2022年8月31日水曜日

今週の黙想文(1ヨハネ3:1)

御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。
それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、
事実また、そのとおりです。
──ヨハネの手紙 一 3章1節


† † †

生後三か月の娘を見ていると、全身全霊をもって喜び、全身全霊ををもって泣きます。
親の思い通りにはなかなかいかない一方で、自分の全てを親に委ねている娘の姿に、神様が私たちを「神の子」としてくださっている愛がどれだけ深いかを実感しています。
私たちは神様に対して全身全霊をもって祈り、全身全霊をもって委ねられているでしょうか。
私たちの抱える全ての罪に対して、神様は共に格闘してくださるお方であることを、キリストの歩みとその十字架において示してくださいました。
あなたのためなら命をも惜しまない、そのような親と子の深い愛の絆を結ぼうとしてくださっている神様がおられます。
私たちもまた幼子のように、神様の御言葉に耳を傾けつつ、毎日を神様が全て導いてくださる日として受け取ってまいりたいものです。

(20220828週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年8月28日日曜日

聖霊降臨後第12主日礼拝。【礼拝動画】

本日8月28日は、聖霊降臨後第12主日の礼拝でした。


松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として、両教会10時半から礼拝が守られました。
また、今日は飯田教会にも通信を繋げ、甲信地区三教会で祈りを合わせました。
場所は違えど、祈りを一つにすることが出来たこと、恵みの時でした。
夏のピークを終えたかのように、かなり涼しい日となりました。
このまま夏の暑さとコロナが落ち着いてくれることを願っています。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
箴言25章6-7a節〈旧p1024〉
ヘブライ人への手紙13章1-8,15-16節〈新p418〉
ルカによる福音書14章1,7-14節〈新p136〉

説教「神は床の間に」

*祈り*

十字架の主なる神様。
キリストは神の子でありながら、全ての人々のうちでもっとも謙遜な者として生涯を歩み通されました。
助けを必要とする人を見捨てず、敵対する人にも悔い改めの御言葉を語っていかれました。
それは、全ての人が神の前に等しく尊重し合い、関わりあうことが出来るようにという御心と愛によって起こされたものでした。
主よ、キリストは常にあなたへの祈りによって絶えず支えられ、ついには無実の罪で十字架へとかけられていく道すら、御心として引き受けられました。
それによって私たちが御心に反してしまう全ての罪を赦してくださいました。
それらは私たち一人ひとりがキリストのように生きるため、御心にかなって生きるための道を整えてくださるためでした。

主よ、もう新型コロナウイルスの流行が始まって数年が経ちますが、大きな流行の波が来るたびに、これまでにない数の人々が病にかかり、また重い症状を抱えて苦しみ、時には天へと召される人々も増えています。
多くの方々が不安と恐怖を抱えながら、以前のように人に会い、関わりあうことを避けるようになってしまいました。
しかしだからこそ私たちは、誰かと関わりあうこと、共に食事を分かち合うことの喜びと尊さをかみしめます。
機会は少なくなろうとも、わたしたちが誰かとの関わりと分かち合いの時が与えられるときには、どうか今日の御言葉を私たちの心に思い起こさせてください。
謙虚さともてなしの心をもって関わりあうことが出来ますように。
そして、私たちの関わりの中に生きて導いてくださっているあなたが、この厳しい時代を乗り越えるための力をわたしたちにお与えくださいますように。

天候の異常気象、自然災害、長く続く閉塞感による心の病、新興宗教による搾取、政治の混乱、世界中で続いている戦争……、私たちを取り巻く現実には多くの思い煩いがありますが、だからこそ痛みも喜びも、恵みも救いも分かち合いながら、一日一日を励ましあいつつ過ごしていくことが出来ますように、力付けてください。
主よ、あなたがいつでも私たちの間にあって、天の国における関係性を来たらせてくださいますように。





