2021年12月30日木曜日

次回2022年1月2日・主の顕現日の礼拝案内

次週2022年1月2日(日)は主の顕現日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「クリスマスはまだ終わらない」

と題して、
松本教会では主日礼拝として 10時半から礼拝が行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
長野教会は家庭礼拝のため、礼拝堂は閉じています。ご了承ください。


† † †

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

──マタイ福音書2章1-12節

2021年12月29日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ1:16)

わたしたちは皆、
この方の満ちあふれる豊かさの中から、
恵みの上に、更に恵みを受けた。
──ヨハネ福音書1章16節


† † †

洗礼者ヨハネはキリストのことを、恵みをお与えになる方と言います。
しかも恵みを増し加える方だというのです。
ヨハネという人を客観的に見れば、あくまでキリストの前備えでしかない立場、弟子は離れ、最期にはヘロデ王に逮捕され無実の罪で殺されてしまったりと、ろくな人生ではありません。
それでも彼はイエスから恵みを受けたと言うのです。
いよいよ今年も終わりが近づいてきました。
この一年を振り返ってみると、私たちにとって、これはよかったと思うことと、大変だったこと、どちらが多く思い起こされるでしょうか。
もしかしたら大変な思いばかりが思い出されるかもしれません。
しかしそれでも全てが神様の守りと導きの中にあると、恵みなのだとヨハネは証しているように、私たちもまた、神様が何故その出来事を私たちにお与えになったのかを改めて考えてみたいのです。
それを通して、更に恵み深い来年へと歩みだしてまいりたいものです。

(20211226週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年12月26日日曜日

降誕節第1主日礼拝【礼拝動画】20211226

本日12月26日は、降誕節第1主日礼拝でした。
10時半より、長野教会では主日礼拝として、松本教会では通信礼拝として行われました。


長野からの帰り道は大雪で、大変な混み様でした。
松本に向かって山を越えると雪はパッと止みましたが、今年は雪の多い冬になりそうです。
コロナもじわじわと下振れのまま、今年最後の主日礼拝を無事に守ることが出来ました。
皆様健康に気をつけつつ、よいお年をお迎えください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
サムエル記上2章18-20、26節〈旧p431〉
コロサイの信徒への手紙3章12-17節〈新p371〉
ルカによる福音書2章41-52節〈新p104〉

説教「神の家とはどこか」

*祈り*

絶えざる救いの御手なる神様。
今年も一年が終わりを迎えようとしています。
今年一年をあなたの見守りの中に過ごせましたこと、感謝いたします。
私たちの歩みの中で、平安なときがあり、また荒波に揉まれる時もあります。
しかしその中にあって、あなたは私たちと共にあることは当然のことだと証してくださいます。
その力強い御言葉にこそ励まされ、立たされて日々を過ごすことが出来ますように。
わたしたちの救いのためにお生まれになった主イエス・キリストを通して、あなたはその御心と御業とを私たちに示してくださいます。
わたしたちが毎日新しい命をあなたから与えられて目覚め、またあなたの御許に召されるその日まで、あなたの導きの中にあることをおぼえさせてください。
私たちの日々の中に、ぬぐいがたく不安や悲しみ、寂しさや焦りが募る時があります。
しかしそのような時にこそ、主よ、あなたを祈り求めることが出来ますように。
その時、あなたは子である私たちを探し求める父となり、愛をもって私たちを迎えてくださいます。
その平安と希望に立たされて、一日一日を歩んでいくことが出来ますように。

未だ明けることのないコロナ禍のなか、様々な病を抱えている人がいます。
そのお一人お一人に、あなたが癒しの御手を差し伸べてください。
大きな疲れの中にある人には、十分な休息が与えられますように。
今なお忙しさの中にある人には励ましを与え、寂しさと悲しみの中にある人には慰めをお与えください。
そして私たちが喜びの時にある時には、あなたも共にあって喜び、その時を祝福の中に守ってくださいますように。
今日ここに集うことのできなかった人々、時間と場所は違えど、祈りを合わせている人々がいます。
どうか一人ひとりの信仰を通して、あなたが共にあって支えてくださいますように。
この一年を感謝と共に終え、また新しい一年に向かって、希望をもってあなたと共に歩みだすことが出来ますように。


2021年12月24日金曜日

クリスマスイヴ・キャンドルサービス【礼拝動画】20211224

クリスマスおめでとうございます。
本日12月24日は、降誕祭前夜燭火礼拝(クリスマスイヴ・キャンドルサービス)の礼拝でした。
長野教会では10時半から、松本教会で18時から、行われました。

長野教会にて

松本教会にて


両教会ともに、新しい方、久しぶりにお会いできた方とクリスマスの喜びを分かち合うことができました。
また、長野教会ではクリスマスに引続き、1年ぶりにお会いした方の聖餐も恵み深く分かち合うことが出来ました。
コロナ禍が落ち着いている今、安心して福音に与り、また力づけられて明日からの日々を歩みだしていければと思います。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ルカによる福音書2章1-20節

説教「イエスを迎え入れる」

*祈り*

わたしたちの救いの主なる神様。
あなたは私たちの罪をすべてご存知です。
その深い暗闇を私たちから取り去ってくださるために、あなたは最も深い暗闇の中、人々の罪のただ中に、お生まれになりました。
それゆえ、あなたは私たちが罪の暗闇の中にあってなお、救いの光として、揺らぐことなく私たちを照らしてくださいます。
どうか私たちがあなたの歩みと関わりの一つひとつを心に留め、その道に従って歩むことが出来ますように。
あなたが地上の生涯の中で、人々から分断され、孤独と苦しみの中にある人々に寄り添われたように、私たちもまた、そのような苦しみの中にある人のために心を寄せ、祈ります。
私たちの手の届かないところにいる一人ひとりにも、あなたがその救いの御手を伸ばし、その福音を届けてください。

このコロナ禍の中、罪のゆえに、余裕をなくし、不安と焦りの中にある人がいます。
誰にも助けを求められず、苦しみの中に留められている人がいます。
疎遠になり、孤独と寂しさを抱えて過ごしている人もいます。
あなたがそうであったように、わたしたちもそのような人々の心に深く寄り添うことができますように。
赦しをもって関わりあい、喜びと慰めを分かち合い、互いに心と言葉で支えあうことができますように。
そしてその関わりの真ん中にこそあなたが立ってくださり、私たち一人ひとりをその御名によって繋ぎとめてください。


次回26日・降誕節第1主日礼拝の御案内。

次週2021年12月26日(日)は降誕節第1主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「神の家とはどこか」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

† † †

さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、 見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」 すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。 2:52 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

──ルカ福音書2章41-52節

2021年12月22日水曜日

【再掲】長野教会クリスマス・イヴ礼拝の御案内

 長野教会・12月のクリスマス礼拝のお知らせです。



★クリスマスイヴ礼拝★
12月24日(金) 10時30分~11時30分
ロウソクの灯火に照らされながら
クリスマスをお祝いしましょう!

どうぞどなたでもお越しください。
お待ちしています。

==お問い合わせ==
日本福音ルーテル長野教会
(上松4-29-7 ℡026-241-4006)

†会場の長野教会はこちら†
長野駅からアルピコ交通で「湯谷南」下車、徒歩2分です。


【再掲】松本教会クリスマス・イヴ礼拝の御案内

 松本教会、12月のクリスマスイベントのお知らせです!





★クリスマス・イヴ礼拝★
12月24日(金)18時~19時
ロウソクの灯火に照らされながら
クリスマスをお祝いしましょう!

