2022年12月29日木曜日

次回2023年1月1日・元旦礼拝のご案内

次週2023年1月1日(日)は元旦・降誕節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「『はい』と『よし』の一年へ」

と題して、
松本教会では主日礼拝として14時から
長野教会では家庭礼拝として、行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

──マタイによる福音書2章13-23節

2022年12月28日水曜日

今週の黙想文(使20:35)

受けるよりは与える方が幸いである
──使徒言行録20章35節


† † †

キリストは多くの言葉を語られましたが、福音書だけではなく、パウロによって伝えられているキリストの言葉もあります。
その一つが、今日のキリストの言葉です。「受けるよりは」とキリストは言いますが、意外と「受けるより『も』与える方が…」と覚えている人もいるのではないでしょうか。
キリストは、受けることと与えることは二者択一のものではなく、受けることなしに与えることはできないことを教えているのです。
私たちが与える幸いを受ける前に、私たちが日々の中で受けている様々な幸いに目を向けるところから始めてみましょう。
私たちの幸いを願い、私たちのためを思って動いてくれている人々が必ずいるからです。
その筆頭が神様であり、クリスマスに与えられたイエス・キリストの誕生と御言葉との出会いこそが、あなたを誰かに幸いを与える者へと変えていくのです。

(20221225週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年12月25日日曜日

クリスマスイヴ・クリスマス主日礼拝【礼拝動画】

12月24日は、クリスマスイヴ・キャンドルサービス、
そして本日25日は、クリスマス主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
イヴ礼拝は松本教会は18時から、長野教会は10時半から守られました。

また、24日16時からはこどもクリスマスも行われました。


子どもたちと共に、クリスマスツリーの飾りの意味について学び、オーナメントのクラフトづくりを楽しみました。
そして、翌日25日のクリスマス礼拝は、松本教会が10時半から、長野教会が15時半から、両教会聖餐礼拝として守られました。




24日の長野市は朝から大雪で、2時間近く雪かきに追われました。
幸いにもその日だけで、翌日クリスマスには止んでいたのでホッと胸をなでおろしました。
今年は雪の多い冬になりそうですね。足元に気を付けてお過ごしください。

今日で今年の礼拝は最後でした。次回は2023年1月1日(日)の元旦礼拝となります。
長野教会は各自家庭礼拝となり、礼拝堂は開いておりません。
松本教会は14時からの礼拝となります
どうぞお時間にお間違えの無いよう、お越しください。
よいお年をお迎えください!


**24日・25日の礼拝動画**

24日・クリスマスイヴ・キャンドルサービス



25日・クリスマス主日礼拝


(▶️をクリックすると再生されます)
※動画は松本教会での礼拝となります。

**本日の使徒書・福音書**
<24日>
ルカによる福音書2章1-20節
<25日>
イザヤ書52書7-10節〈旧p1148〉
ヘブライ人への手紙1章1-4節〈新p401〉
ヨハネによる福音書1章1-14節〈新p163〉


<24日>
説教「それでも、あなたと共に」
<25日>
説教「暗闇の中の光として」

*祈り*

神の言葉であり、救いの光であり、永遠の命の与え主なる神様。
今年も一年最期の主日を迎え、共にあなたのみ言葉に聞くことが出来ることを感謝いたします。
この一年の歩み、私たちの信仰生活を振り返り、あなたに心を向けます。
そこには多くの大変さがありました。
一人ひとりが悩める重荷を抱えることがあり、様々な事情によって大変なことを乗り越えなければならないときがありました。
教会が閉じた時もあり、また施設から出れずに教会に足を運ぶことが出来ない方もいらっしゃいました。
共に信仰の旅路を歩んだ兄弟姉妹を天へと見送り、ご家族の方々と共に寂しさと悲しみに暮れることもありました。
しかし主よ、あなたはそのような私たちといつもともにあって、み言葉を通して励まし、支え、悔い改めさせ、立たせてくださいました。
そして今日、幼子の誕生のみ言葉を通して、わたしたちがあなたを求めようとしていないときにさえ、救いと導きの光として、み言葉をもって呼びかけておられることを教えておられます。
どうかわたしたちのこれからの歩みが、あなたのみ言葉と共にあって、あなたへの深い理解のゆえに、より一層あなたが私たちの隣において、共に働き、いつでも希望を失うことのない確かな光として私たちの心を照らしてくださいますように。
私たち一人ひとりの状況だけではなく、私たちを取り囲む日本と世界の状況のなかにあっても、大きな混乱の中にあります。
先行きの見えない未来に、取り除くことのできない不安が募ることもあります。
そのような暗闇の中にある私たちと、そして未だキリストに出会っていない一人ひとりのもとに、あなたが新しいいのちと光を携えて、み言葉としての出会いを与えてくださいますように。
そして、私たち一人ひとりと共に、この一年の最後まで、歩みとおすことが出来ますように。

2022年12月22日木曜日

【再掲】松本教会2022年クリスマス礼拝・こどもクリスマスのご案内。

松本教会、12月のクリスマスイベントのお知らせです!
※注意※こどもクリスマスは日付が変更されました!



★こどもクリスマス★
12月17日(土)10時~12時
12月24日(土)16時~17時30分
※日時が変更されました※
 キャンドルサービスのほかにも、
光るオーナメント作りやプレゼントもあります!
参加費無料(礼拝での自由献金はあります)


★クリスマス・イヴ礼拝★
12月24日(土)18時~19時
ロウソクの灯火に照らされながら
イエス・キリストの誕生をお祝いしましょう



★クリスマス礼拝★
12月25日(日)10時30分11時30分

問い合わせ、お申し込みは以下にお願いいたします。

==問い合わせ・申し込み==
日本福音ルーテル松本教会
(宮渕1-4-9 ℡0263-33-5242)


†会場の松本教会はこちらです†


【再掲】長野教会・2022年クリスマス礼拝のご案内。

長野教会・12月のクリスマス礼拝のお知らせです。


★クリスマスイヴ礼拝★
12月24日(土) 10時30分~11時30分

★クリスマス礼拝★
12月25日(日) 15時30分~16時30分



どうぞどなたでもお越しください。
お待ちしています。

==お問い合わせ==
日本福音ルーテル長野教会
(上松4-29-7 ℡026-241-4006)

†会場の長野教会はこちら†
長野駅からアルピコ交通で「湯谷南」下車、徒歩2分です。


2022年12月18日日曜日

待降節第4主日礼拝。【礼拝動画】

本日12月18日は、待降節第4主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、松本教会は通信礼拝として、長野教会は信徒礼拝として守られました。
諸事情により今週まで、礼拝動画は録音のみとなります。
皆様のご健康が守られますように祈っています。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※画像は松本教会の礼拝堂となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書7章10-16節〈旧p1071〉
ローマの信徒への手紙1章1-7節〈新p273〉
マタイによる福音書1章18-25節〈新p1〉


説教「あなたにも頼みたい」

*祈り*

私たちの導き主なる神様。
あなたの救いのご計画は、旧約聖書の時代、キリストがお生まれになる前から、定められていました。
その救いを成し遂げるために、主よ、あなたは多くの人々を立てられました。
しかし、神によって立たされた人々は、その言葉を聞かれることなく退けられ、傷つき、命を奪われることばかりであったと聖書は語ります。
そのような罪の現実は、今なお私たちのうちにあって、今なお人と人とが傷つけあうこと、あなたの御心に生きることのできない世界が、私たちの目の前にあります。
主よ、それでもあなたが私たち一人ひとりの救いを諦めてはおられないことを、信仰者一人ひとりがここにあって、み言葉を聞いていることを通して証してください。
これまで教会を支えてきた多くの方々が、次々にあなたの御許へと召されています。
その方々の信仰を通してあなたが御業のためにお一人お一人を用いてくださったことをおぼえます。
そしてそのつながりの中で今日私たち一人ひとりもまた、あなたの愛へと押し出されていることを、心に刻みます。

祈ることをわたしたちに教えて下さい。
キリストが御心に適った生涯を歩み続ける中で、絶えず祈りのうちにあったことを、福音書は教えています。
わたしたちもまた、祈りをもって自らの信仰を悔い改め、祈りをもって誰かの慰めと励ましを願い、祈りをもって、あなたと共に生きる恵みと喜びへと導いてください。
そしてどうか、孤独と悲しみの暗闇の中にある人々の心に、御子による救いの光が灯されるように、私たちを分かち合い祈り合う者として、送り出してください。
私たち一人ひとりが、喜びをもって主を待ち望み、主に仕え、主の歩んだ道をたどり、あなたの御心に適って用いられる生涯の歩みを、これからも続けることが出来ますように。






2022年12月15日木曜日

次回18日・待降節第4主日礼拝のご案内。

次週2022年12月18日(日)は待降節第4主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「あなたにも頼みたい」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。


どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

──マタイによる福音書1章18-25節

2022年12月14日水曜日

今週の黙想文(エレ17:10)

心を探り、そのはらわたを究めるのは
主なるわたしである。
──エレミヤ書17章10節


† † †

人の心に寄り添うことの大事さを聖書は私たちに教えますが、なかなか難しいものだと思います。
生きてきた背景も経験も価値観も一人ひとりが違うからです。
誰しも、他者の心を全て理解できる力を持ってはいないのです。
だからこそ、私たちの力の限界は、とにかく相手のことを知り、その心を想像する他ないでしょう。
しかしエレミヤの預言を通して、神様だけは私たちの心のすべてをご存知であると言われます。人間の力によってのみ誰かに寄り添おうとするのではなく、全てをご存知である神様にこそ、祈りをもって聞いてみることが大切であると聖書は語るのです。
なぜなら、私たちの心と誰かの心を結び合わせ、近くしてくださるのは、他ならぬ神様の導きであるからです。
キリストが単なる模範としてだけでなく、共に生きるものとして、今日も私たちの心に寄り添い、導いてくださっていることを覚えつつ、祈りをもってその背中に従う者でありたいと思います。

