2021年10月20日水曜日

今週の黙想文(マタイ6:26)

空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
──マタイ福音書6章26節


† † †

神学校にいたとき、精神的に追い詰められた時期がありました。
その時ある先生に、「あなたはよく『~しなければならない』と口にするけれど、そのようなことは何一つありませんよ」と言われたことをいつも思い出しています。
幸いなことに日本では、仕事も人間関係も全て放り出したとしても生きていけます。
私たちが抱えているすべてのことは本来、自分の「したい」という選択から与えられているものなのです。
「しなければならない」と思うもの、「したい」と思うことを私たちからすべて取り除くと、最後に何が残るでしょうか。
そこにはありのままの私たち、神様に愛されている無力な幼子が残ります。
赤ん坊は何かが出来るから、何かをしているから偉いのではありません。
私たちが持ちえる技術や地位に関わらず神様は私たちを愛の眼差しで見ておられるのです。
そのことを本当に受け入れる時、後ろ向きな「しなければならない」が消え去るだけでなく、前向きな「しよう」に変わるのです。
(20211017週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。