2020年10月30日金曜日

次回11月1日・全聖徒主日礼拝のご案内。

次週11月1日(日)は全聖徒主日の礼拝です。

長野教会は勝部哲牧師の説教
「八つの幸い」

松本教会は野口和音牧師の説教
「天国行きの手紙を書こう」

と題して、10時半より
両教会主日礼拝として守られます。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

──マタイによる福音書5章1-12節

2020年10月28日水曜日

今週の黙想文(ローマ1:17)

「正しい者は信仰によって生きる」
──ローマの信徒への手紙1章17節

† † †

聖書に親しむほど、私たちは御言葉に正しく生きることの難しさを知るのだと思います。
それゆえ神様の前で逃れようもなく「罪人」であるという事実を自覚することになるのです。
その苦しみを、宗教改革者のルターでさえ抱えていました。
しかしルターは今日の箇所に救いを見出したのです。

罪人である私たちを救うためにキリストは十字架にかかられました。
それは、私たちが神に正しくない者であっても、キリストの十字架によって罪の赦しが与えられているという福音です。
そのことをただ信じることによって、どんなに罪深い人であっても「生きる」と神様は語られるのです。
ただ生きるのではありません。
神の前に正しい者とされ、キリストが「私を信じる者は死んでも生きる(ヨハネ11:25)」と言ってくださったように永遠のいのちに「生きる」ことになるのです。
神様はあなたを「生かす」ために罪人であることを明らかにされますが、その痛みは天の国への招きなのです。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。(マタイ5:3)」。
「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」と言ったルターの言葉の通りに、御言葉に込められた恵みを、信仰を通して受け取ってまいりましょう。

(20201025週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年10月26日月曜日

ルターナイツinまつもと 2020年10月

長野教会から松本教会に戻って、18時半からルターナイツinまつもとでした。



本日のゲストは「kentabugs(ケンタバグズ)」さんたちでした!
3人バンドの2人が元そば打ち屋さんだそうです。
披露していただいたオリジナル曲はどれもクオリティ高く、心地よい諧調に流れるようなボーカルが乗せられた素敵な曲ばかりでした。



今回の牧師の讃美歌ウラ話は、つい先日話題になった連続テレビ小説「エール」90話の「うるわしの白百合」でした。
薬師丸ひろ子さんの提案により急遽讃美歌を歌うこととなったというあのシーン。
薬師丸ひろ子さんはいったいいつ、どこで讃美歌に親しんだ時があったのだろうか?
なぜ「うるわしの白百合」が選ばれ、心を打つものとなったのか?を考えてみました。


いよいよ11月、だんだんと冷え込んでまいりました。
体調には気をつけてお過ごしください。
11月14日(水)13時~15時に教会ではミニバザーを予定しています。
短い時間ではありますが、日用品などありますのでよければお越しください。

2020年10月25日日曜日

宗教改革主日礼拝 20201025

本日10月25日は宗教改革主日の礼拝でした。
長野教会では主日礼拝として、松本教会では通信礼拝として守られました。



宗教改革者ルターの礼拝改革を思い起こしつつ、み言葉を分かち合いました。
礼拝後は長野教会での月1回の新式文の学び。
今日の学びは「招きと懺悔」についてと、聖餐の部の「アグヌス・デイ」と「ヌンク・ディミティス」の典礼歌の練習です。
ヌンク・ディミティスはかなりメロディアスな旋律なので、これから練習を重ねていきたいという所感でした。

**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
エレミヤ書31章31-34節〈旧p1237〉
ローマの信徒への手紙3章19-28節〈新p277〉



マタイによる福音書11章12–19節〈新p20〉



*本日の主日説教「救いはゴールではなくスタート」(礼拝中録音)*



*祈り*

恵みと赦しの主なる神様。
主よ、あなたは私たちの罪を心に留めることはないと言ってくださいました。
しかしなおも私たちは罪に囚われています。
せっかくあなたの導きによって出会った誰かを傷つけ、その関係性を壊してしまうことがあります。あるいは相手を赦すことが出来ないがために、自らその罪を犯してしまいそうになることもあります。
どうか主よ、あなたが私たち一人ひとりを違う存在としてお造りになったこと、それぞれに個性と賜物をお与えになり、誰もがあなたにとって尊ばれるべき存在とされていることを、受け止めさせてください。
そのように私たちが誰かに対して思う時には、そのような罪深い私たち自身が神様から赦され、愛されているということに立ち返ることが出来ますように。
いつでも私たちが悔い改めをもって自分自身を振り返り、あなたの愛と御心から離れることのないように、気づきをお与えください。
私たちを通して天の国を広げようとしておられる、その尊い働きを担うために、私たち自身が誰かとの関係性を愛に満たすことが出来るように、あなたが私たち一人ひとりを整えてください。
信仰を通してあなたの救いを受け取っていく、その恵みを私たちのスタートラインとして、救いと愛のわざへと送り出してください。