(20221211週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年12月11日日曜日

待降節第3主日礼拝。【礼拝動画】

本日12月11日は、待降節第3主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
松本教会は通信礼拝として、長野教会は家庭礼拝として守られました。
諸事情により礼拝動画は録音のみとなります。
皆様のご健康が守られますように祈っています。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※画像は長野教会の礼拝堂となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書35章1-10節〈旧p1116〉
ヤコブの手紙5章7-10節〈新p426〉
マタイによる福音書11章2-11節〈新p19〉


説教「機械仕掛けの神様なんて必要ない」

*祈り*

この世の救い主なる神様。
あなたは全ての人々をお救いになるために、御子イエス・キリストをこの世へと送られました。
そして、復活のキリストが天へと召されたあとも、一人でも多くの人々があなたのみ言葉に耳を傾けることができるよう、今日もまたみ言葉を通して呼びかけ続けておられます。
あなたが立てた洗礼者ヨハネは、その偉大な働きを担いながら、無残な最期を遂げました。
神の御子キリストもまた、あなたの御力を委ねられながらも十字架の死と苦しみを受けられました。
ここに、私たちとあなたとの関係が示されています。
あなたは私たち一人ひとりの苦しみをただ取り除かれるのではなく、そのように祈る私たちの願いをただかなえられるということはありません。
それは、私たちにとってふさわしい道と、救いが備えられ、私たちの願いとは別に、あなたが確かに導いておられるからです。
祈りが聞き届けられないように感じるときにこそ、ヨハネがキリストの言葉を受けたように、私たちの歩みに生きる神様の働きを思い起こさせてください。
私たち一人ひとりを通して神様がより大きな救いの御業を起こそうとしておられることに、心を向けることが出来ますように。
主よ、あなたはキリストを通して、私たちの死が滅びではなく、新しい復活のいのちへとつなげられていることを示してくださいました。
信じる者が一人も滅ぶことのないようにと願っておられるあなたの御心に感謝します。
どうか主よ、あなたのみ言葉に触れることなく、また洗礼を受けることなく天に召された方々に、あなたが救いの御手を延ばし、天上において悔い改めのみ言葉を語ってください。
またこの地上において、共に生きた人々との別れに寂しさと悲しみを抱えている私たち一人ひとりにも、どうかあなたが慰めをもって支えてください。
私たちがあなたを動かすのではなく、あなたが私たちを御心のままに救いへと押し出してくださいますように。
どのような現実の中にあってなお、あなたに支えられ、すべてが私たちの救いにつなげられていることを信じ、祈ります。
私たちの心も、身体も、すべてをお救いください。






2022年12月8日木曜日

次回11日・待降節第3主日礼拝のご案内。

次週2022年12月11日(日)は待降節第3主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
デウス・エクス・マキナ             
「機械仕掛けの神なんて必要ない」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。

野口牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、 尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 わたしにつまずかない人は幸いである。」 ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。 では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。 では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。 はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。

──マタイによる福音書11章2-11節

2022年12月7日水曜日

今週の黙想文(1テサ5:25)

兄弟たち、わたしたちのためにも祈ってください。
──テサロニケの信徒への手紙 一 5章25節


† † †

テサロニケの教会にあてた手紙の締めくくりに、パウロは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい……」と勧め始めますが、その最後にテサロニケの人々がパウロのために祈ってくれるようにと願っています。
そして、「この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるように、わたしは主によって強く命じます。」と締めくくるのです。
パウロは、私たちの祈りが自分の求めのためだけでなく、他の誰かのための祈りとしても捧げられるべきであることを教えています。
まさにパウロとテサロニケの教会の人々との関わりにおいて、相互に祈り合うこともまた、まさに喜びと感謝、慰めと励ましをお互いに生むことになるものだからです。
隣人のために祈るには、その人のことを深く知ることから始まります。
私達が決して一人では生きていないように、ともに神様に生かされている一人ひとりとして関わり合うことから、私達の日々の祈りもまた豊かになるのです。

(2022/12/04週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年12月4日日曜日

待降節第2主日礼拝。【礼拝動画】

本日12月4日は、待降節第2主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
松本教会は聖餐礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として守られました。
松本教会では礼拝後にクリスマスツリー立てを行いました。
新型コロナウイルスが再び猛威を振るう中ではありますが、どうぞ皆様の健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書11章1-10節〈旧p1078〉
ローマの信徒への手紙15章4-13節〈新p295〉
マタイによる福音書3章1-12節〈新p3〉


説教「悔い改めは愛のため」

*祈り*

愛の主なる神様。
あなたが幼子イエス・キリストを私たちに御遣わしになったのは、キリストを十字架へと捧げ、私たちの全ての罪を赦してくださるためでした。
それは、私たち人間が自分の力ではどうしようもなく、自分のことしか考えることが出来ず、ついには他者を傷つけ、蔑み、その関係に破れを生んでしまう罪を抱えているからです。

主よ、長く続くコロナ禍と、何もかもが不安定な世の中にあって、自分一人のことで精いっぱいになり、他者を思いやることが出来ず、ついには他の誰かを傷つけてしまうという悲しいニュースが相次いで報道されています。
その根っこには、あなたがキリストにおいて示してくださった他者への共感と愛が失われています。
クリスマスが近づく季節にあって、どうかこの世の全ての人々が、キリストを通してあなたの福音と愛に与ることが出来ますように。
他者を省み、悲しみには慰めを、喜びには分かち合いを、苦しみには共感を起こすことができるよう、どうか幼子イエス・キリストを通してあなたが示してくださった福音に、一人でも多くの人々が触れることが出来ますように。

混乱する世界情勢と、自衛と牽制のためにと核やミサイルといった暴力を誇示する隣国の動きにつられるように、私たちの国も、「反撃能力」の保有へと進みつつあると聞きます。
主よ、あなたが力に対して力でねじ伏せようとするのではなく、むしろ赦しと祈りによってそれを乗り越えようとされたことが、キリストの十字架において表されていることをおぼえさせてください。
力をもって、どちらが強いか、どちらが上なのかと競い合うのではなく、神様の前にあって等しく平和を願われていることに、悔い改めをもって立ち返ることができるようにしてください。
そしてそれは、私たち一人ひとりが関わりあう人々との関係性の中においても、同じでありますように。

一人ひとりが心の平安を失いがちな今日にあって、今日の悔い改めの呼びかけをどうか私たちの心に刻んでください。
先んじて与えられたあなたの愛によって、私たちが共に祈りあい、支えあうことによって、この苦難の時を乗り越えることが出来ますように。





2022年12月1日木曜日

次回12月4日・待降節第2主日礼拝のご案内。

次週2022年12月4日(日)は待降節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「悔い改めは愛のため」

と題して、
松本教会では聖餐礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。

野口牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。 これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」 ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。 そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、 罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。 ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 悔い改めにふさわしい実を結べ。 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

──マタイによる福音書3章1-12節

2022年11月30日水曜日

今週の黙想文(2テサ3:9)

援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、
あなたがたがわたしたちに倣うように、
身をもって模範を示すためでした。
──テサロニケの信徒への手紙 二 3章9節


† † †

パウロが手紙を書いているテサロニケの教会の人々は、すっかり怠惰になってしまっている、と記されています。
当時の教会は自分の財産を教会全体の共有財産として捧げ、富める者と貧しい者が等しく分かち合っていたとされています。
しかし、そこに「怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいる」ことによって、教会全体に、捧げることなく受けるだけの人々が増えていく、そのような雰囲気が広まっていったのかもしれません。
パウロはそのようなテサロニケの人々に、食べるための対価として働くではなく、労せず自分が生かされているからこそ、喜んでそれ以上に働きを担うようにと、身をもって勧めたのです。
パウロがここで勧めている働きとは、必ずしも金銭を稼ぐ働きばかりではありません。
キリストの教えによって立たされ、絶えず他者への愛と祈りによって関わろうとする、そこからすべての働きは生まれます。
たとえば今日あなたを傷つけた人をゆるすことや、毎日、誰かのことをおぼえて祈るだけでも、それは立派な働きなのです。

(20221127週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年11月27日日曜日

待降節第1主日礼拝。【礼拝動画】


本日11月27日は、待降節第1主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
松本教会は通信礼拝として、長野教会は聖餐礼拝として守られました。
松本・長野教会に加え、飯田教会の皆さまがライブ配信礼拝に参加してくださいました。
また、礼拝後、長野教会員の方の納骨式を執り行いました。
新型コロナウイルスが再び猛威を振るう中ではありますが、どうぞ皆様の健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**

※[▶]を押すと再生できます。
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書2章1-5節〈旧p1063〉
ローマの信徒への手紙13章11-14節〈新p293〉
マタイによる福音書24章36-44節〈新p48〉


