2021年7月29日木曜日

次回8月1日・平和主日礼拝の御案内。

次週2021年8月1日(日)は平和主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「御大切に」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、10時半から行われます。 長野教会は家庭礼拝となります。ご注意ください。 牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

──ヨハネによる福音書15章9-12節

2021年7月28日水曜日

今週の黙想文(ルカ22:15)

イエスは言われた。
「苦しみを受ける前に、
あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、
わたしは切に願っていた。」
──ルカによる福音書22章15節


† † †

キリストが十字架にかけられる前の晩、弟子たちとの最後の晩餐でこのように言われた御言葉に、キリストの溢れんばかりの愛が込められています。
過越祭が近づく中でイスカリオテのユダが祭司長たちとイエスを殺す相談をしている箇所と、ペトロの裏切りの予告の箇所に挟まれるようにキリストは弟子たちに聖なる愛餐の時を持たれるのです。
キリストは、十字架の出来事によって引き起こされる弟子たちの挫折と罪の苦しみをここで見抜いておられました。
彼らの罪を赦し、救いに繋ぎとめるために、先んじて聖餐の恵みを与えられたのです。
ですから私たちが思い煩いや悩み苦しみの中にあるなら、なおさらキリストは喜びをもってその身を私たちに分け与えてくださいます。
ルターは聖餐を「見える御言葉」と言いました。
聖餐が長らく執り行えない期間の中にあっても、キリストが私たちを恵みの食卓に招いておられることは変わりません。
「わたしは命のパンである。(ヨハネ6:48)」と言われたキリストの言葉に込められた恵みと赦しに、耳を澄ませてまいりましょう。
(20210725週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年7月25日日曜日

聖霊降臨後第9主日礼拝。20210725

本日7月25日は、聖霊降臨後第9主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。

ヨハネ福音書の五千人の給食の奇跡から、自分の力により頼まず、キリストに頼る時、恵みがいっそう溢れるようにそれを用いてくださる幸いについて分かち合いました。
礼拝後、長野教会では聖書研究の学びも行いました。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
列王記下4章42-44節〈旧p583〉
エフェソの信徒への手紙3章14-21節〈新p355〉
ヨハネによる福音書6章1-21節〈新p174〉

説教「感謝して分かち合う」

*祈り*

いのちの源である神様。
あなたは人々のもとにイエス・キリストを遣わされました。
それは、私たちがどうしても自分の力により頼んでしまうこと、それゆえに諦めてしまうことがいかに多いかを気付かせてくださるためでした。
どうか私たちが自分一人の力により頼むのではなく、誰かの助けを必要としてよい存在であることを認めることが出来るようにしてください。
支えあい、助け合って初めて生きることができる存在とされることを、私たち一人ひとりが御言葉から聞くことが出来るように、私たちの信仰を悔い改めさせてください。
そして何よりも私たちのうちにあるそのような弱さを通して、あなたは私たちの心を神様へと導かれます。
私たちがあなたから気付かされた全てのことを恵みとして受け取ることが出来ますように。
あなたがキリストの十字架に顕された弱さは、私たちの弱さに寄り添い、そこから救いだしてくださるためでした。
どうか私たちが誰かと関わる時には、私たちの心を感謝と愛に満たしてください。
私たちが誰かを助けたいと願う時には、どうかあなたによって私たちの祈りとわざが豊かなものとされ、あなたの御心に適うものとして、用いられますように。
いつもわたしたちの間に立ってくださり、すべてのことを分かち合ってくださっているキリストに感謝することができますように。

全国に立てられたキリスト教会をあなたが祝福してください。
あなたの御言葉に聞き、あなたから救いと信仰を与えられ、教会につなげられた一人ひとりの信仰の旅路を、どうかあなたが最後まで守り導いてください。
今日ここに集うことのできなかった方々のためにも、私たちは祈りを合わせます。
あなたがその間に立ってくださり、日々の中に起こるあなたの御業と喜び、あなたのみ言葉を通して与えられる恵みを分かち合わせてくださいますように。

