2022年10月30日日曜日

宗教改革日礼拝。(長野教会動画)【礼拝動画】

本日10月30日は、宗教改革日の礼拝でした。


松本教会は昨日の公開講座に引き続き、江口再起牧師にご奉仕いただき主日礼拝として守られました。
長野教会では野口和音牧師により、聖餐礼拝として守られました。
ご奉仕いただいた江口牧師に感謝申し上げます。

今年はルターの新約聖書翻訳(1522年)から500年の年ですね。
説教もそれに合わせ、翻訳の話を取り上げてみました。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書31章31-34節〈旧p1237〉
ローマの信徒への手紙1章16-17節〈新p273〉
ヨハネによる福音書8章31-36節〈新p182〉


説教「信実──神の決意と人の信仰」

*祈り*

全世界の救い主なる神様。
主よ、あなたの御言葉は様々な言葉に訳され、キリストの時代よりもはるかに多くの人々に届いています。
だからこそ、あなたの御言葉に込められた福音を誤解したり、捻じ曲げることなく、神と私たち一人ひとりとの直接的な関係性の中で、福音を受け取っていくことが出来るように導いてください。

私たちの罪が今なお拭い去られることなくあるからこそ、あなたの救いは一層誠実さを増して私たちに示されています。
私たちがどれだけ背きの中にあったとしても、あなたが私たちを救うことを決してあきらめない、その決意の誠実さを、深く御言葉に聞いた人々は受け取ってきました。
どうかわたしたちも、その救いの喜びに与からせてください。
幾千年を超えて私たちを導いておられるあなたのご計画のうちに、あなたから与えられる信仰を通してわたしたちをあなたの御傍に置き、絶えずあなたの救いの御言葉によって立たせてくださいますように。

主よ、私たちはいつだって思い煩いと困難を抱えながら日々を歩んでいます。
すぐには解決できない問題ばかりがのしかかり、明日への歩みも定かではないことがあります。
しかし主よ、あなたはいつでもキリストによって、そのような深い闇のなかにある人々のもとへと踏み込んでくださり、共にその苦しみを分かち合ってくださいました。
主よ、私たちがどのような問題を抱えていようとも、あなたが語ってくださった御言葉によって、今日私たちが歩む道を示してください。
キリストが人々との間にあって愛に生きた歩みをわたしたちも辿り、常に祈りと御言葉に聞く歩みをやめることがないように、日々の生活のうちにあって、守ってください。
そして、私たち一人ひとりがあなたを心から求める信仰によって、私たちを隣人のうちにあって輝かせ、御手の働きのために用いてください。
どうかあなたの憐れみと恵みを必要としている人を引き合わせてくださったのなら、あなたが示された誠実と愛によって、その人を包むことが出来るように、私たちに勇気を与え、押し出してください。





2022年10月28日金曜日

【再掲】ルーテル教会公開講座「コロナ後のわたしたちの生き方」

公開講座(講演)のお知らせです!



日本福音ルーテル教会では、毎年10月31日に宗教改革者マルティン・ルターの宗教改革を記念した礼拝を、一番近い日曜日(今年は30日)に行っています。

今年はさらに、松本教会では、前日29日(土)14時より、宗教改革記念・公開講座を行うこととなりました!

講師として日本福音ルーテル教会牧師であり、ルター研究所所長の江口再起牧師をお迎えし、「コロナ後のわたしたちの生き方」と題してご講演いただきます。

参加無料で、どなたでもご参加いただけます。
ZOOMからでも参加できますので、遠方からのご参加もお待ちしています!


ZOOMでのご参加をご希望の方は、お時間になりましたら、
↓こちらのリンクをクリックしていただくか、↓

https://zoom.us/j/96966765855?pwd=OFJHMXpQN0taV2FYdWRCUFFxOGFudz09

ミーティングID: 「969 6676 5855」

パスコード:「 906481」

をZoomにてご入力ください。



2022年10月29日(土)
14時より講演開始となります!
是非お越しください!