説教「キリストを身にまとって生きる」

*祈り*

永遠の救い主なる神様。
あなたが私たちにお与えになった地上の生涯は、いつかは終わりを迎えます。
しかし主よ、だからこそキリストは私たちと同じ人間として歩んでくださり、あらゆる導きと共に、そこに起こる喜びも悲しみも分かち合ってくださる御方として、遣わしてくださいました。
神でありながら人として生きたイエス・キリストという御方は、私たちに今日も語り掛けておられます。
私たちのいのちがいったい誰によって与えられ、誰によって支えられ、誰と共に生きているのかに、目を向けることが出来るようにと、呼びかけておられます。
主なる神様、また私たちと共に生きる隣人たちに目を注ぎ、関わりの中に、あなたの御心を見出すことが出来ますよう、私たちを祈りへと押し出してください。

主よ、今年に入って、私たちは、大きな方々を天へと見送りました。
教会を支えてくださった一人ひとりの魂が確かにあなたによって受け止められ、完全なものとされ、救いに満たされていることを信じます。
また、地上に遺されたわたしたちの心の内にある悲しみと寂しさに、どうかあなたが寄り添ってくださり、慰めと癒しをもって、私たちを支えてください。
あなたがキリストを通して私たちに示してくださった救いの福音が揺らぐことのないように、それを信じる私たちの信仰をも、揺らぐことがありませんように。

主よ、あなたが用意しておられる終末の時が、いつ来るかはだれにもわかりません。
しかしその時、キリストが私たちのもとへとやってこられ、私たちに最もふさわしい御言葉と導きをもって、天の国の救いへと入れてくださることを信じます。
あらゆる手立てを尽くしてあなたが私たちに語り掛け、誰一人滅ぼすことのないようにと尽力しておられる、その御心を、み言葉を通して一人でも多くの人が受け取ることが出来ますように。
今日ここに集うことのできなかった人々も、あなたへの祈りのうちに整えられ、御心のままに、救いへと続く道を歩んでいくことができますように。
この一週間もまた、あなたがわたしたちを悔い改めさせ、清め、用い、愛へと送り出してください。






2022年11月24日木曜日

次回27日・待降節第1主日礼拝のご案内

次週2022年11月27日(日)は待降節(アドベント)第1主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「キリストを身にまとって生きる」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では聖餐礼拝として、
両教会10時半から行われます。

野口牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

──マタイによる福音書24章36-44節

2022年11月23日水曜日

今週の黙想文(エフェソ5:10)

なにが主に喜ばれるかを吟味しなさい。
 ──エフェソの信徒への手紙5章10節


† † †

わたしたちはついつい「何をすればよいか」ではなく「何をしてはいけないか」という言葉を使ってはいないでしょうか。
誤ったことをしている人に対して、それが正しい指摘や戒めであったとしても、なかなか聞き入れてもらえない経験が、誰しもあると思います。
パウロ当時のエフェソの教会の人々の間でも、貪欲や下品、愚かさなど、不道徳なことが多くみられていたと言います。
しかしパウロは彼らを厳しく戒め罰するのではなく、何が神様に喜ばれることかを考えるようにと促すのです。
それは「(あなたがたは)以前は暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています」とパウロが言っている通り、彼らがキリストを信じたことによって、既に神様から「光の子」とされているからです。
人はいくら誰かから言われたとしても、自分から悔い改めようとしなければ変わることはできません。
ですからパウロも彼らの過ちを指摘し正しくしようとするのではなく、人々の肯定的で前向きな部分を明るみに出すことによって、自ら悔い改めへと押し出していくのです。
このような「主に喜ばれる」関わり方を私たちも学びたいものです。

(20221120週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年11月20日日曜日

聖霊降臨後最終主日礼拝。【礼拝動画】

本日11月20日は、聖霊降臨後最終主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として守られました。
また、松本教会では小児祝福の祈りを行いました。
教会に連なる子どもたちが、神様に守られて成長できますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書23章1-6節〈旧p1218〉
コロサイの信徒への手紙1章11-20節〈新p368〉
ルカによる福音書23章33-43節〈新p158〉


説教「決して奪い取られないもの」

*祈り*

永遠の主なる神様。
あなたは信仰者イエスの生涯を、祈りによって支えてくださいました。
キリストとして御心に適うための道のりは、誰の目にも従うことの難しい歩みに見えます。
しかしキリストがそうであったように、どのような苦難が待ち受けていようとも、あなたへの祈りが必ず聞かれていること、決して誰にも奪い取られることのない平安を与えてくれる最後の砦であることを、あなたは教えて下さいました。

あなたが備えてくださっている終末と、御国の到来の時は、いつ起こるかわかりません。
また、私たちの地上の命がいつまで保たれるかは、あなただけがご存知です。
だからこそ主よ、私たちが今日、あなたに心を向け、自らの罪を省み、そのすべてを告白することが出来ますように。
喜びも悲しみも、後悔も願いも、あなたが受け取ってくださり、御前において聞き届けてくださることを信じます。
どうかあなたが絶えず私たちの祈りを聞くために、隣にあってすべてのことを分かち合ってくださっていることを信じ、励ましと慰めを受け取ることが出来ますように。
今日はこども祝福式を行いました。どうかあなたが子どもたち一人ひとりを祝福で満たしてください。また、あなたがお与えになった子どもたちの姿を通して、私たち一人ひとりのいのちもまた、祝福のうちにあることをおぼえさせてくださいますように。

私たちの目の前にある現実には、罪から起こるあらゆる痛みと苦しみが満ちています。
不安は尽きることがなく、明日の歩みすらも不透明で、私たちのいのちを守ることで精いっぱいです。
しかしその中にあって、あなたが2000年も前から私たちの先に立って下さっています。そして私たちを祈りによって立たせ、信仰を通して手を引いてくださっていることをおぼえます。
どうかわたしたちを祈りによって一つにし、その心を新しくし、平安と喜びに満たしてください。
今日一日を生きるその日が、あなたの御心に適ったものになるように、キリストの祈りに満ちた歩みへと、私たちを押し出してください。





2022年11月17日木曜日

次回20日・聖霊降臨後最終主日礼拝の御案内。

次週2022年11月20日(日)は聖霊降臨後最終主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「決して奪い取られないもの」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。

野口牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、 言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

──ルカによる福音書23章33-43節

2022年11月16日水曜日

今週の黙想文(エフェソ4:26)

怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。
日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。
──エフェソの信徒への手紙4章26節


† † †

キリスト教の信者というと、多くの人からはまじめで優しい人ばかりだと思われがちです。
その一方で、ある人が「神様を信じた私は、怒ることもやめなければなりませんか?」と悩んでいるのを見たことがあります。
キリストは確かに神様が私たちに諍いや争いを望んではおられないと教えますが、聖書を読むとキリストの宣教者であるパウロですら怒ることがあったことを書き残しています。
わたしたちがキリストを信じても、怒りを消し去ることはできません。
そこで大事なのは「罪を犯さないこと」なのです。
怒ることは私たちにとって自然なことだと認めた上で、その怒りを誰かにぶつけたり、誰かを傷つけるために用いてはいけない、と勧めているのです。
心理学では怒りの感情のピークはたった6秒間と言われています。
それでも持続しているように感じるのは、その怒りを私たちが反芻しているからです。
怒りに駆られるとき、踏みとどまることが出来るように、この御言葉を心に刻みたいと思います。
(20221113週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年11月13日日曜日

聖霊降臨後第23主日礼拝。【礼拝動画】

本日11月13日は、聖霊降臨後第23主日の礼拝でした。


野口和音牧師の説教により、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は主日礼拝として守られました。

いよいよ今月末からはクリスマスを待ち望むアドベント(待降節)が始まりますね。
同時に、教会暦の最後は終末についての箇所が選ばれています。
聖書が語る終末の福音、その希望について、聖書から聞きました。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
マラキ書3章19-20a節〈旧p1501〉
テサロニケの信徒への手紙 二 3章6-13節〈新p382〉
ルカによる福音書21章5-19節〈新p151〉


説教「終末、本当に来ると思ってますか」

*祈り*

唯一の義なる神様。
あなただけが、正しさを持っておられます。
キリストが語り、パウロが宣べ伝え、ルターが再発見したあなたの正しさは、私たちを断罪し、滅ぼしてしまうためのものではありませんでした。
あなたの果てしない愛によってキリストは十字架に捧げられ、私たちの罪が赦されることによって、すべての人をあなたの御国へと招いてくださいました。
神は愛であると聖書は語ります。
しかし私たちの目に見える現実の中では、聖書のみ言葉を利用してあなたの福音と御心を捻じ曲げ、多くの人々を迷わせ、不幸にすることによって、利を得ている人々がいます。
そのようなことをする人々がキリストの時代から変わらず存在していたことを、あなたは私たちに教えて下さいました。
主よ、あなたはいつの時代にも呼びかけ続けてこられました。
「惑わされないように気を付けなさい」「ついて行ってはならない。」「おびえてはならない」。
それは私たちが傷つけられることのないように、奪われ、不幸にさせられることのないように、2000年も前から私たちを踏みとどまらせるみ言葉でした。

主よ、どうか私たちに、あなたの正しさを教えて下さい。
正しいものと誤っているものを見分ける目を与えてください。
そしてどうかそのような罠にかかり、それを福音だと思いこんでいる人々がいるとしたら、どうかその人を救い出すために心を寄せ、その人のために祈り、私たち一人ひとりに何が出来るかを考えることが出来ますように。
あなたの御心のうちに私たちを御手の働きとして用いてください。

