2021年5月30日日曜日

三位一体主日礼拝。20210530

本日5月30日は、三位一体主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。


両教会の礼拝をつなぐSkypeの調子は良かったのですが、カメラの不具合で映像が中断されてしまいました……申し訳ありません。

礼拝後、長野教会では婦人会の聖書研究会が行われました。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書6章1-8節〈旧p1069〉
ローマの信徒への手紙8章12-17節〈新p284〉
ヨハネによる福音書3章1-17節〈新p167〉

説教「神様を三位一体にしたのは誰か」

*祈り*

三つにして唯一なる救いの神様。
あなたの救いの計画は計り知れません。あなたは私たち一人ひとりの歩みを初めから終わりまで導いてくださっています。
私たちがあなたの御言葉から離れる時、あなたの愛に生きることが出来ない時にも、あなたは私たちを決して見放さず、滅びに向かうことのないように、呼びかけ続けてくださいます。
その果てしない赦しの喜びに満たされるからこそ、私たちが絶えずあなたへの悔い改めをもって御言葉に聞くことが出来ますように。
キリストが証してくださるあなたの御心をいつでも探し求め、喜んであなたの導きに従って歩む者としてください。
あなたに私たちのいのちを委ねる時、あなたはいつでもそれを新しくしてくださいます。
私たちの思いもよらないかたちで恵みと祝福に満たしてくださいます。
必要なときに必要なものをお与えになり、私たちの歩みのうちに起こる全てのことを通して、私たちを救いへと招いてくださっています。
日々御言葉と祈りを通してそのことを思い起こすことが出来ますように。
そしてその喜びを隣人と分かち合うことへと押し出してください。

主よ、あなたはキリストの十字架と復活をもって、信じる者に永遠の命を約束してくださいました。
私たちの地上のいのちが終わっても、御国においてあなたと共に生き続けるという福音を語ってくださいました。
このコロナ禍の中で、天に召された方が相次いでいます。コロナ禍のゆえに十分な別れの時を持つことが出来ず、寂しい思いを抱えておられるご遺族の方々がおられます。
主よ、そのような方々に、あなたが慰めをもって寄り添い支えてください。
天に召された姉妹の魂が、どうか主の御許において平安に満たされていますように。
私たちにとっての死が悲しみで終わることなく、いつの日か永遠の命を与えられた兄弟姉妹、愛し合う神の家族として再会することができますように。
私たち一人ひとりがこれからもあなたに導かれて、あなたと共に歩みつづけることが出来ますように。

2021年5月27日木曜日

次回30日・三位一体主日礼拝のご案内。

次週2021年5月30日(日)は三位一体主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「神様を三位一体にしたのは誰か」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、 両教会10時半から行われます。牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。 それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

──ヨハネによる福音書3章1-17節

2021年5月26日水曜日

いのち学2021 第1回の御案内。

来月6月7日(月)19時より、松本教会にて
「いのち学~宇宙の中の私たち~」第1回が行われます!


直前のお知らせになり申し訳ありません!
いのち学、第1回です。
今回のサブタイトルは「宇宙の中の私たち~科学、哲学、神学的視点から~」です。
今回からは特別ゲストをお呼びしています!
理論物理学者、哲学者、神学者たちの著書内容を紹介しつつ、
科学だけではとらえきれない「人のいのち」について、共に考える時を持ってみませんか?

参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。軽食(市販品を別途販売)もあります。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方、2週間以内に感染者多発地域に訪問があった方は、ご参加をご遠慮ください。
万が一の場合に備え、受付にてご連絡先をお聞きします。ご了承ください。

6月7日(月)の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

今週の黙想文(ロマ8:15)

あなたがたは、
人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、
神の子とする霊を受けたのです。
──ローマの信徒への手紙 8章15節


† † †

一般的にキリスト教のイメージは「~しなければならない」が多い、と言われることがあります。
しかし、実のところ強制されることはありません。
毎日聖書を読むこと、愛に満ちた関わりに生きること、キリストの弟子としてのふさわしい生活を送ること……
これらのことはキリストからの命令であっても、従うことのできない人々を救いから振り落とすための試験ではないからです。
パウロが引用しているように「正しい者はいない。一人もいない。(ロマ3:10)」からです。
それでもなおキリストが私たちに言われたのは、私たちに「神の子とする霊」が注がれているからです。
キリストの十字架によって先んじて赦され、神の家族とされているという福音を私たちに信じさせるのは、聖霊の働きなのです(Iコリ12:3)。
そこから、絶えず繰り返される悔い改めによって、キリストの命令に自ら生きようとする信仰の自由な歩みが始まるのです。

