2022年7月31日日曜日

聖霊降臨後第8主日礼拝。【礼拝動画】

本日7月31日は、聖霊降臨後第8主日の礼拝でした。


松本教会は10時半から、長野教会は15時から、両教会の主日礼拝が守られました。
本来であれば甲信地区の講壇交換を実施する予定でしたが、再流行する新型コロナウイルスのため、やむなく中止となりました。
場所は違えど、同じ日課・同じ祈りが地区において一つとされていることをおぼえたいと思います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
コヘレトの言葉1章2節,12-14節;2章18-23節〈旧p1034〉
コロサイの信徒への手紙3章1-11節〈新p371〉
ルカによる福音書12章13-21節〈新p131〉


説教「分かち合う豊かさ」

*祈り*

私たちの命の導き手なる神様。
あなたは私たち一人ひとりのいのちをお造りになり、この世に生まれさせ、その歩みの全てを導いておられます。
わたしたちが今日まで歩んできた道のりのなかであなたがお与えになった全ての恵みを思い起こし、感謝いたします。
どうかわたしたちの歩みをこれからも守ってください。
あなたの御心のうちにわたしたちのいのちを省み、地上のいのちの終わりが来るまで、どうかあなたに心を向け続けて歩んでいくことが出来ますように。

主イエス・キリストを通して、あなたはあなたの御心を示してくださいました。
それは、あなたから与えられた恵みによって争いあうことなく、奪い合うことのないようにという呼びかけでした。
主よ、私たちに与えられている恵みが、わたしたちにとっていつでも十分であることをおぼえ、対価なしに与えられているあらゆる恵みと導きのうちにあなたの働きを見出すことができるようにしてください。
私たちにとって苦しい時が与えられているときにも、わたしたちの苦しみに寄り添い支えてくださっていることを、信じることが出来ますように。
そしてどうか苦難が過ぎ去った後に、感謝をもってあなたの御心を尋ね求めることができるようにしてください。

この世には自分勝手な宗教を造り上げ、それを用いて自らの貪欲を満たそうとしている人々がいます。
あなたの憐れみと愛を切に求めながら、彼らに騙され、破滅へと手を引かれている人々がいます。
主よ、どうかそのような人々によって迷いと苦しみの中にある人々を、どうか救い出してください。
神の前における豊かさは、まさに私たちの心と関わりのうちに与えられることを教えてください。
そのために、イエス・キリストが私たちと同じ人間としてお生まれになり、あらゆる喜びや苦しみを共に担ってくださったことを、私たちが忘れることがありませんように。
病の中にあって苦しんでいる人には癒しを、様々な事情から今日ここに集うことのできなかった人々にもあなたの祝福を、そして迷いの中にある人々には、常にあなたへと立ち返ることのできる導きと祈りをお与えくださいますように。
わたしたちのいのちとその歩みの全てを、あなたの御心に委ねます。





2022年7月28日木曜日

次回31日・聖霊降臨後第8主日礼拝の御案内。

次週2022年7月31日(日)は聖霊降臨後第8主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「分かち合う豊かさ」

と題して、
松本教会では10時半から、 長野教会では15時から、主日礼拝として行われます。
牧師は両教会で礼拝を持ちます。どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

──ルカによる福音書12章13-21節

2022年7月27日水曜日

今週の黙想文(詩1:2)

いかに幸いなことか
…主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。
──詩編1章2節


† † †

詩編は神に対する人の祈りの言葉です。
聖書は神の言葉と言われますが、厳密には神様との関係の中で起こった対話であるとも言えるでしょう。
祈りが神との対話だと言われる理由はそこにあります。
祈ることは、なにも手を合わせて目を閉じ動かず、心を静め、静かな場所でしかできないものではありません。
目を開き、手を動かし、歩きながらでも出来ることを詩編の祈り手は教えています。
また宗教改革者マルティン・ルターもまた、日々の仕事を「天職」と呼び、祈りの一つとして数えました。
私たちが日々の中に起こる関わりの中で絶えずキリストの姿を思い起こし、小さなキリストとして生きようとすること、その歩みと関わりの全てもまた、祈りなのです。

