2020年11月29日日曜日

待降節第1主日礼拝。20201129

本日11月29日は待降節第1主日の礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。


教会の暦が新しくなり、クリスマスを待ち望む待降節が始まりました。
聖壇にはアドベントクランツ、1つ目のろうそくに火がともっています。
新型コロナウイルスの感染拡大が広がる不安の中にありますが、どうぞ皆様の心と身体の健康が守られますように祈っています。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書63章19b-64章8節〈旧p1166〉
コリントの信徒への手紙I 1章 3-9節〈新p299〉
マルコによる福音書13章24-37節〈新p89〉

*祈り*
赦しに満ちたもう主なる神様。
待降節に入り、クリスマスを待ち望む季節となりました。
主よ、あなたは約2000年前のクリスマスの日、この世に御子を御遣わしになりました。それは、国を超えて、時代を超えて、全ての人々の罪を十字架の上で赦してくださるためでした。さらには終末の時、あなたが天地創造の初めから用意してくださっている天の国へと私たちを招き入れてくださるためでした。
そのような果てしない愛と、大きな恵みによって与えられた救いを、私たちが心から受け取り、喜びと愛に満ち溢れることが出来ますように。

あなたはたくさんの御言葉を私たちに語ってくださいました。そして今なお天において生きておられる主よ、御言葉を通して私たちの魂を日々新しくしてください。
あなたの生涯のうちに語られた御言葉だけではなく、あなたによって立てられた信仰者の言葉を通して、私たちが互いに信仰を分かち合い、それを通してより一層救いの喜びに満たされますように。
あなたはいつも、私たちを新たな関わりへと導いてくださいます。
私たちが出会うあらゆる人々のうちにあなたの姿を見い出し、それゆえに愛をもって関わっていくことが出来ますように。

全国、また長野県においても新型コロナウイルスの感染が拡大しています。
持病のため、施設にお住いのため、長らく教会に集うことのできない方々がいます。
どうかそのような状況の中にいる人々一人ひとりに、あなたが共にいてください。
御言葉を聞く機会を与え、慰めと力とをお与えください。
あなたの御名によってひとつとされていることを共に信じ、再び交わりのときが与えられるようにと願います。
どうかこの苦難と忍耐の時を乗り越えるために、あなたを信じ、この教会に連なる一人ひとりを、守り導いてください。

2020年11月27日金曜日

いのち学2020 最終回の御案内

11月30日(月)19時より、松本教会にて
「いのち学~現代の生命科学~」最終回が行われます!



直前のお知らせになり申し訳ありません!
いのち学、第4回・最終回です。
今回のサブタイトルは「現代生命科学~疾病から学ぶこと~」です。
新型コロナウイルスが今なお猛威を振るう中、私たちはどのようにその現実を受け止めていけばよいのでしょうか。
わたしたちを取り囲むこの世界について、また生命科学としての「命」について、
そしてその枠を超えたわたしたちの「いのち」について──。
信州大学特任教授の谷口俊一郎先生を講師として、共に考える時を持ってみませんか?


前回までの3回の講義をもう一度復習しつつ、まとめの最終回となります。
今回からの参加でも大丈夫です!
参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。軽食(市販品を別途販売)もあります。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方、2週間以内に感染者多発地域に訪問があった方は、ご参加をご遠慮ください。
万が一の場合に備え、受付にてご連絡先をお聞きします。ご了承ください。

11月30日(月)の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

次回29日・待降節第1主日礼拝のご案内。

次週11月29日(日)は待降節第1主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「滅ぶことなく、滅ぼすことのない言葉」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」

──マルコによる福音書13章24-37節

2020年11月25日水曜日

今週の黙想文(黙22:17)

“霊”と花嫁とが言う。
「来てください。」
──ヨハネの黙示録22章17節

† † †

ヨハネの黙示録は、弟子ヨハネが示された終末の出来事を記したとされるものです。
神様が支配される新しい国が天から降りてきて、人々に「命の木の実」を食べさせると語られます。
創世記の初めにも語られている通り、神様は私たちを神と共に生きる者として造られました。
その世界を再び来たらせるために、これらのことを語り続けておられるのです。
しかし神様はこれらの救いを私たちに押し付けてはおられません。
「来てください」と呼びかける以上のことはされないのです。
そこに、神様が私たちとどのような関係でありたいのかという心が見えてくるのではないでしょうか。
神と共に生きるということは単なる主従、服従させる側とさせられる側ではありません。
キリストは「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。(ヨハネ15:15)」と言われました。
対等な関係として、配慮と尊重に満ちた愛の関わりあいのために、神様は私たちに呼びかけ続けておられます。
そして「これを聞く者も言うがよい、『来てください』と。(黙22:17)」と続けられているように、その言葉を聞いた私たちもまた他の人々に神様の愛に満ちた呼びかけをしてまいりたいのです。
天の国はそこにやってくるのです。