†会場の松本教会はこちらです†

2022年10月27日木曜日

次回30日・宗教改革主日礼拝のご案内。

次週2022年10月30日(日)は宗教改革主日の礼拝です。

松本教会は江口再起牧師の説教
「宗教改革の精神」

長野教会は野口和音牧師の説教
「信実──神の決意と人の信仰」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、
長野教会では聖餐礼拝として、
両教会10時半から行われます。

牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

29日(土)の公開講座にも是非お越しください!



 
† † †

わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

──ローマの信徒への手紙1章16-17節

2022年10月26日水曜日

今週の黙想文(民9:8)

モーセは彼らに言った。
「待ちなさい。主があなたたちに何とお命じになるか聞いてみよう。」
──民数記9章8節


† † †

モーセは出エジプトの際、神様のメッセンジャーとして選ばれた人でした。
ある時人々から神様が定められた律法について尋ねられたとき、モーセは自分の判断を優先させるのではなく、一旦返答を保留にし、神様に尋ねに行くのです。
私たちも神様を信じていると、現実と信仰の狭間に立たされ、「神様、どうしてですか」と尋ねたくなるようなことに直面することがあります。
しかしそこで自分が持っている知識と経験だけですぐに答えを得ようとしてはいないでしょうか。
私達の理解のうちに神様を閉じ込めてしまうことは、いつしか自分を神様とすることにも繋がります。
むしろ信仰の問いが生まれる時にこそ、このような神様からの呼びかけがあることを、モーセの姿から聞き取りたいと思います。
聖書を読めば読むほど、信仰的な問いが生まれるのは自然なことです。
それは不信仰などではありません。
信仰をより深くし、私達との関わりをより強く愛の絆で結びあわせようとしてくださっている神様の呼びかけに応え、神様の御心を探り続ける歩みを、これからも続けてまいりましょう。

(20221023週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年10月23日日曜日

聖霊降臨後第第20主日礼拝。【礼拝動画】

本日10月23日は、聖霊降臨後第20主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、長野教会は聖餐礼拝として、礼拝が守られました。
いよいよ冷え込みが始まり、灯油ヒーターを付けて礼拝を守るようになりました。
今年はインフルエンザも流行するとのこと、体調に気を付けてお過ごしください。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
エレミヤ書14章7-10,19-22節〈旧p1203〉
テモテへの手紙 二 4章6-8,16-18節〈新p394〉
ルカによる福音書18章9-14節〈新p144〉


説教「下を見るな、上を見ろ」

*祈り*

憐れみ深き父なる神様。
あなたが私たちの祈りにいつも耳を傾け、速やかに聞き届けてくださっていることに感謝いたします。
私たちがあなたに祈りを捧げる時、それはすでに聞き届けられたものとして信じることができますように。
わたしたちがあなたに祈り求める時、私たちにとって最も必要なものは、わたしたちの心が悔い改めることだと、あなたはキリストを通して語ってくださいました。
私たちが自分自身の力ではなく、あなたにより頼み、あなたの愛と憐れみに生かされることによってのみ、私たちはキリストの教えに従うことができるようになることを、私たちが信仰の中心に置くことができますように。
あなたに向かい合う時、私たちの手から、自分の力、功績、地位、経済力、その他すべてのものを手放すことができますように。
あなたによって命をうけた、ありのままの姿とその無力さのゆえに、主よ、あなたが私たちを通して働いてくださいますように、私たちのすべてをお委ね致します。

