2021年1月31日日曜日

顕現後第4主日礼拝 20210131

本日31日は顕現後第4主日の礼拝でした。
10時半より松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られました。
また、Youtubeでのライブ配信でご参加いただいた方、ありがとうございました。

日差しが柔らかくなってきました。県内のコロナ新規陽性者数も落ち着きつつあり、まだまだ油断は禁物ですが、ホッと胸をなでおろしています。
病院での集団感染が相次いでいるニュースも聞こえてきます。また、天に召された方も少なくありません。そのお一人お一人に、慰めと癒しがありますように。
新型コロナと最前線で対応してくださった医療従事者の皆様に感謝しつつ、これ以上感染拡大しないことを祈ります。

来週は松本教会の定期総会です。そのため、礼拝は短縮礼拝で行います。
その後、昼食を食べずに礼拝堂にて総会を開催します。よろしくお願いします。

**本日の礼拝動画LIVE配信**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の讃美歌**
189、294(1,2)、349(1,4)、395(1,2)

**本日の使徒書・福音書**
申命記18章15-20節〈旧p309〉
コリントの信徒への手紙一 8章1-13節〈新p309〉
マルコによる福音書1章21-28節〈新p62〉

説教題「神の権威は何を生み出す」

*祈り*
私たちの造り主である神様、あなたは私たちを関わりあう存在として造られました。
しかし時として私たちは自分勝手になり、隣人よりも自分を優先してしまうことがあります。
自分を守るために誰かを傷つけてしまうことをいとわないときがあります。
どうか主よ、あなたの御子イエス・キリストがそうであったように、言葉にならない思いを深く悟り、相手の心に寄り添って関わりあうことができるように、私たちを導いてください。
今日もあなたに祈りを捧げます。
あなたの御前に立ち、私のうちにある罪を、告白いたします。
み言葉を通して、あなたが私たちを赦し、愛に満たし、そして再び日々の中へと送り出してくださる祝福を受け取らせてください。
それゆえに私たちが悔い改めをもって、あなたのみ言葉に聞き従う者とされますように。
あなたが歩まれた道は厳しく、一人で背負うには重すぎる十字架を私たちは背負っています。
あなたがその十字架を共に担い、私たちの犯した罪を赦されたことを信じさせてください。
私たちがもし、誰かとの関わりに不和を抱えているなら、悔い改めて謝る勇気と、赦す寛容さと、愛する心をお与えください。
新型コロナウイルスの収束のために、今なおリスクと隣り合わせで働いておられる医療従事者や施設関係者の方々がおられます。
集団感染が起こった病院も相次ぐ中だからこそ、感謝と共に感染者の方々の癒しを祈ることが出来ますように。
一人でも感染する人が少なく抑えられ、祈りと愛に満たされた深い関係の絆で結ばれながら、この苦難の時を乗り越えることが出来ますように。

2021年1月28日木曜日

次回31日・顕現後第4主日礼拝のご案内

次週2021年1月31日(日)は顕現後第4主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「神の権威は何を生むのか」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として行われます。

松本教会では礼拝を再開しましたが、松本市の新型コロナウイルス警戒レベルは5を維持されています。
ご不安な方はご家庭にて祈りを守れるよう、同時刻からオンライン配信をいたします。
また、来られなかった方には日曜日以降に郵送で説教等をお送りいたしますので、ご家庭での祈りに用いていただければ幸いです。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

──マルコによる福音書1章21-28節

2021年1月27日水曜日

今週の黙想文(マタイ8:15)

イエスがその手に触れられると、
熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。
──マタイによる福音書8章15節


† † †

牧師になるための学びの中で、CPEという、対話を通して自分自身を掘り下げていく授業があります。
想像を絶する過去と絶望を過ごされた方々との対話の中では、どんな言葉をかければいいのかわからなくなる時がしばしばあります。
そのようなとき、その方の手を握らせていただいたときがありました。
何日か後、同じ方とお話していたとき、「あのとき手を握ってくれたことがとても嬉しかった」と言われました。
自分の未熟さと無力さの中で手を握ることしかできなかった行為を通して、イエス様が寄り添い、その手で触れてくださったのかもしれないと思った出来事でした。