(20201122週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年11月22日日曜日

聖霊降臨後最終主日礼拝。20201122

本日11月22日は聖霊降臨後最終主日の礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。


松本教会も聖壇に長野教会の様子が映し出されます

礼拝後には来週から始まる待降節(アドベント)に向けて、ツリーやアドベントクランツの準備をしました。



**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エゼキエル書34章11-16&20-24節〈旧p1352〉
エフェソの信徒への手紙1章15-23節〈新p352〉
マタイによる福音書25章31-46節 〈新p50〉

*祈り*
いのちの与え主なる神様。
あなたは天地創造の始まりに、ありとあらゆるもののいのちを御造りになりました。
しかしそのなかで私たち人間だけが罪を犯し、あなたの御心の中に生きれなくなっています。それでも主よ、あなたが天地創造の始まりから私たちのために天の国を備えてくださっている幸いに感謝いたします。
私たちは互いに支えあうように、関わりあう存在として造られました。
しかし主よ、罪のゆえに私たちは互いの関係を壊してしまうことがあります。自分勝手な思いから他者との関わりを躊躇い、自分の力だけを過信してしまうことがあります。
どうかそのような私たちを悔い改めさせてください。わたしたちが常に他者との関わりの中に押し出されていることをおぼえ、その関係の中に、いつでもあなたを見ることが出来るようにしてください。

新型コロナウイルスの感染拡大が再び起こってきています。
以前のように顔と顔を合わせて関わりあうことがさらに難しくなっていく日々の中で、どうぞあなたが私たちの関わりを取り持ち、保ってください。
あなたが御言葉とその心をもって私たちに関わってくださったことを私たちが思い起こし、その喜びのゆえに、私たちも心と言葉を用いて、関わりを大切にすることができますように。
主よ、あなたはいつでも私たちと共におられ、私たちの祈りを聞き届けてくださいます。
どうか一日でも早くこの苦難と忍耐の時が過ぎ去りますように。
私たち一人ひとりの心と体の健康を守ってくださいますように。
特に今日ここに集うことのできなかった方々、長く教会に来ることのできない方々にこそあなたが寄り添い、またわたしたちを用いて、ひとりひとりをこの教会へと繋げてくださいますように。

2020年11月20日金曜日

次回22日・聖霊降臨後最終主日礼拝の御案内。

次回11月22日(日)は聖霊降臨後最終主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「情けは人の為ならず」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

──マタイ福音書25章31-46節

2020年11月18日水曜日

今週の黙想文(ローマ13:10)

愛は隣人に悪を行いません。
──ローマの信徒への手紙13章10節

† † † 

聖書の教えは私たちに悪を避けるようにと教えていますが、私たちはそれを「○○してはならない」「○○すべきだ」という言葉で守ろうとすると、途端に窮屈な気持ちになって、うまく守れなくなるのではないでしょうか。
キリストが生きた時代、ファリサイ派の人々も「してはならない」「すべき」という思いに囚われるあまり、結果として隣人への愛を忘れてしまいました。
宗教改革者ルターも「私たちは(神の前において)悪い木だから、悪い実しかつけない」と言ったように、私たちが神様の目に悪とされることに目を向け、それを避けようとすればするほど、より一層深い罪に陥ってしまうことがあるのです。
そこでキリストやパウロは、愛に焦点を合わせました。
罪を避けようとするのではなく、罪を持つ存在として互いを愛と赦しをもって受け止め、互いに何度も悔い改めながら愛を見据えて歩む道こそが、罪を抱えながら悪を避ける道となっていくのです。
愛の視点、「○○しよう」と思う心で、み言葉を受け取ってみませんか。

(20201115週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年11月15日日曜日

聖霊降臨後第24主日礼拝 ・教会ミニバザー 20201114・15

本日11月15日は聖霊降臨後第24主日の礼拝でした。
松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として守られました。

昨日14日は松本教会で教会ミニバザーが行われました。

今年は干し柿用の渋柿が
教会の庭に大量になりました。恵み!
お買い上げありがとうございました。

教会前の駐車場・露店形式でバザーを行いました

松本教会では昨日のバザーに続き、快晴であたたかい日になりました。
バザーを準備してくださった教会員の皆様、お越しの皆様に感謝いたします。
また、バザーでいちじくジャムを購入された方へお知らせがございます。
教会か牧師までご連絡ください。

ZOOMは資料も画面共有できるのはうれしいですね

礼拝後は東教区での教会全体の会議、全役員協議会に参加しました。
会議ツールZOOMを使った会議が教会にも普及し始め、このような開催は東京までが遠い甲信地区としては感染対策とあわせて大変ありがたい限りです。

