2021年10月31日日曜日

宗教改革日記念礼拝。【礼拝動画】

10月31日(日)は宗教改革日記念礼拝の礼拝でした。
今年はちょうど10月31日が日曜日の為、例年31日ルーテル教会東教区で行われている宗教改革記念礼拝をライブ配信とし、東教区の各教会がそれに与ることによって、合同の祈りとなりました。
松本教会・長野教会ともにこれに参加しました。


それぞれの教会で主日礼拝をライブ配信にて与るということは行われてきましたが、ライブ配信を通して東教区の教会が一つの礼拝に与ることは、新しい試みでした。
ライブ配信礼拝の是非には色々な意見はありつつも、礼拝に与り、御言葉を分かち合い、祈りを合わせるための、新しい手段の一つとしてこれからも用いることが出来たらと思っています。

**本日のライブ配信礼拝**


(▶️をクリックすると再生されます)
※むさしの教会の礼拝動画となります。

**司式・説教**
司式:浅野直樹Jr.牧師
(むさしの教会牧師)

説教:松岡俊一郎牧師
(大岡山教会牧師
日本福音ルーテル教会 東教区長)

説教「真理は自由を与える」

2021年10月27日水曜日

今週の黙想文(ローマ1:17)

福音には、神の義が啓示されています
──ローマの信徒への手紙1章17節


† † †

神の義とは神様の正しさのことですが、この箇所を読んだルターは困惑しました。
彼はひどく自省的な人物であったため、律法に示された神の正しさは福音であるどころか、どんなに努力しても神の前に全く不完全で罪深い自分の姿を自覚させられるだけだったからです。
聖書のみ言葉が教える生き方はどれも私たちにとって難しいと感じるものばかりかもしれません。
それを全うしようとすると、ルターと同じように神様に正しく生きられない現実に苦しくなるばかりです。
しかしルターはこの箇所に続けて語られている「正しい者は信仰によって生きる」という言葉にたどり着きました。
この不完全で罪深い私たちだからこそ、キリストは私たちの代わりに十字架にかかり、その罪を償ってくださいました。
それこそが神様の正しさ、愛なのです。
キリストを信じる私たちをどうにかして救わんとする福音がそこに表されていることを、パウロは語っているのです。
信仰を通してその福音をただ受け取る時、私たちのうちには感謝の心が与えられます。
それゆえルターは罪から自由にされた身をもってこのように述べるのです。
「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、誰にも服しない。
 キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、誰にでも服する。」
(『キリスト者の自由』1520年)。

(20211024週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年10月24日日曜日

聖霊降臨後第22主日礼拝。 20211024

本日10月24日は、聖霊降臨後第22主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。


先週17日の礼拝奉仕を担ってくださった坂本千歳先生に感謝します。
今日の朝は一段と寒く、礼拝堂には暖房が付きました。
昼には秋らしい気候になりましたが、寒暖の差が激しい季節です。
このブログをご覧になっている皆さまも、体調に気をつけてお過ごしください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書31章7-9節〈旧p1234〉
ヘブライ人への手紙7章23-28節〈新p409〉
マルコによる福音書10章46-52節〈新p83〉

説教「救いのクロス・ロード」

*祈り*

愛と慰め主なる神様。
幾度となく襲い来るコロナ・パンデミックの中で、そのたびに一喜一憂する中にあって、主よ、あなたの御心と愛とが揺らぐことのないことを私たちに教えてください。
あなたと一番長い時間を共に過ごし、一番多くの御言葉を受けた直弟子たちにすらあなたの十字架の道は理解されず、エルサレムへと向かう道のりは、あなたにとって孤独で、つらい道のりであった事だと思います。
しかしバルティマイのように自らを深く省み、最も弱さを抱えるところにこそ、あなたは私たちと深い関係を築いてくださいます。
私たちが抱えている重荷、苦しみ、欠けや弱さは一人ひとり違いますが、その全てを共に担ってくださるために、何よりも苦しい十字架の道をもって私たちに寄り添ってくださいました。
そして神様の前に置いても私たちがありのままの姿でいられるようにと、十字架によって私たちの罪を贖ってくださいました。
それゆえ、どうか私たちが自らの弱さに目を向けることが出来ない時、あなたに心の底からの叫びを上げられない時にこそ、私たちの心をあなたに向けさせてください。
日々重荷を抱えるなかに生きているその歩みこそが、キリストが歩まれた十字架の道であることを信じさせ、私たちにとって慰めと支えとなりますように。
このコロナ禍の中で、不安の中にある人、余裕をなくしている人がいれば、その人の心にあなたが寄り添ってください。
疲れている人、取り去ることのできない重荷を抱えている人には、あなたが共に歩んでいることを教えてください。
もし私たちの隣人にそのような人々がいるのであれば、必ず苦難の先には救いがあることを、祈りの中に互いに分かち合うことが出来ますように。


2021年10月22日金曜日

「さかなのクラフト」クラフト製作動画を作りました!