2022年8月25日木曜日

次週28日・聖霊降臨後第12主日礼拝の御案内。

次週2022年8月28日(日)は聖霊降臨後第12主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「神は床の間に」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。
さらに今週は飯田教会も通信礼拝として祈りを共にいたします。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、 あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。 招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

──ルカによる福音書14章1節,7-14節

2022年8月24日水曜日

今週の黙想文(マタイ16:26)

人は、たとえ全世界を手に入れても、
自分の命を失ったら、何の得があろうか。
──マタイによる福音書16章26節


† † †

私たちは身体の健康には気を遣いますが、魂の健康にも気を配れているでしょうか。
私達の魂が損なわれるとき、感謝と謙遜が少しずつ失われ、傲慢になったり、自分の命を大切にしなくなるのです。
最も恐ろしいことは、自分がいつの間にかそうなっていることになかなか気づけないということです。
これこそが私たちの魂は罪という病に冒されている証なのです。
キリストがここでいう「命」とは、身体的な命だけではなく、私たちの罪によって損なわれてしまう魂のことも含んでいます。
だからこそ「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」とキリストは言われたのです。
キリストは十字架によって、私たちの全ての罪を赦してくださいました。
永遠のいのちと神の国への道を切り開いてくださいました。
そうして、わたしたちの魂がこの世においても損なわれることのないように、み言葉を通して私たちに今日も悔い改めを呼びかけてくださっているのです。

(20220821週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年8月21日日曜日

聖霊降臨後第11主日礼拝。【礼拝動画】

本日8月21日は、聖霊降臨後第11主日の礼拝でした。


松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として、両教会10時半から礼拝が守られました。
比較的涼しい午前中でした。いよいよ秋も近いかと思いましたが、まだまだ陽が高くなると暑いですね。
県内のコロナ陽性者数もうなぎ上りの中、分散礼拝にて守られました。
皆様の健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書58章9b-14節〈旧p1157〉
ヘブライ人への手紙12章18-29節〈新p418〉
ルカによる福音書13章10-17節〈新p134〉

説教「神はあなたを縛らない」

*祈り*

唯一の主なる神様。
あなたはこの世界の全てを司っておられます。
私たちがいかに罪深い存在であるかを理解してくださっています。
だからこそあなたはこの地上にキリストをお送りになり、私たち人間の間で生涯を過ごされました。 しかしそこで語られた悔い改めの御言葉は、より深い罪のゆえに怒りを買い、あなたを十字架へと追いやっていきました。
わが身を犠牲にしてまで、わたしたちを悔い改めへと導かれたあなたの愛を、私たちは十字架を通して受け取ります。
主よ、御子の命とその生涯の歩みを通して示してくださったあなたの御心は、愛であふれています。
旧約聖書の時代から、あなたは絶えずわたしたちと共にあり、私たちの心に配慮し、寄り添い続けてくださってきました。
その時々に必要な御言葉を語ってくださり、私たちを見捨てたり、手放すことは一度もありませんでした。

主よ、今なおあなたが私たちのすべてを司っておられ、私たちの歩みを守り導いておられることを信じます。
どうか一人でも多くの人々が、誤った教えと欲にまみれた新興宗教やカルトから遠ざかり、あなたがお与えになる真の平安と喜びの中に生きることが出来ますように。
今、国を動かし、人々の生活を守り導く役割を与えられている政治家の人々が、カルトとの深いかかわりを持ち、決まり切った定型句で説明逃れをしようとしている昨今において、どうか一人でも誠実さを取り戻すことができますように。
人々によって選ばれ、人々の生活の責任をその背に担っている責任感の上に、彼らが愛と配慮をもってこの国を動かしていくことが出来ますように。悔い改めの機会を与えてください。
そしてまた私たちも、そのような姿から自らを省み、あなたの教えを今一度、あなたの果てしない愛と寄り添いから語られた言葉として、受け取りなおすことが出来ますように。
主よ、どうかこれからも、私たちを生かす福音を、聖書のみ言葉を通して私たちに届けてください。