私たち人間は、いつだって他の誰かに負けないように競い合い、上下関係を作り出します。
社会の中で、私たちはそれを取り除くことはできませんが、そのような上下関係が、誰かを敬い、また自分もより励まされて努力することが出来る、そのような支えとして受け取ることが出来ますように。
そのような関係は、キリストを通して教えられた愛に満ちた関係性にも重なるものです。
どうかわたしたちの姿を通して、あなたの御姿を輝かせることができますように。
私たち一人ひとりが謙虚と配慮に富み、愛と憐れみに満ちて、誰かと関わりあうことによって、より多くの人々があなたの御心に従った歩みへと導かれるよう、私たちを用いてください。
今日、様々な事情により、ここに集うことのできなかった方々がおられます。たとえ違う場所にあって、また時間を超えて祈りを合わせている一人ひとりにも、どうかあなたが祝福と励ましをお与えください。いつでもあなたに心を向ける者に、あなたが豊かな憐れみをお与えくださいますように。 また、愛する家族を失い、心に深い悲しみと痛みを抱えている人がいます。どうか主よ、あなたがその心に寄り添ってくださいますように。 全てのことをあなたに委ね、私たちと共におられる慰めと感謝のうちに、この祈りを捧げます。





2022年10月20日木曜日

次回23日・聖霊降臨後第20主日礼拝の御案内。

次週2022年10月23日(日)は聖霊降臨後第20主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「下を見るな、上を見ろ」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では聖餐礼拝として、
両教会10時半から行われます。

牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。 わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

──ルカによる福音書18章9-14節

2022年10月19日水曜日

今週の黙想文(箴4:2)

わたしは幸いを説いているのだ。
──箴言4章2節


† † †

箴言は父が子に教える形で書かれた教訓集です。
その教えを守る屋台骨が「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け(3:5-6)」という言葉に表されています。
同時に、神は私たちに対して都合の良いことばかりを与えてくれる存在ではないこともはっきりと教えています。
私たちの目の前に、神様の救いも導きも見出せず、ただ不条理な苦しみにしか思えない現実が広がっていることは珍しくありません。
今まさにそのような苦難に直面しているかもしれません。
しかしだからといって、その現実が、神が私たちを見捨てられたことの証明にはならないことを箴言は教えるのです。
無情で不条理な現実は確かに存在し、私たちを苦しめます。
しかしその不条理に意味と理由を求め続けるなら、そのような私たちと共に考え、意味を与えてくださるのが神様であるからです。
徹底的に人々の隣人として、友として生きられたイエス・キリストの姿に、そのような神の御心が表されているからです。
だからこそ私たちはどのような苦しい時にあってもなお揺るがない「幸い」を説く父なる神の声に、耳を傾けたいと思うのです。

(20221016週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年10月16日日曜日

聖霊降臨後第19主日礼拝。【礼拝動画】

本日10月16日は、聖霊降臨後第19主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、長野教会は家庭礼拝として、礼拝が守られました。
秋晴れで少し暑いくらいでした。



礼拝後、松本教会では「キリスト教葬儀の学び」を行いました。
葬儀についての順序や準備について学び、エンディングノートをお配りしました。
是非ご自身を振り返りつつ、少しずつでも記入してみてください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
創世記32章23-32節〈旧p56〉
テモテへの手紙 二 3章14節-4章5節〈新p394〉
ルカによる福音書18章1-8節〈新p143〉


説教「見えているようで、見えていない」

*祈り*

私たちの祈りを全て聞き届けたもう主なる神様。
あなたへの祈りは、私たちにとって格闘です。
それは、私たちが祈りを捧げる時、私たちの目の前にある神を見出すことの難しい現実と、あなたが速やかに聞き届けてくださることを信じる信仰との格闘です。
主よ、どうか御言葉をもって、私たちがあなたの御心を絶えず探し求めるように導いてください。
私たちが誤った姿であなたを見出すことなく、いつも私たちの心に寄り添う愛ある御方として捉えることが出来ますように。
それゆえに子を愛する親のように、私たちの願いを単に聞き届けてくださるのではなく、私たちにとってより良い形で聞き届けてくださるようにと、熟慮しておられることを、この世の沈黙のうちに聞き取ることが出来ますように。

