2020年6月3日水曜日

今週の黙想文(ヤコブ4:3)

願い求めても、与えられないのは、
自分の楽しみのために使おうと、
間違った動機で願い求めるからです。
──ヤコブの手紙4章3節

† † †

「わたしの名によって願うことは何でもかなえてあげよう(ヨハネ14:13)」というキリストの言葉はしばしば誤解されています。
祈れば何でも手に入ると考えると考え、いくら祈っても与えられないことに失望して祈れなくなるクリスチャンもいます。
私たちが祈るのは、何らかの御利益を受けるためではありません。
キリストがこう言うのは、子を心から愛している親が、子が望むのなら何だって与えてあげたいと親が思う一方で、願ったものをすべて与えるわけではないからです。
祈りは一方的なお願いではなく、子である私たち、親である神様との対話であるということを思い起こしたいのです。
神様は唯一の正しさをお持ちです。
私たちにとって最も良いものを選び、求める祈りを必ず聞き届けてくださいます。
それは祈る前に与えられることすらあります。
私たちが祈るのは、自分が得たいものを得ようとするためではなく、そうして日々与えられているものの中に神様の御心を尋ね求めるためなのです。

(20200531週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れていただく機会として用いてくだされば幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。