私たちは、終末を待ち望みます。
あなたの御国と、復活と、永遠の命への約束が成就され、天に召された全ての人々と再び顔と顔とを合わせることができる日を、待ち望みます。
すべての人が愛に満ちて、争いも悲しみもない関わりのうちに生かされるようになることを、待ち望んでいます。
どうか今日あらゆるところで苦難を背負って生きている一人ひとりに、御国の約束と慰め、支えと導きが豊かにありますように。
すべてのことをあなたにお委ねいたします。





2022年11月10日木曜日

次回13日・聖霊降臨後23主日礼拝の御案内

次週11月13日(日)は聖霊降臨後23主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「終末、本当に来ると思ってますか」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。

野口牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」 そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。 そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。 しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。 それはあなたがたにとって証しをする機会となる。 だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。 どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。 あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。 しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

──ルカによる福音書21章5-19節

2022年11月9日水曜日

今週の黙想文(エフェソ1:4)

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、
……キリストにおいてお選びになりました。
──エフェソの信徒への手紙1章4節


† † †

信仰とは私たちが神様と出会うことによって与えられるものですが、それでは私たちはいつから信仰者としての歩みを始めたのでしょうか。
洗礼を受けたときか、それとも、自分にとって最も思い出深い御言葉に出会ったときでしょうか?
私たちは生涯の中で様々な迷いや苦難を背負い、そこで神様に出会うことで初めて信仰者に変えられた、と考えるかもしれません。
しかしパウロは、私たちが神様と出会い、信仰者と定められたのは「天地創造の前」、私たちが生まれるずっと前に、それは決まっていたと言うのです。
私たちは生涯の途中で自ら信仰者となることを選んだのではなく、むしろ初めから神様からの選びのうちに私たちのいのちは与えられ、どのようなときにも愛をもって見守られてきたのです。
キリストは信仰のわざとして隣人を愛することを教えますが、それは文字通り全ての人が神様によって愛され、救いと信仰に生かされるべくして命を与えられた存在だからなのです。

(20221106週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年11月7日月曜日

牧師エッセイ(2022年11月)

キリスト教会では11月に「全聖徒の日」として、亡くなった方々を思い起こす礼拝を持ちます。
日本ではお盆のお参りにあたる行事かもしれませんが、そもそも先祖の霊が現世に帰ってくる、という考え方がキリスト教にはありません。
というのも日本の伝統と聖書とでは「霊」の捉え方に違いがあるからです。

聖書における霊とは、魂に近いものではありますが、その言葉が意味するものは広く「風」「息」ともとれる言葉としても使われています。
つまり霊という言葉には「わたしたちを内側から動かす力」という意味合いが込められています。
それゆえ聖書では悪霊が人々を奇行に走らせたり、「キリストの霊持たない者は…(ロマ8:9)」や「聖霊を受けなさい(ヨハ12:36)」とパウロやイエスは言うのです。

それでは天上において既に救われて永遠の命を約束されている召天者の方々が地上に帰ることも、供養する必要もないとするなら、キリスト教のお盆──全聖徒の日に何をするのでしょうか。
それは彼らの信仰の歩みを思い起こし、その歩みの中にキリストの霊、聖霊の働きを見出すことに他なりません。
召天者の方々が確かに神様が送られた霊によってその生涯を支えられ、人との関わりにおいては小さなキリストとして生きていかれたということを思い起こし、私たちもまた慰めと励ましを得る機会であるのです。
一層キリストの愛に生かそうとする神の霊によって、召天者の方々と私たちは今日も生きた関わりの中にあるのです。


レアンドロ・バッサーノ 「最後の審判」 


2022年11月6日日曜日

全聖徒主日礼拝【礼拝動画】

本日11月6日は、全聖徒主日の礼拝でした。


松本教会は野口和音牧師の説教により、
長野教会では鷲見達也牧師の礼拝奉仕により、両教会主日礼拝として守られました。
ご奉仕いただいた鷲見達也牧師に感謝申し上げます。

天に召された方々を思い起こし、祈りの時を共に持ちました。
今なお天上において永遠の命を与えられている信仰の先達者の方々によって励まされつつ、私たちもこの世の旅路を歩んでまいりましょう。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ダニエル書7章1-3,15-18節〈旧p1392〉
エフェソの信徒への手紙1章11-23節〈新p352〉
ルカによる福音書6章20-31節〈新p112〉


説教「信仰の先達者たちに学ぶ」

*祈り*

祝福と救いに満たしてくださる神様。
あなたは神でありながら人として生まれて下さり、イエス・キリストという姿を取って、わたしたちと同じ生涯に生きてくださいました。
人生の酸いも甘いも味わい、その上で私たちと神様とを結びつけるために、全身全霊をかけて生きてくださいました。
そして今は天において、一人ひとりの信仰者の姿を通して、あなたはその姿を顕してくださいます。

わたしたちは信仰の先達者たる、召天者の方々をおぼえます。
私たちはその一人ひとりの姿にあなたへの信仰を見出し、あなたの愛の教えに立つ生き方を教えられてきました。
天に召されてなおあなたとの繋がりが断たれることなく、そして私たちを通してさらに未来へと繋げられていく、この信仰の絆を、どうかあなたが強く保ってください。
わたしたちのすべてにおける慰めと救いの御言葉が、一人でも多くの人に届けられるように、どうか私たち一人ひとりを信仰の先達者として支え、用いてくださいますように。

主よ、あなたは御言葉をもって、今日も変わらず御国における救いの約束と、大いなる祝福の言葉を私たちに届けてくださいました。
それは、どれだけ時代が進もうとも変わることのない真理と愛で私たちを満たしてくださるためです。
今なお世界には、争いと暴力、身勝手な思いが人々を蝕み、互いを傷つけあう罪で満ちています。
あなたが愛し造られた一人ひとりの命が失われ、世界は悲しみで満ちています。
しかしあなたは人として生まれ、私たちの心に寄り添ってくださいました。
悲しみを慰め、涙を拭い去り、さらには十字架によって、死の絶望を御国における救いへと逆転してくださいました。
いま、祈りに覚えた信仰の先達者の方々だけでなく、これまであなたの御許に召された私たちの全ての家族、友人たちをも、どうか天上においてもあなたの導きの中にあって、救いの御手を差し伸べてください。
あなたは幸いであるという揺らぐことのない福音に、一人ひとりの魂を満たしてください。
そして、今日ここで再び寂しさと悲しみのうちにある私たちの心を慰めてくださいますように。
愛する人との死が私たちを分かつだけでなく、私たちの未来への希望と道しるべとして用いられるように、あなたの御心に全てをお委ね致します。





2022年11月3日木曜日

次回11月6日・全聖徒主日礼拝のご案内。

次週2022年11月6日(日)は全聖徒主日の礼拝です。
キリスト教会では年に1回、天に召された方々を思い起こす礼拝を行っています。
ご遺族の方々もどうぞお越しください。

松本教会は野口和音牧師の説教
「信仰の先達者に学ぶ」

長野教会は鷲見達也牧師の説教
「聖徒とされる者への祝福」

と題して、
松本教会では聖餐礼拝として、
長野教会では主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。

野口牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。 今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。 人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。 その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。 すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。 求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

──ルカによる福音書6章20-31節

2022年11月2日水曜日

今週の黙想文(ガラテヤ5:6)

キリスト・イエスに結ばれていれば、
割礼の有無は問題ではなく、
愛の実践を伴う信仰こそ大切です。
──ガラテヤの信徒への手紙5章6節


† † †

パウロはここで割礼の有無について「問題ではない」と簡単に言っていますが、当時においては大変な事でした。
割礼がなければユダヤ人として認められなかったことを考えれば、キリストの福音はパウロにとって「ユダヤ人であることよりも大事なこと」だと言い切っているのです。
そしてそれは「愛の実践を伴う信仰」だと続けるのです。
ルターは宗教改革において16世紀のカトリック教会が正しい福音信仰に立ち戻ることを聖書から訴えました。
人は行為によって神に義とされるのではなく、神の恵みにより、信仰のみによって救われるのだとルターは言いますが、決して行為自体を否定したのではありません。
ここでパウロの言う「愛の実践」を、信仰に先んじるのではなく、むしろ信仰から生まれるものであるとルターは捉えているのです。
「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」は私たちに愛の実践を奪うのではありません。
むしろキリストを通して私たちに示された愛の実践へと信仰によって押し出されていくことこそ、キリストが語り、パウロが伝え、ルターが再発見した、信仰の原点なのです。

(20221030週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年11月1日火曜日

【再掲】松本教会ミニバザー2022のお知らせ【今週です!】

今年も、松本教会ではミニバザーを開催します!


今年は豊作だった教会のあんず、おいしいあんずジャムにしました!
他にも物品販売やクラフト製作等、ちょっとホッとできる憩いの場としても教会を開放しております。


※教会の駐車場に車をお停めいただけます。
※よろしければマイバッグをご持参ください


11月3日(木・祝)13時~15時に、
松本教会にてお待ちしております!


