2021年11月28日日曜日

待降節第1主日礼拝。【礼拝動画】

本日11月28日は、待降節第1主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。




長野教会ではクリスマスツリーなどの飾りつけをしました。
今週から待降節。
クリスマスに向けての備えを、御言葉と共にしてまいりたいと思います。

**本日の礼拝動画**

(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書33章14-16節〈旧p1241〉
テサロニケの信徒への手紙一 3章9-13節〈新p376〉
ルカによる福音書21章25-36節〈新p152〉

説教「終わりから始まりを見る」

*祈り*

御国の王であり、私たちの主なる神様。
あなたを堅く信じ、あなたの御許に召された人々を覚えて祈ります。
あなたがそのお一人お一人をキリストに出会わせ、信仰を支え、祈りに導き、地上の生涯の歩みを全うさせてくださったことをおぼえます。
どうか主よ、私たち一人ひとりにとって最もよい道を示してください。
その時々にあって必要な学びと出会いとを与え、謙虚さと悔い改めをもって私たちがそれを受け取ることが出来るようにしてください。
私たちがあなたによって救いを受け、主の兄弟姉妹として歩む中にあって、絶えずあなたの御言葉を通して生きる希望をいただきながら、他の誰かとそれを分かち合うことができますように。
主よ、あなたは一人ひとりに備えられた永遠の救いが、全ての人に受け取られ、一人も滅びることなく神の国へと入れられる日を願っておられます。
愛をもって御言葉を語り続けておられます。
その働きのために、私たち一人ひとりを清めて用いてください。
あなたの福音にこそ立たされ、励まされて生きる私たちの姿を通して、混迷するこの世の時代にあって、あなたの希望を証する者として私たちを立たせてください。
コロナウイルスが収まりつつある中にあってなお、世間では人が人を傷つけ、ついには命を奪ってしまう事件が相次いでいます。
誰もがストレスと思い煩いを抱え、そこから抜け出せなくなっています。
自分のことで精いっぱいになり、他の人に手を差し伸べる余裕を失っている人がたくさんいます。
どうかそのような苦しみを抱えている人々のところに、私たちを引き合わせてください。
あなたが遣わされたキリストを模範とし、私たちが共感と慰めをもって傷ついた誰かとの関わりを持つことが出来ますように。
もし私たちがそのような痛みを抱える時には、主の兄弟姉妹との関わりの中で、またあなたへの祈りにおいて、私たちの心を癒し、愛で満たしてくださいますように。


2021年11月27日土曜日

【再掲】11月28日18時~ ルターナイツinまつもとのご案内

11月28日(日)の18時から、
松本教会にてルターナイツ in まつもとが行われます!


今回のゲストは、関野和寛牧師!
ルーテル東京教会の牧師として14年間働いた後、コロナ禍の中渡米。
様々な場所から人々にゴッドブレスを届け続けてきた牧師です!
当日は「アメリカコロナ病棟で闘い続けた一年間」と題してトーク・ライブを行っていただきます!

今回はいつもと違い、開始時間が18時からとなっています!
ご注意下さい。

参加費は軽食込みで500円、事前申し込みは不要です。
新型コロナウイルス感染予防のため、従来のような食事の時は持ちません。

ご参加の際にはマスクをご着用ください。
また、体調がすぐれない方は、ご参加をご遠慮ください。
万一の場合のため、受付にて連絡先をお聞きします。ご了承ください。

皆様どうぞご参加ください。お待ちしています。

†会場の松本教会はこちらです†

2021年11月25日木曜日

次回28日・待降節第1主日礼拝の御案内。

次週2021年11月28日(日)は待降節第1主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「終わりから始まりを見る」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

† † †

「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。 人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」 それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。 葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。 はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。 その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。 しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

──ルカによる福音書21章25-36節

2021年11月24日水曜日

今週の黙想文(マルコ9:24)

「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
──マルコ福音書9章24節


† † †

キリストに息子から悪霊を追い出すように求めた人の話は、私たちに信仰と祈りについて教えてくれます。
父親はキリストに願っています。「おできになるなら…助けてください(9:22)」。
するとキリストは「信じる者には何でもできる。(23節)」と言葉を返されました。
父親はこの言葉によって自分の中に信仰がないことを明らかにされていくのです。
ここに、祈りが単なる「お願い」とは違うことが今日の箇所に表されています。
父親がキリストに願った息子の癒しは「お願い」に過ぎませんでした。
キリストが悪霊を追い出せるかどうか、心のどこかで疑っていたからです。
しかしその不信仰すらもキリストの前で認め、「信じる者には何でもできる」というキリストの言葉に委ねたとき、
彼の祈りは聞き届けられていくだけでなく、全き信仰をも与えられ、そこに神様の働きを見ることになったのです。
私たちに信仰が与えられる一つの道は、私たち自身の弱さに誠実に向き合うことです。
誰しも完璧でない部分を持っています。弱さを分かち合うことほど、人々の絆を深めるものはありません。
キリストが願い求めた神の国は、弱さを互いに分かち合い、支えあうところにこそ来たるのです。