触れるということが難しい世の中になってしまいましたが、キリストはただ触れるだけではなく、心にも触れて、心をも癒してくださるお方であるからこそ、ペトロのしゅうとめも「もてなし(奉仕)」へと押し出されたのかもしれません。
私たちが心に寄り添うこと、心からの奉仕とはどのようなものかを、改めて考えてみたいと思います。

(20210124週報記載)


……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年1月24日日曜日

顕現後第3主日礼拝。20210124

本日24日は顕現後第3主日の礼拝でした。
10時半より松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られました。
松本教会から長野教会に奏楽をSkypeで送りながら、同時にライブ配信をしました。


長野教会では教会定期総会が行われました。
長野県は総会の時期に雪が積もることが多いですが、今日の長野では積雪にならなくて安心しました。
2021年度もお世話になります。どうぞよろしくお願いします。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の讃美歌**
189、294(1,2)、349(1,4)、395(1,2)

**本日の特別の祈り**
全能の神様。
あなたは、ただ恵みによって
私たちを僕として召(め)し、
受け入れてくださいます。
聖霊によって私たちを強め、
あなたの召しにかなう者としてください。
救い主、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン

**本日の使徒書・福音書**
ヨナ書3章1-5,10節〈旧p1447〉
コリントの信徒への手紙一 7章29-31節〈新p308〉
マルコによる福音書1章14-20節〈新p61〉

説教題「あなたが必要なんだ」

*祈り*

私たちの導き主なる神様。
あなたは私たちに絶えず呼びかけておられます。
あなたが備えられた御国の前進のために、わたしたち一人ひとりの賜物を用いてください。
そのために、私たち自身があなたに心を向けることが出来るようにと、み言葉を通して悔い改めさせてください。
私たちがあなたの弟子として歩む、その日々の中において、いつでもあなたへの祈りを欠かすことがありませんように。
この主の日のみならず、いつでも私たちがみ言葉を通して慰められ、力づけられ、平安に満たされながら過ごすことができるようにと、み言葉をわたしたちのうちに響かせ、み言葉をもって私たちの信仰を支えてください。

全国で新型コロナウイルスが蔓延する中にあって、感染する病だけではない様々な問題が浮き彫りになっています。
恐れから誰かを傷つけてしまったり、自分の思いだけに囚われてしまう人々がいます。
赦しと配慮が欠けた今日の状況の中であるからこそ、私たち一人一人が自分自身の弱さに目を向けることができますように。
あなたはわたしたちを関わり合って生きる存在として造られました。
今こそ私たちが互いに支え合い、助け合いながら、隣人への愛をもって、この困難を乗り切ることが出来ますように、力づけてください。そしてそのために教会が担うことのできる働きを見出すことが出来ますように。

2021年1月22日金曜日

次回24日・顕現後第3主日礼拝のご案内。

次週2021年1月24日(日)は顕現後第3主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたが必要なんだ」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として行われます。

松本教会では礼拝を再開しましたが、松本市の新型コロナウイルス警戒レベルは5を維持されています。
ご不安な方はご家庭にて祈りを守れるよう、同時刻からオンライン配信をいたします。
また、来られなかった方には日曜日以降に郵送で説教等をお送りいたしますので、ご家庭での祈りに用いていただければ幸いです。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。
──マルコ福音書1章14-20節

2021年1月20日水曜日

祈祷会お休みのお知らせ

来週1月27日に予定していた祈祷会「詩編に学ぶ~祈りと共に~」は、中止となりました。
ご参加を予定されていた方々、申し訳ありません。
集会は圏内での感染拡大が落ち着いた後、再開の案内をいたします。