==問い合わせ・申し込み==
日本福音ルーテル松本教会まで
(宮渕1-4-9 ℡0263-33-5242)


†会場の松本教会はこちらです†


2021年12月19日日曜日

主の降誕(クリスマス)主日礼拝。【礼拝動画】

クリスマスおめでとうございます。
本日12月19日は、主の降誕(クリスマス)主日の礼拝でした。
長野教会で10時半から、松本教会で15時から、 両教会聖餐礼拝として行われました。



主の御降誕の喜びと共に、県内のコロナの状況も落ち着きを取り戻しているため、両教会が久しぶりの聖餐に与れたことに感謝します。
両教会で初めての方々もお見えになり、多くの人々とクリスマスの喜びを分かち合えたこともまた喜ばしいことでした。
それぞれの場所で御言葉に聴き、祈りを合わせているお一人おひとりの上にも、主の救いの喜びが与えられますように。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書52章7-10節〈旧p1148〉
ヘブライ人への手紙1章1-12節〈新p401〉
ヨハネによる福音書1章1-14節〈新p163〉

説教「生きる神の言(ことば)」

*祈り*

救いの源である主なる神様。
刻一刻と変わり続ける日々の中で、今日まであなたが私たちを導き、守ってくださったことを感謝いたします。
昨年とは違い、引続きコロナ禍にありつつも安心してあなたの御言葉に聴き、また聖餐の恵みにも与ることが出来ました。
この世の有様は、何処を見てもあなたの御心に適ったものが見当たらないかのように見える時があります。
しかしそれでもなお主よ、あなたは私たちと共に生き、あなたがお与えになったまことのいのちに向けて、私たちを招き続けておられます。
私たちの日々の中に起こる様々な出来事を通して、時に私たちに問いかけ、私たちに悔い改めを与え、あなたの御業の一端を示してくださっています。
そこにこそ、どれだけ私たちが罪の中にあろうとも、救いへと導く努力を惜しむことのない、あなたの愛があることに気付かせてください。
そしてその最も明らかなものの一つとして、御子イエス・キリストがお生まれになったという恵みを、私たち一人ひとりが喜びをもって受け取ることが出来ますように。
「世は言を認めなかった」とヨハネは証します。
私たちは認められることがなければ、生きていくことさえできません。しかしあなたは、十字架においてそれを経験し、復活によって乗り越えられました。
主よ、今日この世において、深い孤独の中にある人、人との関わりが断たれてしまっている人、自分の思いに閉じこもり、隣人に心を注ぐことが出来なくなっている人々のために、祈らせてください。
なによりも最も深い断絶の中に追いやられたあなたが、そのような人々の心に寄り添っておられることを、宣べ伝えさせてください。
私たちが決して一人ではなく、あなたの御名を信じる人々の群れに繋げられている幸いをおぼえ、私たち一人ひとりの支えとすることが出来ますように。
わたしたちのいのちが極めて良いものとしてあなたに造られたこと、イエスキリストにおいてわたしたちをいつも愛のうちに見つめ、救いへと導いておられるという福音を、み言葉を聞く一人ひとりの心に、届けてくださいますように。


2021年12月16日木曜日

次回19日・降誕祭(クリスマス)礼拝の御案内。

次週2021年12月19日(日)は降誕祭(クリスマス)主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「生きる神の言(ことば)」

と題して、
松本教会は15時から、長野教会は10時半から、
聖餐礼拝として行われます。
どうぞご自由にお越しください。

† † †

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

──ヨハネ福音書1章1-14節

2021年12月12日日曜日

待降節第3主日礼拝。【礼拝動画】

本日12月12日は、待降節第3主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。



いよいよ来週19日はクリスマス礼拝となります。
ペンテコステ(聖霊降臨祭)以来の聖餐礼拝を予定しています。
キリストの誕生の喜びを皆さまと共に分かち合えることを願っています。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ゼファニヤ書3章14-20節〈旧p1474〉
フィリピの信徒への手紙4章4-7節〈新p366〉
ルカによる福音書3章7-18節〈新p105〉

説教「心が変わる、世界が変わる」

*祈り*

恵みの主なる神様。
あなたは私たち一人ひとりをお救いになるだけではなく、この世界の全てを御心に適うようにと導いてくださっています。
その道のりは私たちの想像もつかないほどに果てしないものですが、2000年の時を超えてなお全ての人々が救いに与るようにと、あなたは耐え忍んでおられます。
主よ、あなたがイエス・キリストを通してお示しになられた救いを、私たち一人ひとりが心に刻むことが出来ますように。
そのために、私たちが自分自身の内にある罪の有様に目を向け、悔い改めることが出来るよう、勇気をお与えください。

 このコロナ禍において生きる一人ひとりの心は荒れ果て、共に生きる隣人に心を注ぐことが出来なくなっている人々が多くいます。
私たちもまた、時には罪の中に陥り、自分のことばかりに心が向かってしまうことがあります。

イエス・キリストにおいてあなたが示された愛の一つは、深い共感の心でした。
孤独と痛みの中にある人々に、はらわたがよじれるほどの深い憐れみをもって、キリストは関わっていかれました。
どうか私たちもまたそのような深い愛と共感によって、互いに関わりを持つことが出来ますように。
余裕をなくし、自分のことしか考えられなくなっている人々に寄り添い、救いを求める誰かの小さなキリストとして、私たちを立たせ、神の国の前進のために用いてください。
そのために私たちの心をいつもあなたに向けることが出来ますように。

主よ、御言葉を聞く者として、祈りを一つにします。
今日ここに集うことが出来なかった人々、それぞれの場所、それぞれの時間においてあなたの御言葉を聞き、祈りを合わせている人々がいます。
どうかその一人ひとりの心に、あなたの救いの喜びを満たしてください。
あなたがお生まれになるその日をお祝いするために必要な備えとして、絶えず悔い改めの機会をお与えくださいますように。


2021年12月9日木曜日

松本教会こどもクリスマス・クリスマス礼拝の御案内。

松本教会、12月のクリスマスイベントのお知らせです!



★こどもクリスマス★
12月18日(土)13時~15時
 キャンドルサービスのほかにも、
クラフトづくりやプレゼントもあります!
参加費:無料!
※12月15日(水)締め切り・要申込

★クリスマス礼拝★
12月19日(日)15時~16時30分
※例年とは開始時間が違います!
ご注意ください。

★クリスマス・イヴ礼拝★
12月24日(金)18時~19時
ロウソクの灯火に照らされながら
クリスマスをお祝いしましょう!

こどもクリスマスにご参加の方は、要予約です
問い合わせ、お申し込みは以下にお願いいたします。

==問い合わせ・申し込み==
日本福音ルーテル松本教会まで
(宮渕1-4-9 ℡0263-33-5242)


†会場の松本教会はこちらです†


長野教会・12月クリスマス礼拝の御案内

長野教会・12月のクリスマス礼拝のお知らせです。



★クリスマス礼拝★
12月19日(日) 10時30分~12時

★クリスマスイヴ礼拝★
12月24日(金) 10時30分~11時30分
ロウソクの灯火に照らされながら
クリスマスをお祝いしましょう!

どうぞどなたでもお越しください。
お待ちしています。

==お問い合わせ==
日本福音ルーテル長野教会
(上松4-29-7 ℡026-241-4006)

†会場の長野教会はこちら†
長野駅からアルピコ交通で「湯谷南」下車、徒歩2分です。


次回12日・待降節第3主日礼拝の御案内。

次週2021年12月12日(日)は待降節第3主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「心が変わる、世界が変わる」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

† † †

そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。 ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。 徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。 ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。 兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。 そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

──ルカ福音書3章7-18節

2021年12月8日水曜日

今週の黙想文(ルカ1:30)

「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」
──ルカ福音書1章30節


† † †

天使が告げた受胎告知の言葉と裏腹に、マリアの心境はこの先の不安でいっぱいだったでしょう。
ましてやお腹の子どもは夫ヨセフの子ではありませんでした。
このことが明るみになれば、マリアは石打ちの刑で殺されていたかもしれません。
マリアがここで生きるか死ぬかの窮地に陥っているにもかかわらず、それでも天使は「恵みをいただいた」と告げるのです。
私たちの世界が、人が人を一方的に断罪し、自らの正義をもって一方的に傷つけ、ついには殺してしまうような世界であることを、罪に満ちた世界であることを、キリストはその生涯を通して私たちに教えられました。
だからこそ、『あなたはこんな世の中でいいと思うか?』という神様からの永遠の問いが、ここにあるのです。
キリストが教えられたように、私たちの手が他の誰かを傷つけ殺すためではなく、支え助けるために用いられるとき、マリアにとっての受胎もまた、社会的な危機としてではなく、神様からの「恵み」として受け取られていく、そういう世界に神様は導こうとしておられるのです。
だからこそ私たちに与えられる救いとは、この世にあってキリストという生きる指針を与えられることから始まるのです。
 