(20210523週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年5月23日日曜日

聖霊降臨祭・ルターナイツinまつもと。

本日5月23日は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)の礼拝でした。
松本教会では10時半から、長野教会では15時から、両教会聖餐礼拝として守られました。


両教会で御言葉から聖霊降臨の喜びを分かち合い、聖餐にも与ることが出来ました。
また、19時からは松本教会でルターナイツinまつもとが行われました。





牧師は雅楽と讃美歌についてのお話をしました。
雅楽が原曲の讃美歌を紹介し、皆さんと歌いました。

また、心をすっきりと洗い流すようなさわやかな歌をうたってくださった児玉さん、
じんわりと心に沁みこむようなやさしい歌をうたってくださったふあさん、
コロナ禍で疲れた心が少しリフレッシュされたような気がします。
ありがとうございました。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録2章1-21節〈新p214〉
ローマの信徒への手紙8章22-27節〈新p284〉
ヨハネによる福音書15章26-27節、16章4b-15節〈新p199〉

説教題「あなたの中のキリストが語る」

*祈り*

全世界の救い主なる神様。
キリストの最初の弟子たちに聖霊が降ったあの日から今日まで、あなたは赦しと慈しみをもって、私たちの歩みを見守ってきてくださいました。
私たち一人ひとりの道のりを守り導き、今日ここに集わせてくださいました。
あなたが私たちのために用意されたご計画は、私たちには計り知れません。
時には私たちの歩みの中で、喜ぶことのできない時もあります。
苦しい時、悩むとき、迷う時があります。
しかし、その苦難が過ぎ去ったあと、振り返って見れば、すべてがあなたの導きの中にあったと信じることが出来ますように。
私たちがあなたの御言葉を心から受け止め信じる時、そこに生きて働くキリストがおられるという喜びを、いつでもわたしたちのうちに満たしてください。

主よ、今日ますます人の罪があらわにされています。
多くの人々が隣人のことを思いやることが出来ず、多くのしがらみの中で自分のことしか考えられない、そのような時代に私たちは生きています。
しかしあなたが語られる御言葉はいつでも、自分ではない他の誰かのために語られる言葉でした。誰かに寄り添い、誰かを癒し、誰かを励まし、誰かを救うために語られた言葉でした。
どうか主よ、私たち一人ひとりに、聖霊を注いでください。
わたしたち一人ひとりのうちにキリストの霊が生きて働き、共に苦しみも喜びも分かち合う群れとして、この教会をこれからも立て、その歩みを支えてください。
そしてあなたがその身をもって示された愛の交わりを、私たちも保つことが出来ますように。

2021年5月20日木曜日

次回23日・聖霊降臨祭(ペンテコステ)礼拝の御案内

次週2021年5月23日(日)は聖霊降臨祭(ペンテコステ)の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたの中のキリストが語る」

と題して、
松本教会では10時半から、長野教会では15時から、両教会聖餐礼拝として行われます。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。 「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

──ヨハネ福音書15章26-27節、16章4b-15節

2021年5月19日水曜日

今週の黙想文(ルカ3:23-28)

イエスはヨセフの子と思われていた。
ヨセフはエリの子、それからさかのぼると……
……セト、アダム。そして神に至る。
──ルカによる福音書3章23-28節

† † †

家系図はなぜ大事なのでしょうか。
それは、自分が一人ぼっちで生きてはいないということ、過ぎ去りし日に確かに生きて、今日の私たちまで命をつなげてくれた人がいるという証だからです。
イエス・キリストの系図はマタイとルカに記されていますが、マタイはアブラハムから始めてイエスまでを記し、ルカはイエスからさかのぼって神に至ると記しています。
そして、神の御子イエス・キリストの十字架によって私たちが罪を赦されたことを信じる者は、神の家族として迎えられると聖書は教えています。
キリストの系図はイエスの出自が神からであるということを証するとともに、キリストを信じる私たちもまたその系図に加えられるということです。
それは、私たちがキリストによって確かに生かされ、決して忘れられることがないという福音を伝えるものなのです。
パウロもこのように言っているとおりです──「わたしたちの国籍は天にあります。(フィリピ3:20/口語訳)」。

