2021年12月19日日曜日

主の降誕(クリスマス)主日礼拝。【礼拝動画】

クリスマスおめでとうございます。
本日12月19日は、主の降誕(クリスマス)主日の礼拝でした。
長野教会で10時半から、松本教会で15時から、 両教会聖餐礼拝として行われました。



主の御降誕の喜びと共に、県内のコロナの状況も落ち着きを取り戻しているため、両教会が久しぶりの聖餐に与れたことに感謝します。
両教会で初めての方々もお見えになり、多くの人々とクリスマスの喜びを分かち合えたこともまた喜ばしいことでした。
それぞれの場所で御言葉に聴き、祈りを合わせているお一人おひとりの上にも、主の救いの喜びが与えられますように。


**本日の礼拝動画**


(▶️をクリックすると再生されます)
※松本教会の礼拝動画となります。

**本日の使徒書・福音書**
イザヤ書52章7-10節〈旧p1148〉
ヘブライ人への手紙1章1-12節〈新p401〉
ヨハネによる福音書1章1-14節〈新p163〉

説教「生きる神の言(ことば)」

*祈り*

救いの源である主なる神様。
刻一刻と変わり続ける日々の中で、今日まであなたが私たちを導き、守ってくださったことを感謝いたします。
昨年とは違い、引続きコロナ禍にありつつも安心してあなたの御言葉に聴き、また聖餐の恵みにも与ることが出来ました。
この世の有様は、何処を見てもあなたの御心に適ったものが見当たらないかのように見える時があります。
しかしそれでもなお主よ、あなたは私たちと共に生き、あなたがお与えになったまことのいのちに向けて、私たちを招き続けておられます。
私たちの日々の中に起こる様々な出来事を通して、時に私たちに問いかけ、私たちに悔い改めを与え、あなたの御業の一端を示してくださっています。
そこにこそ、どれだけ私たちが罪の中にあろうとも、救いへと導く努力を惜しむことのない、あなたの愛があることに気付かせてください。
そしてその最も明らかなものの一つとして、御子イエス・キリストがお生まれになったという恵みを、私たち一人ひとりが喜びをもって受け取ることが出来ますように。
「世は言を認めなかった」とヨハネは証します。
私たちは認められることがなければ、生きていくことさえできません。しかしあなたは、十字架においてそれを経験し、復活によって乗り越えられました。
主よ、今日この世において、深い孤独の中にある人、人との関わりが断たれてしまっている人、自分の思いに閉じこもり、隣人に心を注ぐことが出来なくなっている人々のために、祈らせてください。
なによりも最も深い断絶の中に追いやられたあなたが、そのような人々の心に寄り添っておられることを、宣べ伝えさせてください。
私たちが決して一人ではなく、あなたの御名を信じる人々の群れに繋げられている幸いをおぼえ、私たち一人ひとりの支えとすることが出来ますように。
わたしたちのいのちが極めて良いものとしてあなたに造られたこと、イエスキリストにおいてわたしたちをいつも愛のうちに見つめ、救いへと導いておられるという福音を、み言葉を聞く一人ひとりの心に、届けてくださいますように。