2022年11月30日水曜日

今週の黙想文(2テサ3:9)

援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、
あなたがたがわたしたちに倣うように、
身をもって模範を示すためでした。
──テサロニケの信徒への手紙 二 3章9節


† † †

パウロが手紙を書いているテサロニケの教会の人々は、すっかり怠惰になってしまっている、と記されています。
当時の教会は自分の財産を教会全体の共有財産として捧げ、富める者と貧しい者が等しく分かち合っていたとされています。
しかし、そこに「怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいる」ことによって、教会全体に、捧げることなく受けるだけの人々が増えていく、そのような雰囲気が広まっていったのかもしれません。
パウロはそのようなテサロニケの人々に、食べるための対価として働くではなく、労せず自分が生かされているからこそ、喜んでそれ以上に働きを担うようにと、身をもって勧めたのです。
パウロがここで勧めている働きとは、必ずしも金銭を稼ぐ働きばかりではありません。
キリストの教えによって立たされ、絶えず他者への愛と祈りによって関わろうとする、そこからすべての働きは生まれます。
たとえば今日あなたを傷つけた人をゆるすことや、毎日、誰かのことをおぼえて祈るだけでも、それは立派な働きなのです。

(20221127週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。