(20210516週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年5月16日日曜日

主の昇天日礼拝 20210516

本日5月16日は、主の昇天日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られました。
礼拝は初めてという方もお迎えしつつ、会堂での礼拝が今週も守られたことに感謝いたします。
また、午後からは松本教会の墓前礼拝が中山霊園にて行われました。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。
  福音書朗読は15:11
説教は20:20からです。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録1章1-11節〈新p213〉
エフェソの信徒への手紙1章15-23節〈新p352〉
ルカによる福音書24章44-53節〈新p161〉

説教題「終わりが始まりに変わる」

*祈り*

救いの源である主なる神様。
あなたがたった一人の御子であるキリストを通して、私たちを罪の苦しみから救い出し、愛に満ちた新しいいのちへと導いてくださっていることを御言葉から聞きます。
主の日に教会に集い、あなたのみ言葉を聞くことを通して、私たちの心を開いてください。
あなたが命を懸けてすべての人々を罪から解放しようとされた出来事は、2000年以上もの時を超えて、生きた福音として今も受け取られ続けています。
それは、あなたが天において今なお生き続けておられ、み言葉と聖霊の力によって私たちの心を開き、あなたの愛に生かそうとしてくださっているからです。
不平等、不公平という言葉が良く聞かれるようになりました。
この言葉には、人々が今日の現実の中にどれだけの不安を抱えているか、我慢が続くなかで、誰かを赦せなくなっているかがあらわれている言葉であるように思います。
主よ、それでもあなたは一人ひとりを愛し、その命をもって罪から救い出そうとしてくださっています。
私たちが互いに心を一つにし、この新型コロナウイルスという苦難の時を乗り越えるために、愛をもって、配慮と赦しあう心で、協力し合うことが出来ますように。
この長野においても増加しつつある感染状況が、一日でも早く終息しますように。
今病の苦しみのある一人ひとりに、あなたが癒しをお与えください。
最前線で働いておられる医療関係者の方々、介護の働きについておられる方の労苦を省み、愛に満ちた働きを保つことが出来るように、力づけてください。
施設にお住いの方々や、家から出ることができない方々もおられます。
不安の中にある一人ひとりに、あなたがみ言葉をもって寄り添ってください。
私たちが今出来る精一杯をもって関わりを保つこと、祈りあうことができますように、日々私たちをあなたのみ言葉によって悔い改めさせてください。
私たちがこれから歩みだす一週間の上に、あなたの祝福が豊かにありますように。

2021年5月13日木曜日

16日・主の昇天主日礼拝のご案内。

次週2021年5月16日(日)は主の昇天主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「終わりが始まりに変わる」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として行われます。
また、礼拝後、松本教会では13時半より中山霊園に移動し、墓前礼拝が行われます。
どうぞご自由にお越しください。牧師は松本教会におります。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

──ルカ福音書24章44-53節

2021年5月12日水曜日

今週の黙想文(詩116:7)

わたしの魂よ、再び安らうがよい
主はお前に報いてくださる。
──詩編116章7節


† † †

詩編116編の祈り手は逃れがたく近づく死に苛まれつつ、祈りを捧げています。
どうやら彼は何度も命の危機に晒されることがあったようです。
しかしそのたびに彼は祈り、平安を与えられていったことがわかります。
死は私たちの肉体が滅ぶことだけではなく、魂が弱りはて、絶望と不安が募り、誰のことも信じられなくなることも、死なのです。
それゆえ「あなたはわたしの魂を死から/わたしの目を涙から/わたしの足を突き落とそうとする者から/助け出してくださった。(8節)」と続けているのです。
イエス・キリストは十字架の死の別れを超えて、弟子たちに再び出会ってくださいました。
それはもはや死が、肉体に対しても魂に対しても永遠の別れではないことを教えるためでした。
キリストを信じる時、私たちの魂から死と絶望を拭い去ってくださる神様がおられるのです。
私たちもその信仰に立たされ、共に祈りたいのです。
「主はわたしに報いてくださった/わたしはどのように答えようか」──「わたしは主を愛する。……生涯、わたしは主を呼ぼう」「命あるものの地にあるかぎり/わたしは主の御前を歩み続けよう」と。
(20210509週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年5月10日月曜日

5月23日・ルターナイツinまつもとのご案内。

5月23日(日)の19時から、
松本教会にてルターナイツ in まつもとが行われます!



