2022年12月1日木曜日

次回12月4日・待降節第2主日礼拝のご案内。

次週2022年12月4日(日)は待降節第2主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「悔い改めは愛のため」

と題して、
松本教会では聖餐礼拝として、
長野教会では信徒礼拝として、
両教会10時半から行われます。

野口牧師は松本教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。 これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」 ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。 そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、 罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。 ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 悔い改めにふさわしい実を結べ。 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

──マタイによる福音書3章1-12節

2022年11月30日水曜日

今週の黙想文(2テサ3:9)

援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、
あなたがたがわたしたちに倣うように、
身をもって模範を示すためでした。
──テサロニケの信徒への手紙 二 3章9節


† † †

パウロが手紙を書いているテサロニケの教会の人々は、すっかり怠惰になってしまっている、と記されています。
当時の教会は自分の財産を教会全体の共有財産として捧げ、富める者と貧しい者が等しく分かち合っていたとされています。
しかし、そこに「怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいる」ことによって、教会全体に、捧げることなく受けるだけの人々が増えていく、そのような雰囲気が広まっていったのかもしれません。
パウロはそのようなテサロニケの人々に、食べるための対価として働くではなく、労せず自分が生かされているからこそ、喜んでそれ以上に働きを担うようにと、身をもって勧めたのです。
パウロがここで勧めている働きとは、必ずしも金銭を稼ぐ働きばかりではありません。
キリストの教えによって立たされ、絶えず他者への愛と祈りによって関わろうとする、そこからすべての働きは生まれます。
たとえば今日あなたを傷つけた人をゆるすことや、毎日、誰かのことをおぼえて祈るだけでも、それは立派な働きなのです。

(20221127週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。

2022年11月27日日曜日

待降節第1主日礼拝。【礼拝動画】


本日11月27日は、待降節第1主日の礼拝でした。

野口和音牧師の説教により、
松本教会は通信礼拝として、長野教会は聖餐礼拝として守られました。
松本・長野教会に加え、飯田教会の皆さまがライブ配信礼拝に参加してくださいました。
また、礼拝後、長野教会員の方の納骨式を執り行いました。
新型コロナウイルスが再び猛威を振るう中ではありますが、どうぞ皆様の健康が守られますように。

**本日の礼拝動画**

※[▶]を押すと再生できます。
※長野教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書2章1-5節〈旧p1063〉
ローマの信徒への手紙13章11-14節〈新p293〉
マタイによる福音書24章36-44節〈新p48〉


説教「キリストを身にまとって生きる」

*祈り*

永遠の救い主なる神様。
あなたが私たちにお与えになった地上の生涯は、いつかは終わりを迎えます。
しかし主よ、だからこそキリストは私たちと同じ人間として歩んでくださり、あらゆる導きと共に、そこに起こる喜びも悲しみも分かち合ってくださる御方として、遣わしてくださいました。
神でありながら人として生きたイエス・キリストという御方は、私たちに今日も語り掛けておられます。
私たちのいのちがいったい誰によって与えられ、誰によって支えられ、誰と共に生きているのかに、目を向けることが出来るようにと、呼びかけておられます。
主なる神様、また私たちと共に生きる隣人たちに目を注ぎ、関わりの中に、あなたの御心を見出すことが出来ますよう、私たちを祈りへと押し出してください。

主よ、今年に入って、私たちは、大きな方々を天へと見送りました。
教会を支えてくださった一人ひとりの魂が確かにあなたによって受け止められ、完全なものとされ、救いに満たされていることを信じます。
また、地上に遺されたわたしたちの心の内にある悲しみと寂しさに、どうかあなたが寄り添ってくださり、慰めと癒しをもって、私たちを支えてください。
あなたがキリストを通して私たちに示してくださった救いの福音が揺らぐことのないように、それを信じる私たちの信仰をも、揺らぐことがありませんように。

主よ、あなたが用意しておられる終末の時が、いつ来るかはだれにもわかりません。
しかしその時、キリストが私たちのもとへとやってこられ、私たちに最もふさわしい御言葉と導きをもって、天の国の救いへと入れてくださることを信じます。
あらゆる手立てを尽くしてあなたが私たちに語り掛け、誰一人滅ぼすことのないようにと尽力しておられる、その御心を、み言葉を通して一人でも多くの人が受け取ることが出来ますように。
今日ここに集うことのできなかった人々も、あなたへの祈りのうちに整えられ、御心のままに、救いへと続く道を歩んでいくことができますように。
この一週間もまた、あなたがわたしたちを悔い改めさせ、清め、用い、愛へと送り出してください。






2022年11月24日木曜日

次回27日・待降節第1主日礼拝のご案内

次週2022年11月27日(日)は待降節(アドベント)第1主日の礼拝です。

野口和音牧師の説教
「キリストを身にまとって生きる」

と題して、
松本教会では通信礼拝として、
長野教会では聖餐礼拝として、
両教会10時半から行われます。

野口牧師は長野教会におります。
どうぞご自由にお越しください。
なお、礼拝動画は引き続き礼拝後に更新されますので、どうぞそちらもご覧ください。

† † †

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

──マタイによる福音書24章36-44節

2022年11月23日水曜日

今週の黙想文(エフェソ5:10)

なにが主に喜ばれるかを吟味しなさい。
 ──エフェソの信徒への手紙5章10節


† † †

わたしたちはついつい「何をすればよいか」ではなく「何をしてはいけないか」という言葉を使ってはいないでしょうか。
誤ったことをしている人に対して、それが正しい指摘や戒めであったとしても、なかなか聞き入れてもらえない経験が、誰しもあると思います。
パウロ当時のエフェソの教会の人々の間でも、貪欲や下品、愚かさなど、不道徳なことが多くみられていたと言います。
しかしパウロは彼らを厳しく戒め罰するのではなく、何が神様に喜ばれることかを考えるようにと促すのです。
それは「(あなたがたは)以前は暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています」とパウロが言っている通り、彼らがキリストを信じたことによって、既に神様から「光の子」とされているからです。
人はいくら誰かから言われたとしても、自分から悔い改めようとしなければ変わることはできません。
ですからパウロも彼らの過ちを指摘し正しくしようとするのではなく、人々の肯定的で前向きな部分を明るみに出すことによって、自ら悔い改めへと押し出していくのです。
このような「主に喜ばれる」関わり方を私たちも学びたいものです。

(20221120週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。