2022年8月18日木曜日

次回21日・聖霊降臨後第11主日礼拝の御案内。

次週2022年8月21日(日)は聖霊降臨後第11主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「神はあなたを縛らない」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。

──ルカによる福音書13章10-17節

2022年8月17日水曜日

今週の黙想文(マルコ7:37)

この方のなさったことはすべて、すばらしい。
──マルコによる福音書7章37節


† † †

耳が聞こえず、舌の回らない人が、「開け」というキリストの言葉によって癒されたとき、この人はキリストの癒しのすばらしさを人々に語って聞かせています。
キリストがこの人を止めようとしたのは、ご自分が奇跡行為者であるという部分だけに注目されることを避けようとしたからです。
ですから、なお止まることのなかった彼の賛美は、神様から受けた福音を語らずにはいられなくなるということの表れと見るべきでしょう。
そのような彼に起こったのは単なる癒しだけではなく、キリストの癒しのみ言葉を受け入れるように、まず心に「開け」と言ってくださったキリストがおられるのです。
彼が賛美した「耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる」という言葉は、身体的な制限だけではなく、心の制限をも打ち砕いてくださったことを顕しているのです。
私たちは日々どれだけの言葉を聴かないようにし、言葉を飲み込んでいるでしょうか。
神様はそのすべてを受け止めてくださるお方です。
私たちの心の声に、いつでも神様は耳を傾けてくださっている。それを信じるところに、私たちの心もまた開かれていくのです。
(20220814週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

マルコ7:37_20220814

2022年8月14日日曜日

聖霊降臨後第10主日礼拝。【礼拝動画】

本日8月14日は、聖霊降臨後第10主日の礼拝でした。



松本教会は通信礼拝として、長野教会は聖餐礼拝として、両教会10時半から礼拝が守られました。
長野教会では毎年恒例のプチ修養会を行いました。
今年のテーマは「説教のつくりかた-みことばの読み方講座-」でした。
牧師が説教をどのように準備をしているかダイジェストに紹介しつつ、学びの時を過ごしました。
毎日の日々の中でも、皆様一人ひとりが豊かに聖書のみ言葉を深めることが出来ますように。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書23章23-29節〈旧p1221〉
ヘブライ人への手紙11章29節-12章2節〈新p416〉
ルカによる福音書12章49-56節〈新p133〉

説教「分裂の先にある平和へ」

*祈り*

わたしたちの唯一の救い主なる神様。
あなたはキリストの身をもって、人々がいかに深い罪の中にあるかを顕わにされました。
あなたの御言葉に耳を傾けず、悔い改めることをしない人々の間で生き、その苦しみの全てに心を寄せてくださいました。
だからこそ主よ、あなたはみ言葉を通して、私たちに理想とやさしさに満ちた導きだけをお与えになるのではありません。私たちに現実を見つめる試練を与え、避けられない分裂を耐え忍ぶようにと十字架の主をお示しになりました。
あなたの御言葉は私たちが日々生きる現実の中にこそ、私たちを生かす使信となることを信じさせ、またいつでもあなたに従って生きることが出来るように、私たちを支えてください。
あなたが全ての人を救いへと導こうとしておられる、その御心と愛を私たちに注ぎ、あなたの救いを宣べ伝えるための働きを担わせてください。
私たちのすべてを通して、あなたが一人でも多くの人を救いへと導くように、用いてくださいますように。

人を傷つけ、破滅させるあらゆる新興宗教が世間を騒がせている中で、私たちは改めて真の宗教、真のキリスト教とは何かを、御言葉から聞きます。
主よ、あなたこそが最も誠実な方であり、それゆえに最も私たちの罪深い現実に心を寄せてくださっている方であることを、キリストの姿において示してくださいました。
キリストの言葉を決して理想や幻ではなく、私たちの生きる現実に根付いた御言葉として、私たちが受け取ることが出来ますように。