あなたこそ私たちの救い主であります。
いつでもあなたが私たちを通して働いてくださるために、私たち自身の悔い改めから、この一週間、一日一日を始めることが出来ますように。

2020年10月23日金曜日

次回25日・宗教改革主日礼拝のご案内。

次週10月25日(日)は宗教改革主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「救いはゴールではなくスタート」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。耳のある者は聞きなさい。今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」

──マタイ福音書11章12–19節

2020年10月21日水曜日

今週の黙想文(詩90:12)

生涯の日を正しく数えるように教えてください。
──詩編90篇12節

† † †

わたしたちのいのちが本来神様のものであるということを、誰もが忘れています。
私たちのいのちが危機に脅かされるとき、あるいは終わりが近づいて初めてはっきりと知る、ということがほとんどかもしれません。
私たちが自分の力で思い通りにできないものは全て、神様から与えられ、神様に返さなければならないものなのです。
私たちの周りに、神様から与えられたものはいったいどれくらいあるのでしょうか。
その数は、私たちが神様から与えられたことを気付けた恵みの数に等しいのです。
そして誰もが見つけることが出来る恵みの最たるものが、私たち自身のいのちと、今日という一日なのではないでしょうか。
私たちに与えられているあらゆる恵みを数えること、それは、私たちに与えられた今日という日を神様のために生きようとすることから始まります。
すべてを神様からの恵みとして受け取る時、私たちは謙虚さと赦しとに満ちて、それを他者と分かち合うことへと踏み出すことが出来るのです。
終わりの日に、主の愛に正しく生きることのできた日として数えられるよう、祈りをもって今日を始めましょう。

(20201018週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年10月18日日曜日

聖霊降臨後第20主日礼拝。20201018

本日10月18日は聖霊降臨後第20主日の礼拝でした。
長野教会では信徒礼拝として、松本教会では主日礼拝として守られました。
今日は朝から随分冷え込み、ついに礼拝堂の暖房を付けました。
これから冬、密にならないように気を付けつつ礼拝を続けてまいりたいと思います。

松本教会でも礼拝後すぐあとに、ルーテル教会の新式文の学びを始めました。
とりあえずは聖餐の部から、親しんでいきたいと思います。
クリスマスには聖餐が出来ればいいなと願いつつ。

**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
イザヤ書45章1-7節〈旧p1135〉
テサロニケの信徒への手紙 I 1章1-10節〈新p374〉



マタイによる福音書22章15-22節〈新p43〉



*本日の主日説教「それっていったい誰のもの?」(礼拝中録音)*



*祈り*

赦しと愛に満ちたもう主なる神様。
あなたはキリストの十字架を通して私たちの罪を赦してくださいました。
それは、たとえ私たちがあなたの御心に背き、あなたから離れて生きるその時においてなお、私たちを見捨てることなく愛してくださっているということです。
私たちが罪の中においてなお、あなたの恵みに満たされていることに気付かせてください。

主よ、あなたは私たちに命を与え、今日まで守り導いてくださいました。私たちはここでその恵みを数えます。
そして今日、ここにあなたの御名によって集められた人々と共に、その喜びを分かち合わせてください。私たちが誰かとの関わりの中に生かされていることを通して、より一層私たちの愛と信仰とを育んでくださっていることをおぼえ、感謝いたします。
あなたの恵みと救いとを分かち合う者として私たちを立て、送り出してください。
この時代の中で孤立し、寂しさの中にいる人々、怒りと憎しみでしか関わりを持つことのできない人々をあなたが省み、平安へと満たしてください。
少数ではあるものの、長野県においても新型コロナウイルスの感染者は未だおさまっておりません。天に召された方もおられます。
どうか主よ、あなたが癒しと慰めをもって、その一人ひとりに御手を差し伸べてください。残された方々が心無い言葉をかけられることがありませんように。