(20220724週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年7月24日日曜日

聖霊降臨後第7主日礼拝【礼拝動画】

本日7月24日は、聖霊降臨後第7主日の礼拝でした。


松本教会は通信礼拝として、長野教会は聖餐礼拝として、両教会10時半より礼拝が守られました。
いよいよ蝉の声が聞こえ始め、長野でも子どもたちが夏休みに入りました。
新型コロナウイルスも再び流行し、一日に1500人以上もの陽性者を出していますが、熱中症と合わせてお気をつけください。
礼拝後、長野教会では草刈りをしました。この時期はぐんぐん緑が成長しますね。
私たちも日々与えられている恵みへの感謝と祈りのうちに成長出来ますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
創世記18章20-32節〈旧p24〉
コロサイの信徒への手紙2章6-19節〈新p370〉
ルカによる福音書11章1-13節〈新p127〉


説教「生涯を支える祈り」

*祈り*

祈りを聞き届けてくださる主なる神様。
あなたは私たちの祈りをすべて聞き届けてくださっています。
私たちのあらゆる祈りをあなたは受け止めて下さり、御心のままに、わたしたちに最もふさわしいものを返してくださいます。
それは私たちが願うものよりも一層ふさわしいものとして与えられることがあります。
主よ、あなたから与えられるものがすべて私たちにとって最善のものであることを信じて、受け取ることが出来ますように。
主が教えられた祈りには、あなたの憐れみと愛が溢れています。わたしたちに必要なものをあなたは全てご存知です。

この世には罪によって引き起こされる一方的な暴力と悲しみがあります。
今なお続くロシアとウクライナとの戦争で引き起こされる別れと痛みや、新興宗教によって破滅させられた人々と、人としての自由と尊厳を奪われていった彼らの子ども達、あらゆる病の苦しみの中にある人々をおぼえて祈ります。
主よ、あなたがわたしたちの生涯の歩みのために与えられた祈りを、どうか私たちの中心に置いてください。
父よ、と私たちの全てを委ねて祈ることが出来るように導いてください。
キリストにおける癒しと赦しによって、あなたの御名を崇めさせ、御国を来たらせてください。
わたしたちに必要な肉の糧、心の糧をお与えください。
私たちが誰かを憎むことなく、またあなたの赦しの中に生きることが出来るようにしてください。
そして私たちに必要な試練を見極めることが出来るようにしてください。
いつどのような時に合っても、あなたへの祈りによって私たちの生涯が支えられますように。

再び日本全国で、新型コロナウイルスの流行が拡大しています。
甲信地区でも短縮礼拝やインターネットを使った礼拝を活用しつつ、祈りを合わせています。
主よ、このような時だからこそ、私たちが祈りを途切れさせることなく続けることが出来るようにしてください。
場所と手段は違えど、私たちの祈りがひとつとされることを信じ、祈りつづけることが出来ますように。





2022年7月21日木曜日

次回24日・聖霊降臨後第7主日礼拝の御案内。

次週2022年7月24日(日)は聖霊降臨後第7主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「生涯を支える祈り」

と題して、
両教会10時半から礼拝が行われます。
松本教会では通信礼拝として、長野教会では聖餐礼拝として行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。 わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』 すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

──ルカによる福音書11章1-13節

2022年7月20日水曜日

今週の黙想文(創18:25)

全世界を裁くお方は、
正義を行われるべきではありませんか。
──創世記18章25節


† † †

旧約聖書で町ごと滅ぼされたソドムとゴモラは有名ですが、実はこの二つの町が滅ぼされる前、アブラハムが神様に対して「…人、正しい人がいれば滅ぼさないようにしてください」と繰り返し祈るのです。
そしてそのたびに、神様はアブラハムの願いを聞き入れ、ついには「正しい人が10人いれば滅ぼさない」までになるのです。
この物語が伝えているのは、私たちの祈りの通りに神様が動いてくださるということではありません。
この祈りの始まりには、アブラハムは神様の裁きの正しさを根拠にして、願い始めているからです。
ここに、祈りが神様とのコミュニケーションであることが表されています。
神様がどのようなお方かを知り、信じ、その上で祈りを捧げる時、必ずふさわしい形で神様が応えてくださることを、この物語は教えてくれるのです。
キリストもまた、「求めなさい。そうすれば、与えられる。(ルカ11:9)」と語られました。
この御言葉は、まさにそのような関わり方をしてくださる神様が、変わることなく今も私たちの祈りに耳を傾けてくださっていることの証なのです。
神様の正しさが見えにくい世の中にあってなお、それを信じ、委ねていくところに、わたしたちの祈りは御心の中に確かに聞かれていくのです。
(20220717週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年7月17日日曜日