(20211121週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年11月21日日曜日

聖霊降臨後最終主日礼拝。【礼拝動画】

本日11月21日は、聖霊降臨後最終主日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会は家庭礼拝として行われました。


松本教会ではこども祝福式礼拝としても守られました。


また、新しい転入者の方にも恵まれ、松本教会の一員として迎えられました。
主の御名によって連なる兄弟姉妹として、豊かな信仰生活と関わりとが与えられますように祈ります。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ダニエル書7章9-10,13-14節〈旧p1392〉 
ヨハネの黙示録1章4b-8節〈新p452〉 
ヨハネによる福音書18章33-37節〈新p205〉

説教「真理とは、あなただ」

*祈り*

揺らぐことのない真理の主なる神様。
あなたは地上の生涯の中で、公然と御言葉を語られました。
そのことによって、死の影の谷に沈んだ人々に差し込む光のように、多くの人々が癒しと恵みを受けました。
そして今もなお、あなたは永遠の御言葉をもって、全ての人々を導いておられます。
わたしたちのうちから争いや断絶を生み出す罪を一つ残らず取り除き、全ての人が御国へと招かれるようにと願っておられます。
主よ、どうかその幸いを私たちが心に留めることができるようにしてください。
いつでも悔い改めをもって御言葉に聞く者としてください。
わたしたちのうちに、もし誰かとの関わりに不和を抱えている人、負い目を抱えている人、あるいは誰かに傷つけられたり、支配されていると感じている人がいたら、どうか主よ、そのお一人お一人に寄り添ってくださり、その傷を癒してください。
揺らぐことのない真理に私たちを立たせ、自分の敵と思う人のためにさえ祈りを捧げることが出来ますように。

私たちのいのちは儚く、いつあなたの御許に召されるかは、あなただけがご存知です。
先日あなたの御許に一人の信徒が召されました。
多くの病を抱えながら、まさにあなたの愛に立ち、人と関わり、あなたの御言葉にいつも親しむ生涯を送られた方でありました。
どうか主よ、御国において、かの兄弟の魂が安らぎの中にあり、復活と永遠の命を与えられることを信じます。
そして地上に残された奥様と、そのご家族の方々を、慰めの中に保ってください。
あなたの御国は、地上のいのちに生きる私たちにとって揺らぐことのない希望です。
あなたへの真理と信仰によって立たされた私たちを、どうかあなたの栄光を顕すものとして最後まで用いてくださいますように。
既に天に召された信仰の先達者の方々のお姿を仰ぎ見ながら、わたしたちもまた力づけられて、悔い改めをもって今週一週間を歩みだすことが出来ますように。


2021年11月18日木曜日

次回21日・聖霊降臨後最終主日礼拝の御案内。

次週2021年11月21日(日)は聖霊降臨後最終主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「真理とは、あなただ」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では家庭礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。


† † †

そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。 イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」 ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」 イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」 そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」 ピラトは言った。「真理とは何か。」

──ヨハネによる福音書18章33-37節

2021年11月17日水曜日

今週の黙想文(1コリ15:1)

これは、あなたがたが受け入れ、
生活のよりどころとしている福音にほかなりません。
──コリントの信徒への手紙 一 15章1節


† † †

パウロは人々にとってキリストの復活こそが福音の要であると言います。
「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」とさえ言うのです。
なぜなら、たとえキリストの十字架によって神の前に全ての罪が赦されたとしても、復活が無ければ、その救いの喜びは私たちが地上のいのちに生きている数十年足らずで再び失われてしまうからです。
私たちのいのちの向かう先が悲しみと喪失しかないとするなら、誰が希望をもって人生を歩めるでしょうか。
それゆえ、十字架と復活は一つのものです。
キリストがわたしたちの罪の赦しのために十字架にかかって死んだだけではなく、神様によって復活させられたからこそ、私たちも死の先に復活と永遠のいのちが与えられているという希望を見出すことができるのです。
そしてその希望のゆえに、キリスト者である私たちは日々の生き方においてもキリストに倣う者として召されているのです。