教会の暦も来週で終わりです。
11月末からは教会の暦では新しい年度と季節、待降節となります。
愛と平和の主としてお生まれになるキリストをおぼえ、待ち望む季節へと踏み出してまいりましょう。

**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
ゼファニア書1章 7&12-18節〈旧p1470〉
テサロニケの信徒への手紙I 5章1-11節〈新p378〉


マタイによる福音書25章14-30節〈新p49〉



*本日の主日説教「あなたに預けられたいのち」(礼拝中録音)*



*祈り*

いのちの与え主なる父なる神様。
私たちに与えられた賜物のひとつひとつを思い起こし、あなたに感謝いたします。
私たちが今日まであなたに守られて歩みを続けられたこと、必要なときに必要な人々と出会いを与え、関わりの中で教え、働きを与えてくださったことをおぼえて感謝いたします。
わたしたちの歩みのすべてをあなたはご覧になり、今日まで導いてくださいました。わたしたちのいのちは私たち自身に委ねられています。
その日々の中に起こるあらゆることを通して、あなたの愛と憐み、恵みと大きな赦しを聞き取ることが出来ますように。そのようなあなたの招きを通して、私たちの関係のうちに、天の国をもたらしてください。

新型コロナウイルスに感染する人々が再び長野においても増えてきました。
正しい恐れと対策をもって、この病が人と人との間を引き裂くものではなく、配慮しあい、助けあう機会を与えるものとしてください。あなたから与えられた一人ひとりのいのちがどうかあなたの御心のうちに守られますように。
あらゆる病の中にあって苦しんでいる人々には癒しをお与えください。また治療にあたる医療従事者の方々を守り、その疲れをいやしてください。
関わりを絶たれ、寂しさを感じる人々と共にあなたがおられ、あなたの御名と信仰によって私たちが一つであることを思い起こさせてください。
どうか主よ、わたしたちに日々祈ることを教えてください。絶えず私たちがあなたの御心を訪ね求め、私たちに委ねられている賜物をもって、慰めと力、喜びと愛をもって、互いに心を通わせ合う、そのような関係性を保ってくださいますように。



2020年11月13日金曜日

次回15日・聖霊降臨後第24主日礼拝のご案内。

次週11月15日(日)は聖霊降臨後第24主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたに預けられたいのち」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
──マタイ福音書25章14-30節

2020年11月11日水曜日

今週の黙想文(箴言8:35a)

わたしを見いだす者は命を見いだす
──箴言8章35節a

† † †

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。(ヨハネ1:1-2)」このようなヨハネ福音書の冒頭は、旧約聖書の創世物語の再録として読まれることがあります。
つまり「言」であるキリストは、この世にお生まれになる前、創世の一番初めから天におられた、という捉え方です。これを「先在のキリストと言います。
さて、箴言は父「わたし」から子に語られる教訓集の形を取って語られていますが、「わたし」の他に「主」と呼ばれる存在が登場します。
しかし、「わたし」は主なる神でないにも関わらず「わたしに聞き従え(32節)」と呼びかけます。そして「わたし」を見出す者はいのちを見出し、見失う者は魂を損なうとすら言われるのです。
わたしとはいったい誰か、という問いに明確な答えはありませんが、これを先在のキリストとして読むこともできるかもしれません。
箴言には日々の中における一般的にも思える戒めが多く語られていますが、それはすべて「主を恐れること」という信仰へと結び付けられています。
私たちが日々のあらゆることの中にキリストを見出し、キリストの言葉に従い、キリストが導き与えてくださるいのちを、旧約聖書からも見出してまいりましょう。

(20201108週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年11月8日日曜日

聖霊降臨後第23主日礼拝。20201108

本日11月8日は聖霊降臨後第23主日の礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。


長野教会の桜の木も秋の彩りを見せていました。
いよいよ冬がやってきます。灯油の備えと共に、天の国の備えにも心を注いでまいりたいと思います。

**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
アモス書5章18-24節〈旧p1435〉
テサロニケの信徒への手紙I 4章13-18節〈新p377〉


マタイによる福音書25章1-13節〈新p49〉



*本日の主日説教「油、それで足りますか」(礼拝中録音)*



*祈り*

私たちの救い、光の源である主よ。 
日々のあらゆることの中にあなたの働きを見出すことは、私たちにとって難しいことです。
私たちの目にはまるであなたの思いとはかけ離れたような現実があらわれることもあります。
しかし主よ、そのすべてがどうかあなたのみ心のうちにあり、それを通して私たち一人ひとりを導いてくださっているということを信じさせてください。
私たちが経験するあらゆる試練においても、どうかあなたが私たちにとって必要なものとして備えてくださっている信仰の試練として、受け取ることが出来ますように。
私たちの抱えるあらゆる不安、死の恐怖に対しても、あなたが十字架の死と復活を通して、もはや嘆き悲しむことのないものとしてくださっている、その福音を受け取らせてください。
天の国がいつ来るかは誰にも分りませんが、どうか主よ、あなたが私たちを救ってくださるというその幸いを心に留めつつ、その思いに私たちも応えることが出来ますように。
悔い改めをもって御言葉を聞き、わたしたちを御心に適ったよきわざのために用いてくださいますように。