2021年7月22日木曜日

次回25日・聖霊降臨後第9主日礼拝の御案内。

次週2021年7月25日(日)は聖霊降臨後第9主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「感謝して分かち合う」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。 大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。 イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。 ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。 イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、 こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。 フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。 弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。 さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。 人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。 集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。 そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。 イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。
夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。 そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。 強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。 二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。 イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」 そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。

──ヨハネ福音書6章1-21節

2021年7月21日水曜日

今週の黙想文(ルカ12:21)

自分のために富を積んでも、
神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。
──ルカ福音書12章21節


† † †

アレキサンダー大王の伝説で、「私が死んだら棺桶に納めるとき、両手を棺の外に出したままにしておいてくれ」という遺言を遺したという話があります。
何のためにと部下が聞くと「この世のすべてのものを自分は所有することができた。しかし天国には何一つ持っていくことはできない。これを知ることができるように」と答えたのだそうです。
キリストの「愚かな金持ち」のたとえはまさにこのことを私たちに教えています。
愚かな金持ちは豊作であった年、その恵みの実りを誰にも分け合うこともせず、自分のためだけに蓄えようとしました。
その晩、彼の命は神によって取られたのです。
キリストによる救いは、私たちの信仰を通して既に与えられています。
私たちの豊かさは天から来たものです。
その豊かな恵みを自分のために大事にとっておくのではなく、キリストがしたように互いに分かち合いましょう。
「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。(マタイ25:40)」というキリストの言葉が、私たちを愛へと押し出してくださいます。
(20210718週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年7月18日日曜日

聖霊降臨後第8主日礼拝。20210718

本日7月18日は、聖霊降臨後第8主日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として行われました。


派遣された弟子たちの帰還を告げる御言葉から、私たちが順境の中にある時にも祈りの時を持つことの大切さを分かち合いました。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書23章1-6節〈旧p1218〉
エフェソの信徒への手紙2章11-22節〈新p354〉
マルコによる福音書6章30-34,53-56節〈新p72〉

説教「心が帰ってこれる場所」

*祈り*

私たちの主なる神様。
あなたは愛にあふれたお方です。
私たちがあなたを忘れてしまうこと、私たちが罪に陥り、誰かを愛する心が失われてしまうことを望まれません。
キリストを通して語られたすべての御言葉を、私たちが心に留めることが出来ますように。
私たちが担っている働きにおいて、まず祈りによって立たされて、感謝と謙遜をもって、あなたから頂いた賜物を用いることが出来ますように。
そしてどうか私たちが、自らの力により頼むことなく、あなたへの信仰と愛に立たされて日々を過ごすことが出来ますように。

私たちの関わりの中に、誰かが救われ、喜びに満たされることは、嬉しいことです。
その喜びを自分の名誉とするのではなく、あなたにこそ帰することができますように。
私たちがあなたによって命を与えられ、日々の中へと送り出され、誰かとのよき交わりを与えられていること、今日まで歩みを続けることが出来ていること、そのすべてがあなたの導きの中にあります。
その恵みの一つひとつを私たちが祈りにおぼえ、あなたと共にこれからの日々をも歩ませてください。

毎年が異常気象だと呼ばれる時代になりました。
いつどのような苦難に襲われるかわからない時代の中にあって、どうか主よ、私たちをお守りください。
あらゆる危機に遭う中にあっても、あなたがキリストを通して私たちに与えてくださった愛と和解の心を失うことがありませんように。
熱海市の大規模な土砂災害が起きてから2週間が経ちました。
13名の方があなたの御許に召され、今も15名の方が行方が分からないままです。
多くの人々が懸命に捜索と復旧作業にあたっています。
住み慣れた我が家に帰ることが出来ない人々が何百人もいます。
どうかそのお一人お一人に、あなたが深い憐れみをもって寄り添ってください。
不安の中にある人々の心から明日への希望が失われることがありませんように。
どうか今日よりも明日、明日よりも明後日が、あなたの与えてくださる恵みに満ちて、一人でも多くの人の心が癒された日となりますように。