2022年8月12日金曜日

次回14日・聖霊降臨後第10主日礼拝のご案内。

次週2022年8月14日(日)は聖霊降臨後第10主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「分裂の先へ歩み出す」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、 長野教会では聖餐礼拝として、両教会10時半から行われます。
牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。 しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。 父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。」 イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。 また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。 偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」

──ルカによる福音書12章49-56節

2022年8月10日水曜日

今週の黙想文(ルカ1:36)

あなたの親類のエリサベトも、
年をとっているが、男の子を身ごもっている。
──ルカによる福音書1章36節


† † †

マリアが天使から受胎告知を受けたことは、当時のユダヤ社会では「夫ではない人の子どもを身ごもった」重罪とされてしまいかねないことでした。
しかし、それでもマリアが「お言葉どおり、この身に成りますように」と言えたのは、親類のエリサベトもまた神様の同じご計画によって身ごもっているという知らせがあったからではないでしょうか。
自分と神様の同じ計画のうちにあるエリサベトの存在によって、マリアは孤独の暗闇から抜け出したのです。
私たちがひとりで悩み苦しみを抱える時、神様はそれを確かにご存知です。
だからこそ神様は、わたしたちと同じ立場で寄り添ってくださる方として、人であり神であるイエス・キリストを、わたしたち一人ひとりのためにお遣わしになりました。
そして、マリアとエリサベトの間に生まれた共感と支え合いの心は、のちにキリストが人々との間で保ったものでもあったのです。
わたしたちもマリアとエリサベトとの関係のように、共感と祝福の祈りを分かち合う関係へと向かってまいりたいものです。

(20220807週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年8月8日月曜日

牧師エッセイ(2022年8月)

第一子が生まれて2ヶ月が経ちました。
赤ちゃんはお腹が減った、オムツを替えてほしい、暑い、寒い、眠い……いろいろな必要を言葉で伝えられないので、「泣く」の一択で知らせてきます。
夜中でも早朝でも3時間毎に泣くので睡眠不足になり、特に最初の1か月は、夫婦二人とも心身共に疲れ果てていました。

ある日のことです。
赤ちゃんのオムツは水分を吸収すると外側の模様の色が変わり、替え時がわかるようになっています。ふとそれを見てみると、色が変わったところに「ありがとう」というメッセージが浮かび上がっていたのです。
その一言だけで、つらかった心が軽くなり、救われたような気がしました。
育児の大変さに囚われていた心が、子どもへの愛情へと立ち返らされる出来事でした。

私たちが過ごしている日々の中には、私たちの心を疲れさせ、気持ちを暗くしてしまうようなことが溢れています。
しかしそのような暗闇の中にあって、たった一言の、何気ない言葉が誰かを救うということも起きるのです。

「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い(コヘレト4:9)」とコヘレトは語ります。
そして、そのように支えあう私たちのいのちの交わりの中に、神様もまた加わってくださっているからこそ、より私たちが力強く支えられ、救われることを「三つよりの糸は切れにくい(同12節)」と続けるのです。

私たちが誰かを気遣う一言が、誰かを救う一言になる。
その一言の中にこそ、神様の働きがあります。
わたしたち一人ひとりの「ありがとう」という言葉を、誰かの心を救うために、神様が用いてくださる。
そのような「三つよりの糸」の関係性を、私たちも保ってまいりたいものです。


フランシスコ・デ・ゴヤ 「聖家族」 


2022年8月7日日曜日

平和主日礼拝。【礼拝動画】

本日8月7日は、平和主日の礼拝でした。


松本教会は聖餐礼拝として、長野教会は通信礼拝として、両教会10時半から礼拝が守られました。
県内でも新型コロナの勢いが収まらないなかですが、こうして礼拝が続けられていることに感謝しています。
一人ひとりが神様から与えられている平和を保ち、キリストの愛の掟に従って歩むことが出来ますように。
未だ戦火の中にあるウクライナのことをおぼえ、またあらゆる痛みと悲しみの中にある人の心に、平和がもたらされるように祈りたいと思います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ミカ書4章1-5節〈旧p1452〉
エフェソの信徒への手紙2章13-18節〈新p354〉
ヨハネによる福音書15章9-12節〈新p198〉

