2019年12月5日木曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

──マタイ福音書24章36-44節

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1.アドベント=到来

教会の暦では今週から「待降節/アドベント」と呼ばれる季節になりました。
なぜ、クリスマスを待ち望むこの季節の初めに、世界の終わり──終末についての箇所が読まれることになっているのでしょうか。
終末という言葉からは、ハルマゲドンのような戦いや、最後の審判をイメージするかもしれません。しかし終末の最後に何が起こるのかということを一言でいうなら、それは「救い」なのです。
キリストは、主を信じる者は必ず救われる、と約束してくださったからです。
そして約2000年前、そのイエス・キリストという「救い」がこの世にお生まれになったという出来事が、クリスマスなのです。
この二つの「救い」を待ち望む季節こそ、アドベントという季節であるのです。

2.信仰の目を開く

とはいえ、今日の箇所を読むと手放しでは喜べないようなことばかりが語られています。
全く同じ仕事をしているように見える二人組の男女のうち、片方しか救われないと言われるからです。また、その救いはいつやってくるのか誰も知らないというのです。
このことは、私たちの何か具体的な行為が救われる理由とならないことを示しているのです。また、救いを手に入れるために直前で準備をすることはやめなさいという勧めでもあります。
だからキリストは今「目を覚ましていなさい」と私たちに語り掛けられます。
それは、私たち自身と神様にしかわからない、「信仰の目」を開いていなさいという勧めなのです。

3.罪から救いへ

キリストは愛をもって関わりあうことを掟として守るように弟子たちに語られました。それゆえ、私たちの信仰からくる行いは尊ばれるべきです。
しかし私たちの中にはぬぐい切れぬ罪があるのです。
罪のゆえに、私たちの行いは時に打算的になったり、心から善き行いに向かってはいけないときがあります。優しい顔の裏側で、誰にも言えないどろどろとした思いを抱えることがあるからです。
だからこそ私たちの罪をそのままに受け止めてくださる救い主が必要でした。
その救いを全身全霊をもって私たちに手渡すために、イエス・キリストはこの世に来られたのです。

4.あなたに救いを語ろう

聖書にはキリストに出会い、信仰の目を開かれていった人々で溢れています。
あなたは救われていると力強く語られた人々がいました。
私を信じて救われなさいと厳しい言葉を投げかけられた人々がいました。
そしてキリストは、来るべき終末に向けて歩む私たちにも語っておられるのです。

いつの日か、わたしは必ず、あなたも救いにいく。その時のために、わたしはたくさんの人々に出会い、たくさんの人々に救いを語ってきた。
次はあなたに、救いを語ろう。
だから聖書に記されたたくさんの人々を通して、あなたもわたしと出会ってほしい。一日一日の中で、わたしと出会い続けて欲しいのだと、語ってくださっているのだと思います。

5.救い主が来る

今日の箇所は一人も滅びることのないようにと願って語られる、神様からの愛に満ちた呼びかけなのだと思います。
キリストは、あなたのために語り、あなたのために罪を赦し、あなたを救うためにお生まれになりました。
それが、クリスマスの出来事です。
そしてキリストは再び、私たちを救うために、やってきます。
その時を待ち望みながら、私たちは一日一日を終える時、「目を覚ましていなさい」というキリストの言葉を思い起こしたいと思います。
日々の中でキリストに出会い続けること──信仰の目を開き続ける歩みを、このアドベントの季節と共に始めてまいりたいと思います。