多くの者がわたしに言います
「彼に神の救いなどあるものか」と。
主よ、それでも
 あなたはわたしの盾、わたしの栄え
 わたしの頭を高くあげてくださる方。
主に向かって声をあげれば
 聖なる山から答えてくださいます。
身を横たえて眠り
 わたしはまた、目覚めます。
 主が支えていてくださいます。
(詩編3:3-6)

お一人お一人の働き場、それぞれの場所において、皆様に主の支えと守りがありますように。

今週の黙想文(マタイ5:8)

心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
──マタイ福音書5章8節


† † †

自分の心は本当に清いのでしょうか。 こう問われて、自信を持って頷くことが出来る人はほとんどいないでしょう。 ましてや、神の前であれば尚更です。 私たちの誰もが一度はうそをついたことがあるし、何気ない一言が誰かを傷つけてしまったことがあると思います。 そうだとすると、私たちの誰一人神様を見ることが出来なくなってしまいます。 キリストはそのような絶望を私たちに語りたかったのではありません。 この「清い」と訳された言葉を原語に遡ると、「混じりけのない」、つまり心に隠し事や偏りがない誠実さ、を意味する言葉だそうです。 神の前において私たちは心の中にあらゆる思いや罪を抱えています。 しかしそれらを隠したり目を背けるのではなく、そのような自分自身を神様の前に打ち明けるとき、キリストの十字架を通して赦しを見、悔い改めへと向けられる「清い心」とされるのです。
(20210117週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年1月17日日曜日

顕現後第2主日礼拝。20210117

本日17日は顕現後第2主日の礼拝でした。
長野教会は信徒礼拝として、松本教会は主日礼拝として守られました。
松本教会からは礼拝のライブ配信が行われました。
マイク機器を変えたので、前回よりもオルガンの奏楽の音質が向上したはずです。
先週はPC本体のマイクでしたが、今回はオンライン会議用に購入したものを使ってみました。

松本市では引き続き警戒レベル5が維持されていますが、礼拝の開催・中止のためのガイドライン制定について教会で話しあいました。
毎週の礼拝の開催情報については、随時当ブログの情報をご確認いただければ幸いです。
木曜日朝に次回の礼拝の情報を更新しています。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の讃美歌**
327(1,4)、328(1,2)、274(1,4)、415(1,4)

**本日の特別の祈り**
慈しみ深い贖い主、主イエス・キリスト。
あなたの言い尽くせない祝福と恵みに感謝します。
私たちがもっとあなたを知り、日々あなたを心から愛し、
誉め讃え、従う者としてください。
父と聖霊とともに、あなたは永遠に唯一の主です。
アーメン

**本日の使徒書・福音書**
サムエル記上3章1-20節〈旧p432〉
コリントの信徒への手紙 一 6章12-20節〈新p306〉
ヨハネによる福音書1章43-51節〈新p165〉

*祈り*

信仰の導き手なる神様。
あなたは2000年も前に、多くのみ言葉を語ってくださいました。
その言葉はいつの時代においても響き、多くの人々に救いをもたらしてきました。
傷ついた者には寄り添いと慰めを、病の中にある者には癒しを、力のない者には支えを与えるように、いつでも聖書のみ言葉は響いてきました。
そして今日の私たちのためにも、み言葉は響いています。
私たちが祈りを通して、今日あなたが働かれていること、今日私たちがキリストの弟子として立たされていることを思い起こさせてください。
あなたが歩まれた愛の道を私たちが今一度見つめなおし、私たちがキリスト者として何ができるのかを、日々問い続けながら、あなたに従って歩むことが出来ますように。

新型コロナウイルスの感染拡大は収まることがありません。
今日もまたここで祈りが守られたことに感謝いたします。
また離れた場所においても祈りを合わせてくださっている人々がいます。
どうか主よ、わたしたちの祈りを一つにし、聞き届けてください。
新型コロナウイルスの感染拡大が一日でも早く収束に向かいますように。
最前線で戦っている医療従事者の方々の労をねぎらってください。
関東だけではなく、長野県においても医療体制の逼迫が叫ばれています。
死ななくてもよかったはずの人のいのちが奪われることのありませんように。
私たち一人一人がすべてのいのちに対して慈しみと配慮をもって日々を過ごし、忍耐強くこの時を乗り越えることができるよう、力づけてください。
主よ、あなたにすべてをお委ねいたします。

