2021年5月9日日曜日

復活節第6主日礼拝。20210509

本日5月9日は、復活節第6主日礼拝でした。
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として守られました。


長野教会の駐車場の植木には、実はあんずの他にさくらんぼの木もあります。
さくらんぼはいつも収穫する前に小鳥が食べてしまうそうですが、どちらも少しずつ実をつけ始めていました。



実りを与えてくださる神様に感謝しつつ。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録10章44-48節〈新p234〉
ヨハネの手紙 一 5章1-6節〈新p446〉
ヨハネによる福音書15章9-17節〈新p198〉

説教題「喜びを差し出す」

*祈り*

私たちの救い主なる神様。
私たちの日々の現実を見渡すと、多くの人々が自分のことばかりを考え、誰かを愛し配慮する心を失いつつあるように思います。
それはまさに、あなたがキリストを送られたあの時代から、私たちの罪が変わらずあることの証かもしれません。
しかし、そのような私たちにさえ、あなたは救いの道を用意してくださいました。
罪に枯れ果てた枝を伸ばそうとも、何度でも御言葉をもって私たちを整え、新しい枝を伸ばせるようにと悔い改めさせてくださいます。
主よ、どうかあなたが十字架を通してあらわされた愛が、罪の中にあって苦しむ人々の心に届きますように。
あなたに出会い、あなたの枝とされた私たちにとっても、毎週の主日を迎えるたびにあなたから与えられている救いの喜びに立ち返ることが出来ますように。
み言葉を通して、私たちの心をあなたの方に向けさせてください。

今なお続く新型コロナウイルスの猛威によって、忍耐の時が続いています。
集う形で礼拝を持つことのできない教会もあります。
主よ、あなたが立てられた全国のルーテル教会ひとつひとつにおいて、どのようなかたちにせよ御言葉が語り広められ、あなたに繋がる枝が力強く伸びて、そこに連なるキリスト者が相互の関わりのうちに愛の実をつけることが出来るように祝福してください。
キリストでさえあなたに支えられなければその生涯を歩み通すことが出来なかったことをおぼえます。
私たちも祈りを絶やすことのないように、私たちの中に、あなたのいのちを吹き込んでください。
そして誰かを生かすための愛に立たせてください。
今日ここに集うことのできなかった方々にもあなたが御手を伸ばしてくださり、信仰とつながりを保ってください。
病の中にある人々、疲れを抱える人々には、あなたの愛によって寄り添いと癒しと休息が与えられますように。

2021年5月6日木曜日

次回9日・復活節第6主日礼拝のご案内。

次週2021年5月9日(日)は復活節第6主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「喜びを差し出す」

と題して、10時半より、
松本教会では通信礼拝として、長野教会では主日礼拝として行われます。
どうぞご自由にお越しください。牧師は長野教会におります。
礼拝後は当ブログにも礼拝全体の動画を載せます。こちらもどうぞご視聴ください。

† † †

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

──ヨハネ福音書15章9-17節

2021年5月5日水曜日

今週の黙想文

正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)
──イザヤ書5章7節


† † †

パレスチナに定住したイスラエルの人々にとって、ぶどうは神様からの祝福の証でした。
イザヤを通して神様はイスラエルの民をぶどうにたとえて「ぶどう畑の歌」を告げています。
ここで注目すべきことは、神様が植えられたぶどうは「良いぶどう」であったということです。
神様が良いぶどうとして造り、良いぶどうとして実を付けるように神様が信じてくださったにも関わらず、人々は「すっぱいぶどう」になることを選びました。
そのことを、正義(ヘブライ語でツェダカ)が、悲嘆の叫び(ヘブライ語でツェアカ)となったと表現するのです。
しかし「わたしはこれを見捨てる(6節)」と主がイザヤを通して言われた言葉から、なお人々を信じようとする神様の嘆願が聞こえてはこないでしょうか。
踏み荒らされるにまかせる、ということは、神様はそれをあえて止めずに見ておられるということです。
たとえすっぱいぶどうしか実らなくとも、自らが一生懸命世話をしたぶどう畑を荒らされる悔しさを堪えておられる神様の姿があるのです。
神様は私たちを「良いぶどう」だと信じておられます。
それは揺らぐことがありません。
人々の心に潤いと笑顔をもたらす「よいぶどう」の実をわたしたちが分かち合えるように、私たちが苦難の中にあろうとも、神様はいつも私たちを悔い改めへと導いておられるのです。
その祝福のうちに日々の歩みを進めてまいりたいものです。
(20210502週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2021年5月3日月曜日

