2020年8月14日金曜日

次回16日・聖霊降臨後第11主日の礼拝案内

次週8月16日(日)は聖霊降臨後第11主日の礼拝です。


野口和音牧師の説教
「謙虚に食らいつく」

と題して、10時半より
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られます。
牧師は松本教会におります。
16時から予定されていた教会BBQは中止となりました。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。


──マタイ福音書15章21-28節

2020年8月12日水曜日

今週の黙想文(IIコリ1:4)

わたしたちも神からいただくこの慰めによって、
あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
──コリントの信徒への手紙 II 1章4節

† † †

キリスト教の最大の救いとは、苦しみや悲しみが決してそのままにしておかれないということです。
それは苦難の中に自分自身が必ず慰めを与えられることだけではないとパウロは言うのです。
パウロ自身「とげ(IIコリ12:7)」の苦しみに悩まされましたが、それゆえに「わたしは弱いときにこそ強いからです(同10節)」と言いました。
ここに弱さを弱さで終わらせない神の恵みがあります。
私たちの痛みの経験は、他者の痛みに寄り添う慰めと愛の力になるのです。

痛み苦しみを持つ人々に寄り添うことはつらく、もどかしいものです。
何か言葉をかけたくなるし、沈黙の時間を埋めたくなるのです。
しかし私たちが私たち自身の弱さに目を向けるとき、痛みを持っている人々が求めているものを想像することへと導かれていくのです。
ただ沈黙の中で隣にいる、そこに与えられる慰めもあります。
慰めは私たちが与えるのではなく、私たちを通して神が与えられるものだからです。

(20200809週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。


2020年8月9日日曜日

聖霊降臨後第10主日礼拝。

本日8月9日は聖霊降臨後第10主日の礼拝でした。
長野教会では主日礼拝として、松本教会では通信礼拝として守られました。


長野教会では礼拝後、プチ修養会として教会暦や聖書日課についての学びをしました。


梅雨が明け、連日蝉が鳴いています。
梅雨から夏へ、また夜と日中との気温差も毎年広がっているような気がします。
体調を崩しがちな季節の変わり目、新型コロナウイルスだけでなく、熱中症にも気を付けてお過ごしください。

「本日の礼拝全体の録音は
(クリックすると再生されます)
※長野教会の主日礼拝の音声となります。
※「ファイルのウィルススキャンを実行できません」と表示されたら、「このまま再生」を押すと再生できます。


**本日の使徒書・福音書朗読**
列王記上19章 9-18節〈旧p566〉
ローマの信徒への手紙10章 5-15節 〈新p288〉


マタイによる福音書14章22-33節〈新p28〉



*本日の主日説教「よそ見ばかりの信仰だけど」(礼拝中録音)*



*祈り*

私たちの救い主なる神様。
あなたは必ず祈りを聞き届けてくださいます。主のみ心に徹頭徹尾従って生きたイエス・キリストが祈りを絶やさなかったことを、私たちは聖書から聞きます。
どうか私たちもあなたのように祈りを絶やすことなく、自分の力により頼むことなく、あなたの御手による導きと助けを信じさせてください。私たちの祈りの上で選び取る全てのことが、私たちを通して顕されるあなたの導きと働きの一つとして用いられますように。
私たちが生きる中において、あなたへの信仰から心を離し、よそ見をしてしまうことばかりです。しかしそれでも私たちのことを見放すことなく、悔い改めてあなたに立ち返ることが出来ますように。

75年前の今日、長崎に原子爆弾が落とされました。また広島にも落とされました。
毎年わたしたちはそのことを心に刻み、平和への思いを新たにいたします。
主よ、この歴史の中でわたしたちは絶えず争いを繰り返してきました。だからこそ平和はあなたのもとにしかないことを、私たちの心に刻んでください。
あなたにこそ全てを委ね、私たちの働きがあなたの働きとして用いられるように、私たちの信仰だけではなく、その心と思いをも整えてください。

新型コロナウイルスの脅威の中、また豪雨被害が深く爪痕を残す九州においても、そこに働く一人ひとりがあなたによって支えられ、愛と慰めをもって、平安を分かち合っていくことが出来ますように。
そしてそのために、私たちも祈りを合わせます。
どうか主よ、この苦難の時代にあってなお、あなたの救いと喜び、その平安を一人でも多くの人々が受け取ることが出来ますように。

2020年8月7日金曜日

次回9日・聖霊降臨後第10主日礼拝の御案内。

次週8月9日(日)は聖霊降臨後第10主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「よそ見ばかりの信仰だけど」

と題して、10時半より
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られます。
牧師は長野教会におります。

また、礼拝後は当ブログにも家庭礼拝の式文と説教音声・礼拝全体の音声を載せます。
ご家庭で祈りの時を持つ際、用いていただければ幸いです。

† † †

それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

──マタイによる福音書14章22-33節

2020年8月5日水曜日

今週の黙想文(イザ30:15)

安らかに信頼していることにこそ力がある。
──イザヤ書30章15節

† † †

神にこそ私たちが信頼を置くことを、預言者イザヤは人々に勧めました。
しかし当時の人々がそうであったように、私たちもいざ問題や不安に苛まれると、何か自分にできることはないかとあわただしく立ち上がるのではないでしょうか。
神に委ねるということは私たちがすべてを放棄することではありません。
むしろすべてご存知である神様に信頼することによってのみ、私たちは平安に満たされることができるのです。
ルターは祈りについて、毎朝祈りから始めるように勧めています。
しかし時には時間が惜しいほどに仕事が立て込むこともあります。
その時ルターはこのように教えるのです。
「今日はやるべきことがたくさんある。だからこそいつもよりも長く神に祈る時間を確保せねばならない」のだと。
揺らぐことのない神に対する信頼にこそ私たちの心を置くことから、一日を始めてまいりましょう。

(20200802週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。