2021年1月13日水曜日

次回17日・顕現後第2主日礼拝のご案内。

次週2021年1月17日(日)は顕現後第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「型破りの神様」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として行われます。

松本教会では礼拝を再開しました
が、松本市の新型コロナウイルス警戒レベルは5を維持されています。
ご不安な方はご家庭にて祈りを守れるよう、同時刻からオンライン配信をいたします。
また、来られなかった方には日曜日以降に郵送で説教等をお送りいたしますので、ご家庭での祈りに用いていただければ幸いです。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

──ヨハネ福音書1章43-51節

今週の黙想文(出3:14)

「わたしはある。わたしはあるという者だ」
──出エジプト記3章14節


† † †

モーセが神様の名前を聞いたとき、神様はこのように答えています。
この答えを原典のヘブライ語の意味から探ってみると、「be(ある)」や「become(になる)」という意味の言葉が使われています。
たとえば私たちの周りには当たり前のように空気があり、空気が動くと風になります。神様はそのような存在であると自己紹介されたのです。
この世のすべてのものにおいて「あり」、そしてすべてのものが移り変わっていく──「となる」ことの中に働かれている、ということです。
神様は一人の人格者として存在していながら、私たちの世界そのものでもあるのです。
私たち自身も世界の一部として、神様の働きのうちにあります。
だからこそ、私たちが神様に出会うとき、時間や場所に囚われることがありません。
神様は私たちが生きているただ中にこそ共に生きておられ、働き続けておられます。
常に変わり続ける世の中だからこそ、変わらず「ある」神様を探し求めてまいりましょう。

(20210110週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年1月10日日曜日

主の洗礼日の礼拝 20210110

本日1月10日は主の洗礼日の礼拝です。
10時半より、長野教会では主日礼拝として守られました。
松本市が新型コロナウイルス警戒レベルが5になったため、松本教会は会堂での礼拝を中止し、家庭礼拝となりました。
10時半より当ページで礼拝のオンライン配信を行いました。

長野教会から礼拝を配信しました。

全国で新型コロナウイルスの感染拡大が広がる中、どのような形にせよ私たちは祈りを絶やさないようにしたいと思います。
祈りが私たちを一つにし、祈りが私たちを支え、励まし、癒すものであると信じています。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の讃美歌**
151番(1,3節)
301番(1,4節)
236番(1,2節)
391番(1,2節)

**本日の特別の祈り**
光の創造主、
すべて善きものを与えられる聖なる神様。
御声は水の上に響いています。
私たちを恵みに浸し、聖霊によって造り変え、
御子に従う者としてください。
あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、
御子、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン

**本日の使徒書・福音書**
創世記1章1-5節〈旧p1〉
使徒言行録19章1-7節〈新p251〉
マルコによる福音書1章4-11節〈新p61〉

2021年1月9日土曜日

【更新】次回10日・主の洗礼日の礼拝案内。

次週2021年1月10日(日)は主の洗礼日の礼拝です。

明日10日、松本教会での会堂での礼拝は中止になりました。
長野教会からのオンライン配信・礼拝後の動画配信を予定しています。

野口和音牧師の説教
「主人公はあなたとキリスト」

と題して、10時半より
松本教会では家庭礼拝として、長野教会では主日礼拝として行われます。

オンライン配信礼拝は朝10時半より開始です。
当ブログからも視聴できます。最新の記事をご確認ください。
また、礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。 ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
──マルコ福音書1章4-11節

2021年1月6日水曜日

今週の黙想文(使徒15:9)

また、彼らの心を信仰によって清め、
わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。
──使徒言行録15章9節

