2020年12月31日木曜日

次回・1月3日降誕節第2主日礼拝のご案内。

次週2021年1月3日(日)は降誕節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「いつだって幸先詣」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として行われます。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。 
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
──ヨハネ福音書1章1-18節

2020年12月30日水曜日

今週の黙想文(創1:3)

神は言われた。「光あれ。」
こうして、光があった。
──創世記1章3節

† † †

旧約聖書が語る世界創生の始まりは、簡潔に語られた神様の言葉がこの世界を造り上げていったことを語っています。
世界のすべてがこうして造り上げられたあと、「第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。(2:2)」と聖書は記していますが、神様はその後にも働き続けておられるのです。

宗教改革者マルティン・ルターはこの旧約の言葉を今なお神は語り続けておられるがゆえに、今の世界に光が存在している、と語りました。
同様に、聖書のみ言葉は過去に一度語られただけではなく、今なお私たちに語り続けられているのです。

聖書が語っているのは、楽園追放をはじめとした繰り返される人間の罪の問題に対して、神は人間を愛し、救いへと導くための関わりを決して諦めてはおられないということです。
ですから、今日の私たちのために語り続けられている神様からの言葉に、耳を澄ましてみたいと思うのです。
今日も神はあなたが歩む道の先を明るく照らすために、語ってくださっています──「光あれ」。

(20201227週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年12月27日日曜日

降誕節第1主日礼拝 20201227

本日12月27日は降誕節第1主日の礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。


今年は何度か家庭礼拝となりましたが、こうして集う形での礼拝が守られることの恵みと喜びをかみしめた一年となりました。
み言葉に聞き、恵みを受けて日々導かれていることに感謝しつつ、来年も過ごしていければと祈っています。
この記事をご覧の方々においても、神様の導きと恵みに満ちた新年が迎えられますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書61章10節-62章3節〈旧p1162〉
ガラテヤの信徒への手紙4章4-7節〈新p347〉
ルカによる福音書2章22-40節〈新p103〉

*祈り*

いのちの贖い主なる神様。
あなたは私たちを神の似姿として造ってくださいました。しかし私たちは罪によってあなたの御心から離れ、あなたの働きと御業とに気付くことができなくなっています。
それでも主よ、あなたは私たちを救いへと招くために、み言葉を語り続けてくださっています。罪によって思い悩み、あなたを見出すことが出来ずに心迷う日々の中にあっても、そのすべてを救いへの導きとして整えてくださっているということを信じさせてください。
私たちのいのちはすべてあなたからいただいたものです。
主イエス・キリストが私たちの罪のために十字架へと捧げられたことをおぼえ、私たちのいのちもあなたにお捧げすることが出来ますように。
私たちの近くにあなたが救いへと導こうとする者があるなら、どうぞ私たちを用いてください。その交わりを通して、私たちの信仰がいっそう強められ、悔い改めをもって新しくされていきますように。
あなたからいただいたいのちを、日々の絶望と孤独のゆえに、自ら投げ捨ててしまう人々がいます。
どうか主よ、憐みと慰めをもって、彼らの魂が抱える悲しみに寄り添ってください。私たちも今まさに魂の痛みの中にいる人々のために祈ることが出来ますように。
そして手が届くところにいるのであれば、あなたの導きをもって、私たちをその人のところへと送り出してください。
今なお暗いニュースが世間を覆い、希望を見出すことが難しい世の中に見えます。傷つき悩む人々が多くいます。それは、2000年前も今も変わりません。
だからこそあなたは幼子イエス・キリストという希望の光を私たちへと送ってくださいました。私たちの信仰の中心にいつもあなたがおられて、私たち一人ひとりを恵みの喜びに満たしてください。
私たちのいのち、生涯のすべてをあなたに信頼してお委ねすることができますように。

2020年12月25日金曜日

次回27日・降誕節第1主日礼拝のご案内。

次週12月27日(日)は降誕節第1主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「救いとの出会い」

と題して、
10時半から松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として行います。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。
──ルカ福音書2章22-40節

2020年12月24日木曜日

クリスマスイヴ・キャンドルサービス(降誕祭前夜燭火礼拝)。20201224

本日12月24日は降誕祭前夜燭火礼拝(クリスマスイヴ・キャンドルサービス)でした。
まず長野教会は11時から、松本教会で17時と19時の2回、礼拝が守られました。
両教会においてクリスマスの喜びを分かち合う日となりました。