今回のプログラムのゲストは、
自作・ギター弾き語りの ふあさん、
シンガーソングライターの児玉瑞木さん
のおふたりです!

今回も野口和音牧師のヴァイオリンと、”讃美歌のウラ話”もあるカモ?

参加費は軽食込みで500円、事前申し込みは不要です。
新型コロナウイルス感染予防のため、従来のような食事の時は持ちません。

(↑リンク先から松本市の感染警戒レベル状況が確認できます)

ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方は、ご参加をご遠慮ください。
万一の場合のため、受付にて連絡先をお聞きします。ご了承ください。

皆様どうぞご参加ください。お待ちしています。

†会場の松本教会はこちらです†

2021年5月9日日曜日

復活節第6主日礼拝。20210509

本日5月9日は、復活節第6主日礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られました。


長野教会の駐車場の植木には、実はあんずの他にさくらんぼの木もあります。
さくらんぼはいつも収穫する前に小鳥が食べてしまうそうですが、どちらも少しずつ実をつけ始めていました。



実りを与えてくださる神様に感謝しつつ。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。
  福音書朗読は13:48、説教は18:23からです。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録10章44-48節〈新p234〉
ヨハネの手紙 一 5章1-6節〈新p446〉
ヨハネによる福音書15章9-17節〈新p198〉

説教題「喜びを差し出す」

*祈り*

私たちの救い主なる神様。
私たちの日々の現実を見渡すと、多くの人々が自分のことばかりを考え、誰かを愛し配慮する心を失いつつあるように思います。
それはまさに、あなたがキリストを送られたあの時代から、私たちの罪が変わらずあることの証かもしれません。
しかし、そのような私たちにさえ、あなたは救いの道を用意してくださいました。
罪に枯れ果てた枝を伸ばそうとも、何度でも御言葉をもって私たちを整え、新しい枝を伸ばせるようにと悔い改めさせてくださいます。
主よ、どうかあなたが十字架を通してあらわされた愛が、罪の中にあって苦しむ人々の心に届きますように。
あなたに出会い、あなたの枝とされた私たちにとっても、毎週の主日を迎えるたびにあなたから与えられている救いの喜びに立ち返ることが出来ますように。
み言葉を通して、私たちの心をあなたの方に向けさせてください。

今なお続く新型コロナウイルスの猛威によって、忍耐の時が続いています。
集う形で礼拝を持つことのできない教会もあります。
主よ、あなたが立てられた全国のルーテル教会ひとつひとつにおいて、どのようなかたちにせよ御言葉が語り広められ、あなたに繋がる枝が力強く伸びて、そこに連なるキリスト者が相互の関わりのうちに愛の実をつけることが出来るように祝福してください。
キリストでさえあなたに支えられなければその生涯を歩み通すことが出来なかったことをおぼえます。
私たちも祈りを絶やすことのないように、私たちの中に、あなたのいのちを吹き込んでください。
そして誰かを生かすための愛に立たせてください。
今日ここに集うことのできなかった方々にもあなたが御手を伸ばしてくださり、信仰とつながりを保ってください。
病の中にある人々、疲れを抱える人々には、あなたの愛によって寄り添いと癒しと休息が与えられますように。

2021年5月6日木曜日

次回9日・復活節第6主日礼拝のご案内。

次週2021年5月9日(日)は復活節第6主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「喜びを差し出す」

と題して、10時半より、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として行われます。
どうぞご自由にお越しください。牧師は長野教会におります。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

──ヨハネ福音書15章9-17節

2021年5月5日水曜日

今週の黙想文

正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)
──イザヤ書5章7節


† † †

パレスチナに定住したイスラエルの人々にとって、ぶどうは神様からの祝福の証でした。
イザヤを通して神様はイスラエルの民をぶどうにたとえて「ぶどう畑の歌」を告げています。
ここで注目すべきことは、神様が植えられたぶどうは「良いぶどう」であったということです。
神様が良いぶどうとして造り、良いぶどうとして実を付けるように神様が信じてくださったにも関わらず、人々は「すっぱいぶどう」になることを選びました。
そのことを、正義(ヘブライ語でツェダカ)が、悲嘆の叫び(ヘブライ語でツェアカ)となったと表現するのです。
しかし「わたしはこれを見捨てる(6節)」と主がイザヤを通して言われた言葉から、なお人々を信じようとする神様の嘆願が聞こえてはこないでしょうか。
踏み荒らされるにまかせる、ということは、神様はそれをあえて止めずに見ておられるということです。
たとえすっぱいぶどうしか実らなくとも、自らが一生懸命世話をしたぶどう畑を荒らされる悔しさを堪えておられる神様の姿があるのです。
神様は私たちを「良いぶどう」だと信じておられます。
それは揺らぐことがありません。
人々の心に潤いと笑顔をもたらす「よいぶどう」の実をわたしたちが分かち合えるように、私たちが苦難の中にあろうとも、神様はいつも私たちを悔い改めへと導いておられるのです。
その祝福のうちに日々の歩みを進めてまいりたいものです。
(20210502週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年5月3日月曜日