†会場の松本教会はこちらです†

2022年10月30日日曜日

宗教改革日礼拝。(長野教会動画)【礼拝動画】

本日10月30日は、宗教改革日の礼拝でした。


松本教会は昨日の公開講座に引き続き、江口再起牧師にご奉仕いただき主日礼拝として守られました。
長野教会では野口和音牧師により、聖餐礼拝として守られました。
ご奉仕いただいた江口牧師に感謝申し上げます。

今年はルターの新約聖書翻訳(1522年)から500年の年ですね。
説教もそれに合わせ、翻訳の話を取り上げてみました。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書31章31-34節〈旧p1237〉
ローマの信徒への手紙1章16-17節〈新p273〉
ヨハネによる福音書8章31-36節〈新p182〉


説教「信実──神の決意と人の信仰」

*祈り*

全世界の救い主なる神様。
主よ、あなたの御言葉は様々な言葉に訳され、キリストの時代よりもはるかに多くの人々に届いています。
だからこそ、あなたの御言葉に込められた福音を誤解したり、捻じ曲げることなく、神と私たち一人ひとりとの直接的な関係性の中で、福音を受け取っていくことが出来るように導いてください。

私たちの罪が今なお拭い去られることなくあるからこそ、あなたの救いは一層誠実さを増して私たちに示されています。
私たちがどれだけ背きの中にあったとしても、あなたが私たちを救うことを決してあきらめない、その決意の誠実さを、深く御言葉に聞いた人々は受け取ってきました。
どうかわたしたちも、その救いの喜びに与からせてください。
幾千年を超えて私たちを導いておられるあなたのご計画のうちに、あなたから与えられる信仰を通してわたしたちをあなたの御傍に置き、絶えずあなたの救いの御言葉によって立たせてくださいますように。

主よ、私たちはいつだって思い煩いと困難を抱えながら日々を歩んでいます。
すぐには解決できない問題ばかりがのしかかり、明日への歩みも定かではないことがあります。
しかし主よ、あなたはいつでもキリストによって、そのような深い闇のなかにある人々のもとへと踏み込んでくださり、共にその苦しみを分かち合ってくださいました。
主よ、私たちがどのような問題を抱えていようとも、あなたが語ってくださった御言葉によって、今日私たちが歩む道を示してください。
キリストが人々との間にあって愛に生きた歩みをわたしたちも辿り、常に祈りと御言葉に聞く歩みをやめることがないように、日々の生活のうちにあって、守ってください。
そして、私たち一人ひとりがあなたを心から求める信仰によって、私たちを隣人のうちにあって輝かせ、御手の働きのために用いてください。
どうかあなたの憐れみと恵みを必要としている人を引き合わせてくださったのなら、あなたが示された誠実と愛によって、その人を包むことが出来るように、私たちに勇気を与え、押し出してください。





2022年10月28日金曜日

【再掲】ルーテル教会公開講座「コロナ後のわたしたちの生き方」

公開講座(講演)のお知らせです!



日本福音ルーテル教会では、毎年10月31日に宗教改革者マルティン・ルターの宗教改革を記念した礼拝を、一番近い日曜日(今年は30日)に行っています。

今年はさらに、松本教会では、前日29日(土)14時より、宗教改革記念・公開講座を行うこととなりました!

講師として日本福音ルーテル教会牧師であり、ルター研究所所長の江口再起牧師をお迎えし、「コロナ後のわたしたちの生き方」と題してご講演いただきます。

参加無料で、どなたでもご参加いただけます。
ZOOMからでも参加できますので、遠方からのご参加もお待ちしています!


ZOOMでのご参加をご希望の方は、お時間になりましたら、
↓こちらのリンクをクリックしていただくか、↓

https://zoom.us/j/96966765855?pwd=OFJHMXpQN0taV2FYdWRCUFFxOGFudz09

ミーティングID: 「969 6676 5855」

パスコード:「 906481」

をZoomにてご入力ください。



2022年10月29日(土)
14時より講演開始となります!
是非お越しください!

†会場の松本教会はこちらです†

2022年10月27日木曜日

次回30日・宗教改革主日礼拝のご案内。

次週2022年10月30日(日)は宗教改革主日の礼拝です。

松本教会は江口再起牧師の説教
「宗教改革の精神」

長野教会は野口和音牧師の説教
「信実──神の決意と人の信仰」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、
長野教会では聖餐礼拝として、
両教会10時半から行われます。

牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

29日(土)の公開講座にも是非お越しください!



 
† † †

わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

──ローマの信徒への手紙1章16-17節

2022年10月26日水曜日

今週の黙想文(民9:8)

モーセは彼らに言った。
「待ちなさい。主があなたたちに何とお命じになるか聞いてみよう。」
──民数記9章8節


† † †

モーセは出エジプトの際、神様のメッセンジャーとして選ばれた人でした。
ある時人々から神様が定められた律法について尋ねられたとき、モーセは自分の判断を優先させるのではなく、一旦返答を保留にし、神様に尋ねに行くのです。
私たちも神様を信じていると、現実と信仰の狭間に立たされ、「神様、どうしてですか」と尋ねたくなるようなことに直面することがあります。
しかしそこで自分が持っている知識と経験だけですぐに答えを得ようとしてはいないでしょうか。
私達の理解のうちに神様を閉じ込めてしまうことは、いつしか自分を神様とすることにも繋がります。
むしろ信仰の問いが生まれる時にこそ、このような神様からの呼びかけがあることを、モーセの姿から聞き取りたいと思います。
聖書を読めば読むほど、信仰的な問いが生まれるのは自然なことです。
それは不信仰などではありません。
信仰をより深くし、私達との関わりをより強く愛の絆で結びあわせようとしてくださっている神様の呼びかけに応え、神様の御心を探り続ける歩みを、これからも続けてまいりましょう。

(20221023週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年10月23日日曜日

聖霊降臨後第第20主日礼拝。【礼拝動画】

本日10月23日は、聖霊降臨後第20主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、長野教会は聖餐礼拝として、礼拝が守られました。
いよいよ冷え込みが始まり、灯油ヒーターを付けて礼拝を守るようになりました。
今年はインフルエンザも流行するとのこと、体調に気を付けてお過ごしください。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書14章7-10,19-22節〈旧p1203〉
テモテへの手紙 二 4章6-8,16-18節〈新p394〉
ルカによる福音書18章9-14節〈新p144〉


説教「下を見るな、上を見ろ」

*祈り*

憐れみ深き父なる神様。
あなたが私たちの祈りにいつも耳を傾け、速やかに聞き届けてくださっていることに感謝いたします。
私たちがあなたに祈りを捧げる時、それはすでに聞き届けられたものとして信じることができますように。
わたしたちがあなたに祈り求める時、私たちにとって最も必要なものは、わたしたちの心が悔い改めることだと、あなたはキリストを通して語ってくださいました。
私たちが自分自身の力ではなく、あなたにより頼み、あなたの愛と憐れみに生かされることによってのみ、私たちはキリストの教えに従うことができるようになることを、私たちが信仰の中心に置くことができますように。
あなたに向かい合う時、私たちの手から、自分の力、功績、地位、経済力、その他すべてのものを手放すことができますように。
あなたによって命をうけた、ありのままの姿とその無力さのゆえに、主よ、あなたが私たちを通して働いてくださいますように、私たちのすべてをお委ね致します。

私たち人間は、いつだって他の誰かに負けないように競い合い、上下関係を作り出します。
社会の中で、私たちはそれを取り除くことはできませんが、そのような上下関係が、誰かを敬い、また自分もより励まされて努力することが出来る、そのような支えとして受け取ることが出来ますように。
そのような関係は、キリストを通して教えられた愛に満ちた関係性にも重なるものです。
どうかわたしたちの姿を通して、あなたの御姿を輝かせることができますように。
私たち一人ひとりが謙虚と配慮に富み、愛と憐れみに満ちて、誰かと関わりあうことによって、より多くの人々があなたの御心に従った歩みへと導かれるよう、私たちを用いてください。
今日、様々な事情により、ここに集うことのできなかった方々がおられます。たとえ違う場所にあって、また時間を超えて祈りを合わせている一人ひとりにも、どうかあなたが祝福と励ましをお与えください。いつでもあなたに心を向ける者に、あなたが豊かな憐れみをお与えくださいますように。 また、愛する家族を失い、心に深い悲しみと痛みを抱えている人がいます。どうか主よ、あなたがその心に寄り添ってくださいますように。 全てのことをあなたに委ね、私たちと共におられる慰めと感謝のうちに、この祈りを捧げます。





2022年10月20日木曜日

次回23日・聖霊降臨後第20主日礼拝の御案内。

次週2022年10月23日(日)は聖霊降臨後第20主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「下を見るな、上を見ろ」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では聖餐礼拝として、
両教会10時半から行われます。

牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。 わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

──ルカによる福音書18章9-14節

2022年10月19日水曜日

今週の黙想文(箴4:2)

わたしは幸いを説いているのだ。
──箴言4章2節


† † †

箴言は父が子に教える形で書かれた教訓集です。
その教えを守る屋台骨が「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け(3:5-6)」という言葉に表されています。
同時に、神は私たちに対して都合の良いことばかりを与えてくれる存在ではないこともはっきりと教えています。
私たちの目の前に、神様の救いも導きも見出せず、ただ不条理な苦しみにしか思えない現実が広がっていることは珍しくありません。
今まさにそのような苦難に直面しているかもしれません。
しかしだからといって、その現実が、神が私たちを見捨てられたことの証明にはならないことを箴言は教えるのです。
無情で不条理な現実は確かに存在し、私たちを苦しめます。
しかしその不条理に意味と理由を求め続けるなら、そのような私たちと共に考え、意味を与えてくださるのが神様であるからです。
徹底的に人々の隣人として、友として生きられたイエス・キリストの姿に、そのような神の御心が表されているからです。
だからこそ私たちはどのような苦しい時にあってもなお揺るがない「幸い」を説く父なる神の声に、耳を傾けたいと思うのです。