聖霊降臨後第6主日礼拝。【礼拝動画】

本日7月17日は、聖霊降臨後第6主日の礼拝でした。


松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として、両教会10時半より礼拝が守られました。
松本教会では冷房のある集会室での礼拝に切り替えました。
また、昨日松本教会につながりのある方が天に召されたことをおぼえ、その魂が御手において安らぎのうちにあることを祈ります。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
創世記18章1-10節〈旧p23〉
コロサイの信徒への手紙1章15-28節〈新p368〉
ルカによる福音書10章38-42節〈新p127〉


説教「何に心を用いるか」

*祈り*

天の御国の主なる神様。
あなたはイエス・キリストを通して、あなたの御国における関わりの真理を、示してくださいました。
あなたの御心に適った関わり合いの姿を、イエス・キリストの姿から私たちが学ぶことができますように。
もし私たちが自分の思いのために誰かを支配しようとし、動かそうとするときには、どうか今日の御言葉を、悔い改めの御言葉として、私たちの心に呼びかけてください。
この世の中で、いかに多くの人々が、自分のためだけを考えて生きていることでしょうか。
全ての人の中にある罪が、いつだって他者の心をないがしろにし、自分の思い通りに事を運ぼうとたくらんでいます。
主よ、そのような現実は2000年前から変わってはいないことを、聖書を通して示してくださいました。
それゆえにあなたが今日もキリストの生きた姿を私たちの心に刻み付け、あなたの御心のために私たちの心を用いることへと、導き出してください。

あと一週間で、ロシアによるウクライナ侵攻が5か月を迎えます。
多くの人々が無念と苦しみの中であなたの御許に召されていきました。
日本でも宗教を用いて相手を破産にまで追いやるカルトの働きがあり、それによって生まれた憎しみが裁かれるべきではない人の命を奪いました。
主よ、この世に起こる悲しみの多くは、私たちが他者を顧みることのできない罪から生まれています。
どうかあなたが語ってくださった「必要なことはただ一つである」という御言葉を、全ての人の心の柱として打ち立ててください。
キリストの心を私の心とし、キリストの歩みを私の歩みとして、ひとりひとりが歩むことが出来ますように。

また一人、あなたの御許に一人のキリスト者の魂が召されました。
しかしその魂をあなたは決して孤独のままに捨て置かれることはありません。
私たちが祈りをもって天へと見送る人の魂が、あなたの御許へと確かに受け止められていることを信じます。
そしてどうか、私たち一人ひとりがあなたの御許へと召されるときには、あなたの御心と愛にあふれ、永遠のいのちを与えられて生きる新しいからだへと造り変え、新しいいのちに生かしてくださいますように。
わたしたちのいのちのすべてを、悔い改めをもってあなたの御心に委ねます。


2022年7月14日木曜日

次回17日・聖霊降臨後第6主日礼拝の御案内。

次週2022年7月17日(日)は聖霊降臨後第6主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「何に心を用いるか」

と題して、
両教会10時半から礼拝が行われます。
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

──ルカによる福音書10章38-42節

2022年7月13日水曜日

今週の黙想文(マタイ6:6)

だから、あなたが祈るときは、
奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
──マタイによる福音書6章6節


† † †

マザー・テレサは祈りについてこのように言っています。
「沈黙は、祈りの美しい実です。私達は、言葉の沈黙だけでなく、心の沈黙、目の沈黙、耳の沈黙、精神の沈黙、私が五つの沈黙と呼んでいるこれらの沈黙を身につけなくてはなりません。」
最近、礼拝の中で牧師が長く祈るところで、祈りのための沈黙の時間を少しの時間取るようにしました。
すると、ある信徒の方が「日頃、ゆっくり静かに祈る時間が取れなかったので嬉しかったです」と仰られました。
私達が祈るとき、私達の心には忙しない日常がそのまま続いてはいないでしょうか。
神様に求める声ばかりが響いてはいないでしょうか。
マザー・テレサは祈りによって私達に起こる五つの沈黙を大切にしています。
それは、祈りを通して私達の心、体、魂の全てが本当に休まる時となるためであるのです。
私達の外も内も静まって癒やされるための沈黙の時間を、いつでも欠かさず持ちたいものです。

