2021年12月30日木曜日

次回2022年1月2日・主の顕現日の礼拝案内

次週2022年1月2日(日)は主の顕現日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「クリスマスはまだ終わらない」

と題して、
松本教会では主日礼拝として 10時半から礼拝が行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
長野教会は家庭礼拝のため、礼拝堂は閉じています。ご了承ください。


† † †

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

──マタイ福音書2章1-12節

2021年12月29日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ1:16)

わたしたちは皆、
この方の満ちあふれる豊かさの中から、
恵みの上に、更に恵みを受けた。
──ヨハネ福音書1章16節


† † †

洗礼者ヨハネはキリストのことを、恵みをお与えになる方と言います。
しかも恵みを増し加える方だというのです。
ヨハネという人を客観的に見れば、あくまでキリストの前備えでしかない立場、弟子は離れ、最期にはヘロデ王に逮捕され無実の罪で殺されてしまったりと、ろくな人生ではありません。
それでも彼はイエスから恵みを受けたと言うのです。
いよいよ今年も終わりが近づいてきました。
この一年を振り返ってみると、私たちにとって、これはよかったと思うことと、大変だったこと、どちらが多く思い起こされるでしょうか。
もしかしたら大変な思いばかりが思い出されるかもしれません。
しかしそれでも全てが神様の守りと導きの中にあると、恵みなのだとヨハネは証しているように、私たちもまた、神様が何故その出来事を私たちにお与えになったのかを改めて考えてみたいのです。
それを通して、更に恵み深い来年へと歩みだしてまいりたいものです。

(20211226週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年12月26日日曜日

降誕節第1主日礼拝【礼拝動画】20211226

本日12月26日は、降誕節第1主日礼拝でした。
10時半より、長野教会では主日礼拝として、松本教会では通信礼拝として行われました。


長野からの帰り道は大雪で、大変な混み様でした。
松本に向かって山を越えると雪はパッと止みましたが、今年は雪の多い冬になりそうです。
コロナもじわじわと下振れのまま、今年最後の主日礼拝を無事に守ることが出来ました。
皆様健康に気をつけつつ、よいお年をお迎えください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
サムエル記上2章18-20、26節〈旧p431〉
コロサイの信徒への手紙3章12-17節〈新p371〉
ルカによる福音書2章41-52節〈新p104〉

説教「神の家とはどこか」

*祈り*

絶えざる救いの御手なる神様。
今年も一年が終わりを迎えようとしています。
今年一年をあなたの見守りの中に過ごせましたこと、感謝いたします。
私たちの歩みの中で、平安なときがあり、また荒波に揉まれる時もあります。
しかしその中にあって、あなたは私たちと共にあることは当然のことだと証してくださいます。
その力強い御言葉にこそ励まされ、立たされて日々を過ごすことが出来ますように。
わたしたちの救いのためにお生まれになった主イエス・キリストを通して、あなたはその御心と御業とを私たちに示してくださいます。
わたしたちが毎日新しい命をあなたから与えられて目覚め、またあなたの御許に召されるその日まで、あなたの導きの中にあることをおぼえさせてください。
私たちの日々の中に、ぬぐいがたく不安や悲しみ、寂しさや焦りが募る時があります。
しかしそのような時にこそ、主よ、あなたを祈り求めることが出来ますように。
その時、あなたは子である私たちを探し求める父となり、愛をもって私たちを迎えてくださいます。
その平安と希望に立たされて、一日一日を歩んでいくことが出来ますように。

未だ明けることのないコロナ禍のなか、様々な病を抱えている人がいます。
そのお一人お一人に、あなたが癒しの御手を差し伸べてください。
大きな疲れの中にある人には、十分な休息が与えられますように。
今なお忙しさの中にある人には励ましを与え、寂しさと悲しみの中にある人には慰めをお与えください。
そして私たちが喜びの時にある時には、あなたも共にあって喜び、その時を祝福の中に守ってくださいますように。
今日ここに集うことのできなかった人々、時間と場所は違えど、祈りを合わせている人々がいます。
どうか一人ひとりの信仰を通して、あなたが共にあって支えてくださいますように。
この一年を感謝と共に終え、また新しい一年に向かって、希望をもってあなたと共に歩みだすことが出来ますように。


2021年12月24日金曜日

クリスマスイヴ・キャンドルサービス【礼拝動画】20211224

クリスマスおめでとうございます。
本日12月24日は、降誕祭前夜燭火礼拝(クリスマスイヴ・キャンドルサービス)の礼拝でした。
長野教会では10時半から、松本教会で18時から、行われました。