長野県でも再び新型コロナウイルスが流行し始めているように思います。
感染によって苦しんでいる人々や、窮地に立たされている人々に、どうか主よ、癒しと助けを与えてください。
私たちひとりひとりに、赦しと愛をもって関わることが出来る、そのような心をお与えください。
天に召された方がたもいらっしゃいます。
どうか主よ、慰めをもってその魂を救い上げ、遺された遺族の方々の心を守ってください。どうか心無い言葉によって傷つけあうことがありませんように。

2020年11月6日金曜日

14日・松本教会ミニバザー開催のお知らせ

11月14日(土)のみ!13時から15時半まで、教会ミニバザーが開催されます。



感染対策のため、販売はすべて教会前の庭にて行います。
小雨決行! 雨天であれば中止です。
おいしいお野菜や教会お手製のジャム、その他物品販売があります。
教会内では販売はありませんが、一息つけるスペースとして開放もされていますよ。
短い時間ではありますが、どうぞお気軽にお越しください。



次回8日・聖霊降臨後第23主日礼拝のご案内。

次週11月8日(日)は聖霊降臨後第23主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「油、それで足りますか」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

──マタイ福音書25章1-13節

2020年11月4日水曜日

今週の黙想文(フィリピ1:21)

わたしにとって、
生きるとはキリストであり、
死ぬことは利益なのです。
──フィリピの信徒への手紙 1章21節

†††

パウロは牢獄に監禁されながらフィリピの教会に向けてこのように言います。
一刻も早く天に召されてキリストのもとへと行きたいと願う反面、この世ではフィリピの人々とキリストに結ばれているという喜びを分かち合うことができると続けています。
私たちが日々の中で神様の働きを見出したときに受ける喜びと救いがありますが、それは天の国において受ける救いの喜びと同様のものです。
パウロはここで、天に召されて永遠の命を受けることの救いと喜びは、キリストによって結ばれている喜びを隣人と分かち合うことの中にも見出すことができると語っているのです。
永遠の命とは、神様の喜びと愛に満たされた関わりのなかに永遠に生かされていくことなのです。

(20201101週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年11月2日月曜日

牧師エッセイ(11月)

北海道の天売島(てうりとう)は世界有数の海鳥(ウミネコなど)の生息地で、「海鳥の聖地」と呼ばれています。
しかしノラ猫の増加によって、貴重な海鳥が捕食され激減するという問題が起こった、という記事を読みました。
そこで島をあげて取り組まれたのが「『人と海鳥と猫が共生する天売島』連絡会」です。
島の全てのノラ猫を対象に去勢・避妊手術を徹底し、飼い猫の完全室内飼い指導や、130頭のノラ猫の保護と105匹の譲渡(里親探し)が行われました。
近年ではノラ猫はほぼゼロになったそうです。

驚くべきことにこの働きをリードし続けたのは「北海道海鳥センター」の人々でした。
彼らにとって猫は海鳥を捕食する害獣です。単に殺処分を依頼することもできたはずでした。
「敵」ともいえる猫一匹一匹のいのちに寄り添い、共生するための働きの中には、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44)」とキリストが語った愛を見えてくるような気がします。

神様は私たちがどのような存在であっても赦し、そのいのちを尊いものとしてくださっています。
私たちもその神様への信仰のゆえに、他のいのちに寄り添う愛をもって誰かと関わってまいりたいと思います。

2020年11月1日日曜日

全聖徒主日礼拝 20201101

本日11月1日は全聖徒主日の礼拝でした。
長野教会・松本教会共に主日礼拝として守られました。
教会につながり天に召された方々をおぼえて祈りを合わせました。


15時から、1年前に召天された方の納骨式を行いました。
美しく色づいた紅葉の景色に慰められつつ、召天者のご家族の方々と共に祈りの時を持てました。
天の御許において、平安がありますように。

**本日の礼拝全体の録音**



(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の主日礼拝の音声となります。

**本日の使徒書・福音書朗読**
ヨハネの黙示録7章9-17節〈新p460〉
ヨハネの手紙I 3章1-3節〈新p443〉



マタイによる福音書5章1-12節〈新p6〉



*本日の主日説教「天国行きの手紙を書こう」(礼拝中録音)*