(20211114週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年11月14日日曜日

聖霊降臨後第25主日礼拝。【礼拝動画】

本日11月14日は、聖霊降臨後第25主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。


いよいよ今週と来週で教会の暦の一年が終わります。
終末を取り扱う日課から、私たちがどのように歩むことを勧められているかに耳を傾けました。
県内は連続してコロナ陽性者が0人を記録しており、このまま落ち着いた時が続くことを祈るばかりです。
昨日は松本教会の方ではミニバザーも無事行われました。
コロナとうまく付き合っていくための距離を見出し、その中で教会が一歩ずつでも前進していけるようにと願います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ダニエル書12章1-3節〈旧p1401〉
ヘブライ人への手紙10章11-25節〈新p413〉
マルコによる福音書13章1-8節〈新p88〉

説教「たとえ世界が明日終わろうとも」

*祈り*

御国の主なる神様。
私たちの生きる現実の中には、様々な争いや苦難が起こります。
それは私たち一人ひとりに降りかかる病や苦しみであったり、あるいは世界の多くの人々が経験する苦難や天変地異であるかもしれません。
しかしそれらのことを通して私たちのいのち、私たちの世界が終わりに近づいていると浮足立つのではなく、今日この日にしっかりと立つことが出来る信仰をお与えください。
朝、あなたに心を向けて祈りを捧げ、愛と励ましをもって関わり合い、互いに支えあい、あなたへの感謝をもって夜眠りにつく、そのような信仰に生きる一日を積み重ねることが出来るようにしてください。
天地が滅びても揺らぐことのないあなたの御言葉によって私たちを励まし、御国における永遠のいのちへと私たちを生かしてください。
日々の中に起こるあらゆる不安に慌てることがないように、デマや根拠のないうわさに惑わされることのないように、私たちに知恵と力とを与えてください。
聖書は神は愛であると証しています。
私たちに恐れと強制ではなく、尊重と自由をもって臨んでくださる愛の神様であることを基準にして、私たちが全てのみ言葉を受け取ることが出来ますように。
このコロナ禍の中で浮き彫りにされてきたのは、ただウイルスによる病の苦しみだけではなく、私たちの弱さと罪の姿であったことを思い起こします。
誰かを差別し排除する姿や、余裕を奪われ、立場の弱い者を一方的に傷つけあう姿が、悲しい事件として引き起こされてきました。
一歩間違えれば互いに滅ぼしあってしまう罪を私たちが抱えていることをおぼえ、悔い改めさせてください。
そして私たちがあなたへの信仰に生きる姿と愛の関わりとを通して、一人でも多くの人々が平安と慰めを与えられ、この苦難の時を乗り越えることが出来ますように導いてください。


2021年11月11日木曜日

次回14日・聖霊降臨後第25主日礼拝の御案内。

次週2021年11月14日(日)は聖霊降臨後第25主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「たとえ世界が明日終わろうとも」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

† † †

イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」 イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。 「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」 イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。

──マルコ福音書13章1-8節

2021年11月10日水曜日

今週の黙想文(マルコ13:37)

目を覚ましていなさい。
──マルコ福音書13章37節


† † †

どうしても眠気に苛まれるとき、私たちはどうしますか。
珈琲を飲んだり、身体を動かしてみたりしても、しばらくすると再び眠気に襲われるのではないでしょうか。
これを改善するためには、無理をせずしっかり休むしかありません。
「目を覚ましていなさい」とキリストは繰り返し弟子たちに告げています。
ゲッセマネの園で「心は燃えても、肉体は弱い。(14:38)」と言われたように、私たちの信仰も抗うことのできない罪の眠りに誘われることがあることを、キリストはご存知でした。
キリストは私たちにたゆまずキリストの愛に生きることを求めておられますが、
その「目を覚ましている」ためには、愛のわざに生きるだけではなく、神の許で休息を得、信仰と力を蓄えることも大切であるというメッセージもここには含まれているのです。
ルカ福音書では大きな出来事が起こる前にキリストは必ず祈りの時を持っています。
私たちも一日の終わり、また週の始まりには御言葉に聴き祈る時を通して、心身ともに「目を覚まして」日々を歩んでまいりたいものです。
(20211107週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年11月8日月曜日

牧師エッセイ(2021年11月)

神戸市にある「小さないのちのドア」をご存知でしょうか。
思いがけない妊娠や、子育てに孤独や困難を抱える女性のために、24時間365日相談に応じる施設です。
この働きは「マナ助産院」の院長でもある永原郁子さんという助産師の方が「女性たちの拠り所となる」という理念から助産院に対面型の相談窓口を開設したことから始まりました。
開設して一年で相談件数は1500件近くあったと言います。
住む家もなく、パートナーとは音信不通、実家も関係性や経済困窮によって孤立している人々など、こんなにも多くの女性が社会の闇に留められている現実が、この日本にもあると知り、驚きました。
現在では相談窓口だけではなく、出産前後の生活から自立まで支援するマタニティホーム「Musubi」を全国で初めて設立し、サポートを受けながら子供を産むと選択した人、特別養子縁組で育ての親に預けると決断した人のエピソードをまとめた本『小さないのちのドアを開けて』も出版されました。