(20221016週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年10月16日日曜日

聖霊降臨後第19主日礼拝。【礼拝動画】

本日10月16日は、聖霊降臨後第19主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、長野教会は家庭礼拝として、礼拝が守られました。
秋晴れで少し暑いくらいでした。



礼拝後、松本教会では「キリスト教葬儀の学び」を行いました。
葬儀についての順序や準備について学び、エンディングノートをお配りしました。
是非ご自身を振り返りつつ、少しずつでも記入してみてください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
創世記32章23-32節〈旧p56〉
テモテへの手紙 二 3章14節-4章5節〈新p394〉
ルカによる福音書18章1-8節〈新p143〉


説教「見えているようで、見えていない」

*祈り*

私たちの祈りを全て聞き届けたもう主なる神様。
あなたへの祈りは、私たちにとって格闘です。
それは、私たちが祈りを捧げる時、私たちの目の前にある神を見出すことの難しい現実と、あなたが速やかに聞き届けてくださることを信じる信仰との格闘です。
主よ、どうか御言葉をもって、私たちがあなたの御心を絶えず探し求めるように導いてください。
私たちが誤った姿であなたを見出すことなく、いつも私たちの心に寄り添う愛ある御方として捉えることが出来ますように。
それゆえに子を愛する親のように、私たちの願いを単に聞き届けてくださるのではなく、私たちにとってより良い形で聞き届けてくださるようにと、熟慮しておられることを、この世の沈黙のうちに聞き取ることが出来ますように。

主よ、あなたがこの世に人を造り、人のうちに罪を受けたその日から、多くの人々があなたを見失っています。
目の前にある現実の中に、誰の目にも明らかな形で御業を行うことはなさらず、信じる者の目を通して、あなたは私たちにそっと働きかけてくださいます。
それは、既にあなたがイエス・キリストとそれに連なる全ての弟子たちを通して、あなたの御心を語り尽くしてくださったからです。
どうか私たちが真の神様を求め、その姿と御心とを理解しようと求める時には、あなたの御言葉と真の信仰とをお与えください。
あなたが私たちにお与えになるものは決して空虚な妄信ではなく、いつでも私たちに寄り添われている憐れみ、私たちを救い出すいのちの救いによって支えられている、愛に満ちた、生きた信仰であることを、私たちが忘れることがありませんように。
神を忘れ、神を誤解したこの世にあって、御言葉に耳を澄ます私たち一人ひとりが、真の神様とその愛に立ち、確かにあなたの御手のうちに私たちが守られていること、導かれて今日ここに生かされていることを、分かち合うことが出来ますように。
そしてどうか私たち一人ひとりが、あなたの御言葉と愛を携え、あなたの平安と、憐れみと、赦しを失ってしまった人々を省みることが出来ますように。
私たちの言葉と差し伸べる手を、あなたの御手の働きのために用いてください。





2022年10月13日木曜日

次回16日・聖霊降臨後第19主日礼拝のご案内。

次週2022年10月16日(日)は聖霊降臨後第19主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「みえているようで、見えていない」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。

牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

──ルカによる福音書18章1-8節

2022年10月12日水曜日

今週の黙想文(創12:3)

あなたを祝福し、あなたの名を高める。
祝福の源となるように。
──創世記12章3節 


† † †

イスラエルの人々の始祖としてよく名前が上げられる一人に、アブラハムがいます。
彼は聖書に登場する人々の中で、ノアに続いて神様と契約を結んだ人の一人です。
後のイスラエルの人々が受け継いだ神様と彼の契約は、「土地を与える」「子孫を与える」「祝福の源とする」の三つでした。
そして、その契約を信じ神様に従うために、アブラハムは生まれ故郷を捨て、神様の示す地へと旅立っていったのです。
しかしイスラエルの民は、そこにいるだけで周りに祝福が満ち溢れる生き方を、どうしてもできなかったのです。
争いと神様の裁きがあり、悔い改めてはまた神様から離れていく、その繰り返しをやめることのできない民の罪深さを旧約聖書は記しています。
だからこそ神様はイエス・キリストを遣わし、人々の罪を全て贖ってくださいました。
これは契約ではなく、一方的な恵みによるものです。
契約で人々を縛って生き方を強制するのではなく、わたしたちが自ら祝福の源として歩んでいけるようにと、この御言葉をもって、今日も神様は忍耐強く祈っておられるのです。

(20221009週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年10月9日日曜日

聖霊降臨後第18主日礼拝。【礼拝動画】

本日10月9日は、聖霊降臨後第18主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として、礼拝が守られました。
この数週間で長野は一気に冷え込み、教会でもストーブを付けました。
衣替えが追いついていません。
皆様も体調に気を付けてお過ごしください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
列王記下5章1-3,7-15節〈旧p583〉
テモテへの手紙 二 2章8-15節〈新p392〉
ルカによる福音書17章11-19節〈新p142〉


説教「祈りっぱなしになってませんか」

*祈り*

祈りを聞き届けたもう主なる神様。
あなたはイエス・キリストを祈りの旅へと送り出されました。
それは、最期には無実の罪を着せられ、十字架という死に向かう辛い旅路でした。
しかしキリストはその旅路を歩み通されることによって、私たちすべての人々の痛みを共に担う者とされました。
その旅路において、祈りをもってあなたとの関わりを保つことが不可欠であったことを、私たちは福音の御言葉から聞きます。

主よ、私たちの心は弱く、あなたから離れ、この世界があなたの御手の内にあることを忘れて、日々の日常を過ごしてしまうことばかりです。
しかし主よ、あなたはまどろむこともなく、いつでも私たちの祈りに耳を傾けてくださっています。
その信仰のゆえに、私たちの日々がすべてあなたの御心の中に導かれていることを信じさせてください。
私たちの祈りに応えるためにふさわしい時と導きが必ず備えられていることを、信じさせてください。
あなたにより頼んで生きる者として私たちを今日ここから送り出し、あなたへの感謝と讃美に満たされた歩みの中に、生かしてくださいますように。

わたしたちにとって、この世の歩みは、苦難が付きまといます。
人は人とすれ違い、争いあい、裁きあう世の罪が、一層深くなってきている時代の中で、主よ、あなたが御言葉をもって私たちの信仰の目と耳を開いてください。
奇跡のように私たちを救い出すのではなく、祈りつづけ、この世の痛み苦しみのうちに留まってくださったキリストの姿にこそ、あなたの姿、あなたの御心があることを、受け止めさせてください。
主よ、私たちは今日祈ります。
どうか私たち一人ひとりに、あなたの御言葉を通して救いをお与えください。
あなたの赦しと、愛と、恵みとに満たされていることを受け取ることが出来ますように。
そして感謝をもって、あなたへと心を向け、再び祈りへと導いてください。
そしてキリストの御言葉によって送り出された私たちが、次はすれ違い、争いあい、裁きあってしまう他の誰かのために祈ることができますように。





2022年10月6日木曜日

次回9日・聖霊降臨後第18主日礼拝の御案内

次週2022年10月9日(日)は聖霊降臨後第18主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「祈りっぱなしになってませんか」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。

牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。 ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

──ルカによる福音書17章11-19節

2022年10月5日水曜日

今週の黙想文(2コリ8:7)

あなたがたは信仰、言葉、知識……など、
すべての点で豊かなのですから、
この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
──コリントの信徒への手紙 二 8章7節
† † †

コリントの教会に送った手紙の中で、パウロはエルサレムの信徒・教会のための募金と協力を求めています。
パウロはここでコリントの人々が受けている豊かさと恵みについて触れ、奉仕のわざへと向かうようにと促しているのです。
マルティン・ルターは、当時のカトリック教会の行為義認を否定し「恵みのみ」と唱えました。
しかしこの言葉は、ともすれば恵みを受けるだけで、奉仕のわざに向かわなくても良いという捉え方をされてしまうことがあります。
ルターがこのように言ったのは、信仰は神の恵みと愛によって与えられるものであるからこそ、神の愛の顕れである善きわざへと私たちを向かわせるものである、ということでした。
イスラエルには塩分濃度が高くほとんど生き物のいない死海がありますが、現地ガイドはこのように説明するそうです。
「死海はヨルダン・ガリラヤの何本かの川から命の水を受けているが、自分から外にだすことはない。受けるだけで与えることがなければすべては死んでしまう」と。
私たちも神様の恵みを受けるだけではなく、他の誰かへの愛へと生かされる、そのような信仰に生きてまいりたいと思います。



(20221002週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年10月3日月曜日

牧師エッセイ(2022年10月)

インターネットを通じて人々と交流が出来るサービス「Twitter」を窓口にして、可愛いがま口バッグを販売している方がいます。
その製作を一手に引き受けているのが、82才からミシンを始めたおじいさんなのです。

その方はコロナ禍が始まった2年前、様々な大病とうつ病を患い、ほとんど一日中寝たきりでした。
しかし、娘さんが壊れたミシンの修理をお願いすると、元電気工事士であったことからあっという間に修理してしまいました。
さらには、せっかくだから何か作ってみようと布小物を作り始めたそうです。
そこで、娘さんが布小物を写真に撮り、Twitterを通じて多くの人に見せたところ、購入希望者が相次ぐことになったのです。

「もし、がま口バッグ作りに出会わなかったら、私は死んでいた。(購入希望者の中には)何年でも待ちますと言う方、メッセージを添えてくれる方などたくさんの素敵な出会いもあり、薬よりもよく効く元気の源。だから毎日毎日、心込めて、カバンを作っています」というコメントでそのニュースは締めくくられていました。