牧師エッセイ(2021年5月)

国会に提出された入管法の改正案「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する法律案」が激しい議論を巻き起こしています。
特に、法務省が難民と認めない決定を2回下せば、3度目は強制送還が可能となってしまう仕組みが人道的な面で問題視されています。
これまでも国外退去の命令を受けた9割の人々は応じていますが、それでも帰国できない人々は命の危険がある祖国に帰れない事情を抱えており、迫害などによって心も体も傷つけられ、逃げてきた人々も少なくないからです。
そもそも世界的に見ても、日本の難民認定率はあまりに低く、申請者に対してわずか0.4%程度しか認定されていません。
難民一人ひとりのいのちに寄り添うことができない現状があるのです。

国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」というものがあります。
貧困や飢餓、健康や教育、環境問題などに関する17の目標を全世界で達成しようとするものです。
しかしSDGsでは「地球上の誰一人取り残さない」ことを誓い、日本もそれに積極的に取り組んでいるとされていますが、この改正案はそれとは全く逆行するものであると言えるでしょう。

キリストは「隣人を自分のように愛しなさい(ルカ10:27)」と言い、善いサマリア人のたとえの中で、私たちが誰かの隣人となっていくことを勧められました。
私たちも一人ひとりのいのちを取り残さないために何が出来るか、祈りと共に問い続けてまいりましょう。

2021年5月2日日曜日

復活節第5主日礼拝。20210502

本日5月2日は、復活節第5主日礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られました。
ルーテル教会の礼拝は初めてという方が来てくださり、また改訂試案中の新しい式文の学びにも参加してくださいました。恵み深い祈りの時として守られました。
わたしたちがキリストにつながる枝として、何度でも神様によって新しくされる幸いのうちに、この一週間を踏み出していければと思います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録8章26-40節〈新p228〉
ヨハネの手紙 一 4章7-21節〈新p445〉
ヨハネによる福音書15章1-8節〈新p198〉

説教題「新しい枝を伸ばすために」

*祈り*

いのちの与え主なる神様。
あなたは私たちに御言葉を語ってくださいます。
それはキリストが永遠の命をもって天上におられ、私たちを今日も新しく生かしてくださるためです。
思い返せば、私たちの姿はあなたの御心には程遠く、罪の中にあることばかりかもしれません。
しかしそれでもあなたは古い私たちを清め、新しく整え、愛に満ちた日々の歩みへと何度でも送り出してくださいます。
あなたは愛そのものだからです。
だからこそ私たちは安心して、いつでもあなたのもとに立ち返ることが出来ます。
今日からはじまる一週間においても、どうか私たちがあなたにつながり、離れることなく歩めますように。
そしてあなたに連なる兄弟姉妹が誰一人取り残されることのないように、互いに関わりを持つことができる一週間となりますように、私たちの日々を導いてください。

わたしたちの日々の現実を見渡すだけでも、自分のことばかりに気を取られてしまうこと、自分に関わりのない人々をないがしろにしてしまう人々の姿が浮き彫りになっています。
病に苦しむ人、心が疲れ、孤独の中で死を選ぶ人もいます。
その一人ひとりの罪と痛みにあなたが十字架をもって寄り添われたように、わたしたちも心を注いで、祈ることができますように。
そしてどうか私たちの手の届くところにいる人々がそのような苦しみを抱えているなら、私たちを通じて、今日そのひとを新しいいのちへと生かしてください。
どうか私たちが誰かにとっての隣人として愛をもって関わりあう、そのような歩みを絶やすことなく過ごすことが出来ますように。
あなたから受けた愛と喜び、恵みと感謝に満たされながら、分かち合いながら、一日一日を過ごすことが出来ますように導いてください。