牧師エッセイ(2021年5月)

国会に提出された入管法の改正案「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する法律案」が激しい議論を巻き起こしています。
特に、法務省が難民と認めない決定を2回下せば、3度目は強制送還が可能となってしまう仕組みが人道的な面で問題視されています。
これまでも国外退去の命令を受けた9割の人々は応じていますが、それでも帰国できない人々は命の危険がある祖国に帰れない事情を抱えており、迫害などによって心も体も傷つけられ、逃げてきた人々も少なくないからです。
そもそも世界的に見ても、日本の難民認定率はあまりに低く、申請者に対してわずか0.4%程度しか認定されていません。
難民一人ひとりのいのちに寄り添うことができない現状があるのです。

国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」というものがあります。
貧困や飢餓、健康や教育、環境問題などに関する17の目標を全世界で達成しようとするものです。
しかしSDGsでは「地球上の誰一人取り残さない」ことを誓い、日本もそれに積極的に取り組んでいるとされていますが、この改正案はそれとは全く逆行するものであると言えるでしょう。

キリストは「隣人を自分のように愛しなさい(ルカ10:27)」と言い、善いサマリア人のたとえの中で、私たちが誰かの隣人となっていくことを勧められました。
私たちも一人ひとりのいのちを取り残さないために何が出来るか、祈りと共に問い続けてまいりましょう。

2021年5月2日日曜日

復活節第5主日礼拝。20210502

本日5月2日は、復活節第5主日礼拝でした。
松本教会では主日礼拝として、長野教会では信徒礼拝として守られました。
ルーテル教会の礼拝は初めてという方が来てくださり、また改訂試案中の新しい式文の学びにも参加してくださいました。恵み深い祈りの時として守られました。
わたしたちがキリストにつながる枝として、何度でも神様によって新しくされる幸いのうちに、この一週間を踏み出していければと思います。

**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
使徒言行録8章26-40節〈新p228〉
ヨハネの手紙 一 4章7-21節〈新p445〉
ヨハネによる福音書15章1-8節〈新p198〉

説教題「新しい枝を伸ばすために」

*祈り*

いのちの与え主なる神様。
あなたは私たちに御言葉を語ってくださいます。
それはキリストが永遠の命をもって天上におられ、私たちを今日も新しく生かしてくださるためです。
思い返せば、私たちの姿はあなたの御心には程遠く、罪の中にあることばかりかもしれません。
しかしそれでもあなたは古い私たちを清め、新しく整え、愛に満ちた日々の歩みへと何度でも送り出してくださいます。
あなたは愛そのものだからです。
だからこそ私たちは安心して、いつでもあなたのもとに立ち返ることが出来ます。
今日からはじまる一週間においても、どうか私たちがあなたにつながり、離れることなく歩めますように。
そしてあなたに連なる兄弟姉妹が誰一人取り残されることのないように、互いに関わりを持つことができる一週間となりますように、私たちの日々を導いてください。

わたしたちの日々の現実を見渡すだけでも、自分のことばかりに気を取られてしまうこと、自分に関わりのない人々をないがしろにしてしまう人々の姿が浮き彫りになっています。
病に苦しむ人、心が疲れ、孤独の中で死を選ぶ人もいます。
その一人ひとりの罪と痛みにあなたが十字架をもって寄り添われたように、わたしたちも心を注いで、祈ることができますように。
そしてどうか私たちの手の届くところにいる人々がそのような苦しみを抱えているなら、私たちを通じて、今日そのひとを新しいいのちへと生かしてください。
どうか私たちが誰かにとっての隣人として愛をもって関わりあう、そのような歩みを絶やすことなく過ごすことが出来ますように。
あなたから受けた愛と喜び、恵みと感謝に満たされながら、分かち合いながら、一日一日を過ごすことが出来ますように導いてください。