2019年2月28日木曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」
そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。

──ルカ福音書7章1-10節

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1.具体的な行いはどこから


「敵を愛しなさい」と語られたキリストの説教は、私たちを信仰から行いへと押し出していくものでした。そして今日の箇所において、この百人隊長はそのような信仰者のモデルとして描かれていると言ってよいと思います。
それゆえ、信仰から出る行い、という視点からこの物語を読むとき、長老たちの言葉にもあるように「ユダヤ人のために会堂を建てた」という具体的な行為が目につくかもしれません。
しかしキリストはもっとその行為の根底にあるものを見据えておられたからこそ、百人隊長の部下を救うために、向かっていかれたのだと思います。
それは、百人隊長が再びキリストのもとへ使いを出して伝えた言葉にも表されています。
「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。」

2.愛は理解と配慮を生む


長老たちの言葉からわかるのは、彼は本来ユダヤ人を愛するような立場の人間ではないということです。彼が当時のイスラエルを支配していたローマ帝国の軍人であったのだとしたら、ユダヤ人は彼らを敵と見ていたからです。
また、ユダヤ人から見れば彼は異邦人と呼ばれる人々でした。律法には、異邦人の家に入ったユダヤ人は汚れる、と記されています。異邦人は律法を知らず、守らないからです。しかしそのことを百人隊長は知っていたのです。
それゆえ、キリストが汚れによって煩わされることのないように、という配慮が彼の言葉には表されています。それは、キリストを含むユダヤ人たちへの理解から出たものでした。
敵対する人々に対する理解と、そこからくる配慮こそが「敵を愛する」ことの表れであるのです。

3.ことばにより頼む信仰


すべての人にとって信仰の根本には「神様の言葉」があるのではないでしょうか。私たちが神様に出会う、その時の状況は千差万別ですが、その状況を神様との出会いだと確信するとき、私たちは聖書の言葉を思い起こすからです。
神様の言葉こそ、私たちが一度も見たこともない、会ったこともない神様がどのような方であるのかを教えてくれる唯一のものだからです。
だからこそ、百人隊長も「神様の言葉」にこそ神様の力が満ち溢れていることを、誰よりもわかっていたのだと思います。百人隊長はこの箇所の最後までキリストの姿を見ることはありません。それでも「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」と、み言葉を求め、その力を信じ、より頼んでいったのです。

4.ことばを信じる


私たちも百人隊長と同じなのだと思います。誰かが執筆した聖書、宣べ伝えられた神の言葉から、私たちは神様を知り、理解しようとし、そしてそこに語られた言葉が私の救いとなるようにと願うのではないかと思います。
神様、一言おっしゃってください、そして、私を救ってください──それこそが、私たちに与えられる信仰の原点にあるものだと思います。
神様はこのみ言葉を通して、愛せない、赦せないと思う私たちを送り出していかれます。み言葉は私たちに語っています。相手を知り、理解し、配慮することから始めていきましょう。それが愛するということの一つのかたちであるのだと。
だからこそ、あなたがたは敵を愛しなさい、赦しなさい、与えなさいと言われるキリストの言葉に、私たちもまた、百人隊長のように、その信仰のゆえに従っていきたいと思うのです。