(20211205週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年12月6日月曜日

牧師エッセイ(2021年12月)

実は、イエス・キリストの誕生日が正確に何月何日だったか、ということは今でもわかりません。
キリストの活動期間は3年程度でしたし、キリストの十字架の後はクリスチャンも長く迫害されたからです。
ですから、その中で最も重要であったのはキリストの誕生日の日付ではなく、キリストが私たちを救うためにこの世に生まれたということであったのです。

キリスト教が迫害を抜け、今のように世界三大宗教となる転換点となったのは、強大なローマ帝国がキリスト教を国教とした時からです。
当時のローマ帝国にはミトラ教という太陽神を奉る宗教があり、最も日が短くなる冬至に、これから太陽神が再び生まれる(だんだん昼が長くなっていく)ことを祝うお祭りをしていました。
クリスチャンたちもこのお祭りに参加していたそうです。
もちろんそこでも彼らは自分たちの信じる神様──イエス・キリストについて、救いの体験を語ったことでしょう。
「太陽は私たちに光を注ぎ、大地の恵みを与える。キリストもまたそれと同じように私たちの心に光を注ぎ、私たちを新しいいのちへと生かしてくださるお方なのだ」と、合わせてお祝いをしていた姿が見えてくるかもしれません。

こうして国教となったキリスト教に対し、ミトラ教は衰退し、太陽神の誕生日であった12月25日がイエス・キリストの誕生日となった、という説があります。
これでは12月25日のクリスマスは後付けではないかと思われるかもしれません。
しかしここで大事なのは、正確な日付ではなく、私たちがイエス・キリストの誕生を喜んでお祝いするという日があることが大切なのです。

そもそもキリスト教で日曜日が「主日」と呼ばれているのは、元々はキリストの復活、二度目の誕生日を祝うための日だからです。
主日のたびにみ言葉を通して私たちをも新しいいのちに生かしてくださる、そういう神様(=主)イエス・キリストが、この世にお生まれになったというお祝いの日、主日の一つとして、12月25日のクリスマスが定められていったのです。



2021年12月5日日曜日

待降節第2主日礼拝。【礼拝動画】

本日12月5日は、待降節第2主日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として行われました。



松本教会でもクリスマスツリーなどの飾りつけをしました。
ご協力ありがとうございました。





いよいよクリスマスが近づいてきました。
長野教会・松本教会のクリスマスチラシを作成しました。
今年度の松本教会のクリスマス主日礼拝(19日)は例年と時間が違います。
15時から開始となります。ご注意ください。
後日改めて告知いたします。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
マラキ書3章1-4節〈旧p1499〉
フィリピの信徒への手紙1章3-11節〈新p361〉
ルカによる福音書3章1-6節〈新p105〉

説教「曲がりくねった直線」

*祈り*

愛と導きの主なる神様。
私たちが生きる世の中、私たち一人ひとりの歩みには、迷いと不安が尽きることがありません。
特に私たちが誰かと関わりを持つ時には尚更のことです。
私たちのうちには拭い去ることのできない罪があります。
それがわたしたちをあなたの愛から遠ざけ、罪を犯させ、時には誰かを傷つけることさえあります。
混迷する世の中で、人が人を思いやることのできない事件が数多く起きています。
余裕をなくし、自分のことばかりに目が向いてしまう人が多くいます。
またそれは、私たち一人ひとりにおいても起きてくることかもしれません。
主よ、どうかどのような時にも悔い改めをもって私たち一人ひとりが、自分を振り返ることが出来ますように。
もし私たちが誰かとの関係に不和を抱えているとしたら、その関係を修復し、誤解を解き、愛に満ちた関係に生きることが出来るように、私たちの道を示してください。
そして何よりも、主イエス・キリストが私たちと共に今なお生きておられ、聖書のみ言葉を通して私たちに寄り添い、支え導いておられることを信じます。
いつでもあなたの御言葉にこそ私たちが耳を傾けることができますように。
今日、様々な事情から教会に来ることのできない方々のことをおぼえます。
終わりの見えないコロナ禍によって施設から外出することが出来ない人の上にもあなたの豊かな祝福と日々の喜びとが与えられますように。
病の中で治療をされている方には、あなたによる癒しが与えられますように。
また心に重荷を抱えている人、今日ここに集うことのできなくとも、様々な手段を通じて祈りを合わせているすべての人々の信仰を強めてください。
明日からの日々においてもあなたが共におられることを心に留めて過ごすことが出来ますように。
私たちの全ての歩みをあなたの御心に委ねます。


2021年12月2日木曜日

次回12月5日・待降節第2主日礼拝の御案内。

次週2021年12月5日(日)は待降節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「曲がりくねった直線」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。


† † †

皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、 アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。 そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。 谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

──ルカによる福音書3章1-6節

2021年12月1日水曜日

今週の黙想文(マタイ21:5)

『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる。』
──マタイによる福音書21章5節


† † †

ロバに乗ってエルサレムに入られたイエス・キリストは、群衆たちの「ホサナ」という歓呼の声に包まれました。
いよいよ今週から教会暦が新しくなり、待降節に入りました。
キリストを待ち望む季節としての歩みが始まります。
私たちはキリストがこの世に来られたクリスマスに対しては「おめでとうございます」と祝いと喜びをもって迎えることが出来ますが、この世の終わりに再びやってくる再臨のキリストに対してはどうでしょうか。
群衆たちはキリストをホサナと喜んで迎えましたが、その果てには「十字架につけろ」と叫ぶことになりました。
私たちが終末を迎える時、神様の御前に喜んで立つことが出来るのか、それとも自らの罪を悔い改めなかったことを後悔するかは、御言葉を聞く今日のわたしたちにかかっています。
キリストの十字架の赦しは、私たちへの先行する救いです。
もし私たちが、赦されているのだから悔いる必要がないと思ってしまうなら、自らの願った救いを得られなかったがために十字架につけた群衆たちと同じ罪を背負うことになるのです。
キリストが来られるとき、ホサナ──「主よ、救ってください」と喜びの声を上げられるように信仰生活を歩みたいものです。

(20211128週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年11月28日日曜日

待降節第1主日礼拝。【礼拝動画】

本日11月28日は、待降節第1主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。




長野教会ではクリスマスツリーなどの飾りつけをしました。
今週から待降節。
クリスマスに向けての備えを、御言葉と共にしてまいりたいと思います。

**本日の礼拝動画**

(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書33章14-16節〈旧p1241〉
テサロニケの信徒への手紙一 3章9-13節〈新p376〉
ルカによる福音書21章25-36節〈新p152〉

説教「終わりから始まりを見る」

*祈り*

御国の王であり、私たちの主なる神様。
あなたを堅く信じ、あなたの御許に召された人々を覚えて祈ります。
あなたがそのお一人お一人をキリストに出会わせ、信仰を支え、祈りに導き、地上の生涯の歩みを全うさせてくださったことをおぼえます。
どうか主よ、私たち一人ひとりにとって最もよい道を示してください。
その時々にあって必要な学びと出会いとを与え、謙虚さと悔い改めをもって私たちがそれを受け取ることが出来るようにしてください。
私たちがあなたによって救いを受け、主の兄弟姉妹として歩む中にあって、絶えずあなたの御言葉を通して生きる希望をいただきながら、他の誰かとそれを分かち合うことができますように。
主よ、あなたは一人ひとりに備えられた永遠の救いが、全ての人に受け取られ、一人も滅びることなく神の国へと入れられる日を願っておられます。
愛をもって御言葉を語り続けておられます。
その働きのために、私たち一人ひとりを清めて用いてください。
あなたの福音にこそ立たされ、励まされて生きる私たちの姿を通して、混迷するこの世の時代にあって、あなたの希望を証する者として私たちを立たせてください。
コロナウイルスが収まりつつある中にあってなお、世間では人が人を傷つけ、ついには命を奪ってしまう事件が相次いでいます。
誰もがストレスと思い煩いを抱え、そこから抜け出せなくなっています。
自分のことで精いっぱいになり、他の人に手を差し伸べる余裕を失っている人がたくさんいます。
どうかそのような苦しみを抱えている人々のところに、私たちを引き合わせてください。
あなたが遣わされたキリストを模範とし、私たちが共感と慰めをもって傷ついた誰かとの関わりを持つことが出来ますように。
もし私たちがそのような痛みを抱える時には、主の兄弟姉妹との関わりの中で、またあなたへの祈りにおいて、私たちの心を癒し、愛で満たしてくださいますように。


2021年11月27日土曜日

【再掲】11月28日18時~ ルターナイツinまつもとのご案内

11月28日(日)の18時から、
松本教会にてルターナイツ in まつもとが行われます!


