2018年12月26日水曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」


──ルカ福音書1章39-45節

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1.恵みを分かち合うために


マリアが天使から受胎告知を受けた後すぐにエリサベトのところへと向かったのは、エリサベトが、もう男の子を身ごもって6か月になっているのだ、と天使は言ったからでした。
天使の言った、マリアと同じように神様によって用いられているエリサベトがいるという告知は、マリアに神様を信頼し委ねる勇気を与え、困難を喜びに変えたものだったのではないかと思います。
だからこそマリアは、神様から与えられた恵みを共に分かち合うために、天使のお告げのあとすぐに、エリサベトのもとへと向かっていったのです。

2.友と出会う


ルカは福音書の冒頭から、洗礼者ヨハネとイエスの誕生の次第に至るまで二人を併記して描いています。先んじてザカリアに天使が現れ、エリサベトが洗礼者ヨハネの母として用いられていくなかで、マリアがイエスの受胎告知を受けていきます。あたかも平行線のように神様に用いられる歩みを続けてきた二人は、それを公に誰かに話すことはできませんでした。
そのようなエリサベトとマリアとが、ここで初めて交わるのです。それは主によって用いられた友としての喜びに満ちた出会いであったのだと思います。

3.中心におられるキリスト


マリアとエリサベトが共に用いられた神様の働きの中、大きなご計画の中心におられたのが、イエス・キリストというお方でした。
エリサベトが生んだ洗礼者ヨハネがその道を整え、キリストとしての歩みの初めに悔い改めの洗礼を備えたように。その二人が生まれる前に、マリアとエリサベトは母として神様に用いられた人々でありました。そのすべての始まりと中心において、イエス・キリストによってすべての人の救いを成し遂げるという神様のご計画があったからこその、交わりと喜びがここで二人の間に起こっているのです。
そしてさらには、聖霊によって改めて、それが確かに神様の働きであることが、エリサベトの口を通して語られていることによって、その確信と喜びが増し加えられたことであったと思います。

4.結び合わせる主が生まれた


教会には神様を信じている人しか来てはいけない、ということを思う方もおられるかもしれません。しかしそうではないのです。
キリスト者の信仰の交わりは私たちを喜びに満たすものですが、それと同じように、初めて教会に来たという人が与えられることもまた、すべてのキリスト者にとっての喜びとなります。
なぜなら教会へと招かれる、そのこともまた、神様の働き、導きと呼べるものの一つであるからです。
あなたが教会へと足を踏み入れるとき。キリスト者は喜びに満ち溢れて、あなたを迎え入れることであると思います。なぜならイエス・キリストが人々に告げ知らせた福音は、すべての人を救いに導くために語られているからです。なにより神様があなたに、イエス・キリストと出会ってほしいと願っておられるからです。
クリスマス、おめでとうございます。私たちをいつでも導き、救いの喜びを分かち合うこの場所へと招いてくださる方が、お生まれになりました。
マリアと、エリサベトとは、イエス・キリストによって結びあわされる者となりました。それと同じように、イエスキリストは、私たち一人一人をもここに招き、結び合わせてくださいます。今日という日、クリスマスを、その喜びを分かち合う時としてまいりましょう。