2022年11月2日水曜日

今週の黙想文(ガラテヤ5:6)

キリスト・イエスに結ばれていれば、
割礼の有無は問題ではなく、
愛の実践を伴う信仰こそ大切です。
──ガラテヤの信徒への手紙5章6節


† † †

パウロはここで割礼の有無について「問題ではない」と簡単に言っていますが、当時においては大変な事でした。
割礼がなければユダヤ人として認められなかったことを考えれば、キリストの福音はパウロにとって「ユダヤ人であることよりも大事なこと」だと言い切っているのです。
そしてそれは「愛の実践を伴う信仰」だと続けるのです。
ルターは宗教改革において16世紀のカトリック教会が正しい福音信仰に立ち戻ることを聖書から訴えました。
人は行為によって神に義とされるのではなく、神の恵みにより、信仰のみによって救われるのだとルターは言いますが、決して行為自体を否定したのではありません。
ここでパウロの言う「愛の実践」を、信仰に先んじるのではなく、むしろ信仰から生まれるものであるとルターは捉えているのです。
「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」は私たちに愛の実践を奪うのではありません。
むしろキリストを通して私たちに示された愛の実践へと信仰によって押し出されていくことこそ、キリストが語り、パウロが伝え、ルターが再発見した、信仰の原点なのです。

(20221030週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。