今回のゲストは、関野和寛牧師!
ルーテル東京教会の牧師として14年間働いた後、コロナ禍の中渡米。
様々な場所から人々にゴッドブレスを届け続けてきた牧師です!
当日は「アメリカコロナ病棟で闘い続けた一年間」と題してトーク・ライブを行っていただきます!

今回はいつもと違い、開始時間が18時からとなっています!
ご注意下さい。

参加費は軽食込みで500円、事前申し込みは不要です。
新型コロナウイルス感染予防のため、従来のような食事の時は持ちません。

ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方は、ご参加をご遠慮ください。
万一の場合のため、受付にて連絡先をお聞きします。ご了承ください。

皆様どうぞご参加ください。お待ちしています。

†会場の松本教会はこちらです†

2021年11月25日木曜日

次回28日・待降節第1主日礼拝の御案内。

次週2021年11月28日(日)は待降節第1主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「終わりから始まりを見る」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

† † †

「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。 人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」 それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。 葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。 はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。 その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。 しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

──ルカによる福音書21章25-36節

2021年11月24日水曜日

今週の黙想文(マルコ9:24)

「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
──マルコ福音書9章24節


† † †

キリストに息子から悪霊を追い出すように求めた人の話は、私たちに信仰と祈りについて教えてくれます。
父親はキリストに願っています。「おできになるなら…助けてください(9:22)」。
するとキリストは「信じる者には何でもできる。(23節)」と言葉を返されました。
父親はこの言葉によって自分の中に信仰がないことを明らかにされていくのです。
ここに、祈りが単なる「お願い」とは違うことが今日の箇所に表されています。
父親がキリストに願った息子の癒しは「お願い」に過ぎませんでした。
キリストが悪霊を追い出せるかどうか、心のどこかで疑っていたからです。
しかしその不信仰すらもキリストの前で認め、「信じる者には何でもできる」というキリストの言葉に委ねたとき、
彼の祈りは聞き届けられていくだけでなく、全き信仰をも与えられ、そこに神様の働きを見ることになったのです。
私たちに信仰が与えられる一つの道は、私たち自身の弱さに誠実に向き合うことです。
誰しも完璧でない部分を持っています。弱さを分かち合うことほど、人々の絆を深めるものはありません。
キリストが願い求めた神の国は、弱さを互いに分かち合い、支えあうところにこそ来たるのです。

(20211121週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年11月21日日曜日

聖霊降臨後最終主日礼拝。【礼拝動画】

本日11月21日は、聖霊降臨後最終主日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会は家庭礼拝として行われました。


松本教会ではこども祝福式礼拝としても守られました。


また、新しい転入者の方にも恵まれ、松本教会の一員として迎えられました。
主の御名によって連なる兄弟姉妹として、豊かな信仰生活と関わりとが与えられますように祈ります。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ダニエル書7章9-10,13-14節〈旧p1392〉 
ヨハネの黙示録1章4b-8節〈新p452〉 
ヨハネによる福音書18章33-37節〈新p205〉

説教「真理とは、あなただ」

*祈り*

揺らぐことのない真理の主なる神様。
あなたは地上の生涯の中で、公然と御言葉を語られました。
そのことによって、死の影の谷に沈んだ人々に差し込む光のように、多くの人々が癒しと恵みを受けました。
そして今もなお、あなたは永遠の御言葉をもって、全ての人々を導いておられます。
わたしたちのうちから争いや断絶を生み出す罪を一つ残らず取り除き、全ての人が御国へと招かれるようにと願っておられます。
主よ、どうかその幸いを私たちが心に留めることができるようにしてください。
いつでも悔い改めをもって御言葉に聞く者としてください。
わたしたちのうちに、もし誰かとの関わりに不和を抱えている人、負い目を抱えている人、あるいは誰かに傷つけられたり、支配されていると感じている人がいたら、どうか主よ、そのお一人お一人に寄り添ってくださり、その傷を癒してください。
揺らぐことのない真理に私たちを立たせ、自分の敵と思う人のためにさえ祈りを捧げることが出来ますように。

私たちのいのちは儚く、いつあなたの御許に召されるかは、あなただけがご存知です。
先日あなたの御許に一人の信徒が召されました。
多くの病を抱えながら、まさにあなたの愛に立ち、人と関わり、あなたの御言葉にいつも親しむ生涯を送られた方でありました。
どうか主よ、御国において、かの兄弟の魂が安らぎの中にあり、復活と永遠の命を与えられることを信じます。
そして地上に残された奥様と、そのご家族の方々を、慰めの中に保ってください。
あなたの御国は、地上のいのちに生きる私たちにとって揺らぐことのない希望です。
あなたへの真理と信仰によって立たされた私たちを、どうかあなたの栄光を顕すものとして最後まで用いてくださいますように。
既に天に召された信仰の先達者の方々のお姿を仰ぎ見ながら、わたしたちもまた力づけられて、悔い改めをもって今週一週間を歩みだすことが出来ますように。


2021年11月18日木曜日

次回21日・聖霊降臨後最終主日礼拝の御案内。

次週2021年11月21日(日)は聖霊降臨後最終主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「真理とは、あなただ」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では家庭礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。


† † †

そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。 イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」 ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」 イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」 そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」 ピラトは言った。「真理とは何か。」

──ヨハネによる福音書18章33-37節

2021年11月17日水曜日

今週の黙想文(1コリ15:1)

これは、あなたがたが受け入れ、
生活のよりどころとしている福音にほかなりません。
──コリントの信徒への手紙 一 15章1節


† † †

パウロは人々にとってキリストの復活こそが福音の要であると言います。
「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」とさえ言うのです。
なぜなら、たとえキリストの十字架によって神の前に全ての罪が赦されたとしても、復活が無ければ、その救いの喜びは私たちが地上のいのちに生きている数十年足らずで再び失われてしまうからです。
私たちのいのちの向かう先が悲しみと喪失しかないとするなら、誰が希望をもって人生を歩めるでしょうか。
それゆえ、十字架と復活は一つのものです。
キリストがわたしたちの罪の赦しのために十字架にかかって死んだだけではなく、神様によって復活させられたからこそ、私たちも死の先に復活と永遠のいのちが与えられているという希望を見出すことができるのです。
そしてその希望のゆえに、キリスト者である私たちは日々の生き方においてもキリストに倣う者として召されているのです。

(20211114週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年11月14日日曜日

聖霊降臨後第25主日礼拝。【礼拝動画】

本日11月14日は、聖霊降臨後第25主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。


いよいよ今週と来週で教会の暦の一年が終わります。
終末を取り扱う日課から、私たちがどのように歩むことを勧められているかに耳を傾けました。
県内は連続してコロナ陽性者が0人を記録しており、このまま落ち着いた時が続くことを祈るばかりです。
昨日は松本教会の方ではミニバザーも無事行われました。
コロナとうまく付き合っていくための距離を見出し、その中で教会が一歩ずつでも前進していけるようにと願います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ダニエル書12章1-3節〈旧p1401〉
ヘブライ人への手紙10章11-25節〈新p413〉
マルコによる福音書13章1-8節〈新p88〉