長野教会にて

松本教会にて


両教会ともに、新しい方、久しぶりにお会いできた方とクリスマスの喜びを分かち合うことができました。
また、長野教会ではクリスマスに引続き、1年ぶりにお会いした方の聖餐も恵み深く分かち合うことが出来ました。
コロナ禍が落ち着いている今、安心して福音に与り、また力づけられて明日からの日々を歩みだしていければと思います。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ルカによる福音書2章1-20節

説教「イエスを迎え入れる」

*祈り*

わたしたちの救いの主なる神様。
あなたは私たちの罪をすべてご存知です。
その深い暗闇を私たちから取り去ってくださるために、あなたは最も深い暗闇の中、人々の罪のただ中に、お生まれになりました。
それゆえ、あなたは私たちが罪の暗闇の中にあってなお、救いの光として、揺らぐことなく私たちを照らしてくださいます。
どうか私たちがあなたの歩みと関わりの一つひとつを心に留め、その道に従って歩むことが出来ますように。
あなたが地上の生涯の中で、人々から分断され、孤独と苦しみの中にある人々に寄り添われたように、私たちもまた、そのような苦しみの中にある人のために心を寄せ、祈ります。
私たちの手の届かないところにいる一人ひとりにも、あなたがその救いの御手を伸ばし、その福音を届けてください。

このコロナ禍の中、罪のゆえに、余裕をなくし、不安と焦りの中にある人がいます。
誰にも助けを求められず、苦しみの中に留められている人がいます。
疎遠になり、孤独と寂しさを抱えて過ごしている人もいます。
あなたがそうであったように、わたしたちもそのような人々の心に深く寄り添うことができますように。
赦しをもって関わりあい、喜びと慰めを分かち合い、互いに心と言葉で支えあうことができますように。
そしてその関わりの真ん中にこそあなたが立ってくださり、私たち一人ひとりをその御名によって繋ぎとめてください。


次回26日・降誕節第1主日礼拝の御案内。

次週2021年12月26日(日)は降誕節第1主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「神の家とはどこか」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

† † †

さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、 見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」 すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。 2:52 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

──ルカ福音書2章41-52節

2021年12月22日水曜日

【再掲】長野教会クリスマス・イヴ礼拝の御案内

 長野教会・12月のクリスマス礼拝のお知らせです。



★クリスマスイヴ礼拝★
12月24日(金) 10時30分~11時30分
ロウソクの灯火に照らされながら
クリスマスをお祝いしましょう!

どうぞどなたでもお越しください。
お待ちしています。

==お問い合わせ==
日本福音ルーテル長野教会
(上松4-29-7 ℡026-241-4006)

†会場の長野教会はこちら†
長野駅からアルピコ交通で「湯谷南」下車、徒歩2分です。


【再掲】松本教会クリスマス・イヴ礼拝の御案内

 松本教会、12月のクリスマスイベントのお知らせです!





★クリスマス・イヴ礼拝★
12月24日(金)18時~19時
ロウソクの灯火に照らされながら
クリスマスをお祝いしましょう!

==問い合わせ・申し込み==
日本福音ルーテル松本教会まで
(宮渕1-4-9 ℡0263-33-5242)


†会場の松本教会はこちらです†


2021年12月19日日曜日

主の降誕(クリスマス)主日礼拝。【礼拝動画】

クリスマスおめでとうございます。
本日12月19日は、主の降誕(クリスマス)主日の礼拝でした。
長野教会で10時半から、松本教会で15時から、 両教会聖餐礼拝として行われました。



主の御降誕の喜びと共に、県内のコロナの状況も落ち着きを取り戻しているため、両教会が久しぶりの聖餐に与れたことに感謝します。
両教会で初めての方々もお見えになり、多くの人々とクリスマスの喜びを分かち合えたこともまた喜ばしいことでした。
それぞれの場所で御言葉に聴き、祈りを合わせているお一人おひとりの上にも、主の救いの喜びが与えられますように。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書52章7-10節〈旧p1148〉
ヘブライ人への手紙1章1-12節〈新p401〉
ヨハネによる福音書1章1-14節〈新p163〉