主よ、あなたがこの世に人を造り、人のうちに罪を受けたその日から、多くの人々があなたを見失っています。
目の前にある現実の中に、誰の目にも明らかな形で御業を行うことはなさらず、信じる者の目を通して、あなたは私たちにそっと働きかけてくださいます。
それは、既にあなたがイエス・キリストとそれに連なる全ての弟子たちを通して、あなたの御心を語り尽くしてくださったからです。
どうか私たちが真の神様を求め、その姿と御心とを理解しようと求める時には、あなたの御言葉と真の信仰とをお与えください。
あなたが私たちにお与えになるものは決して空虚な妄信ではなく、いつでも私たちに寄り添われている憐れみ、私たちを救い出すいのちの救いによって支えられている、愛に満ちた、生きた信仰であることを、私たちが忘れることがありませんように。
神を忘れ、神を誤解したこの世にあって、御言葉に耳を澄ます私たち一人ひとりが、真の神様とその愛に立ち、確かにあなたの御手のうちに私たちが守られていること、導かれて今日ここに生かされていることを、分かち合うことが出来ますように。
そしてどうか私たち一人ひとりが、あなたの御言葉と愛を携え、あなたの平安と、憐れみと、赦しを失ってしまった人々を省みることが出来ますように。
私たちの言葉と差し伸べる手を、あなたの御手の働きのために用いてください。





2022年10月13日木曜日

次回16日・聖霊降臨後第19主日礼拝のご案内。

次週2022年10月16日(日)は聖霊降臨後第19主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「みえているようで、見えていない」

と題して、
松本教会では主日礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。

牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

──ルカによる福音書18章1-8節

2022年10月12日水曜日

今週の黙想文(創12:3)

あなたを祝福し、あなたの名を高める。
祝福の源となるように。
──創世記12章3節 


† † †

イスラエルの人々の始祖としてよく名前が上げられる一人に、アブラハムがいます。
彼は聖書に登場する人々の中で、ノアに続いて神様と契約を結んだ人の一人です。
後のイスラエルの人々が受け継いだ神様と彼の契約は、「土地を与える」「子孫を与える」「祝福の源とする」の三つでした。
そして、その契約を信じ神様に従うために、アブラハムは生まれ故郷を捨て、神様の示す地へと旅立っていったのです。
しかしイスラエルの民は、そこにいるだけで周りに祝福が満ち溢れる生き方を、どうしてもできなかったのです。
争いと神様の裁きがあり、悔い改めてはまた神様から離れていく、その繰り返しをやめることのできない民の罪深さを旧約聖書は記しています。
だからこそ神様はイエス・キリストを遣わし、人々の罪を全て贖ってくださいました。
これは契約ではなく、一方的な恵みによるものです。
契約で人々を縛って生き方を強制するのではなく、わたしたちが自ら祝福の源として歩んでいけるようにと、この御言葉をもって、今日も神様は忍耐強く祈っておられるのです。

(20221009週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年10月9日日曜日

聖霊降臨後第18主日礼拝。【礼拝動画】

本日10月9日は、聖霊降臨後第18主日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、長野教会は主日礼拝として、礼拝が守られました。
この数週間で長野は一気に冷え込み、教会でもストーブを付けました。
衣替えが追いついていません。
皆様も体調に気を付けてお過ごしください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
列王記下5章1-3,7-15節〈旧p583〉
テモテへの手紙 二 2章8-15節〈新p392〉
ルカによる福音書17章11-19節〈新p142〉


説教「祈りっぱなしになってませんか」

*祈り*

祈りを聞き届けたもう主なる神様。
あなたはイエス・キリストを祈りの旅へと送り出されました。
それは、最期には無実の罪を着せられ、十字架という死に向かう辛い旅路でした。
しかしキリストはその旅路を歩み通されることによって、私たちすべての人々の痛みを共に担う者とされました。
その旅路において、祈りをもってあなたとの関わりを保つことが不可欠であったことを、私たちは福音の御言葉から聞きます。