説教「たとえ世界が明日終わろうとも」

*祈り*

御国の主なる神様。
私たちの生きる現実の中には、様々な争いや苦難が起こります。
それは私たち一人ひとりに降りかかる病や苦しみであったり、あるいは世界の多くの人々が経験する苦難や天変地異であるかもしれません。
しかしそれらのことを通して私たちのいのち、私たちの世界が終わりに近づいていると浮足立つのではなく、今日この日にしっかりと立つことが出来る信仰をお与えください。
朝、あなたに心を向けて祈りを捧げ、愛と励ましをもって関わり合い、互いに支えあい、あなたへの感謝をもって夜眠りにつく、そのような信仰に生きる一日を積み重ねることが出来るようにしてください。
天地が滅びても揺らぐことのないあなたの御言葉によって私たちを励まし、御国における永遠のいのちへと私たちを生かしてください。
日々の中に起こるあらゆる不安に慌てることがないように、デマや根拠のないうわさに惑わされることのないように、私たちに知恵と力とを与えてください。
聖書は神は愛であると証しています。
私たちに恐れと強制ではなく、尊重と自由をもって臨んでくださる愛の神様であることを基準にして、私たちが全てのみ言葉を受け取ることが出来ますように。
このコロナ禍の中で浮き彫りにされてきたのは、ただウイルスによる病の苦しみだけではなく、私たちの弱さと罪の姿であったことを思い起こします。
誰かを差別し排除する姿や、余裕を奪われ、立場の弱い者を一方的に傷つけあう姿が、悲しい事件として引き起こされてきました。
一歩間違えれば互いに滅ぼしあってしまう罪を私たちが抱えていることをおぼえ、悔い改めさせてください。
そして私たちがあなたへの信仰に生きる姿と愛の関わりとを通して、一人でも多くの人々が平安と慰めを与えられ、この苦難の時を乗り越えることが出来ますように導いてください。


2021年11月11日木曜日

次回14日・聖霊降臨後第25主日礼拝の御案内。

次週2021年11月14日(日)は聖霊降臨後第25主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「たとえ世界が明日終わろうとも」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

† † †

イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」 イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。 「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」 イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。

──マルコ福音書13章1-8節

2021年11月10日水曜日

今週の黙想文(マルコ13:37)

目を覚ましていなさい。
──マルコ福音書13章37節


† † †

どうしても眠気に苛まれるとき、私たちはどうしますか。
珈琲を飲んだり、身体を動かしてみたりしても、しばらくすると再び眠気に襲われるのではないでしょうか。
これを改善するためには、無理をせずしっかり休むしかありません。
「目を覚ましていなさい」とキリストは繰り返し弟子たちに告げています。
ゲッセマネの園で「心は燃えても、肉体は弱い。(14:38)」と言われたように、私たちの信仰も抗うことのできない罪の眠りに誘われることがあることを、キリストはご存知でした。
キリストは私たちにたゆまずキリストの愛に生きることを求めておられますが、
その「目を覚ましている」ためには、愛のわざに生きるだけではなく、神の許で休息を得、信仰と力を蓄えることも大切であるというメッセージもここには含まれているのです。
ルカ福音書では大きな出来事が起こる前にキリストは必ず祈りの時を持っています。
私たちも一日の終わり、また週の始まりには御言葉に聴き祈る時を通して、心身ともに「目を覚まして」日々を歩んでまいりたいものです。
(20211107週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年11月8日月曜日

牧師エッセイ(2021年11月)

神戸市にある「小さないのちのドア」をご存知でしょうか。
思いがけない妊娠や、子育てに孤独や困難を抱える女性のために、24時間365日相談に応じる施設です。
この働きは「マナ助産院」の院長でもある永原郁子さんという助産師の方が「女性たちの拠り所となる」という理念から助産院に対面型の相談窓口を開設したことから始まりました。
開設して一年で相談件数は1500件近くあったと言います。
住む家もなく、パートナーとは音信不通、実家も関係性や経済困窮によって孤立している人々など、こんなにも多くの女性が社会の闇に留められている現実が、この日本にもあると知り、驚きました。
現在では相談窓口だけではなく、出産前後の生活から自立まで支援するマタニティホーム「Musubi」を全国で初めて設立し、サポートを受けながら子供を産むと選択した人、特別養子縁組で育ての親に預けると決断した人のエピソードをまとめた本『小さないのちのドアを開けて』も出版されました。

2019年のインタビューに永原さんはこのように答えています。
「これはクリスチャンの働きだと思います。神様と養子縁組をしている私たちから冷たい社会を変えていかなければ。イエス様が、『この小さないのちをどうするのだ?』と、聞いておられるのですから」。

洗礼を受けると、私たちは神様の子とされます。
それは、神様が私たち人間をどのように愛しておられるのかということを端的に表しています。
ひとりひとりの命を尊ぶ神様の愛が、キリストの福音には込められているのです。
私たちもまた隣人に関わる時、永原さんが聞いたこのイエス様の問いを思い返したいものです。

2021年11月7日日曜日

全聖徒主日礼拝。【礼拝動画】

本日11月7日は、全聖徒主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。


長野教会の庭の桜が見事に紅葉し、冬の足音が聞こえてきました。
県内でのコロナは落ち着いていますが、例年のように関東から巡回説教者の方をお呼びすることが叶わないため、松本・長野同時通信による礼拝として守られました。
両教会に連なる召天者の方々を思い起こし、信仰の先達者としての姿に倣って私たちも歩めればと思います。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書25章6-9節〈旧p1098〉
ヨハネの黙示録21章1-6a節〈新p477〉
ヨハネによる福音書11章32-44節〈新p189〉

説教「あなたのために涙を流す神」

*祈り*

魂の慰め主なる神様。
私たちは今日、先んじてあなたの御許に召された多くの召天者の方々を思い起こす祈りの時を持っています。
あなたは私たちにいつも救いの御言葉を備えてくださっています。
そこには、私たちの地上のいのちが終わった後のことだけではなく、今私たちが生きるただ中にあって、苦しみ悩むとき、悲しみの中にあるときには、あなたが確かに私たちの心に寄り添ってくださり、共に涙を流してくださるという慰めが証されています。
あなたが今なお私たちの間に生きておられ、御言葉を私たちに語り掛けてくださっていることを信じさせてください。
また、これからこの長野教会・松本教会に連なり、あなたの御心に適って生涯を歩み通された方々一人ひとりを覚えて祈ります。
主よ、私たちは全ての信仰の先達者の方々を思い起こし、その信仰を模範とします。
あなたの御言葉に従って歩む私たちを力づけてください。
あなたの御許に召された一人ひとりがあなたによって罪を贖われ、主の御許において御心に適う者とされている幸いをおぼえます。
どうか私たちもまたあなたと共に永遠のいのちにあずかり、主のみ心に生きる者として復活のいのちに与れるように、私たちの信仰を整え、増し加えてください。
そして、祈りを共にしておられるご遺族の方々をも顧み、その心を慰めに満たしてくださいますように。
あなたの愛と慈しみは尽きることがありません。
私たちがいつもあなたの御前に生きることができますように。
これからも悔い改めと感謝をもって、あなたの御言葉に聞く者として私たちを立ててください。
わたしたちのすべての歩みをあなたの御心に委ねます。


2021年11月4日木曜日

次回11月7日・全聖徒主日礼拝の御案内

次週2021年11月7日(日)は全聖徒主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたのために涙を流す神」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
召天者の方々を思い起こす礼拝です。
召天者のお写真をお持ちください。
どうぞご自由にお越しください。


† † †

マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。 イエスは涙を流された。 ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。 しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。 イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。 人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。 わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」 こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。 すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。

──ヨハネによる福音書11章32-44節

2021年11月3日水曜日

今週の黙想文(創32:27)

「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
──創世記32章27節


† † †

ヤコブが神と格闘した際の言葉にふと目が留まりました。
彼が故郷に戻るのを遮る神は、戦いの半ばで去ろうとします。
しかしヤコブには相手が神であるとわかっていたからこそ、それを止めようと取りすがるのです。
単に神と戦って神を退けるということは、彼にとって神は必要ないということになってしまうからです。
ヤコブはまっとうな生き方をしてきた人物ではありません。
兄弟をだまし、家督を奪い、故郷から逃げ出し、その先でも人を欺く歩みをしてきました。
しかしそのようなヤコブにすら、神は取りすがる余地を与えてくださったのです。
私たちの人生においても、希望の見えない闇夜が訪れることがあるかもしれません。
しかしその時にこそ、私たちはヤコブのように神と格闘し、神を求めることを聖書は教えるのです。
そこにこそ、死という逃れえない絶望の闇夜に復活と永遠のいのちという祝福の光を射してくださるキリストが、力強い御手をもって、私たちに迫ってくださるのです。
(20211031週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年10月31日日曜日