2019年のインタビューに永原さんはこのように答えています。
「これはクリスチャンの働きだと思います。神様と養子縁組をしている私たちから冷たい社会を変えていかなければ。イエス様が、『この小さないのちをどうするのだ?』と、聞いておられるのですから」。

洗礼を受けると、私たちは神様の子とされます。
それは、神様が私たち人間をどのように愛しておられるのかということを端的に表しています。
ひとりひとりの命を尊ぶ神様の愛が、キリストの福音には込められているのです。
私たちもまた隣人に関わる時、永原さんが聞いたこのイエス様の問いを思い返したいものです。

2021年11月7日日曜日

全聖徒主日礼拝。【礼拝動画】

本日11月7日は、全聖徒主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。


長野教会の庭の桜が見事に紅葉し、冬の足音が聞こえてきました。
県内でのコロナは落ち着いていますが、例年のように関東から巡回説教者の方をお呼びすることが叶わないため、松本・長野同時通信による礼拝として守られました。
両教会に連なる召天者の方々を思い起こし、信仰の先達者としての姿に倣って私たちも歩めればと思います。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書25章6-9節〈旧p1098〉
ヨハネの黙示録21章1-6a節〈新p477〉
ヨハネによる福音書11章32-44節〈新p189〉

説教「あなたのために涙を流す神」

*祈り*

魂の慰め主なる神様。
私たちは今日、先んじてあなたの御許に召された多くの召天者の方々を思い起こす祈りの時を持っています。
あなたは私たちにいつも救いの御言葉を備えてくださっています。
そこには、私たちの地上のいのちが終わった後のことだけではなく、今私たちが生きるただ中にあって、苦しみ悩むとき、悲しみの中にあるときには、あなたが確かに私たちの心に寄り添ってくださり、共に涙を流してくださるという慰めが証されています。
あなたが今なお私たちの間に生きておられ、御言葉を私たちに語り掛けてくださっていることを信じさせてください。
また、これからこの長野教会・松本教会に連なり、あなたの御心に適って生涯を歩み通された方々一人ひとりを覚えて祈ります。
主よ、私たちは全ての信仰の先達者の方々を思い起こし、その信仰を模範とします。
あなたの御言葉に従って歩む私たちを力づけてください。
あなたの御許に召された一人ひとりがあなたによって罪を贖われ、主の御許において御心に適う者とされている幸いをおぼえます。
どうか私たちもまたあなたと共に永遠のいのちにあずかり、主のみ心に生きる者として復活のいのちに与れるように、私たちの信仰を整え、増し加えてください。
そして、祈りを共にしておられるご遺族の方々をも顧み、その心を慰めに満たしてくださいますように。
あなたの愛と慈しみは尽きることがありません。
私たちがいつもあなたの御前に生きることができますように。
これからも悔い改めと感謝をもって、あなたの御言葉に聞く者として私たちを立ててください。
わたしたちのすべての歩みをあなたの御心に委ねます。


2021年11月4日木曜日

次回11月7日・全聖徒主日礼拝の御案内

次週2021年11月7日(日)は全聖徒主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたのために涙を流す神」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
召天者の方々を思い起こす礼拝です。
召天者のお写真をお持ちください。
どうぞご自由にお越しください。


† † †

マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。 イエスは涙を流された。 ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。 しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。 イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。 人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。 わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」 こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。 すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。

──ヨハネによる福音書11章32-44節

2021年11月3日水曜日

今週の黙想文(創32:27)

「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
──創世記32章27節


† † †

ヤコブが神と格闘した際の言葉にふと目が留まりました。
彼が故郷に戻るのを遮る神は、戦いの半ばで去ろうとします。
しかしヤコブには相手が神であるとわかっていたからこそ、それを止めようと取りすがるのです。
単に神と戦って神を退けるということは、彼にとって神は必要ないということになってしまうからです。
ヤコブはまっとうな生き方をしてきた人物ではありません。
兄弟をだまし、家督を奪い、故郷から逃げ出し、その先でも人を欺く歩みをしてきました。
しかしそのようなヤコブにすら、神は取りすがる余地を与えてくださったのです。
私たちの人生においても、希望の見えない闇夜が訪れることがあるかもしれません。
しかしその時にこそ、私たちはヤコブのように神と格闘し、神を求めることを聖書は教えるのです。
そこにこそ、死という逃れえない絶望の闇夜に復活と永遠のいのちという祝福の光を射してくださるキリストが、力強い御手をもって、私たちに迫ってくださるのです。
(20211031週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。