
揺らぐことのないあなたの御言葉のゆえに、私たちの希望と救いをも、私たちの中に失われることがないようにしてください。

大きな災害の中で苦しんでいる人々、困っている人々がいます。あなたが助けをお与えください。九州のルーテル教会から呼びかけのあった支援物資は、既に十分な量が寄せられたと聞きました。どうかそれを必要としている人々のところへと届けられますように。現地でその働きを担う牧師たち、多くの人々を力づけてくださいますように。
明日からの一週間、すべてをあなたにお委ね致します。
この祈りを尊き主イエスキリストの御名を通して御前にお捧げ致します。



2020年7月10日金曜日

次回12日・聖霊降臨後第6主日礼拝のご案内。

次週7月12日(日)は聖霊降臨後第6主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「心に希望が実る種」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

礼拝後、当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声等を公開いたします。
また、礼拝全体の音声も公開いたします。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †


その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。
イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」
 「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

──マタイ福音書13章1-9節&18-23節

2020年7月8日水曜日

今週の黙想(エレミヤ20:13)

主に向かって歌い、主を賛美せよ。
──エレミヤ書20章13節

† † †

驚くべきことに、エレミヤがこの言葉を語る直前には神に対して嘆く言葉が重ねられています。
真実の未来を預言したにも関わらず人々からは嘘つきと罵られ、絶望を嘆いている次の瞬間に、彼は神にむかって賛美をするのです。
聖書にはこのような逆転がしばしばみられます。
そこには、神の正しさにこそ信頼を置き、あらゆるマイナスの出来事が必ずプラスにつながると信じる信仰があるのです。
キリストは十字架の上で死なれましたが、復活して永遠のいのちを受けるものとなりました。
ここには、私たちにとって最も深い悲しみである死に寄り添いつつ、永遠のいのちへと生かしてくださる慰めと希望があります。
逆にその約束された救いがあるからこそ、私たちは目の前にある苦しみに向かい合っていけるのだと思います。
拭い去れないコロナ禍の現実の中にこそ、それを通して私たちに神は何を語ろうとしておられるのかを、神の正しさと愛を通して聞いてまいりましょう。

(20200705週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。


2020年7月7日火曜日

今月の牧師エッセイ(牧師のヒトコト)(2020年7月)

ルーテル教会で路上生活者のための働きの一つに「ほしくずの会」というものがあります。
その会報に、フィンランドの宣教師の方が記事を書いていました。

フィンランドは福祉に力を入れていると聞きます。
そのような国ですら何百人も路上生活を強いられている人々がいるのだそうです。コロナ禍でその人数は膨れ上がっています。
しかし公的な流通システムとして、住むところや食べるもの、仕事もままならない人々のところへ、消費期限が迫って廃棄された食べ物が再配布されるように整備されていると聞いて驚きました。
日本ではありえないことです。

この国でもコロナ禍の中でこれまでネットカフェなどを仮住まいとしていた人々が路上生活へと追いやられ、住所不定のために公的な補助金が受けられないという問題が起きていました。
ここに、日本という国や人々が、弱い立場にいる人々をいかに意識していないかがあらわれています。

キリストは私たちに隣人を自分のように愛するようにと教え、彼らのところへ送り出されました。
私たちにとって隣人とは誰でしょうか。
本当に弱くされている人々を、そこから排除してしまってはいないでしょうか。
キリストは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。」と言われました。
私たちも誰かのための小さなキリストとして、弱さに目を向け寄り添う働きを担ってまいりましょう。

(20200705週報記載)

2020年7月5日日曜日

聖霊降臨後第5主日礼拝。20200705

本日7月5日は聖霊降臨後第5主日礼拝でした。
長野教会では信徒礼拝として、松本教会では聖餐礼拝として守られました。

本日の礼拝全体の録音は
(クリックすると再生されます)
※松本教会の聖餐礼拝の音声となります。
※「ファイルのウィルススキャンを実行できません」と表示されたら、「このまま再生」を押すと再生できます。

松本教会では、ステンドグラス作家の山崎兄から、60周年記念のステンドグラス第二弾を飾っていただきました。


ルターの言葉「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」を心に刻みつつ礼拝に臨めるよう、礼拝堂入り口のドアから入った奥の窓に飾っていただきました。
落ち着いた色合いで、大変素敵です。