説教「生きる神の言(ことば)」

*祈り*

救いの源である主なる神様。
刻一刻と変わり続ける日々の中で、今日まであなたが私たちを導き、守ってくださったことを感謝いたします。
昨年とは違い、引続きコロナ禍にありつつも安心してあなたの御言葉に聴き、また聖餐の恵みにも与ることが出来ました。
この世の有様は、何処を見てもあなたの御心に適ったものが見当たらないかのように見える時があります。
しかしそれでもなお主よ、あなたは私たちと共に生き、あなたがお与えになったまことのいのちに向けて、私たちを招き続けておられます。
私たちの日々の中に起こる様々な出来事を通して、時に私たちに問いかけ、私たちに悔い改めを与え、あなたの御業の一端を示してくださっています。
そこにこそ、どれだけ私たちが罪の中にあろうとも、救いへと導く努力を惜しむことのない、あなたの愛があることに気付かせてください。
そしてその最も明らかなものの一つとして、御子イエス・キリストがお生まれになったという恵みを、私たち一人ひとりが喜びをもって受け取ることが出来ますように。
「世は言を認めなかった」とヨハネは証します。
私たちは認められることがなければ、生きていくことさえできません。しかしあなたは、十字架においてそれを経験し、復活によって乗り越えられました。
主よ、今日この世において、深い孤独の中にある人、人との関わりが断たれてしまっている人、自分の思いに閉じこもり、隣人に心を注ぐことが出来なくなっている人々のために、祈らせてください。
なによりも最も深い断絶の中に追いやられたあなたが、そのような人々の心に寄り添っておられることを、宣べ伝えさせてください。
私たちが決して一人ではなく、あなたの御名を信じる人々の群れに繋げられている幸いをおぼえ、私たち一人ひとりの支えとすることが出来ますように。
わたしたちのいのちが極めて良いものとしてあなたに造られたこと、イエスキリストにおいてわたしたちをいつも愛のうちに見つめ、救いへと導いておられるという福音を、み言葉を聞く一人ひとりの心に、届けてくださいますように。


2021年12月16日木曜日

次回19日・降誕祭(クリスマス)礼拝の御案内。

次週2021年12月19日(日)は降誕祭(クリスマス)主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「生きる神の言(ことば)」

と題して、
松本教会は15時から、長野教会は10時半から、
聖餐礼拝として行われます。
どうぞご自由にお越しください。

† † †

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

──ヨハネ福音書1章1-14節

2021年12月12日日曜日

待降節第3主日礼拝。【礼拝動画】

本日12月12日は、待降節第3主日の礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として行われました。



いよいよ来週19日はクリスマス礼拝となります。
ペンテコステ(聖霊降臨祭)以来の聖餐礼拝を予定しています。
キリストの誕生の喜びを皆さまと共に分かち合えることを願っています。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ゼファニヤ書3章14-20節〈旧p1474〉
フィリピの信徒への手紙4章4-7節〈新p366〉
ルカによる福音書3章7-18節〈新p105〉

説教「心が変わる、世界が変わる」

*祈り*

恵みの主なる神様。
あなたは私たち一人ひとりをお救いになるだけではなく、この世界の全てを御心に適うようにと導いてくださっています。
その道のりは私たちの想像もつかないほどに果てしないものですが、2000年の時を超えてなお全ての人々が救いに与るようにと、あなたは耐え忍んでおられます。
主よ、あなたがイエス・キリストを通してお示しになられた救いを、私たち一人ひとりが心に刻むことが出来ますように。
そのために、私たちが自分自身の内にある罪の有様に目を向け、悔い改めることが出来るよう、勇気をお与えください。

 このコロナ禍において生きる一人ひとりの心は荒れ果て、共に生きる隣人に心を注ぐことが出来なくなっている人々が多くいます。
私たちもまた、時には罪の中に陥り、自分のことばかりに心が向かってしまうことがあります。

イエス・キリストにおいてあなたが示された愛の一つは、深い共感の心でした。
孤独と痛みの中にある人々に、はらわたがよじれるほどの深い憐れみをもって、キリストは関わっていかれました。
どうか私たちもまたそのような深い愛と共感によって、互いに関わりを持つことが出来ますように。
余裕をなくし、自分のことしか考えられなくなっている人々に寄り添い、救いを求める誰かの小さなキリストとして、私たちを立たせ、神の国の前進のために用いてください。
そのために私たちの心をいつもあなたに向けることが出来ますように。

主よ、御言葉を聞く者として、祈りを一つにします。
今日ここに集うことが出来なかった人々、それぞれの場所、それぞれの時間においてあなたの御言葉を聞き、祈りを合わせている人々がいます。
どうかその一人ひとりの心に、あなたの救いの喜びを満たしてください。
あなたがお生まれになるその日をお祝いするために必要な備えとして、絶えず悔い改めの機会をお与えくださいますように。


2021年12月9日木曜日

松本教会こどもクリスマス・クリスマス礼拝の御案内。

松本教会、12月のクリスマスイベントのお知らせです!