日本福音ルーテル教会・東教区には、次世代の育成を担う部門「NEXT」があります。
今年度はコロナ禍ということもあり、ルーテル教会の教会学校の教師たちの研修会をZOOM行っています。

これまでに研修会で紹介されたクラフト講座の動画は、Youtubeの東教区チャンネルJELC-EASTから視聴することができます。
どうぞご視聴ください。

先日の研修会で紹介されたクラフトの製作動画は下記からも視聴できます。
キリスト教のシンボルである「ぶどう」と「魚」を作るクラフトになっています。
どうぞご家庭でも作ってみてください。

*さかなのクラフト*


*ぶどうのクラフト*



その他にもいろんなクラフト製作動画をアップしました!
是非作ってみてくださいね。

*CSクラフト動画再生リスト*




また、Facebookではルーテル教会の牧師による毎週のCS説教や、
各教会の教会学校の様子も更新しています。

2021年10月21日木曜日

次回24日・聖霊降臨後第22主日礼拝の御案内。

次週2021年10月24日(日)は聖霊降臨後第22主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「救いのクロス・ロード」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
礼拝後に礼拝動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。 そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

──マルコ福音書10章46-52節

2021年10月20日水曜日

今週の黙想文(マタイ6:26)

空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
──マタイ福音書6章26節


† † †

神学校にいたとき、精神的に追い詰められた時期がありました。
その時ある先生に、「あなたはよく『~しなければならない』と口にするけれど、そのようなことは何一つありませんよ」と言われたことをいつも思い出しています。
幸いなことに日本では、仕事も人間関係も全て放り出したとしても生きていけます。
私たちが抱えているすべてのことは本来、自分の「したい」という選択から与えられているものなのです。
「しなければならない」と思うもの、「したい」と思うことを私たちからすべて取り除くと、最後に何が残るでしょうか。
そこにはありのままの私たち、神様に愛されている無力な幼子が残ります。
赤ん坊は何かが出来るから、何かをしているから偉いのではありません。
私たちが持ちえる技術や地位に関わらず神様は私たちを愛の眼差しで見ておられるのです。
そのことを本当に受け入れる時、後ろ向きな「しなければならない」が消え去るだけでなく、前向きな「しよう」に変わるのです。
(20211017週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年10月14日木曜日

次回17日・聖霊降臨後第21主日礼拝の御案内。

次週2021年10月17日(日)は聖霊降臨後第21主日の礼拝です。

坂本千歳牧師の説教
「天与の使命に生きたいのに……!」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
どうぞご自由にお越しください。

礼拝のライブ配信は一旦停止しています。
県内の新型コロナウイルス警戒レベルが4以上になったら再開いたします。
また、牧師休暇の為、今週の礼拝動画の配信はありません。
ご了承ください。

† † †

ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、 二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。 しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」 ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

──マルコ福音書10章35-45節

2021年10月13日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ4:39)

その町の多くのサマリア人は、
……女の言葉によって、イエスを信じた。
──ヨハネ福音書4章39節


† † †

自分が神様とどのような出会いを与えられたか、そして今、神様とどのような関係を持っているのか──自分の信仰について、言葉にしたことはあるでしょうか。
私も神学校に行くまでは具体的な言葉にしたことがありませんでした。
たとえ教会の中でも、そのような機会は多くないように感じます。
キリストに出会ったサマリアの女性は、神学に詳しかったわけでもなく、話術に長けていたわけでもありませんでした。
彼女はただ、自分に起こったキリストとの出会いを単純に語ったことで、さらに多くの人々をキリストに出会わせたのです。
ですから、私たちが信仰を語るのに、聖書について豊富な知識は必要ありません。
上手い言葉でなくてもいいのです。
大切なことは、私たち一人ひとりにとって自分と神様との関係をどのような言葉で言い表せるかということです。
その言葉がはっきりと見えたとき、私たちの信仰の形がハッキリ見えてくるでしょう。
またそれを分かち合う喜びや、信仰で結び合わされた友としての関係も、一層豊かになるのです。
(20211010週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年10月10日日曜日

聖霊降臨後第20主日礼拝。20211010

本日10月10日は、聖霊降臨後第20主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。


長野県内はコロナ陽性者も毎日数えるほどになり、第5波も無事乗り越えられたことに胸をなでおろしています。
10月に入るというのに、夏のような日差しと気温でした。
例年にない気候ではありますが、季節の変わり目を迎えています。
引続き体調にはお気をつけて過ごされますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
アモス書5章6-7,10-15節〈旧p1434〉
ヘブライ人への手紙4章12-16節〈新p405〉
マルコによる福音書10章17-31節〈新p81〉

