2024年3月28日木曜日

次回31日・主の復活(イースター)礼拝のご案内。

次週2024年3月31日(日)は主の復活(イースター)の礼拝です。

松本教会は、
松田繫雄牧師の説教
「マルコの伝えたかったイースター」

長野教会は
鷲見達也牧師の説教
「主イエスは復活なさった」

と題して、
10時半より、
松本教会・松本教会共に聖餐礼拝として行われます。



どうぞご自由にお越しください。



† † †

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

──マルコ福音書16章1-8節

2024年3月24日日曜日

主の受難日礼拝。

本日3月24日は主の受難日の礼拝でした。

松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として
両教会10時半より礼拝が守られました。

本日長野教会では、野口和音牧師による対面での礼拝は最期となりました。
両教会での最期の礼拝が守られ、感謝と共に、寂しさでいっぱいです。
長野教会の皆様には教会の維持管理のみならず、信徒礼拝時にも大変お世話になりました。
これからの長野教会のお働きが神様の御心に適い、祝福のうちに守られますように。
また、4月7日より新しく赴任される秋久潤牧師の働きも、神様の導きのうちにありますように。

*最新の説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストよりご視聴できます。*

***


*今週の祈り*

私たちと共にいてくださる主なる神様。
あなたは天と地の隔てを取り除き、私たちと共にいてくださる神様となられました。
しかし私たちはその喜びと福音を、ついつい当たり前のことのように受け取ってしまいます。
あなたがわたしたちの最も近くに立ってくださり、私たちがいつだってあなたに向き合って生きることが出来るように、私たちの悔い改めよりも先んじて、あなたが私たちに近付いてきてくださいました。
イエス・キリストの姿を通して、その御心と赦しとを示してくださいました。
主よ、感謝いたします。
あなたなしに私たちは罪から逃れて立つことはできません。
いつでも罪に陥ってしまう弱さを抱えている私たちを、どうかあなたが支え、御心のうちに導いてください。
そのような支えがあることを、いつも感謝して過ごすことができますように。
私たちがあなたのみ言葉にいつも親しみ、あなたがいつもそばにいてくださっていることを実感しながら、日々を歩んでいくことができますように
この世界には、あなたを忘れ、あなたに見向きもしない人々が大勢います。
隣人への愛を失い、争いあったり、人を貶めたり、傷つけたりする出来事が、世界中のあちこちで起こり続けています。
その小さな罪が大きなうねりとなって、多くの人々の命を奪い、そこにいる人の力では止めることのできない罪の悲劇、戦争や支配、飢餓や病の中に救いもなく打ち捨てられている人々がいることを、私たちは聞きます。
どうか主よ、あなたが神殿の垂れ幕を真っ二つに裂いてくださったように、あの日あの場所で最も悔い改めに遠かったはずの百人隊長が悔い改めたように、どうかそのような悲しみと罪の中にある一人一人に、寄り添い働いてください。
傷つき悼み、救いを求めて嘆いている一人一人に、慰めと必要な助けを与えてください。
私たちがそのような人々のために祈りを絶やすことがないように、絶えず祈りに立たせてください。
私たちが隣人に心を配り、愛をもって関わりあっていく、その姿を通して、あなたが共にいてくださることの福音を宣べ伝えていくことが出来るように、私たちを用いてくださいますように。






2024年3月21日木曜日

次回24日・主の受難日の礼拝のご案内。

次週2024年3月24日(日)は主の受難日の礼拝です。

松本教会、長野教会は
野口和音牧師の説教
「そばに立って、あなたを見る」

と題して、
10時半より、
松本教会は通信礼拝として、
長野教会は聖餐礼拝として行われます。

この日は野口和音牧師最後の礼拝となります。

どうぞご自由にお越しください。

説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストをご覧ください。

† † †

夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。
ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、/その服を分け合った、/だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。《(†底本に節が欠落 異本訳)こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。》そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

──マルコ福音書15章1-39節

2024年3月18日月曜日

四旬節第5主日礼拝。

本日3月17日は四旬節第5主日の礼拝でした。

松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として
両教会10時半より礼拝が守られました。

本日松本教会では、野口和音牧師による対面での礼拝は最期となりました。
礼拝後には送別会も開いていただき、教会員の皆様から思い出を語っていただきました。
松本教会の皆様には日々の生活のサポートを含め、大変お世話になりました。
これからの松本教会のお働きが神様の御心に適い、祝福のうちに守られますように。

*最新の説教動画は長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストよりご視聴できます。*

***


*今週の祈り*

私たちの歩みを導いてくださる主なる神様。
わたしたちの日々の中には、何が起こるかわかりません。
私たちが今日という日の歩みを振り返ることが出来るのは、いつだって過ぎ去った後です。
しかし主よ、何が起こるかわからない明日に向かって歩む私たちの道が、確かにキリストが歩まれた十字架の道に重なっており、それはあなたの栄光を示すための導きのうちにある歩みであることを、信じさせてください。
私たちの歩みのうちに起こる様々な苦難においても、その苦しみに報いがあり、悲しみには慰めが、傷には癒しが、迷いには道が与えられるための歩みへと押し出してください。
今日のギリシャ人のように、あなたを求めても出会えない、今この時には意味が読み取れないような出来事が、私たちの人生には起きるかもしれません。
そのような中にあっても、キリストが歩まれたように祈りと悔い改めのうちに、あなたのみ名と御心に適った明日へと踏み出すことが出来るよう、私たちを支えてください。
松本教会の牧師として、4月からは秋久潤牧師が新しく赴任されます。
新しい出会いと、新しい教会の歩みとが始まります。
変わっていくことや、これまでとは違うことが起こってくることでしょう。
しかし主よ、どのような時にあっても、主は一つ、信仰は一つとパウロが言うように、私たちを一つにしてください。
私たちが心を一つにし、神様の栄光を表すために一人一人が用いられるよう、たがいに配慮しあい、支えあうことができますように。そしてどうか、新しく赴任される牧師を支え、共にみ言葉を分かち合い、喜びと笑顔に満ちた宣教の働きを担っていくことが出来るように、お互いを結びあわせてください。






2024年3月14日木曜日

次回17日・四旬節第5主日礼拝のご案内。

次週2024年3月17日(日)は四旬節第5主日の礼拝です。

松本教会、長野教会は

野口和音牧師の説教
「神の栄光に生かされて」


と題して、
10時半より、
松本教会は主日礼拝として、
長野教会は信徒礼拝として行われます。


どうぞご自由にお越しください。

説教動画をご覧になりたい方は、週報記載のQRコードか、長野・松本教会Youtubeチャンネルの最新説教動画・再生リストをご覧ください。

† † †

さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。

──ヨハネ福音書12章20-33節