宗教改革日記念礼拝。【礼拝動画】

10月31日(日)は宗教改革日記念礼拝の礼拝でした。
今年はちょうど10月31日が日曜日の為、例年31日ルーテル教会東教区で行われている宗教改革記念礼拝をライブ配信とし、東教区の各教会がそれに与ることによって、合同の祈りとなりました。
松本教会・長野教会ともにこれに参加しました。


それぞれの教会で主日礼拝をライブ配信にて与るということは行われてきましたが、ライブ配信を通して東教区の教会が一つの礼拝に与ることは、新しい試みでした。
ライブ配信礼拝の是非には色々な意見はありつつも、礼拝に与り、御言葉を分かち合い、祈りを合わせるための、新しい手段の一つとしてこれからも用いることが出来たらと思っています。

**本日のライブ配信礼拝**


(▶️をクリックすると再生されます)
※むさしの教会の礼拝動画となります。

**司式・説教**
司式:浅野直樹Jr.牧師
(むさしの教会牧師)

説教:松岡俊一郎牧師
(大岡山教会牧師
日本福音ルーテル教会 東教区長)

説教「真理は自由を与える」

2021年10月27日水曜日

今週の黙想文(ローマ1:17)

福音には、神の義が啓示されています
──ローマの信徒への手紙1章17節


† † †

神の義とは神様の正しさのことですが、この箇所を読んだルターは困惑しました。
彼はひどく自省的な人物であったため、律法に示された神の正しさは福音であるどころか、どんなに努力しても神の前に全く不完全で罪深い自分の姿を自覚させられるだけだったからです。
聖書のみ言葉が教える生き方はどれも私たちにとって難しいと感じるものばかりかもしれません。
それを全うしようとすると、ルターと同じように神様に正しく生きられない現実に苦しくなるばかりです。
しかしルターはこの箇所に続けて語られている「正しい者は信仰によって生きる」という言葉にたどり着きました。
この不完全で罪深い私たちだからこそ、キリストは私たちの代わりに十字架にかかり、その罪を償ってくださいました。
それこそが神様の正しさ、愛なのです。
キリストを信じる私たちをどうにかして救わんとする福音がそこに表されていることを、パウロは語っているのです。
信仰を通してその福音をただ受け取る時、私たちのうちには感謝の心が与えられます。
それゆえルターは罪から自由にされた身をもってこのように述べるのです。
「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、誰にも服しない。
 キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、誰にでも服する。」
(『キリスト者の自由』1520年)。

(20211024週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年10月24日日曜日

聖霊降臨後第22主日礼拝。 20211024

本日10月24日は、聖霊降臨後第22主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。


先週17日の礼拝奉仕を担ってくださった坂本千歳先生に感謝します。
今日の朝は一段と寒く、礼拝堂には暖房が付きました。
昼には秋らしい気候になりましたが、寒暖の差が激しい季節です。
このブログをご覧になっている皆さまも、体調に気をつけてお過ごしください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書31章7-9節〈旧p1234〉
ヘブライ人への手紙7章23-28節〈新p409〉
マルコによる福音書10章46-52節〈新p83〉

説教「救いのクロス・ロード」

*祈り*

愛と慰め主なる神様。
幾度となく襲い来るコロナ・パンデミックの中で、そのたびに一喜一憂する中にあって、主よ、あなたの御心と愛とが揺らぐことのないことを私たちに教えてください。
あなたと一番長い時間を共に過ごし、一番多くの御言葉を受けた直弟子たちにすらあなたの十字架の道は理解されず、エルサレムへと向かう道のりは、あなたにとって孤独で、つらい道のりであった事だと思います。
しかしバルティマイのように自らを深く省み、最も弱さを抱えるところにこそ、あなたは私たちと深い関係を築いてくださいます。
私たちが抱えている重荷、苦しみ、欠けや弱さは一人ひとり違いますが、その全てを共に担ってくださるために、何よりも苦しい十字架の道をもって私たちに寄り添ってくださいました。
そして神様の前に置いても私たちがありのままの姿でいられるようにと、十字架によって私たちの罪を贖ってくださいました。
それゆえ、どうか私たちが自らの弱さに目を向けることが出来ない時、あなたに心の底からの叫びを上げられない時にこそ、私たちの心をあなたに向けさせてください。
日々重荷を抱えるなかに生きているその歩みこそが、キリストが歩まれた十字架の道であることを信じさせ、私たちにとって慰めと支えとなりますように。
このコロナ禍の中で、不安の中にある人、余裕をなくしている人がいれば、その人の心にあなたが寄り添ってください。
疲れている人、取り去ることのできない重荷を抱えている人には、あなたが共に歩んでいることを教えてください。
もし私たちの隣人にそのような人々がいるのであれば、必ず苦難の先には救いがあることを、祈りの中に互いに分かち合うことが出来ますように。


2021年10月22日金曜日

「さかなのクラフト」クラフト製作動画を作りました!

日本福音ルーテル教会・東教区には、次世代の育成を担う部門「NEXT」があります。
今年度はコロナ禍ということもあり、ルーテル教会の教会学校の教師たちの研修会をZOOM行っています。

これまでに研修会で紹介されたクラフト講座の動画は、Youtubeの東教区チャンネルJELC-EASTから視聴することができます。
どうぞご視聴ください。

先日の研修会で紹介されたクラフトの製作動画は下記からも視聴できます。
キリスト教のシンボルである「ぶどう」と「魚」を作るクラフトになっています。
どうぞご家庭でも作ってみてください。

*さかなのクラフト*


*ぶどうのクラフト*



その他にもいろんなクラフト製作動画をアップしました!
是非作ってみてくださいね。

*CSクラフト動画再生リスト*




また、Facebookではルーテル教会の牧師による毎週のCS説教や、
各教会の教会学校の様子も更新しています。

2021年10月21日木曜日

次回24日・聖霊降臨後第22主日礼拝の御案内。

次週2021年10月24日(日)は聖霊降臨後第22主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「救いのクロス・ロード」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝後に礼拝動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。 そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

──マルコ福音書10章46-52節

2021年10月20日水曜日

今週の黙想文(マタイ6:26)

空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
──マタイ福音書6章26節


† † †

神学校にいたとき、精神的に追い詰められた時期がありました。
その時ある先生に、「あなたはよく『~しなければならない』と口にするけれど、そのようなことは何一つありませんよ」と言われたことをいつも思い出しています。
幸いなことに日本では、仕事も人間関係も全て放り出したとしても生きていけます。
私たちが抱えているすべてのことは本来、自分の「したい」という選択から与えられているものなのです。
「しなければならない」と思うもの、「したい」と思うことを私たちからすべて取り除くと、最後に何が残るでしょうか。
そこにはありのままの私たち、神様に愛されている無力な幼子が残ります。
赤ん坊は何かが出来るから、何かをしているから偉いのではありません。
私たちが持ちえる技術や地位に関わらず神様は私たちを愛の眼差しで見ておられるのです。
そのことを本当に受け入れる時、後ろ向きな「しなければならない」が消え去るだけでなく、前向きな「しよう」に変わるのです。
(20211017週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年10月14日木曜日

次回17日・聖霊降臨後第21主日礼拝の御案内。

次週2021年10月17日(日)は聖霊降臨後第21主日の礼拝です。

坂本千歳牧師の説教
「天与の使命に生きたいのに……!」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
どうぞご自由にお越しください。

礼拝のライブ配信は一旦停止しています。
県内の新型コロナウイルス警戒レベルが4以上になったら再開いたします。
また、牧師休暇の為、今週の礼拝動画の配信はありません。
ご了承ください。

† † †

ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、 二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。 しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」 ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

──マルコ福音書10章35-45節

2021年10月13日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ4:39)