説教「あなたの拠り所はどこにある」

*祈り*

永遠の命の源である神様。
あなたは私たちの誰一人、滅ぼすことを望まれなかったからこそ、キリストをこの世にお遣わしになりました。
イエス・キリストが人として私たちと共に生き、救い主として十字架におかかりになったことの中に、主よ、あなたの愛と赦しが示されていることを私たちは信じます。
私たちは生まれながらに罪深く、汚れに満ち、思いと言葉と行いによって多くの罪を犯すものです。
あなたを礼拝する度に私たちはそれを思い起こし、それを懺悔いたします。
しかし主よ、あなたはその罪さえも私たちをあなたへの信仰を強める糧として用いてくださいます。
私たちがあなたに従えない時、あなたへの信仰の弱さを目の当たりにする時にこそ、あなたは果てしない赦しをもって、何度でも私たちに御心に生きるようにと招いてくださいます。
十字架を背負って従い続けることの辛さを、キリストはご自身をもって体験されました。
それは、私たちが御心に生きようと願う時に妨げとなる罪の辛さを、共に担ってくださるためでした。
私たちが一人ひとり拠り所としているものを見つめる時、そこにあなたが生きておられることを覚えさせてください。
お金も、行為も、人間関係も、その中にあなたの愛と御心があるからこそ、誰かを救うために用いられるものです。
キリストを通してあなたの御心が顕されたように、私たち自身を清め、誰かにとってのキリストとして用いてください。


2021年10月7日木曜日

次回10日・聖霊降臨後第20主日礼拝の御案内。

次週2021年10月10日(日)は聖霊降臨後第20主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたの拠り所はどこにある」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
長野県全域で新型コロナウイルス警戒レベルが3以下となりましたので、今週からライブ配信は一時停止いたします。
礼拝後に礼拝動画を載せますので、どうぞご視聴ください。

† † †

イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」 弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。 イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」 ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。 イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、 今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

──マルコ福音書10章17-31節

2021年10月6日水曜日

今週の黙想文(エフェソ2:10)

神が前もって準備してくださった善い業のために、
キリスト・イエスにおいて造られたからです。
──エフェソの信徒への手紙2章10節

† † †

パウロはキリストの救いの目的について、私たちは「善い業」を行うために神様によって造られたと語っています。
それはつまり、私たち自身がこれまで誰かに対して「善い」振る舞いをしていなかったことを教えられることでもあります。
大変つらいことです。
聖書はそれを罪と呼びますが、その罪を私たちから取り除いてくださるために、キリストはやってこられました。
私たちの幸せは、どれだけ深い罪の中にあったとしても私たちが「善い業」のために造られたことを、神様だけは信じ続けてくださっているということです。
あなたが幸せであってほしいと誰よりも願っておられるのは、あなたを造った神様ご自身であるのです。
「善い業」といっても、何か難しいことや、特別なことをする必要はありません。
なによりもまず、やさしく、愛情をもつことから始まります。
毎日、あなたの一番近くにいる人に親切であることほど、大きな善いわざはないのです。

(20211003週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年10月3日日曜日

聖霊降臨後第19主日礼拝。20211003

本日10月3日は、聖霊降臨後第19主日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として行われました。

ライブ配信にてご参加いただいた方々にも感謝いたします。


台風一過で大変いい天気に恵まれた主日でした。
ただ10月に入るというのに夏日のように暑い日になりました。
寒暖の差も大きい季節です。皆様体調には気をつけて過ごされてください。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
創世記2章18-24節〈旧p3〉
ヘブライ人への手紙1章1-4節,2章5-13節〈新p401〉
マルコによる福音書10章2-16節〈新p81〉

説教「全ての出会いは神の配剤」

*祈り*

いのちの造り主なる神様。
あなたは主イエス・キリストを通して、私たちの心をあなたへと悔い改めさせてくださいます。
弟子たちが誰が一番偉いのかと論じていたように、私たちは誰よりも上に立ちたがったり、誰かを自分の思い通りにしたいという願いに駆られます。
それはまさにあなたがアダムとイヴを楽園から追放されたあの時から続く罪を私たちもまた受け継いでいるからです。
どうか私たちがその罪から悔い改めることができますように。
あなたが愛をもって人を完全なものとするために「助ける人」を造られたように、私たちが常に誰かとの関わりの中に生かされていること、そしてそのかかわりの中でこそ、わたしは誰かに、誰かはわたしのために、互いに助け合う存在として引き合わされていることを思い起こさせてください。
あなたが私たちにお与えになる出会いの全ては、あなたの御心のうちにあると信じさせてください。

2000年の時を経てなお、罪は私たちの世界を覆い続けています。
人が人を支配し、男女間だけではなく、人と人との間で上下の格差は留まるところ知りません。
そのなかで、一方的な痛みの中に置かれている人々もいます。
あるいは誰かの上に立ち、誰かを支配することに慣れてしまっている人々がいます。
どうか主よ、そのような人々一人ひとりの命が、他の多くの人々と同じく尊ばれるべきであること、あなたによって命を与えられなければ誰一人今日を生きられないことを、思い起こさせてください。
そのような悔い改めを通して、関わりを持つ全ての人々に対して、感謝と謙遜、愛と赦しに満ちた関わりへと押し出してくださいますように。
いつも生きて働かれるあなたの御姿を、一番近くで関わりを持つ人のうちに見ることが出来ますように、私たちの信仰の目を開いてください。
私たちにあなたがお与えになる全てのことに感謝をし、尊き主、イエスキリストの御名を通してこの祈りを御前にお捧げいたします。