主よ、私たちの心は弱く、あなたから離れ、この世界があなたの御手の内にあることを忘れて、日々の日常を過ごしてしまうことばかりです。
しかし主よ、あなたはまどろむこともなく、いつでも私たちの祈りに耳を傾けてくださっています。
その信仰のゆえに、私たちの日々がすべてあなたの御心の中に導かれていることを信じさせてください。
私たちの祈りに応えるためにふさわしい時と導きが必ず備えられていることを、信じさせてください。
あなたにより頼んで生きる者として私たちを今日ここから送り出し、あなたへの感謝と讃美に満たされた歩みの中に、生かしてくださいますように。

わたしたちにとって、この世の歩みは、苦難が付きまといます。
人は人とすれ違い、争いあい、裁きあう世の罪が、一層深くなってきている時代の中で、主よ、あなたが御言葉をもって私たちの信仰の目と耳を開いてください。
奇跡のように私たちを救い出すのではなく、祈りつづけ、この世の痛み苦しみのうちに留まってくださったキリストの姿にこそ、あなたの姿、あなたの御心があることを、受け止めさせてください。
主よ、私たちは今日祈ります。
どうか私たち一人ひとりに、あなたの御言葉を通して救いをお与えください。
あなたの赦しと、愛と、恵みとに満たされていることを受け取ることが出来ますように。
そして感謝をもって、あなたへと心を向け、再び祈りへと導いてください。
そしてキリストの御言葉によって送り出された私たちが、次はすれ違い、争いあい、裁きあってしまう他の誰かのために祈ることができますように。





2022年10月6日木曜日

次回9日・聖霊降臨後第18主日礼拝の御案内

次週2022年10月9日(日)は聖霊降臨後第18主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「祈りっぱなしになってませんか」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では主日礼拝として、
両教会10時半から行われます。

牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。 ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

──ルカによる福音書17章11-19節

2022年10月5日水曜日

今週の黙想文(2コリ8:7)

あなたがたは信仰、言葉、知識……など、
すべての点で豊かなのですから、
この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
──コリントの信徒への手紙 二 8章7節
† † †

コリントの教会に送った手紙の中で、パウロはエルサレムの信徒・教会のための募金と協力を求めています。
パウロはここでコリントの人々が受けている豊かさと恵みについて触れ、奉仕のわざへと向かうようにと促しているのです。
マルティン・ルターは、当時のカトリック教会の行為義認を否定し「恵みのみ」と唱えました。
しかしこの言葉は、ともすれば恵みを受けるだけで、奉仕のわざに向かわなくても良いという捉え方をされてしまうことがあります。
ルターがこのように言ったのは、信仰は神の恵みと愛によって与えられるものであるからこそ、神の愛の顕れである善きわざへと私たちを向かわせるものである、ということでした。
イスラエルには塩分濃度が高くほとんど生き物のいない死海がありますが、現地ガイドはこのように説明するそうです。
「死海はヨルダン・ガリラヤの何本かの川から命の水を受けているが、自分から外にだすことはない。受けるだけで与えることがなければすべては死んでしまう」と。
私たちも神様の恵みを受けるだけではなく、他の誰かへの愛へと生かされる、そのような信仰に生きてまいりたいと思います。



(20221002週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年10月3日月曜日

牧師エッセイ(2022年10月)

インターネットを通じて人々と交流が出来るサービス「Twitter」を窓口にして、可愛いがま口バッグを販売している方がいます。
その製作を一手に引き受けているのが、82才からミシンを始めたおじいさんなのです。

その方はコロナ禍が始まった2年前、様々な大病とうつ病を患い、ほとんど一日中寝たきりでした。
しかし、娘さんが壊れたミシンの修理をお願いすると、元電気工事士であったことからあっという間に修理してしまいました。
さらには、せっかくだから何か作ってみようと布小物を作り始めたそうです。
そこで、娘さんが布小物を写真に撮り、Twitterを通じて多くの人に見せたところ、購入希望者が相次ぐことになったのです。