イヴ礼拝の式文も例年よりも短縮し、讃美歌も二節までとなりました。
イヴ礼拝を集う形で行えない教会もあるなか、皆様と共に祈りの時を守ることが出来たことを感謝したいと思います。
本日の礼拝動画は松本教会19時からのものです。
主に支えられつつ、新しい年に向けて歩みだしてまいりましょう。



**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ルカによる福音書2章1-20節

2020年12月23日水曜日

今週の黙想文(イザ9:1)

死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
──イザヤ書9章1節

† † †

イエス様がお生まれになったクリスマスがやってきます。
その出来事を預言した言葉や福音書の中で、キリストは光にたとえられています。
徴税人や罪びとたち、羊飼い、病にかかった人、夫を亡くした女性など、当時の社会において抑圧され、人々から見捨てられていた人々がいました。
このような人々の状況は今ではありえないと感じるかもしれませんが、この根本には人間関係の問題があるのです。
私たちもこの1年を振り返ると、自分勝手になり、自分の思いと立場を優先するあまりに、誰かに手を差し伸べることを躊躇ったり、傷つけてしまうことはなかったでしょうか。
誰かの立場になって考えること、その心に寄り添うことができなくなっていくとき、今日を生きる私たち一人ひとりの心もまた、「死の陰」に覆われてしまうのです。
だからこそキリストはあのクリスマスの日「平和の君(同9:5)」としてお生まれになりました。
私たちの人間関係における平和、そして私たち自身の心についての平和をもたらすために、キリストはみ言葉を語ってくださったのです。
クリスマスを祝いの時とする前に、この一年間の私たち自身を振り返ってみましょう。
私たちの心と関係のうちに平和が失われているなら、和解のために何ができるかを考えましょう。
私たちの心に与えられる最も深い喜びが、その問いの先には見つかるはずです。
どのようなことがあろうともあなたと共にいて、支えるために、キリストはお生まれになったのです。

(20201220週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年12月21日月曜日

次回24日・クリスマスイヴ礼拝の御案内。

次週12月24日(木)は主の降誕(クリスマスイヴ)の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「世界で一番長い夜に」

と題して、
松本教会では17時からと19時から、長野教会では11時から礼拝を行います。
ご都合の良い時間にどうぞお越しください。


† † †

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
──ルカ福音書2章1-20節

2020年12月20日日曜日

待降節第4主日(クリスマス主日)礼拝 20201220

本日12月20日は待降節第4(クリスマス)主日の礼拝でした。
松本教会は10時半から、長野教会は14時半から、両教会主日礼拝として守られました。


長野県では雪模様。特に長野教会のほうは積もり始めていました。



次は24日(木)クリスマスイヴ礼拝です。
長野教会11時から、松本教会17時と19時から礼拝を行います。
どうぞご自由にお越しください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
サムエル記下7章1-11,16節〈旧p490〉
ローマの信徒への手紙16章25-27節〈新p298〉
ルカによる福音書1章26-38節〈新p100〉

*祈り*

私たちの父なる神様。
あなたは母マリアを通して、御子イエス・キリストをこの世に遣わしてくださいました。
あなたがその御業を為すために、マリアの信仰を通して働かれたことをおぼえ、感謝いたします。
あなたは多くのことを、信仰者を通して成し遂げられます。
そのすべてを私たちが知ることはできませんが、あなたは初めから変わることなく、愛と慈しみに満ちて働いてくださっています。
私たちが絶えず悔い改めを通してあなたの御心に沿った働きが出来ますように。
マリアがそうであったように、苦難の中にあってなおその先にある希望を信じて過ごすことが出来るようにしてください。
あなたから与えられている恵みによって力づけられ、喜びに満ちてあなたに仕えることが出来ますように。