2021年7月15日木曜日

次回18日・聖霊降臨後第8主日礼拝のご案内。

次週2021年7月18日(日)は聖霊降臨後第8主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「心が帰ってこれる場所」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いて舟をつないだ。 一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、 その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。 村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。

──マルコ福音書6章30-34節,53-56節

2021年7月14日水曜日

今週の黙想文(1ペトロ2:24)

そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。
──ペトロの手紙一 2章24節


† † †

H.J.M.ナウエンは『傷ついた癒し人』の中で「私たちにとって最も苦痛なものの一つは孤独だ」と言っています。
しかし「キリスト者の生き方とは孤独を取り除くのではなく、孤独を尊い贈り物として大切にするものだ」とも続けています。
痛みは「私たちの限界を超え、私たちの存在の境界の彼方を見るための招き」であるからだと言うのです。

痛みに向き合う先に本当の癒しがある、という逆説的な真理を明らかにしたのがキリストの十字架でした。
十字架における弟子ペトロの裏切りの物語は有名です。
それゆえペトロの後悔は誰よりも深かったでしょう。
キリストが復活するまでの三日間、裏切った弟子たちは一つの家に集いながら、誰もが孤独でした。
しかし孤独の中で罪に向き合った彼らはその先で、復活のキリストと出会い、その関係を回復されていったのです。
私たちも互いに関わりあう存在として創られました。
一人静かに祈る時、これまでの関わりを省みる先にこそ主は働き、明日からの関わりを整えてくださるのです。

(20210711週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年7月11日日曜日

聖霊降臨後第7主日礼拝。 20210711

本日7月11日は、聖霊降臨後第7主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。
暑くなってまいりました。両教会で冷房を付けつつ、礼拝が守られました。




洗礼者ヨハネの死の箇所から、ヨハネがその死においてもキリストの先駆者であったということ、
そして私たちには悔い改めのためのキリストの十字架の赦しが先んじて与えられている恵みをみ言葉から分かち合いました。

カメラに使っているスマートフォンが不調のため、映像に乱れがあり申し訳ありません。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
アモス書7章7-15節〈旧p1438〉
エフェソの信徒への手紙1章3-14節〈新p352〉
マルコによる福音書6章14-29節〈新p71〉

説教「洗礼者ヨハネの死」

*祈り*

平和の主なる神様。
あなたは私たちの罪をすべてご存知です。そして今なおこの世が罪に支配され、あなたが与えてくださるまことの平和が失われています。
一人ひとりのいのちの尊さを、私たち一人ひとりが思い起こし、自分だけではなく共に生きる誰かに対しても、慈しみと愛の心を注ぐことが出来ますように。
いのちが軽んじられる世にあって、神様ご自身が救い主としてそのいのちを捧げてくださった果てしない愛を私たちが受け取り、私たちもその愛に生きることが出来ますように。
あなたによって教えられた正しさに生きることや、愛と赦しに満ちた関わり合いは、すべてあなたから与えられる救いの上にあるものです。
私たち一人ひとりが絶えずあなたの言葉に聞きいる者としてください。
私たちの罪をあなたの御前に告白し、赦される喜びのゆえに、私たち一人ひとりを平和の使者として立ててください。
悔い改めと信仰によって私たちを力づけ、祈りと賛美をもって、あなたと共に日々を歩むことをいつも心に留めることが出来ますように。

雨が降りやまない中、日本の各地で土砂災害が起きています。
避難警報が出され、落ち着かない日々を過ごしておられる方、また災害に遭って家を失った方々がおられます。
熱海市の土砂崩れの中、救出作業が続けられています。
助かった方もおられるなかで、天に召された方もおられます。
そして、まだ20人近い人々が行方不明のままです。
どうか主よ、捧げられるすべての祈りを、聞き届けてください。
どうかこれ以上被害が拡大することがありませんように。
悲しみのうちに動けなくなっている人々のために、あなたが一人ひとりを支えてください。
行方不明のなか、一人でも多くの人があなたから与えられたいのちを取り留めることができますように。
今日生きるための力を、祈りを通してひとりひとりに注いでください。
日々の悩み苦しみが多くある中にあって、そのような私たちと共にあなたが生きて、すべてを分かち合ってくださっていることを信じます。
私たちをあなたの救いのうちに生かしてください。