(20220710週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年7月10日日曜日

聖霊降臨後第5主日礼拝【礼拝動画】

本日7月10日は、聖霊降臨後第5主日の礼拝でした。


松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として、両教会10時半より礼拝が守られました。
いよいよ蒸し暑い夏がやってきました。
礼拝後に冷房を消すと、役員会を終えて帰る頃には蒸し風呂になっていました。

天に召された教会員をおぼえつつ、祈りを合わせました。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
申命記30章9-14節〈旧p329〉
コロサイの信徒への手紙1章1-14節〈新p368〉
ルカによる福音書10章25-37節〈新p126〉


説教「愛のバトンを受け継いで」

*祈り*

愛と憐れみの主なる神様。
あなたがこの世にお与えになった一人ひとりのいのちは、決して他の誰かによって奪われるべきものではありません。
しかし主よ、世界中で、またこの日本においてすら、一方的な悪意によっていのちが奪われていく出来事が起き続けています。
たとえそうでなくとも、ひとりの人の命が天へと召されていく中で、遺されたわたしたちの心は、寂しさと悲しみに満たされるものです。
主よ、キリストを通して私たちに届けてくださった、永遠のいのちの福音を、どうか信じさせてください。
あなたからいのちをいただいた全ての人が、あなたの永遠のいのちへと導かれ、あなたの愛と憐れみによって互いに支え合う、そのような世界を来たらせてください。
そしてそのために響いている今日の御言葉を通して、どうかこれからもあなたの呼びかけが響き渡りますように。

この世に新しいいのちが与えられることは、果てしない喜びです。
同時に、私たち一人ひとりのいのちが、いかに誰かの愛に満ちた手によって支えられてきたかを実感させられるものでもあります。
どうか私たち一人ひとりの地上のいのちが尽きる時まで、わたしたちをあなたの愛と憐れみで満たしてください。
あなたがわたしたちのいのちに深い共感をもって触れられ、イエス・キリストを送ってくださったように、キリストの福音に触れた私たちもまた、いのちを互いに尊びあう者としてください。
天に召された全ての人々をおぼえ、あなたの御許においてその魂が平安に満たされているようにと祈ります。
また、心の痛みを抱える人々、身体に病を抱えている人々、今まさに闘病の最中にある人々に、どうかあなたが憐れみをもって寄り添ってください。
あなたがキリストによって約束してくださった永遠のいのちを信じ、あなたに全てを委ねます。





2022年7月7日木曜日

次週10日・聖霊降臨後第5主日礼拝のご案内

次週2022年7月10日(日)は聖霊降臨後第5主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「愛のバトンを受け継いで」

と題して、
両教会10時半から礼拝が行われます。
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

──ルカによる福音書10章25-37節

2022年7月6日水曜日

今週の黙想文(使3:19)

だから、自分の罪が消し去られるように、
悔い改めて立ち帰りなさい。
──使徒言行録3章19節


† † †

棋士の羽生善治氏がある番組で、豊かな人生とはどのような人生かと尋ねられて「後悔がたくさんある事」と答えていました。
常に新しい一手を生み出してきた名人ならではの、真理をついた言葉だと思います。
ペトロは神殿でイエス・キリストの名をもって足の不自由な人を癒していきました。
そしてその奇跡を目撃した人々に対して、キリストは「命の導き手(3:15)」であると証し、それにもかかわらずそのイエスを十字架の上で見殺しにしていった罪に目を向けるようにと呼びかけていくのです。
私たちの人生の歩みにおいて、一度も失敗をしないということはあり得ないことです。歩んだ道のりが長くなればなるほど、後悔もまた増えるものでしょう。
しかし、自身の多くの過ちに向き合う時、そのような私たちの全てを受け止め、新しい、豊かないのちの歩みへと繋げてくださるのが、イエス・キリストというお方なのです。

(202200703週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年7月4日月曜日

牧師エッセイ(2022年7月)