★こどもクリスマス★
12月18日(土)13時~15時
 キャンドルサービスのほかにも、
クラフトづくりやプレゼントもあります!
参加費:無料!
※12月15日(水)締め切り・要申込

★クリスマス礼拝★
12月19日(日)15時~16時30分
※例年とは開始時間が違います!
ご注意ください。

★クリスマス・イヴ礼拝★
12月24日(金)18時~19時
ロウソクの灯火に照らされながら
クリスマスをお祝いしましょう!

こどもクリスマスにご参加の方は、要予約です
問い合わせ、お申し込みは以下にお願いいたします。

==問い合わせ・申し込み==
日本福音ルーテル松本教会まで
(宮渕1-4-9 ℡0263-33-5242)


†会場の松本教会はこちらです†


長野教会・12月クリスマス礼拝の御案内

長野教会・12月のクリスマス礼拝のお知らせです。



★クリスマス礼拝★
12月19日(日) 10時30分~12時

★クリスマスイヴ礼拝★
12月24日(金) 10時30分~11時30分
ロウソクの灯火に照らされながら
クリスマスをお祝いしましょう!

どうぞどなたでもお越しください。
お待ちしています。

==お問い合わせ==
日本福音ルーテル長野教会
(上松4-29-7 ℡026-241-4006)

†会場の長野教会はこちら†
長野駅からアルピコ交通で「湯谷南」下車、徒歩2分です。


次回12日・待降節第3主日礼拝の御案内。

次週2021年12月12日(日)は待降節第3主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「心が変わる、世界が変わる」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。

† † †

そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。 ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。 徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。 ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。 兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。 そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

──ルカ福音書3章7-18節

2021年12月8日水曜日

今週の黙想文(ルカ1:30)

「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。」
──ルカ福音書1章30節


† † †

天使が告げた受胎告知の言葉と裏腹に、マリアの心境はこの先の不安でいっぱいだったでしょう。
ましてやお腹の子どもは夫ヨセフの子ではありませんでした。
このことが明るみになれば、マリアは石打ちの刑で殺されていたかもしれません。
マリアがここで生きるか死ぬかの窮地に陥っているにもかかわらず、それでも天使は「恵みをいただいた」と告げるのです。
私たちの世界が、人が人を一方的に断罪し、自らの正義をもって一方的に傷つけ、ついには殺してしまうような世界であることを、罪に満ちた世界であることを、キリストはその生涯を通して私たちに教えられました。
だからこそ、『あなたはこんな世の中でいいと思うか?』という神様からの永遠の問いが、ここにあるのです。
キリストが教えられたように、私たちの手が他の誰かを傷つけ殺すためではなく、支え助けるために用いられるとき、マリアにとっての受胎もまた、社会的な危機としてではなく、神様からの「恵み」として受け取られていく、そういう世界に神様は導こうとしておられるのです。
だからこそ私たちに与えられる救いとは、この世にあってキリストという生きる指針を与えられることから始まるのです。
 
(20211205週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年12月6日月曜日

牧師エッセイ(2021年12月)

実は、イエス・キリストの誕生日が正確に何月何日だったか、ということは今でもわかりません。
キリストの活動期間は3年程度でしたし、キリストの十字架の後はクリスチャンも長く迫害されたからです。
ですから、その中で最も重要であったのはキリストの誕生日の日付ではなく、キリストが私たちを救うためにこの世に生まれたということであったのです。

キリスト教が迫害を抜け、今のように世界三大宗教となる転換点となったのは、強大なローマ帝国がキリスト教を国教とした時からです。
当時のローマ帝国にはミトラ教という太陽神を奉る宗教があり、最も日が短くなる冬至に、これから太陽神が再び生まれる(だんだん昼が長くなっていく)ことを祝うお祭りをしていました。
クリスチャンたちもこのお祭りに参加していたそうです。
もちろんそこでも彼らは自分たちの信じる神様──イエス・キリストについて、救いの体験を語ったことでしょう。
「太陽は私たちに光を注ぎ、大地の恵みを与える。キリストもまたそれと同じように私たちの心に光を注ぎ、私たちを新しいいのちへと生かしてくださるお方なのだ」と、合わせてお祝いをしていた姿が見えてくるかもしれません。

こうして国教となったキリスト教に対し、ミトラ教は衰退し、太陽神の誕生日であった12月25日がイエス・キリストの誕生日となった、という説があります。
これでは12月25日のクリスマスは後付けではないかと思われるかもしれません。
しかしここで大事なのは、正確な日付ではなく、私たちがイエス・キリストの誕生を喜んでお祝いするという日があることが大切なのです。

