2022年6月1日水曜日

今週の黙想文(マタイ1:23)

「…その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
──マタイ福音書1章23節


† † †

米国の神学者ジョン・パイパーは、自分が神を愛しているかどうか分からないという人に、このように語りました。
「もしあなたが天国に行くことが出来て、そこには病もなく、友人が皆おり、好きな食べ物もあり、好きだった娯楽もすべてそろっていて、生前に見たすべての美しい風景が広がり、争いや自然災害もなかったとしたら、満足するだろうか。たとえそこに、キリストがいなかったとしても。」
また、哲学者キルケゴールもこのように言います。
「失望したければ世の中を見よ。絶望したければ自分を見よ。しかし、希望を持ちたければキリストを見よ。」
聖書はキリストを「我々と共におられる」者として表現しています。
それはどのような救いも、主キリストという他者との関係になしにはありえないことであったからです。
私たちのいのちは、関わりあうものとして造られました。
それは何よりも神様との関わりの中に生きるようにという呼びかけなのです。
この世が天国からどれほどかけ離れた場所に感じたとしても、キリストが共におられるところこそ、私たちにとっての天国であるのです。

(20220529週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。