このように、他の誰かのことを想い、誰かと共に生きることは、私たちを生かす力の源になるのです。
そして、誰よりも私たち一人ひとりのことを想い、私たちのために命を捧げてくださった方こそ、イエス・キリストでした。
キリストの姿を通して、神様は今日も、私たちが誰かのために生き、誰かと共にいのちを豊かに保つことを願っておられます。
手紙や電話、インターネットなどあらゆるものを通じて、私たちも誰かと共に生きるいのちに生かされて参りたいと思います。



2022年10月2日日曜日

聖霊降臨後第17主日礼拝。【礼拝動画】

本日10月2日は、聖霊降臨後第17主日の礼拝でした。


松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として、礼拝が守られました。
先週は野口牧師の夏季休暇により、引退教職の栗原茂牧師に礼拝を担当していただきました。感謝です。
無事長野・松本2教会で礼拝を守ることが出来ました。
今週からは長野は一気に朝晩が冷え込み、10℃以下になる予報です。
皆様も体調に気を付けてお過ごしください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ハバクク書1章1-4節、2章1-4節〈旧p1464〉
テモテへの手紙 二 1章1-14節〈新p391〉
ルカによる福音書17章5-10節〈新p142〉


説教「愛がなければ」

*祈り*

愛と導きの主なる神様。
あなたは果てしない愛をもって、私たちの歩みをご覧になられます。
そこにはあなたの御心から離れ、背き、自分勝手に御言葉を受け止め、誤解してしまったこともあったでしょう。
しかし主よ、あなたはその全てをお赦しになり、忍耐強くあなたの愛を、キリストの言葉として語り続けてくださっています。

主よ、羊のように迷い、銀貨のように隠れ、放蕩息子のように罪に満ちた私たちに、あなたの信仰をお与えください。
あなたの赦しに示された深い愛を、私たちが受け取り、また私たちも小さなキリストとして、誰かを赦すことが出来るようにしてください。
あなたの御心に適って愛に満ちた関わりを、関わりあう全ての人との間にもたらしてください。
私たち一人ひとりの姿を通して、神様の愛とすばらしさを示すことが出来るように、用いてください。

私たち一人ひとりの力は弱く、大きなことは何一つできません。
しかし、あなたが私たちを集め、私たちを導く時、私たちの思いもよらない大きな出来事が引き起こされてきたことを、誰もが知っています。
私たちが自分の力により頼むのではなく、キリストのようにあなたへの信仰と愛にのみ立つことができるように、悔い改めさせてください。
たえざる恵みと導きによって、私たちを省みてくださいますように。

世界中で、自分の思いと願いのために、周りを省みることのできない人々がいます。
自分を主人とし、隣人をしもべとしてしか見ない独裁者になってしまっている人がいます。
主よ、どうかその人々の耳を開いてください。愛と配慮、正しさを求める声を届かせてください。

預言者ハバククが嘆いたように、目の前にある現実のどこにもあなたの正しさが見当たらない時にさえ、あなたに祈りを捧げることを私たちが諦めることがありませんように。
争いによって多くの命が失われ、悲しみの中に暮れている人々には慰めと癒しをお与えください。
あなたの愛と憐れみが一人でも多くの人の心に満たされ、愛をもって関わりあう関係へと導かれるように、あなたの御心を表すものとして、私たちを送り出し、用いてください。
今日ここに集うことのできなかった方々、違う場所で祈りを合わせている方々の祈りを一つにし、どうか聞き届けてくださいますように。





2022年9月29日木曜日

次回10月2日・聖霊降臨後第17主日礼拝の御案内。

次週2022年10月2日(日)は聖霊降臨後第17主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「愛がなければ」

 と題して、
松本教会では主日礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。

牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、 主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」

──ルカによる福音書17章5-10節

2022年9月28日水曜日

今週の黙想文(2コリ12:9)

「わたしの恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」
——コリントの信徒への手紙 二 12章9節


† † †

オウムや旧統一協会などカルト問題に取り組まれた平岡正幸牧師が、世間一般で言われているスピリチュアルと、キリスト教会における霊性についての本質的な違いは「人間の内なる力に頼っているかどうか」にあると仰っていました。
つまりスピリチュアルは何らかのアイテムの未知なる力によって、私たちの内なるエネルギーを引き出すものですが、キリスト教会はむしろ私たちが無力であることを知り、そこに神の力が働くことを信じているのです。
私たちの力には限界があり、その限界を信仰の弱さだとして金銭を巻き上げていく手法は、宗教改革時代のカトリック教会や現代のカルトが用いる常套手段です。
むしろ私たちの無力さを明け渡すことによって、キリストは私たちを通して働く神様の導きが充分に発揮されるとパウロは証しています。
今やキリスト教が世界三大宗教と呼ばれるほどに信じられているのは、当時の宣教を担ったパウロ個人の力によるものではなく、人の力を越えた神様の働きに他ならないからです。
私たちの歩みを神様に委ねる時、そこには私たちの思いを越えた、恵み深い道へと神様は導いてくださるのです。

(20220925週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2コリ12:9_20220925

2022年9月22日木曜日

次回25日・聖霊降臨後第16主日礼拝のご案内。

次週2022年9月25日(日)は聖霊降臨後第16主日の礼拝です。

栗原茂牧師の説教
「メメント・モリ」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、
長野教会では通信礼拝として、
両教会10時半から行われます。
野口牧師は夏季休暇となります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、今週の礼拝動画はありません。ご了承ください。

† † †

「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。 そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

──ルカによる福音書16章19-31節

2022年9月21日水曜日

今週の黙想文(エフェソ1:16)

祈りの度に、
あなたがたのことを思い起こし、
絶えず感謝しています。
──エフェソの信徒への手紙1章16節


† † †

福音書が書かれる前の時代には、パウロがそれぞれの教会に宛てた手紙が聖書の説き明かし、つまり説教の代わりとして読まれていました。
それは、パウロがキリストの宣教者として偉大な人であったから、というだけではありません。
手紙によってはパウロ自身の怒りや悲しみが赤裸々に表されているものもあります。
それらすべてを神様に帰しているその信仰が、キリスト者として倣うべき在り方であるからです。
彼はここで、キリストを通してエフェソの教会の人々に与えられた神様の恵みと救いについて思い返し、人々が今もその救いに与かっていることを神に感謝しています。
人々への手紙の内実が福音のメッセージと祈りになっているということは、キリスト者の信仰が本来、人々との関わりと日常に深く結びついていることを証しています。
他の人々との関わりのうちに起こされる怒りや悲しみ、喜びや平安を、キリストへの信仰を通して受け止めていったパウロの姿に私たちも倣い、そのすべて感謝と祈りをもって神様に委ねる信仰生活を歩みたいものです。
(20220918週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年9月18日日曜日

聖霊降臨後第15主日礼拝。【礼拝動画】

本日9月18日は、聖霊降臨後第15主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、長野教会は家庭礼拝として、礼拝が守られました。
松本教会では敬老のお祝いの時を持ちました。一人ひとりからコメントをいただきました。
神様に守られて今日まで生かされてきたことに改めて感謝をする日になりました。


このブログをご覧の皆様も、日々健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
アモス書8章4-7節〈旧p1439〉
テモテへの手紙 一 2章1-7節〈新p385〉
ルカによる福音書16章1-13節〈新p140〉


説教「不正を勧めるその心は」

*祈り*

わたしたちのうちにある深い罪を見つめたもう主なる神様。
あなたはいつでも、私たちを他者との関係性のうちに送り出してくださいます。
それは、あなたがお与えになった一人ひとりのいのちが、関わりの中にこそ恵み深く生かされるようになるためです。
しかし主よ、あなたは私たちを隣人のもとへと送り出される前に、先んじてご自分との関わりを持つように呼びかけておられます。
それは悔い改めへの呼びかけであり、これからの歩みへの導きでもあります。
私たちが他者への関係へと送り出されていくその前に、私たちが静かな祈りの時をもって、自分自身と、そしてあなたとの関係を振り返ることが出来るようにしてください。
私たち一人ひとりがこれまでの歩みの中で犯してきた罪の深さと、それをあなたが赦してくださった果てしない恵みをもって、悔い改めへと導かれる時を、まず初めにお与えくださいますように。

主よ、世界中が混乱のさなかにあって、様々な場所で、人と人とが争いあい、共に生きることのできない現実が私たちの目の前にあります。
誰かを傷つけ、誰かに傷つけられ、癒されることのない痛みを積み重ねていく、そのような関係性の中に留められている人々がいます。
今日ここに御言葉を聞き、祈りを合わせているわたしたちのうちにも、そのような痛みを抱えている人がいるかもしれません。
主よ、今日あなたが、わたしたちの命を取り去られるなら、私たちの歩みが今日一日だけでも御心に適った歩みとなるように、わたしたちの全てをあなたに委ねることが出来るようにしてください。
キリストにおいて全てを赦されたあなたの御心によって、私たちも誰かを赦し、誰かを愛し、配慮しあい、ささやかな幸せと恵みを分かち合う、そのような関係性へと生かしてください。
そしてそのために、主よ、あなたに向き合う祈りの時から、始めることができますように。





2022年9月15日木曜日

次回18日・聖霊降臨後第15主日礼拝のご案内。

次週2022年9月18日(日)は聖霊降臨後第15主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「不正を勧めるその心は」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。 そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。 そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。 だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。 また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

──ルカによる福音書16章1-13節

2022年9月14日水曜日

今週の黙想文(申命記11:26)