ルイ・ジャンモ 「魂の詩 聖なる創造」

今から800年ほど前に、フリードリヒ2世という王様が、人類の言葉の起源を探るべく、一つの実験をしました。
産業革命の時代のヨーロッパは多くの捨子が問題となっていて、修道院がその子供たちを引き取って育てていましたが、ある時ローマの皇帝フリードリヒ2世は親から捨てられた子供たちを見て、「もし赤ん坊に一切言葉をかけずに育てたら、言葉の起源がわかるのではないか?」と考えたそうです。
そこで、赤ちゃんをお世話する修道士たちにマスクを付けさせて表情が見えないようにし、目を合わせず、言葉を一言もかけずに、入浴や食事といった生命維持に必要なお世話だけをさせるという実験を行いました。
その結果、実験に参加させられた赤ちゃんは3歳になるまでにほぼ全員が死亡、生き残った子どもも6歳まで生きられなかったそうです。
この実験は後の時代の心理学者によって再び行われ、ほとんど同じ結果になりました。現代では倫理的に許されることのない実験ですが、このことからわかったのは、「人は誰かに言葉をかけられることなしには生きていけない」という事実でした。

「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。(ヨハネ1:3-4)」とヨハネ福音書は創世記の創造物語を語りなおしています。
この「言」とは創造物語の中で神が「光あれ」をはじめとした多くの言葉によって世界を創造したことと同時に、イエス・キリストのことを表しています。
イエス・キリストご自身と、キリストを通して語られた神様の言葉の中には「命」があるというこの聖書の言葉は、まさに私たちが言葉をかけられることなしには、どう生きていけばよいかの道しるべたる「光」を得られないということでもあるかもしれません。
それは単に歩むべき道だけにとどまらず、いのちそのものを左右するほどのものであることを、実験は証明し、そのはるか昔から、その真理について聖書は語っていたのです。
わたしたちが口にする言葉は、誰かを生かすものでしょうか。
その逆の言葉を吐いてしまってはいないでしょうか。
神様から与えられた尊いいのちと共に、私たちには、いのちを生かす言葉をも与えられていることを心に留めて、過ごしてまいりたいものです。

2022年7月3日日曜日

聖霊降臨後第4主日礼拝【礼拝動画】

本日7月3日は、聖霊降臨後第4主日の礼拝でした。


松本教会は聖餐礼拝として、長野教会は信徒礼拝として、両教会10時半より礼拝が守られました。
通り雨のおかげで、ここ数日の暑さからは少し解放され、松本では礼拝堂での礼拝を守ることが出来ました。
今月から松本教会では月一回の聖餐礼拝を再開できました。
また、今日の礼拝では牧師夫妻の子女の誕生祝福式を執り行うことが出来ました。
新しいいのちの尊さを再確認する、恵みに満ちた礼拝となったかと思います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書66章10-14節〈旧p1170〉
ガラテヤの信徒への手紙6章1-16節〈新p350〉
ルカによる福音書10章1-11,16-20節〈新p125〉


説教「収穫は多い」

*祈り*

平和の主なる神様。
あなたは私たちのために、真の平和を備えてくださっています。
わたしたちにとって地上の生の道のりは、つらいことが多くあって、一人では耐えきれないことばかりが起こります。
しかし主よ、あなたはイエス・キリストとしてこの地上に命を受け、私たち一人ひとりに寄り添う者として生きてくださいました。
そして今日、その働きを担う者を、私たち一人ひとりに遣わしてください。
また私たち一人ひとりを、救いを求める誰かのもとへと送り出してくださいますように。
先日、長野教会に連なる一人の信徒が、あなたの御許へと召されました。
あなたが彼女を通してわたしたちに与えてくださった恵みと喜びに満ちた関わりを、今日ここに思い起こさせてください。
どうか彼女の魂があなたの御許において永遠の命を与えられ、もはやあらゆる苦しみから解放されていることを信じます。
その慰めの福音を、天にあって生きておられる彼女と共に、分かち合うことができますように。
この世界の中であらゆる重荷を抱えている人がいるなら、主よ、どうかあなたがその人に出会ってください。
私たち一人ひとりの関わりを通して、あなたご自身の愛と寄り添いをその人が受け取ることが出来るように、わたしたちを清めて用いてください。
今日、様々な事情のためにここに集うことのできなかった方々、先んじて天に召された信仰の先達者の方々、悩み苦しみや病の中にある人々、世界中で起こり続けている争いに巻き込まれている人々に、主の平和、シャロームを分かち合うことができますように。私たちを日々の中に送り出し、宣教の働きと共に、誰かのために祈ることへと導いてください。