2020年3月25日水曜日

今週の黙想文(マルコ9:24)

その子の父親はすぐに叫んだ。
「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
──マルコ9章24節

初対面の方とお話をしていたら、息子さんがあるキリスト教会の信徒だということで盛り上がりました。
「息子の教会の皆さんや先生が本当にお優しくて……神様を信じる方は皆、お人ができていらっしゃるのね」とその方は言われていましたが、信仰者の本当の姿は、今日のみ言葉を叫んだ父親の方が近いのではないでしょうか。
キリストの救いを信じていても、実際に苦難や悩みの中にある時には、誰もが隠されていた不信仰を露わにされるのです。
ノルウェーの伝道者H.N.ハウゲは、「信じるとは、罪のままでキリストのみもとに行くことだ」と言いました。
キリストはこの不信仰な父親の願いを聞き入れられ、息子をいやされました。
私たちのまことの信仰とは、私たちの不信仰をキリストの前で覆い隠すことなく、お委ねすることから始まるのです。
この父親の告白の言葉を、私たちも日々叫ぼうではありませんか。

(20200322週報記載)


……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れていただく機会として用いてくだされば幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。