主よ、私たちはあなたから与えられる愛をしばしば忘れ、あなたが備えてくださった道を、あたかも自分の力で歩んでいるように思う時があります。
どうかそのようなときにこそあなたの御言葉を思い起こし、悔い改めを通して、あなたが共にいてくださることを思い起こさせてください。
私たちは決して一人ではなく、すべてがあなたの導きの中にあることを信じさせてください。

2020年10月16日金曜日

次回18日・聖霊降臨後第20主日礼拝のご案内。

次週10月18日(日)は聖霊降臨後第20主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「それっていったい誰のもの?」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

──マタイ福音書22章15-22節

2020年10月14日水曜日

今週の黙想文(ルカ15:6)

『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』
──ルカ福音書15章6節

† † †

キリストのもとに徴税人や罪びとたちがやってきたことに、ファリサイ派の人々は不平を言い出しました。
するとキリストは失われた羊についてのたとえを通して、心を分かち合うことの難しさを語られました。
近年では特に一人ひとりの孤立が問題とされています。
私たちは他者との関わりから離れれば離れるほど利己的になり、自分の思いを優先するようになるからです。
ですから、他の人の心を想像することや、慮ることを忘れてしまわないようにとキリストはたとえを語られたのです。
直前で「聞く耳のある者は聞きなさい。(14:35)」と言われているように、キリストの言葉に耳を傾ける信仰のゆえに、私たちは互いに心を分かち合う関係に生きてまいりたいと思います。

(20201011週報記載)


……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年10月13日火曜日

ルターナイツinまつもとの御案内(10月25日)

10月25日(日)の18時30分から、
松本教会にてルターナイツ in まつもとが行われます!


今回のプログラムのゲストは、
中村健太さん、赤沼千史さん、安部亘さんによるバンド「kentabugs」!
「moondance」や「虹と傘」などの曲を披露していただきます。

今回も野口和音牧師のヴァイオリンと、”讃美歌のウラ話”もあるカモ?

参加費は軽食込みで500円、事前申し込みは不要です。
新型コロナウイルス感染予防のため、従来のような食事の時は持ちません。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方は、ご参加をご遠慮ください。
万一の場合のため、受付にて連絡先をお聞きします。ご了承ください。

皆様どうぞご参加ください。お待ちしています。

†会場の松本教会はこちらです†

2020年10月12日月曜日

いのち学の御案内(次回10月26日)

10月26日(月)19時より、松本教会にて
「いのち学~現代の生命科学~」が行われます!



いのち学、第3回となります!
9月に予定しておりましたが、10月に延期となりました!
今回のサブタイトルは「感染やがんにおける免疫制御」について。
新型コロナウイルスが今なお猛威を振るう中、私たちはどのようにその現実を受け止めていけばよいのでしょうか。
わたしたちを取り囲むこの世界について、また生命科学としての「命」について、
そしてその枠を超えたわたしたちの「いのち」について──。
信州大学特任教授の谷口俊一郎先生を講師として、共に考える時を持ってみませんか?

今回からの参加でも大丈夫です!
参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。軽食(市販品を別途販売)もあります。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方、2週間以内に感染者多発地域に訪問があった方は、ご参加をご遠慮ください。
万が一の場合に備え、受付にてご連絡先をお聞きします。ご了承ください。

10月26日(月)の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

2020年10月11日日曜日

聖霊降臨後第19主日礼拝。20201011

本日10月11日は聖霊降臨後第19主日の礼拝でした。
長野教会では主日礼拝として、松本教会では通信礼拝として守られました。


冷え冷えとした朝でしたが、日が昇るとすっかり暖かい日になりました。
そのおかげか今週も通信環境も良く、讃美歌のオルガン伴奏と共に、声を合わせて共に賛美をすることが出来ました。





長野教会に、新しい緑色の典礼布が届きました。
大変鮮やかで、光の角度によっては刺繍が違う色を見せる布で作っていただきました。


典礼布の緑は成長と希望の象徴です。長野教会の今後と信徒一人ひとりの信仰が、ますます伸びゆくものであるようにと祈りをあわせました。



**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
イザヤ書25章1-9節〈旧p1097〉
フィリピの信徒への手紙4章1-9節〈新p365〉



マタイによる福音書22章1-14節〈新p42〉



*本日の主日説教「喜んでキリストを着る」(礼拝中録音)*



*祈り*

私たちの導き主なる神様。
あなたは私たちの罪をご覧になられました。私たちの罪がどれほど深く、あなたの御心から遠く離れてしまうものであることを、あなたはご存知です。
しかしだからこそあなたがキリストの十字架を通して示してくださった愛の大きさを、私たちはみ言葉を通して聞きます。
あなたが私たちに悔い改めの扉をいつでも開いてくださっていることに、応えることが出来ますように。