そもそもキリスト教で日曜日が「主日」と呼ばれているのは、元々はキリストの復活、二度目の誕生日を祝うための日だからです。
主日のたびにみ言葉を通して私たちをも新しいいのちに生かしてくださる、そういう神様(=主)イエス・キリストが、この世にお生まれになったというお祝いの日、主日の一つとして、12月25日のクリスマスが定められていったのです。



2021年12月5日日曜日

待降節第2主日礼拝。【礼拝動画】

本日12月5日は、待降節第2主日の礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として行われました。



松本教会でもクリスマスツリーなどの飾りつけをしました。
ご協力ありがとうございました。





いよいよクリスマスが近づいてきました。
長野教会・松本教会のクリスマスチラシを作成しました。
今年度の松本教会のクリスマス主日礼拝(19日)は例年と時間が違います。
15時から開始となります。ご注意ください。
後日改めて告知いたします。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
マラキ書3章1-4節〈旧p1499〉
フィリピの信徒への手紙1章3-11節〈新p361〉
ルカによる福音書3章1-6節〈新p105〉

説教「曲がりくねった直線」

*祈り*

愛と導きの主なる神様。
私たちが生きる世の中、私たち一人ひとりの歩みには、迷いと不安が尽きることがありません。
特に私たちが誰かと関わりを持つ時には尚更のことです。
私たちのうちには拭い去ることのできない罪があります。
それがわたしたちをあなたの愛から遠ざけ、罪を犯させ、時には誰かを傷つけることさえあります。
混迷する世の中で、人が人を思いやることのできない事件が数多く起きています。
余裕をなくし、自分のことばかりに目が向いてしまう人が多くいます。
またそれは、私たち一人ひとりにおいても起きてくることかもしれません。
主よ、どうかどのような時にも悔い改めをもって私たち一人ひとりが、自分を振り返ることが出来ますように。
もし私たちが誰かとの関係に不和を抱えているとしたら、その関係を修復し、誤解を解き、愛に満ちた関係に生きることが出来るように、私たちの道を示してください。
そして何よりも、主イエス・キリストが私たちと共に今なお生きておられ、聖書のみ言葉を通して私たちに寄り添い、支え導いておられることを信じます。
いつでもあなたの御言葉にこそ私たちが耳を傾けることができますように。
今日、様々な事情から教会に来ることのできない方々のことをおぼえます。
終わりの見えないコロナ禍によって施設から外出することが出来ない人の上にもあなたの豊かな祝福と日々の喜びとが与えられますように。
病の中で治療をされている方には、あなたによる癒しが与えられますように。
また心に重荷を抱えている人、今日ここに集うことのできなくとも、様々な手段を通じて祈りを合わせているすべての人々の信仰を強めてください。
明日からの日々においてもあなたが共におられることを心に留めて過ごすことが出来ますように。
私たちの全ての歩みをあなたの御心に委ねます。


2021年12月2日木曜日

次回12月5日・待降節第2主日礼拝の御案内。

次週2021年12月5日(日)は待降節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「曲がりくねった直線」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として、
10時半から礼拝が行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。


† † †

皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、 アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。 そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。 谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

──ルカによる福音書3章1-6節

2021年12月1日水曜日

今週の黙想文(マタイ21:5)

『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる。』
──マタイによる福音書21章5節


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ロバに乗ってエルサレムに入られたイエス・キリストは、群衆たちの「ホサナ」という歓呼の声に包まれました。
いよいよ今週から教会暦が新しくなり、待降節に入りました。
キリストを待ち望む季節としての歩みが始まります。
私たちはキリストがこの世に来られたクリスマスに対しては「おめでとうございます」と祝いと喜びをもって迎えることが出来ますが、この世の終わりに再びやってくる再臨のキリストに対してはどうでしょうか。
群衆たちはキリストをホサナと喜んで迎えましたが、その果てには「十字架につけろ」と叫ぶことになりました。
私たちが終末を迎える時、神様の御前に喜んで立つことが出来るのか、それとも自らの罪を悔い改めなかったことを後悔するかは、御言葉を聞く今日のわたしたちにかかっています。
キリストの十字架の赦しは、私たちへの先行する救いです。
もし私たちが、赦されているのだから悔いる必要がないと思ってしまうなら、自らの願った救いを得られなかったがために十字架につけた群衆たちと同じ罪を背負うことになるのです。
キリストが来られるとき、ホサナ──「主よ、救ってください」と喜びの声を上げられるように信仰生活を歩みたいものです。

(20211128週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。