その町の多くのサマリア人は、
……女の言葉によって、イエスを信じた。
──ヨハネ福音書4章39節


† † †

自分が神様とどのような出会いを与えられたか、そして今、神様とどのような関係を持っているのか──自分の信仰について、言葉にしたことはあるでしょうか。
私も神学校に行くまでは具体的な言葉にしたことがありませんでした。
たとえ教会の中でも、そのような機会は多くないように感じます。
キリストに出会ったサマリアの女性は、神学に詳しかったわけでもなく、話術に長けていたわけでもありませんでした。
彼女はただ、自分に起こったキリストとの出会いを単純に語ったことで、さらに多くの人々をキリストに出会わせたのです。
ですから、私たちが信仰を語るのに、聖書について豊富な知識は必要ありません。
上手い言葉でなくてもいいのです。
大切なことは、私たち一人ひとりにとって自分と神様との関係をどのような言葉で言い表せるかということです。
その言葉がはっきりと見えたとき、私たちの信仰の形がハッキリ見えてくるでしょう。
またそれを分かち合う喜びや、信仰で結び合わされた友としての関係も、一層豊かになるのです。
(20211010週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年10月10日日曜日

聖霊降臨後第20主日礼拝。20211010

本日10月10日は、聖霊降臨後第20主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。


長野県内はコロナ陽性者も毎日数えるほどになり、第5波も無事乗り越えられたことに胸をなでおろしています。
10月に入るというのに、夏のような日差しと気温でした。
例年にない気候ではありますが、季節の変わり目を迎えています。
引続き体調にはお気をつけて過ごされますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
アモス書5章6-7,10-15節〈旧p1434〉
ヘブライ人への手紙4章12-16節〈新p405〉
マルコによる福音書10章17-31節〈新p81〉

説教「あなたの拠り所はどこにある」

*祈り*

永遠の命の源である神様。
あなたは私たちの誰一人、滅ぼすことを望まれなかったからこそ、キリストをこの世にお遣わしになりました。
イエス・キリストが人として私たちと共に生き、救い主として十字架におかかりになったことの中に、主よ、あなたの愛と赦しが示されていることを私たちは信じます。
私たちは生まれながらに罪深く、汚れに満ち、思いと言葉と行いによって多くの罪を犯すものです。
あなたを礼拝する度に私たちはそれを思い起こし、それを懺悔いたします。
しかし主よ、あなたはその罪さえも私たちをあなたへの信仰を強める糧として用いてくださいます。
私たちがあなたに従えない時、あなたへの信仰の弱さを目の当たりにする時にこそ、あなたは果てしない赦しをもって、何度でも私たちに御心に生きるようにと招いてくださいます。
十字架を背負って従い続けることの辛さを、キリストはご自身をもって体験されました。
それは、私たちが御心に生きようと願う時に妨げとなる罪の辛さを、共に担ってくださるためでした。
私たちが一人ひとり拠り所としているものを見つめる時、そこにあなたが生きておられることを覚えさせてください。
お金も、行為も、人間関係も、その中にあなたの愛と御心があるからこそ、誰かを救うために用いられるものです。
キリストを通してあなたの御心が顕されたように、私たち自身を清め、誰かにとってのキリストとして用いてください。


2021年10月7日木曜日

次回10日・聖霊降臨後第20主日礼拝の御案内。

次週2021年10月10日(日)は聖霊降臨後第20主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたの拠り所はどこにある」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
長野県全域で新型コロナウイルス警戒レベルが3以下となりましたので、今週からライブ配信は一時停止いたします。
礼拝後に礼拝動画を載せますので、どうぞご視聴ください。

† † †

イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」 弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。 イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」 ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。 イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、 今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

──マルコ福音書10章17-31節

2021年10月6日水曜日

今週の黙想文(エフェソ2:10)

神が前もって準備してくださった善い業のために、
キリスト・イエスにおいて造られたからです。
──エフェソの信徒への手紙2章10節

† † †

パウロはキリストの救いの目的について、私たちは「善い業」を行うために神様によって造られたと語っています。
それはつまり、私たち自身がこれまで誰かに対して「善い」振る舞いをしていなかったことを教えられることでもあります。
大変つらいことです。
聖書はそれを罪と呼びますが、その罪を私たちから取り除いてくださるために、キリストはやってこられました。
私たちの幸せは、どれだけ深い罪の中にあったとしても私たちが「善い業」のために造られたことを、神様だけは信じ続けてくださっているということです。
あなたが幸せであってほしいと誰よりも願っておられるのは、あなたを造った神様ご自身であるのです。
「善い業」といっても、何か難しいことや、特別なことをする必要はありません。
なによりもまず、やさしく、愛情をもつことから始まります。
毎日、あなたの一番近くにいる人に親切であることほど、大きな善いわざはないのです。

(20211003週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年10月3日日曜日

聖霊降臨後第19主日礼拝。20211003

本日10月3日は、聖霊降臨後第19主日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として行われました。

ライブ配信にてご参加いただいた方々にも感謝いたします。


台風一過で大変いい天気に恵まれた主日でした。
ただ10月に入るというのに夏日のように暑い日になりました。
寒暖の差も大きい季節です。皆様体調には気をつけて過ごされてください。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
創世記2章18-24節〈旧p3〉
ヘブライ人への手紙1章1-4節,2章5-13節〈新p401〉
マルコによる福音書10章2-16節〈新p81〉

説教「全ての出会いは神の配剤」

*祈り*

いのちの造り主なる神様。
あなたは主イエス・キリストを通して、私たちの心をあなたへと悔い改めさせてくださいます。
弟子たちが誰が一番偉いのかと論じていたように、私たちは誰よりも上に立ちたがったり、誰かを自分の思い通りにしたいという願いに駆られます。
それはまさにあなたがアダムとイヴを楽園から追放されたあの時から続く罪を私たちもまた受け継いでいるからです。
どうか私たちがその罪から悔い改めることができますように。
あなたが愛をもって人を完全なものとするために「助ける人」を造られたように、私たちが常に誰かとの関わりの中に生かされていること、そしてそのかかわりの中でこそ、わたしは誰かに、誰かはわたしのために、互いに助け合う存在として引き合わされていることを思い起こさせてください。
あなたが私たちにお与えになる出会いの全ては、あなたの御心のうちにあると信じさせてください。

2000年の時を経てなお、罪は私たちの世界を覆い続けています。
人が人を支配し、男女間だけではなく、人と人との間で上下の格差は留まるところ知りません。
そのなかで、一方的な痛みの中に置かれている人々もいます。
あるいは誰かの上に立ち、誰かを支配することに慣れてしまっている人々がいます。
どうか主よ、そのような人々一人ひとりの命が、他の多くの人々と同じく尊ばれるべきであること、あなたによって命を与えられなければ誰一人今日を生きられないことを、思い起こさせてください。
そのような悔い改めを通して、関わりを持つ全ての人々に対して、感謝と謙遜、愛と赦しに満ちた関わりへと押し出してくださいますように。
いつも生きて働かれるあなたの御姿を、一番近くで関わりを持つ人のうちに見ることが出来ますように、私たちの信仰の目を開いてください。
私たちにあなたがお与えになる全てのことに感謝をし、尊き主、イエスキリストの御名を通してこの祈りを御前にお捧げいたします。


2021年9月30日木曜日

次回10月3日・聖霊降臨後第19主日礼拝の御案内。

次週2021年10月3日(日)は聖霊降臨後第19主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「全ての出会いは神の配剤」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝を自粛される方のため、当日は当ブログにて礼拝のライブ配信も行います。 礼拝後は音声等を高音質化した礼拝動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。 イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。 彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。 イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。 しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。 それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、 二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。 イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。 夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

──マルコ福音書10章2-16節

2021年9月29日水曜日

今週の黙想文(マタイ5:16)

あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。
──マタイ福音書5章16節


† † †

キリストとそのみ言葉が「塩」に譬えられ、わたしたちのうちに沁みこんで「味付け」されるとマルコ福音書には語られています。
マタイ福音書の並行箇所ではキリストの塩を受け取った私たちが「世の光」として生きることに目を向けています。
一人ひとりがキリストの塩を受けるだけではなく、私たちが「世の塩、世の光」としてキリストに押し出されているのです。
光はその在り方によって周りを照らすように、私たちもその在り方、生き方、ふるまいや関わり方によってキリストを証しする者でありたいものです。
灯を高く上げることで広く照らすこともでき、また近づけて狭い範囲をさらに明るく照らすこともできます。
私たちがキリスト者として証をすることは、具体的にそれを公に語ることばかりでなく、相手が求める明るさに合わせるように、関わり方や立ち位置を決めることも、灯としての働きの一つなのです。

