2019年1月31日木曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。


──ルカ福音書5章1-11節

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1.出会いはあれど信じない


キリストの周りに集まっている人々は「神の言葉を聞こうとして」やってきています。しかしペトロの心中は彼らとは少し違っていたのかもしれません。夜通し漁をしたにもかかわらず何もとれなかったという徒労感に満ちていて、キリストに言葉をかけられても「先生」と返すペトロは、イエス様のことを神の子としては見ていません。
ペトロとキリストとの出会いはここが初対面ではありません。この箇所の少し前に、シモンのしゅうとめが悪霊によって熱を出し、キリストが悪霊を追い出したという記事が置かれているからです。そこで悪霊はキリストに向かって「『お前は神の子だ』と言いながら、多くの人々から出て行った。(4:41)」のでした。もちろんペトロもその場にいたのですから、群衆たちと同じように神の子としてのキリストに出会っていました。しかしそれでもペトロは、イエス様を神の子として信じることができないでいるのです。

2.神様との関わりを振り返る


「お言葉ですから」とペトロがキリストに従ったのは、信仰ゆえの行動ではありませんでした。しかしそのことによって与えられた大きな収穫は、ペトロにとって思いもかけないことであったに違いありません。
キリストの言葉に導かれて恵みを受けたペトロはキリストに「主よ」と呼びかけ、罪の告白をしています。なぜ、ペトロはこのような返答をしたのでしょうか。
それは、ペトロがその場の収穫の恵みだけを見るのではなく、それまでにキリストがペトロ自身にどのように関わってこられたのかを思い起こしたからなのだと思います。前述の悪霊祓いにおける出会いから、今日の箇所の冒頭においてキリストはペトロの船を選んでおられたこと、そしてさらには予想もつかない大きな恵みが与えられるためにペトロを用いられたこと。これらすべてを通して、恵みへと導かれていたことにペトロは気づかされていったのだと思います。

3.罪の告白へと押し出す信仰


信じるから恵みが与えられるのではありません。私たちが神様を信じることのできない時にあってなお、神様はいつだって働いてくださっていて、私たちを恵みを与え、信仰へと招いてくださっていることを、この聖書箇所から聞き取ることができるのではないでしょうか。
だからこそ、私たちにかかわってくださっている神様との関係を信仰を通して振り返るとき、私たちが神様に向かってまず初めに口にするのは、罪の告白の言葉であるのだと思います。

4.恐れは取り除かれる


ルーテル教会の礼拝式文の中で、その初めに罪の告白がおかれているのはそのような意味があります。決して罪の告白は神様の恵みを受けるための準備であるのではありません。一週間の中で神様が与えてくださった恵み、そして礼拝へと招いてくださった恵みを思い起こすからこそ、私たちが神様の前に立つとき、罪の告白から始めていくのです。
その時、キリストは「恐れることはない」という言葉によって、ペトロのように、私たち一人ひとりを弟子として召し出してくださいます。私たち一人一人が歩む中で、キリストを通して神様が働いてくださっている、その恵みを信仰によって受け取るとき、私たちの日々の中にある恐れは取り除かれるのです。私たちはそのことを主日のたびに、礼拝のたびに思い起こし、恵みに満ちて、今日も新たに弟子としての日々へと送り出されてまいりたいと思います。