「もし、がま口バッグ作りに出会わなかったら、私は死んでいた。(購入希望者の中には)何年でも待ちますと言う方、メッセージを添えてくれる方などたくさんの素敵な出会いもあり、薬よりもよく効く元気の源。だから毎日毎日、心込めて、カバンを作っています」というコメントでそのニュースは締めくくられていました。

このように、他の誰かのことを想い、誰かと共に生きることは、私たちを生かす力の源になるのです。
そして、誰よりも私たち一人ひとりのことを想い、私たちのために命を捧げてくださった方こそ、イエス・キリストでした。
キリストの姿を通して、神様は今日も、私たちが誰かのために生き、誰かと共にいのちを豊かに保つことを願っておられます。
手紙や電話、インターネットなどあらゆるものを通じて、私たちも誰かと共に生きるいのちに生かされて参りたいと思います。



2022年10月2日日曜日

聖霊降臨後第17主日礼拝。【礼拝動画】

本日10月2日は、聖霊降臨後第17主日の礼拝でした。


松本教会は主日礼拝として、長野教会は信徒礼拝として、礼拝が守られました。
先週は野口牧師の夏季休暇により、引退教職の栗原茂牧師に礼拝を担当していただきました。感謝です。
無事長野・松本2教会で礼拝を守ることが出来ました。
今週からは長野は一気に朝晩が冷え込み、10℃以下になる予報です。
皆様も体調に気を付けてお過ごしください。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
ハバクク書1章1-4節、2章1-4節〈旧p1464〉
テモテへの手紙 二 1章1-14節〈新p391〉
ルカによる福音書17章5-10節〈新p142〉


説教「愛がなければ」

*祈り*

愛と導きの主なる神様。
あなたは果てしない愛をもって、私たちの歩みをご覧になられます。
そこにはあなたの御心から離れ、背き、自分勝手に御言葉を受け止め、誤解してしまったこともあったでしょう。
しかし主よ、あなたはその全てをお赦しになり、忍耐強くあなたの愛を、キリストの言葉として語り続けてくださっています。

主よ、羊のように迷い、銀貨のように隠れ、放蕩息子のように罪に満ちた私たちに、あなたの信仰をお与えください。
あなたの赦しに示された深い愛を、私たちが受け取り、また私たちも小さなキリストとして、誰かを赦すことが出来るようにしてください。
あなたの御心に適って愛に満ちた関わりを、関わりあう全ての人との間にもたらしてください。
私たち一人ひとりの姿を通して、神様の愛とすばらしさを示すことが出来るように、用いてください。

私たち一人ひとりの力は弱く、大きなことは何一つできません。
しかし、あなたが私たちを集め、私たちを導く時、私たちの思いもよらない大きな出来事が引き起こされてきたことを、誰もが知っています。
私たちが自分の力により頼むのではなく、キリストのようにあなたへの信仰と愛にのみ立つことができるように、悔い改めさせてください。
たえざる恵みと導きによって、私たちを省みてくださいますように。

世界中で、自分の思いと願いのために、周りを省みることのできない人々がいます。
自分を主人とし、隣人をしもべとしてしか見ない独裁者になってしまっている人がいます。
主よ、どうかその人々の耳を開いてください。愛と配慮、正しさを求める声を届かせてください。

預言者ハバククが嘆いたように、目の前にある現実のどこにもあなたの正しさが見当たらない時にさえ、あなたに祈りを捧げることを私たちが諦めることがありませんように。
争いによって多くの命が失われ、悲しみの中に暮れている人々には慰めと癒しをお与えください。
あなたの愛と憐れみが一人でも多くの人の心に満たされ、愛をもって関わりあう関係へと導かれるように、あなたの御心を表すものとして、私たちを送り出し、用いてください。
今日ここに集うことのできなかった方々、違う場所で祈りを合わせている方々の祈りを一つにし、どうか聞き届けてくださいますように。