私たちの現実において、あなたの言葉に従って生きることは誰しも難しく感じます。
しかしその中にあって全ての人々にあなたの救いが開かれているように、まず私たち自身から、天の国への道を歩ませてください。
キリストの姿を通して弟子たちやパウロが救いの福音を受け取って言ったように、悔い改めて歩む私たちの姿を通して、あなたが誰かの救いへの道を切り開いてください。
そしてなによりも、絶えず私たちが悔い改めをもって、あなたの御言葉を受け取ることが出来ますように。

昨日、甲信地区5教会での話し合いが持たれました。
コロナ禍において私たちが出来ることはあまりにも少ないように思えますが、このようなときだからこそ、あなたの御言葉に耳を澄まし、互いに励ましあい、このような中においてなお与えられているあなたの恵みにこそ目を止め、喜びをもって分かち合うことが出来ますように。どうぞわたしたちを力づけてください。

2020年10月9日金曜日

次回11日・聖霊降臨後第19主日礼拝のご案内。

次週10月11日(日)は聖霊降臨後第19主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「喜んでキリストを着る」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

イエスは、また、たとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

──マタイ福音書22章1-14節

2020年10月7日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ16:16)

しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、
またしばらくすると、わたしを見るようになる。
──ヨハネ福音書16章16節

† † †

キリストは十字架を前にして弟子たちに多くの言葉を残されました。
その全てはキリストの受難についてでしたが、キリストは決して、そのようなご自分を憐れんでほしくて語られたのではありません。
キリストが常に案じていたのは、十字架によって弟子たちがどれだけの悲しみを背負うかということでした。
だからこそキリストは弟子たちが最も深い悲しみと怖れの中にあるとき、そのただ中に現れてくださったのです。キリストはいつも私たちの悩み苦しみを知っておられます。
そして、キリストほどその苦しみを真底分かち合ってくださる方はいません。
キリストはご自分の血をもって、あなたの痛みの中へと踏み込んでくださる方だからです。
キリストの姿を見出すことのできない時にこそ、悲しみの底に沈み込むときにこそ、キリストの十字架は栄光に満ちて、そのみ言葉は復活するのです。
「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。(同20:20)」 


(20201004週報記載) 

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年10月5日月曜日

今月の牧師エッセイ(牧師のヒトコト)(2020年10月)

1年に一度の休暇をいただきました。
毎週繰り返している仕事が急に休みになると、恥ずかしながら何をしていいかわからなくなります。
ぼんやりと聖書を開いて福音書を読んでいましたら、宣教の働きへと派遣した弟子たちが帰ってきたときに言われた言葉に目が留まりました。

「イエスは、『さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい』と言われた。(マルコ6:31)」

キリストもまた弟子たちから離れ、独りで祈られる場面を福音書はしばしば伝えています。
神のみ心に等しいキリストですら、その働きの合間に祈りを通した神と二人きりの時間を持ち、いっそう深い交わりを必要とされたということなのかもしれません。
そして、キリストの働きを受け継ぎ担う弟子たち・私たちにとっては尚更必要なのことであるのでしょう。
ですから、キリストは弟子たちにもこのように言われたのだと思います。
振り返り、悔い改め、再びその働きを担うための力を神様からいただいていくための「休み」──それもまた、祈りであるのだと。

宗教改革者のルターも、私たちのあらゆる行い、生きることそのものを祈りと捉えました。
私たちも日々祈りのともしびを絶やさず、過ごしてまいりたいものです。


2020年10月2日金曜日

次回10月4日・聖霊降臨後第18主日礼拝の御案内。

次週10月4日(日)は聖霊降臨後第18主日の礼拝です。

坂本千歳牧師の説教
「うしろ向きに馬に乗る」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
野口和音牧師は10月10日まで休暇でお休みです。

† † †

◆「ぶどう園と農夫」のたとえ
「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。

──マタイ福音書21章33-46節