2021年7月8日木曜日

次回11日・聖霊降臨後第7主日礼拝のご案内

次週2021年7月11日(日)は聖霊降臨後第7主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「洗礼者ヨハネの死」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」 そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。 ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。 実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。 ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。 そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。 なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。 ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、 ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、 更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。 少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。 早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。 王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。 そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、 盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。 ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。

──マルコ福音書6章14-29節

2021年7月7日水曜日

いのち学2021 第2回が行われました。

7月5日(月)は松本教会で19時から、いのち学2021第2回が行われました。







今年のいのち学は「科学、哲学、神学的視点からわたしたちのいのちについて考えてみよう」というテーマで始まりました。
今回もゲストスピーカーをお呼びし、「嘘の倫理学」について参加者の方々と共に考えるときも持てました。
わたしたちのいのちはまさに創造主を想起するような「不思議」に満ちていること、
また、わたしたちが「まことの正しさ」について深く考えるところに、わたしたちが互いに関わりあういのちとしての在り方を捉えなおす大切さを思わされました。

今年度も全四回を予定しております。
次回は9月6日(月)を予定しています。どうぞご自由にご参加ください。

今週の黙想文(ヨハネ3:30)

あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。
──ヨハネ福音書3章30節


† † †

人生は山あり谷ありとよく言います。
まさに洗礼者ヨハネの歩んだ生涯は、人の目には「山あり谷あり」でした。
キリストが多くの人々に洗礼を授けているのを見て、ヨハネの弟子たちは師から弟子が奪われていると感じたのでしょう。
それに返したヨハネの言葉に、自分の生涯に神様から与えられた使命を見出していたことがわかります。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」
人々の間における彼自身の衰退は、神様によるまことの救いのご計画だと受け止めていたのです。
私たち人間の目には深い谷のように感じられる牢獄と死を前にして、ヨハネはキリストに遣いをやって救いを確かめています。
キリストはその返答に、人々の癒し、死者の復活、福音が告げ知らされていることを語られました。
それは、まさにヨハネが備えた道の先に起こった出来事であると言われたのです。

神様がお与えになる道は、人の目には山あり谷ありでも、神の目には救いへの一本道です。
それは、私たちにおいても同じであるのです。
神様が私たちの歩みを通して何を伝えようとしておられるのか、信仰を通して聞いてまいりましょう。

(20210704週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年7月5日月曜日

いのち学2021 第2回のご案内。【再掲】

7月5日(月)19時より、松本教会にて
「いのち学~宇宙の中の私たち~」第2回が行われます!



いのち学、第2回です。
今年度のサブタイトルは「宇宙の中の私たち~科学、哲学、神学的視点から~」です。
理論物理学者、哲学者、神学者たちの著書内容を紹介しつつ、
科学だけではとらえきれない「人のいのち」について、共に考える時を持ってみませんか?

参加費(資料代)は500円。 事前申込は不要です。

新型コロナウイルス感染予防のため、従来のように食事の交流の時はありません。
講義の後、自由な質疑応答の時間がとられます。軽食(市販品を別途販売)もあります。
ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方、2週間以内に感染者多発地域に訪問があった方は、ご参加をご遠慮ください。
万が一の場合に備え、受付にてご連絡先をお聞きします。ご了承ください。

7月5日(月)の19時から日本福音ルーテル松本教会にて行われます。
当日お時間のある方はぜひお越しください。
また、お問い合わせは日本福音ルーテル松本教会まで。

†会場の松本教会はこちらです†

牧師エッセイ(2021年7月)

最近、「シトラスリボンプロジェクト」というものを知りました。
元々愛知県の有志グループが始めたプロジェクトで、下図のように三つ葉のような形をした飾りを配ります。

シトラスリボンと
ルターローズ

このシトラスリボンの飾りには、「コロナウイルスに感染された方や医療従事者が、それぞれの暮らしの場所で『ただいま』『おかえり』と受け入れられる雰囲気を作り、安心し暮らしやすい社会(まち)を目指したい」という願いが込められています。
そして、三つの輪は「地域」「家庭」「職場(学校)」を表現しているのだそうです。