この一年間、新型コロナウイルスが世界中で蔓延する中、私たちのうちにある罪が明らかになったように思います。
あらゆるところで愛と余裕が失われ、人と人とが争いあうことも起きました。
これまで会えていた人々と会えなくなってしまったり、寂しさと悲しみに暮れる日もありました。
しかし主よ、あなたはそれを通して、私たちに心と心で関わりあうことの大切さを気づかせてくださいました。
あらゆる人々が関係を避けようとする人々に、キリストであるあなたは自ら寄り添っていかれました。
わたしたちもまた、そのようなあなたの愛に立ち、関わりあうことが出来ますように。
あなたへの信仰を通して、すべてをあなたに委ねるとき、あなたは私たちに大きな喜びと平安を与えてくださいます。
目の前に蔓延るあらゆる不安と戸惑いを超えて、目に見えない大切なものに心を向けさせてください。
今日ここに集うことのできなかった人々にもそれぞれに、あなたがクリスマスの福音を響かせてください。
あなたに御名によって一つとされていることを絶えず思い起こし、あなたの子どもとされた私たち一人一人が、感謝と愛、赦しと慈しみをもって、互いに関わりあっていくことが出来ますように。

2020年12月18日金曜日

次回20日・待降節第4(クリスマス)主日礼拝の御案内

次週12月20日(日)は待降節第4(クリスマス)主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「不安と戸惑いを超えて」

と題して、
松本教会では10時半から、長野教会では14時半から礼拝を行います。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

──ルカ福音書1章26-38節

2020年12月16日水曜日

今週の黙想文(IIコリ5:17)

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、
新しく創造された者なのです。
──コリントの信徒への手紙 二 5章17節


† † †


クリスマスの出来事は、神ご自身が私たちと同じ人としてお生まれになった出来事です。
それは、私たちを神様が創世の初めに意図した姿へと新しく生まれさせるために、まず神ご自身が私たちと同じところまで降りてきてくださったという事なのです。

神が意図された私たちの新しい姿はキリストの姿に顕されています。
キリストの言葉を通して、私たちは人々への愛と和解に生きることが望まれているのです。
私たちがそう願うように、互いに傷つけあったり、仲違いをすることを神様も望まれてはいません。
しかしそのような現実は、私たちの努力では抵抗できないからこそ、いたるところに起こっています。
だからこそキリストは十字架の死への道を歩まれました。
私たちはその十字架を見上げるとき、悔い改め、新しく歩み始めることができるのです。

そして、そのような救いの初めに、クリスマスの日が備えられました。
クリスマスは、私たちが再び和解と愛に生きようとするための、新しい一日なのです。

(20201213週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年12月13日日曜日

待降節第3主日礼拝。 20201213

本日12月13日は待降節第3主日の礼拝でした。
松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として守られました。




いよいよクリスマスが近づき、天気も冬模様になってきました。
長野で新型コロナウイルスに感染する人も増えてきています。
どうぞ皆様の体調が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の動画となります。
(奏楽は松本教会からskypeで送られてきています。)

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書61章1-4節,8-11節〈旧p1162〉
テサロニケの信徒への手紙 一 5章16-24節〈新p379〉
ヨハネによる福音書1章6-8節,19-28節〈新p163〉

*祈り*

救い主なる父なる神様。 
あなたはヨハネとキリストを通して、私たちの本当の姿を明らかにされます。 
私たちは自分の力に頼り、時に自分の思いを優先することがあります。誰かを支配したり、従わせようとしたりする人もいます。そのような罪によって、私たちの関わりは傷つけられ、絶たれてしまうことがあります。 
そして、このコロナ禍においてはいっそう多く、私たちの人と人との関わりから、配慮や愛が失われつつあるように思います。孤独と寂しさ、苦しみを誰かと分かち合うこともできず、自ら命を絶ってしまう人々も大勢います。 
離れることが思いやりとされる今日の世界の中で、主よ、あなたはどんなときにも私たちと共にいてくださるために、この世に来られました。 
その福音が一人でも多くの人のいのちをつなぎ止め、癒し、慰めてください。 
そして私たちがそのような苦しみと悲しみの中にある人々のために、祈ることが出来ますように。 

一日一日、私たちの手に負えないほどの速度で、新型コロナウイルスの感染が拡大しています。 感染された方々への癒しをお与えください。現場で働く医療従事者の労苦をあなたが顧み、彼らを愛のわざに立たせてください。そしてこの苦しい状況の中で堪えられずにあなたの御許へと召された一人ひとりの魂を、どうかあなたがその御手で包み、慰めに満たしてください。 
わたしたちが絶えずあなたから与えられた赦しと愛に生き、悲しみの中にある人々のために祈り、そして手が届くのであれば、躊躇いなくその手を差し伸べることが出来ますように。 
あなたがいつも私たちと共におられて、力づけてください。 

2020年12月11日金曜日

松本教会クリスマス礼拝の御案内。

松本教会、12月のクリスマスイベントのお知らせです!