見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。
──申命記11章26節


† † †

聖書の中で、祝福の対義語は呪いです。
旧約聖書の律法において、祝福とは神様の戒め、つまり御心に従って生きることであると言われます。
私たちがそうしないことを選ぶ時、神様の祝福を自ら捨ててしまうことによって、神様は私たちを守ることも導くことも出来なくなってしまう、それこそが呪いを受けることだと言われるのです。
神様は決して、自分の思い通りにならない者を切り捨て、従う者だけを贔屓するお方ではなく、私たちが一人残らず神様の祝福のうちに生きてほしいと願っておられるからです。
そのような神様の御心に私たちが生きることが祝福であるように、私たちが誰かを祝福するということは、その相手に善い言葉をかけることから始まります。
ある牧師は聖書は神様からのラブレターだと表現しました。
私たちが祝福のうちに生きること、そして誰かに神様の祝福を祈ることは、私たちが神様から受けた愛の言葉を、また私たちが他の誰かに伝えていくことなのです。

(20220911週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年9月11日日曜日

聖霊降臨後第14主日礼拝【礼拝動画】

本日9月11日は、聖霊降臨後第14主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として、両教会10時半から礼拝が守られました。
一時おさまったように見えた暑さもぶり返し、残暑の厳しい日になりました。
コロナと共に、早く落ち着いてほしいですね。

この夏は松本・長野どちらも召天者の多い年となりました。
松本教会では10月にキリスト教葬儀についての学びも行う予定です。是非ご参加ください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
出エジプト記32章7-14節〈旧p147〉
テモテへの手紙 一 1章12-17節〈新p384〉
ルカによる福音書15章1-10節〈新p138〉


説教「誰一人取り残されないように」

*祈り*

憐れみと愛に満ちておられる主なる神様。
あなたは誰一人として滅びゆくことのないようにと、イエス・キリストをこの世にお遣わしになりました。
しかしこの世には、まだあなたの御言葉を聞いたことがない人々、あなたの御言葉を聞き入れることが出来ない人々、さらには、あなたの御言葉を都合の良い形で改変し、他の誰かを支配しようとする人々さえいます。
あなたが生前注意するようにと言われた偽預言者や偽キリストを標榜し、世の終わりを告げることで人々に不安だけを届けようとする人々がいます。
不安定な世の中にあって、世界中でますますその勢いが増していることを、主よ、あなたは見過ごしてはおられないと信じます。
主よ、どうか全ての人々が、悔い改めをもってあなたの御言葉に聴き、共に喜びと平安を分かち合うことができるような関係へと生かされるように導いてください。

今、不安と恐怖、痛みと思い煩いを抱えている人々には、どうかあなたが慰めの御手を伸ばしてください。
今日ここに来たくても来られなかった人々、それぞれの場所で祈りを捧げている一人ひとりにも、あなたの恵みと祝福が豊かに注がれますように。
私たち一人ひとりがあなたの御名によって神の家族の一員とされており、あなたの愛に満ちた関係性のうちに、永遠の命を与えられている幸いをおぼえます。
どうか地上の生涯においても、私たちの罪を拭い去り、神の国における関係性をもって関わりあうことが出来るように、導いてください。

昨日、またお一人の魂が天に召されたと聞きました。
主よ、この世においてあなたの御言葉に聞く機会が与えられず、しかし地上の生涯を歩み通した魂に、どうか救いの御手を差し伸べてください。
どうか天の御国の門の前において、キリストの御言葉を聞き入れる機会を与えてください。
誰一人滅びることを望まれないあなたの憐れみにより頼み、その魂があなたの家族として迎えられることを願います。





2022年9月8日木曜日

次回11日・聖霊降臨後第14主日礼拝のご案内。

次週2022年9月11日(日)は聖霊降臨後第14主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「誰一人取り残されないように」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。 すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。 そこで、イエスは次のたとえを話された。 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。 そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」

──ルカによる福音書15章1-10節

2022年9月7日水曜日

今週の黙想文(箴24:16)

神に従う人は七度倒れても起き上がる。 ──進言24章16節

† † †

箴言は知恵を得ることを勧めていますが、その知恵とは「神を畏れること(9:10)」から始まると繰り返し述べています。
たとえば心理学では私たちの悩みのほとんどは人間関係によるものと言われますが、悩みの原因である相手にばかり目を注いでいては、いつまでもそれは解決しません。
そこに第三者である神様からの言葉に聞くことによって、思い煩いから抜け出す道が与えられていくのです。
それゆえ、私たちは誰でも「神に逆らう者は……つまずき(同16節)」、神の言葉に耳を傾ける人には、何度でも立ち上がることのできる励ましと支えが与えられると、箴言は私たちに教えるのです。
私たちの日々の中に思い煩いや躓きが与えられるときには、神様から見て自分は、この状況はいったいどのように見えているのかと、祈りのうちに問いかけてみましょう。
「神は愛です(1ヨハネ4:16)」と証された神様は、時に憐れみ深く、時に厳しく、今私たちが最も必要とするものを気付かせてくださる、愛に満ちた知恵なのです。
 
(20220904週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年9月5日月曜日

牧師エッセイ(2022年9月)

娘が使っている哺乳瓶に「Your smile makes every day full of love.(あなたの笑顔が愛に満ちた毎日をつくる)」というメッセージが刻まれていました。
調べてみると、製造元のPigeon社は企業理念に「愛」を掲げており、次のような創業者の言葉が続けられていました。

「『愛のこもった製品・サービスを生むのは、愛の心のみ』──これが私たちピジョングループの社是です。これからの世界人類にとって究極的に何が最も大切かと問われれば、それは、「人が人を大切にする心」、すなわち「愛」だと思います。」

聖書が初めて日本語に訳されたとき、「愛(アガペー)」は「御大切」と訳されたそうです。
キリストが伝えた神様の愛の実態は、日本語でいえば「人が人を大切にする心」であると表現されたのです。
Pigeon社創業者の仲田洋一氏はこのような愛の本質に気付いていたのかもしれません。

私たちが誰かを愛していること、大切していることを伝えるための最もシンプルな方法は「笑顔」を向けることであると、この哺乳瓶のメッセージは教えてくれます。
そして聖書は「神は愛です(1ヨハネ4:16)」と語ります。
その目に見える証として、神様はイエス・キリストを私たちのもとへと送ってくださいました。
私たちが愛と笑顔に満ちた関係性に生きることが出来るようにと、誰よりも神様が願い、私たち一人ひとりを愛へと押し出しておられることを、キリストは私たちに教えているのです。

私たち一人ひとりの笑顔が誰かを愛で満たし、落ち込んでいる心を励ますものとなるように祈りつつ、笑顔を絶やさない毎日を過ごしたいものです。


レオナルド・ダ・ヴィンチ
《サルバトール・ムンディ(救世主)》


2022年9月4日日曜日

聖霊降臨後第13主日礼拝。【礼拝動画】

本日9月4日は、聖霊降臨後第13主日の礼拝でした。


松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として、両教会10時半から礼拝が守られました。
昨日は雨が降り、かなり涼しかったのですが、今朝はからりと晴れて暑い日となりました。
久しぶりに来られた方もあり、共に教会で集っての礼拝が守られることの喜びを分かち合いました。

今月第3日曜日、9月18日は、松本教会では敬老祝賀会が行われます。
皆様それぞれに神様の導きと守りのうちに歩みが守られていることに感謝をしつつ、お言葉をいただきたいと思います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
申命記30章15-20節〈旧p329〉
フィレモンへの手紙1章1-21節〈新p399〉
ルカによる福音書14章25-33節〈新p137〉


説教「キリストの弟子に破門なし」

*祈り*

赦しと励ましの主なる神様。
あなたは私たち一人ひとりを、弟子として招いておられます。
あなたが示された弟子の条件は、私たちにとって大変難しいものですが、それを全ての人が成し遂げられた時、そこにこそあなたの御心、あなたの救い、あなたの御国が実現することをおぼえます。
どうか私たちが、絶えず悔い改めのうちにあって自らの過ちを省み、愛に満たされて関わり合い、そして小さなキリストとして、あなたの救いのわざのために用いられますように。
パウロが、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」と言ったように、私たちもまた告白をすることが出来るようにしてください。
私たちのうちにある罪を赦し、あなたの御心にかなう者として、私たちの全てを清めてくださいますように。

家族や友人との関わりに問題を抱えているなら、主よ、そこに和解をもたらしてください。
私たち自身のうちにある罪に向き合う時、私たちがその十字架の重さに押しつぶされそうになるなら、あなたが一緒に十字架を背負ってくださっていることを思い起こさせてください。
そして私たちが日々の中で誰かに欠ける言葉や振る舞いが、相手への深い共感の上に為されていきますように。
私たち一人ひとりがあなたの子どもとして祝福され、兄弟姉妹としての深い関係の中に導かれていることを、私たちが心に留めて、関わりを持っていくことが出来ますように。

この世には私たちから愛と余裕を奪っていく多くのもので満ちています。
余裕をなくし、不安と恐怖の中にある人は、周りの人にもその重荷を振りまいてしまいます。
しかし、だからこそあなたが十字架においてされたように、私たちがその人と共に重荷を担い、祈りをもって思い煩いを分かち合い、慰めをもって関わりあうことが出来るように、私たちの間にあって支えてください。
わたしたちがどこにいても、何をしていても、あなたへの祈りと愛を中心に置いて、あなたの弟子としての歩みが守られますように。