説教「神との約束を守る」

*祈り*

平和の主なる神様。
あなたはわたしたちが群れをつくり、王をたて、国を造り、また他の国との争いの中に生きなければならない歴史を、つぶさにご覧になられました。
そしてその連鎖は幾千年を超えてなお今も変わることがありません。
国家もつきつめれば人の集まりであり、一人ひとりの決定が、ついには大きな争いと悲しみを引き起こしています。
主よ、あなたが願い続けておられる真の平和を求めます。そのために、平和を願う私たちを支えてください。
力をもって力を制するのではなく、争いあうことをやめるために必要な愛を私たちにもたらしてください。
キリストが示してくださった赦しを、私たちの心にも与えてください。
そして、争いあうことによって起こる多くの悲しみと喪失の中にある人にこそ、慰めをもって寄り添っていくことが出来ますように。
あなたがわたしたちをどれだけ愛しておられるかに、心を寄せることができますように。
あなたが関わり、あなたが語り掛け、あなたが導かれた2000年前の人々の姿は、今と何も変わっていません。
しかしそれでもあなたがキリストを信じる人々を立て続け、今なお御言葉を語り続けてくださっていることに感謝いたします。
それこそが今日も天において生き続けておられるキリストが、忍耐とゆるしをもって私たちに悔い改めの御言葉を語ってくださっていることの何よりの証です。
わたしたちが今日御言葉によってあなたに心を向け、ひとつひとつの争いあう心を悔い改め、小さな平和を取り戻していけますように、日々の歩みを導いてください。
あなたが私たちにどのような思いをもって関わり続けてくださっているかを、日々の中に起こる全てのことを通して、悟らせてくださいますように。

今、戦争を引き起こしている人々、人の死さえも利用し、政治を動かそうとしている人々がいます。
宗教の名を騙って人を支配しようとしている人々がいます。
主よ、平和が失われたこの世にあって、それでもなお、あなたへの信仰と愛のゆえに、平和を保つための声を上げ続けることが出来ますように。
あなたの平和を来たらせるために、私たち一人ひとりをどうか清めて用いてください。





2022年8月4日木曜日

次回8月7日・平和主日の礼拝のご案内。

次週2022年8月7日(日)は平和主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「神との約束を守る」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、 
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。
牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 15:10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。 15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。 15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

──ヨハネによる福音書15章9-12節

2022年8月3日水曜日

今週の黙想文(1コリ12:18)

神は、御自分の望みのままに、
体に一つ一つの部分を置かれたのです。
──コリントの信徒への手紙 一 12章18節


† † †

パウロは教会を「キリストの体」にたとえて表現しています。
わたしたちの体のそれぞれの部分が必要な働きを担い、それぞれになくてはならないものとしてあるように、教会に集う私たち一人ひとりが必要な存在として、神様によって集められたのが教会という場だと説明するのです。
しかもそれは、一人ひとりが自分だけ持っているような特別な長所のために集められたのではないのです。
神様はあえて私たちの弱さをつなぎ合わせ、教会という場を造り上げることで、私たち一人ひとりもまた、互いに弱さに配慮しあう心を教えられているのです。
自分の中で嫌いな部分が一つもない、という人はそう多くありませんが、神様は、その嫌いを奇跡で好きに変えたりはしません。
嫌いのままでよい、と神様は私たちを受け止めて下さり、だからあなたをわたしは呼んだのだと言ってくださる、そこから神様との関わりは始められていくのです。
それこそが教会という神様との出会いの場であり、神様との関わり──信仰の初めの一歩なのです。
(20220731週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

1コリント12:18