★こどもクリスマス★
12月19日(土)11時~12時
サンタさんって、いったいなにもの?
 キャンドルサービスのほかにも、
クラフトづくりやプレゼントもあります!
参加費:無料!
※12月17日(木)締め切り・要申込

★クリスマス礼拝★
12月20日(日)10時30分~12時

★クリスマスイヴ礼拝★
12月24日(火)
17時~18時/19時~20時
(ご都合のよい方にお越しください)

こどもクリスマスにご参加の方は、要予約です
問い合わせ、お申し込みは以下にお願いいたします。

==問い合わせ・申し込み==
日本福音ルーテル松本教会まで
(宮渕1-4-9 ℡0263-33-5242)


†会場の松本教会はこちらです†


長野教会クリスマス礼拝の御案内。

長野教会・12月のクリスマス礼拝のお知らせです。




★クリスマス礼拝★
12月20日 14時30分~15時30分

★クリスマスイヴ礼拝★
12月24日 11時~12時

どうぞどなたでもお越しください。
お待ちしています。

==お問い合わせ==
日本福音ルーテル長野教会
(上松4-29-7 ℡026-241-4006)

†会場の長野教会はこちら†
長野駅からアルピコ交通で「湯谷南」下車、徒歩2分です。


次回13日・待降節第3主日礼拝の御案内。

次週12月13日(日)は待降節第3主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたは声」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。

──ヨハネ福音書1章6-8,19-28節

2020年12月9日水曜日

今週の黙想文(使4:32)

信じた人々の群れは心も思いも一つにし、
一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、
すべてを共有していた。
──使徒言行録4章32節

† † †

初代教会の在り方が教えているのは、信仰者は自分の持ち物を全てを手放さなければならないということではありません。
直後の箇所でアナニアとサフィラが畑を売った財産をごまかし、一部のみ共同体に捧げて罰されたのは、全てを捧げなかったからではなく、あたかも心から捧げているように見せかけて嘘をついたからです。
ペトロは彼らに畑を売ることを強制したわけではありません。
それと同じように、この教会の姿が私たちに勧めているのは「心を込めて自分のものを誰かと分かち合うこと」です。
分かち合うためには私たちが相手が求めているものに耳を澄ませ、心を配る必要があります。
そこには他者への愛に満ちた深い関係性が前提となっているのです。
私たちの心と体に起こる全てのことを分かち合ってくださるために、神様は自ら肉をまとい、イエス・キリストとしてお生まれになりました。
そのクリスマスの出来事を胸に留め、喜びも苦難においても助け合い、支えあい、分かち合う私たち、教会でありたいと思います。

(20201206週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2020年12月7日月曜日

牧師エッセイ(12月)

先月末、信州農業公園「チロルの森」に行ってきました。
馬や羊などの動物たちと触れ合えるコーナーや、アーチェリーなど一風変わった体験もできました。
アーチェリー体験で10本の矢を渡されたのですが、なかなか思ったように当たりません。
的外れなところに矢が刺さるのを見て、「次はもう少し上を狙って」「もっと強く引き絞って」…と試行錯誤をしつつ、最終的に2、3本は的の外周に当てることが出来ました。
一回一回打ち方を修正しても、必ずしも思い通りには飛んでいかないのを見て、聖書の語る「罪と悔い改め」に似ているなと感じました。

「罪」という言葉はもともと「的外れ」という意味を持っています。
だからこそ私たちは絶えず自分の心とふるまいを振り返り、神様の心の中心に狙いを合わせていく「悔い改め」を繰り返していくのです。

キリストの誕生、クリスマスがやってきます。
神様はただ的として当たるの待っておられるだけではありません。キリストという最高のインストラクターを付けてくださいました。
キリストはその御言葉をもって、私たちの心の矢を神様の方向へと向け、その手を支えてくださるのです。

2020年12月6日日曜日

待降節第2主日礼拝。20201206

本日12月6日は待降節第2主日の礼拝でした。
松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として守られました。
松本教会ではツリーを立てました。