(20210926週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年9月26日日曜日

聖霊降臨後第18主日礼拝。20210926

本日9月26日は、聖霊降臨後第18主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。

ライブ配信にてご参加いただいた方々にも感謝いたします。

本日長野教会でも敬老祝賀会が行われました。
敬老の方のリクエストでアメイジンググレイスを演奏し、プレゼントをお渡ししました。


これからもご健康が守られ、日々が神様と共にあって励まされるようにと祈ります。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
民数記11章4-6,10-16,24-29節〈旧p231〉
ヤコブの手紙5章13-20節〈新p426〉
マルコによる福音書9章38-50節〈新p80〉

説教「心の腐敗は何で止める」

*祈り*

愛と救いの源である神様。
あなたは私たち一人ひとりとの関係のうちに救いのみ言葉を語ってくださり、あなたの御許へと招いてくださっています。
私たちがそれを受け取る時、その喜びに満たされるだけではなく、この地上の歩みをも新しくしてください。
「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」とあなたはキリストを通して仰いました。
私たちが私たち自身の中にある罪に目を向けるということは、その罪が誰かを傷つけてしまうことに気付くことです。
それはわたしたちにとって、大切な片腕や片足を失うほどの苦しみかもしれません。
しかし主よ、私たちがそれを省みる時、あなたは確かに私たちが関わる人々との関係の間で執り成してくださることを信じます。
私たちの罪が完全に取り除かれるその日まで、私たちが日々罪によって起こる心無い言葉やふるまいを悔い改め、誰かを傷つけることがないように、いつも新しくしてください。

様々なストレスと不安のために、私たち一人ひとりから余裕が失われていく時代でもあります。
それによって、誰かとの関係がうまく行かなくなること、すれ違いや傷つけあうことも、私たちに起こるかもしれません。
主よ、私たち一人ひとりが今そのような痛みの中にあるのならば、あなたが十字架の痛みをもって寄り添い、私たちを癒してください。私たちの心を慰めと平安で満たしてください。
そして私たちが再び立ち上がることが出来た時、関係に破れを抱えた人々ともう一度関わるための勇気を与えてください。
私たちの悔い改めの祈りを通してあなたがその関係のうちに執り成してくださり、すべての関わる人との関係が平和のうちに保たれるようにと、私たちを導いてください。


2021年9月24日金曜日

いのち学2021 第4回(最終回)の御案内。

 来月10月4日(月)19時より、松本教会にて

「いのち学~宇宙の中の私たち~」第4回(最終回)が行われます!


いのち学2021、いよいよ最終回です!
今年度のサブタイトルは「宇宙の中の私たち~科学、哲学、神学的視点から~」でお送りしてまいりました。
最終回はそれぞれの専門分野から熱く深く語っていただきます!
もちろん今回からの参加も歓迎いたします。
科学だけではとらえきれない「人のいのち」について、共に考える時を持ってみませんか?

参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。軽食(市販品を別途販売)もあります。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方、2週間以内に感染者多発地域に訪問があった方、また、感染多発地域から来られた方との接触があった方は、ご参加をご遠慮ください。
万が一の場合に備え、受付にてご連絡先をお聞きします。ご了承ください。

10月4日(月)の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

2021年9月23日木曜日

次回26日・聖霊降臨後第18主日礼拝の御案内。

次週2021年9月26日(日)は聖霊降臨後第18主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「心の腐敗は何で止める」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝を自粛される方のため、当日は当ブログにて礼拝のライブ配信も行います。 礼拝後は音声等を高音質化した礼拝動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。 わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。 はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」
「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。 もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。 もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。 もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。 地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。 人は皆、火で塩味を付けられる。 塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」

──マルコ福音書9章38-50節

2021年9月22日水曜日

今週の黙想文(イザヤ29:13)

唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている。
──イザヤ書29章13節


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新しい生活様式という言葉をもはや聞かなくなりました。
社会的距離を保ち、マスクと手指消毒をするというルールは私たちの生活の当たり前になったからでしょう。
一方でこれを同調圧力による強制だと感じながら従っている人も少なくありません。
自粛とあわせて多くの人々が不満を募らせ、堪えられなくなって来ている今こそ、何のためのルールであったのかを思い起こす時が来ているように思います。
キリストがイザヤの言葉を引用し、昔の言い伝えを批判したのは、ファリサイ派の人々が律法を強制するだけで、なぜその律法が定められたかを忘れてしまっていたからでした。
新しい生活様式は単なる命令ではなく、自分と、そして関わりを持つ隣人を病と死から守る愛から生まれたものです。
誰かを愛するための行為としてこのルールを受け取る時、私たちの心は、神様の心に適うという喜びのうちに、すすんで従うことが出来るようになるのです。
まだまだコロナ禍は続きそうですが、その中にあってもキリストが教えられた小さな愛の奉仕によって共に乗り越えていきましょう。

(20210919週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年9月19日日曜日

聖霊降臨後第17主日礼拝。20210919

本日9月19日は、聖霊降臨後第17主日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として行われました。


ライブ配信にてご参加いただいた方々にも感謝いたします。

本日松本教会では敬老祝賀会が行われました。 出席された8名の方々にプレゼントをお贈りし、また出席できなかった方々のために、皆さまからお手紙を書きました。
一人ひとりが神様によって愛され、生かされて今日を迎えることが出来たことを感謝しつつ、これからの歩みをも神様と共にあって励まされるようにと祈ります。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書11章18-20節〈旧p1198〉
ヤコブの手紙3章13節-4章3,7-8a節〈新p424〉
マルコによる福音書9章30-37節〈新p79〉

説教「無力の中に佇むキリスト」

*祈り*

慰めと愛に満ちたもう主なる神様。
あなたは一人、十字架への道を歩まれました。
あなたはご自分の十字架の死が全ての人々によって引き起こされることを見つめておられました。
それはキリストに救いを期待しながらも、神様のみ心を理解しようとしなかった人々によって引き起こされました。
あなたは圧倒的な力によって救いを勝ち取るのではなく、むしろ無力さのなかに寄り添われることによって、誰一人見捨てられることのない世界へと私たちを導かれます。
私たち一人ひとりが自分の中にある無力さと弱さを見つめ、受け入れることによって、相手の弱さを認め合い、全ての人に仕えることが出来るようにしてください。
誰一人見捨てることのない関係性に私たちを生かしてください。

特にこのコロナ禍の中で、私たちは自分のことで精いっぱいになることがあります。
余裕をなくし、一言の失言が徹底的に非難にさらされる時代です。
どうか主よ、このような大変な時だからこそ、私たちに互いに弱さを認め合う心を教えてください。
弱さの中にある人、苦しむ人の姿の中に、十字架によって寄り添っておられるキリストを見出し、私たちもまた愛と配慮をもって、関わりあうことが出来ますように。
裁きあうのではなく支えあい、赦しあう関係に生かしてください。
様々な理由から今日この礼拝に集うことのできなかった方々に、心を注ぐことが出来ますように。
病の中にある人、不安の中にある人、人とのつながりが失われ、孤独の中にある人のために、祈ります。
どうか主よ、私たちがそのような人々のために心を配ることができますように。
また私たち一人ひとりがどのようなときにも誰かによって支えられ、育まれて、今日を迎えることが出来たことをおぼえ、感謝します。
私たちひとりひとりができることはわずかですが、どうぞあなたの御心に適った働きが出来ますように、清めて用いてください。
わたしたちの生涯の全てをあなたの御心に委ねます。


2021年9月16日木曜日

次回19日・聖霊降臨後第17主日礼拝の御案内。

次週2021年9月19日(日)は聖霊降臨後第17主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「無力の中に佇むキリスト」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝を自粛される方のため、当日は当ブログにて礼拝のライブ配信も行います。 礼拝後は音声等を高音質化した礼拝動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

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一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。 それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。 弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。 彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。 イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」 そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

──マルコによる福音書9章30-37節