† † †

聖書において清めとは、衛生的な洗浄と儀式的な汚れからの解放という二つの意味が織り交ざった言葉として使われています。
たびたびキリストと律法学者たちとの間で清めについての論争が起きていますが、キリストが鋭く指摘しているのは清めの規定についてではなく、それによって彼らが差別を引き起こしていたからでした。
キリストを教えを受けた初代教会の弟子たちもこの問題に立ち向かっていることを見ると、いつの時代の私たちもそのような罪に陥る存在であることがわかります。
どんなに正しいルールであっても、誰かを傷つけ貶めるために使われるかどうかは私たち次第です。
神様はその自由をも私たちに委ねられました。
そして絶えず悔い改めをもって自分自身を振り返ることが出来るように、先んじてキリストによる赦しを与えてくださっているのです。
これこそが、洗礼の恵みなのです。

(20210103週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年1月4日月曜日

牧師エッセイ(2021年1月)

全日本フィギュアスケート選手権で羽生結弦選手が5度目の優勝を飾りました。
しなやかさの中に見える力強い演技に心打たれた方も多かったのではないでしょうか。

試合後のインタビューで、彼はコロナ禍での練習や出場志願などに大変な葛藤と苦悩があったことを明かしていました。
孤独なトレーニングの中で精神的にどん底の時期もあったそうです。
しかしまず自分のためにフィギュアをするという原点に立ち返り、周りで休む暇もなく働く人々に目を向けながら「こういう状況だからこそ、自分の演技が明日までではなくてもいいから、その時だけでも、演技が終わった後の1秒だけでもいいから、見ている人たちの生きる活力に少しでもなったらいいなと思いました」と語ったのだそうです。
自らを見つめなおし、誰かを励まし力づけるために生きていくその姿は、悔い改めを勧め、隣人を自分のように愛せよと語ったキリストの言葉に重なるものではないでしょうか。

新年を迎えました。私たちもキリストのみ言葉に支えられつつ、隣人への愛に生きる一年を歩んでまいりましょう。

2021年1月3日日曜日

降誕節第2主日礼拝。 20210103

あけましておめでとうございます。
本日1月3日は降誕節第2主日の礼拝でした。
松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として守られました。
新しい年の初めを、み言葉を聞くことから始められることに感謝します。
天地創造の初めから用意されている救いの希望を胸に、導いてくださるキリストがおられることをみ言葉から聞きました。 私たちが無事に今年一年も信仰が守られ、歩みとおすことが出来ますように祈ります。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書31章7-14節〈旧p1234〉
エフェソの信徒への手紙1章3-14節〈新p352〉
ヨハネによる福音書1章1-18節〈新p163〉

*祈り*

救いの導き手なる神様。
わたしたち一人ひとりの救いのために、私たちの歩む道に起こる全てのことを整えてくださっています。
そこには、私たちにとって都合の悪いこと、痛みを伴うものもあります。暗闇の中に迷い込み、歩むべき道がわからなくなる時もあります。
しかし主よ、それでもあなたの導きの上に私たちが歩んでいることを、み言葉を通して教えてください。
明日へと向かう私たちのすべてあなたに委ねることによって、私たちの心をあなたの平安と恵みの喜びに満たしてください。

新型コロナウイルスの感染が過去最大にまで広がっています。世界中で多くの者があなたの御許へと召されています。医療のひっ迫のため、病の中にあっても十分な治療を受けられない人がいると聞きます。そして祈りと助けを必要としている人々が大勢います。
私たちにできることを教えてください。
全てがあなたの御手の内にあって導かれていることをおぼえ、祈りを絶やすことがありませんように。
私たちがあらゆることを通して助け合い、支えあい、尊びあうことができるようにと、あなたの導きのうちに気付かせてください。
新しい年を迎えると共に、悔い改めをもって私たちもあなたへの信仰をとらえなおします。
またその信仰を通して私たちのわざを愛に満たしてください。
あなたが先んじて示してくださった愛を、私たちが毎週の礼拝、御言葉と祈りを通して受け取り、私たちを新しく造り変えてください。
私たちの全てをあなたに委ね、み旨のままに用いて下さいますように。