キリストは姦通の女がまさに石打の刑に処せられようとしている時「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい(ヨハネ8:7)」と言われました。
旧約聖書の楽園追放の物語が教えているように、自分に危機が訪れたとき、それから逃れようと他の誰かを裁いてしまうのが人の性、罪であるからです。
キリストは常に祈りを通して、神様に従う道を歩まれました。
キリストの歩みが証しているように、祈りは私たちを他の誰かに対する愛へと向かわせるものです。

シトラスリボンプロジェクトもまた一つの祈りと呼べるものです。
私たちの祈りを必ず聞き届けておられる神様に信頼し、この忍耐の時を裁きあうことなく乗り越えたいと思います。

2021年7月4日日曜日

聖霊降臨後第6主日礼拝。20210704

本日7月4日は、聖霊降臨後第6主日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として行われました。
いよいよ梅雨も明けつつあり、夏の足音が聞こえてくる蒸し暑さでした。
熱中症にお気を付けください。

今日のみ言葉から、神様が私たちを決して一人では送り出されないことをおぼえ、私たち一人一人を必要な学びと救いとに導いてくださることを聞きました。


礼拝後、松本教会では式文の学びも行いました。
一通り新式文の典礼歌も歌い終わり、歌いなれてきた方も増えてきたように感じています。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エゼキエル書2章1-5節〈旧p1297〉
コリントの信徒への手紙二 12章2-10節〈新p339〉
マルコによる福音書6章1-13節〈新p71〉

説教「一人じゃないから乗り越えられる」

*祈り*

救いの源である神様。
あなたはキリストを通して私たちに福音を届けてくださいました。
しかし、世にはあらゆるつまづきに阻まれ、あなたを求めることをせず、自らの力にのみより頼む人々が多くいます。
そのような人々によって拒まれ、ついには十字架へと向かわれたあなたの憐れみと赦しを、私たちは聞きます。
私たちの生きる日々に起こるあらゆる悩み苦しみから、あなたは私たちを導き出してくださいます。
神様の導きと恵みとによって、私たち一人一人に必要な学びと気づきを与えてくださいます。
あなたが私たちと出会われた日を私たちの信仰の基としてください。
私たちが信仰をもってあなたと深い関わりを保つことができるように、またあなたによって救われ、信仰者として立たされた兄弟姉妹とのかかわりをも、愛に満たされて保つことができますように。

主よ、今なお続く新型コロナウイルスと、不安とストレスから生まれる多くの悲しい事件から、一人でも多くの人々を救い出してください。
それだけではなく、長く続く大雨によって、静岡県、千葉県、滋賀県、鹿児島県でそれぞれ土砂災害があったと聞いています。
特に熱海市と逗子市では、建物や多くの人々に大きな被害が出ています。行方不明になってしまった方もおられます。
どうか主よ、このような大きな災害の中にあって、誰かに責任を追求し裁き合うのではなく、一人でも多くの命が助かるために、互いに支えあう心をお与えください。
避難しておられる方々の不安に寄り添い、悲しみの中にある人々に慰めをお与えください。
そしてそのような人々の平安のために、私たちも祈り続けることができますように。

いつ、私たちがこのような避けえぬ自然災害に出遭うかわかりません。
一人一人がそのための備えに心を配ることができ、いつもあなたを支えとして日々を過ごすことができますように。
私たちを愛に満たし、祈りあい、励ましあい、関わりあう者として立たせてください。

2021年7月1日木曜日

次回7月4日・聖霊降臨後第6主日礼拝のご案内。

次週2021年7月4日(日)は聖霊降臨後第6主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「一人じゃないから乗り越えられる」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として、 両教会10時半から行われます。牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

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イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。 そして、人々の不信仰に驚かれた。
それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。 そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、 旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、 ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。 また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。 しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」 十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。

──マルコ福音書6章1-13節