夜、外から見ると、礼拝堂の十字架と一緒にツリーのデコレーションが輝いて見えます。


このツリーの根元を組み立てるのに皆で試行錯誤していました(3年目3回目)。
来年こそはサッと組み立てられるようになりたいですね。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の主日礼拝の動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書40章1-11節〈旧p1123〉
ペトロの手紙 二 3章8-15a節〈新p439〉
マルコによる福音書1章1-8節〈新p61〉

*祈り*

永遠の支配者にして愛に満ちたもう父なる神様。
あなたは私たちに御言葉を語ってくださいました。そしてその御言葉を通して、あなたのご計画の一端を示されました。そしてその限られたものを通して、あなたは私たちに信仰と愛をお与えになります。
あなたから与えられた信仰を通して、あなたのみ心に少しでも近づくことが出来ますように。キリストを通して示してくださった愛の姿に倣い、たえず罪を悔い改めながら歩むことが出来ますように。

あなたは私たちの必要を満たし、十分なものをお与えになります。
それでも私たちの目に映る現実にはまるであなたがおられないと感じるようなさびしさと絶望を垣間見ることがあります。強大な罪の力によって、多くの人々が惑わされ、傷つけあい、あなたの御心に生きることが出来なくなっています。
そのような私たちに、あなたは絶えず御言葉を語ってくださっています。
時を超え、なお今のわたしたちを救う御言葉として響き続ける福音に私たちがたえず耳を澄まし、またそのような現実の中にあってあなたの愛に生きる者として立たせてください。
罪に屈することなく、いつでもあなたを良心の避けどころとして、キリストを証する者として立たせてください。

新型コロナウイルス第三波が拡大しつづける中にあっても、一人ひとりがあなたの慈しみと愛に満ちて、配慮をもって関わりあうことが出来ますように。
病の中にある感染者の方々には癒しを、医療従事者の方々には休息と平安をお与えください。
私たちは祈りつづけます。その祈りを通して、私たちを一つにしてください。いつでもあなたが私たちと共におられるという信仰を通して、今日ここに来ることのできなかった方々の上にも、慰めが与えられますように。

2020年12月4日金曜日

次回12月6日・待降節第2主日礼拝のご案内。

次週12月6日(日)は待降節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「福音の初め」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

神の子イエス・キリストの福音の初め。 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

──マルコ福音書1章1-8節

2020年12月2日水曜日

いのち学 2020年度最終回。

11月30日(月)は松本教会で19時から、いのち学 最終回が行われました。




今回のサブタイトルは「現代生命科学~疾病から学ぶこと~」でした。
最終回ということで、過去3回の内容を振り返りつつ、わたしたちの身体といのちについて考えました。

免疫の働きなどを見ていくと、私たちの免疫作用、体の構造そのものが奇跡的なつくりになっていることを思い知らされます。
神様が私たちを「神の似姿」として造られたという聖書の記述を、科学的な視点からも見出すことができるのは驚くべきことだと感じたひと時でした。

来年度はまだ未定ですが、もし機会がありましたらまた是非お越しください。

今週の黙想文(2ペトロ3:9b)

一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、
あなたがたのために忍耐しておられるのです。
──ペトロの手紙 Ⅱ 3章9節b

† † †

教会の暦は待降節に入りました。
クリスマスを待ち望むこの季節の日課では、クリスマスというよりも悔い改めが強調されているように思います。
なぜならキリストの誕生を待ち望む季節であると同時に、来るべき終末の時、再臨のキリストを待ち望む時を私たちは過ごしているからです。
キリストが天に昇られてから、終末はすぐにでも起こると考えられていました。
しかし現実には2000年以上の時が経っても来ていません。
キリストの弟子ペトロはこの終末の遅延を、神の愛と忍耐の表れとして説明しています。
それは、既に悔い改めた自分のための救いだけではなく、未だ神様の言葉を聞いたことのない人々の救いにも心を配るようにという呼びかけでもあるのだと思います。
「悔い改める」とは簡単に言えば「神様に心を向けて歩き出す」という意味の言葉です。
私たちの手を他の誰かにも差し伸べ、一緒に神様へと心を向けて歩み出していく、そのような待降節を過ごしてまいりましょう。

(20201129週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。