礼拝の中でも、感染防止に気を付けつつ、聖餐に与ることができました。
今後県内の感染状況を見つつ、月一回のペースで継続する予定です。
また、長野教会においても7月26日より聖餐礼拝を再開する予定となっています。
無事守られますように。


聖霊降臨後第5主日礼拝・聖書朗読・説教音声【礼拝音声追記】


本日10時半より、松本教会・長野教会にて聖霊降臨後第5主日の礼拝が行われます。
礼拝堂に集うことへご不安のある方、またその他の事情のために集うことができない方のために、聖書朗読音声・説教音声を下記にアップいたします。
どうぞご家庭での祈りに用いていただければ幸いです。

**本日の使徒書・福音書朗読**
ゼカリヤ書9章9-12節〈旧p1489〉
ローマの信徒への手紙7章15-25a節〈新p283〉


マタイによる福音書11章16-19節&25-30節〈新p20〉



*本日の主日説教「何を背負って生きてますか」*



*祈り*

天地の主である父なる神様。
あなたに感謝し、その御名をほめたたえます。
あなたは私たちのもとにイエス・キリストを遣わしてくださいました。それは、私たちが生きる中で背負うあらゆる苦しみを共に担い、また主の前において降ろしてくださるためでした。
主よ、どうかわたしたちを憐れんでください。わたしたちの全ての罪を赦し、あらゆる重荷から解放してください。そのために、私たちの全てをあなたに告白し、委ねることができますように。私たちを平安と喜びで満たし、あなたの招きの御言葉を通して、私たちを新しい明日へと生かしてくださいますように。

主よ、それでも私たちの日々に不安と悲しみは尽きません。
全国で未だに新型コロナウイルスの猛威が続く中、熊本では河川の氾濫が起き、大きな被害をもたらしています。亡くなった方もおられます。あなたがその一人ひとりの魂を救い上げてください。
住むところを追われた人々に助けを与えてください。不安ばかりが増す中で、そこに生きる一人ひとりがその重荷に押しつぶされることのないようにしてください。あなたが教えられたように、苦難の時にこそ支えあい、助け合うことができますように。私たちも祈りを合わせます。私たちが出来る限りの助けと、そのための知恵を与えてくださいますように。

全てをあなたにお委ねいたします。
この祈りをあな尊き主イエスキリストの御名を通して御前にお捧げ致します。


本日の礼拝全体の録音は
(クリックすると再生されます)
※松本教会の聖餐礼拝の音声となります。
※「ファイルのウィルススキャンを実行できません」と表示されたら、「このまま再生」を押すと再生できます。

2020年7月3日金曜日

次回7月5日・聖霊降臨後第5主日礼拝の御案内。

次週7月5日(日)は聖霊降臨後第5主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「何を背負って生きてますか」

と題して、10時半より
松本教会では聖餐礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。

また、当日10時より、当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声等を公開いたします。
礼拝後は礼拝全体の音声を該当記事に追記いたします。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」
そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
 
──マタイ福音書11章16-19節&25-30節 

2020年7月1日水曜日

今週の黙想(ヨハネ8:15)

あなたたちは肉に従って裁くが、
わたしはだれをも裁かない。
──ヨハネ福音書8章15節

† † †

ファリサイ派の人々に対して語られた「肉に従って裁く」という表現には、キリストを受け入れることのできないという個人的な思いを、神の正しさが表されている律法の言葉を使って正当化しようとしていたことが表されています。
それはもはや公平な裁きではありません。
唯一の正しさを持ち、公平な裁きを行えるのは、神様しかおられないからです。
私たちも聖書の言葉を都合よく解釈し、自分の思いを正当化するために用いてしまうことはないでしょうか。
聖書の言葉にとどまらず、あらゆる正しさを欲望や忖度のために捻じ曲げてしまう現実が溢れているのではないでしょうか。
神の子であるキリストが「わたしは誰も裁かない」と言われたのは、そのような私たちに模範を示すためでした。
神様にこそ正しさがあることを思い起こし、裁きをお委ねしていくことを教えられるのです。

(20200628週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。