2019年8月1日木曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

──ルカ福音書10章38-42節


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1.マルタとマリア

イエス様はマルタという女性の家に迎え入れられています。
何と言ってもあのイエス様が来てくださる、ということで、マルタは全身全霊をかけておもてなしをしよう、と意気込んでいたかもしれません。
それは、「いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていた」姿に現れています。
マルタにはマリアという姉妹がいました。せわしく働くマルタに対し、マリアは弟子たちと共に、イエス様の足元に座って話を聞いています。
そのようなマリアのふるまいは、イエス様を招いた側としてはふさわしいと言えなかったでしょう。
また、マリアは女性でした。男の弟子たちと一緒の場所に座ることも、当時のイスラエルでは憚られることでした。
マルタはそのようなマリアの姿を見て、悶々と思いを募らせていたのかもしれません。ついにはもてなしの手を止め、イエス様に言うのです。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」

2.もてなしの心が失われる

自分ばかりが準備に追われ、イエス様の御言葉を聞くことが出来ないという不満。男である弟子たちの間に座るマリアに対して、家族として恥ずかしく思う気持ちもあったかもしれません。
忙しい、という言葉は、心をうしなうと書くと言います。
マルタは、はじめはイエス様のために出来る限りのおもてなしをしようと思っていたはずでした。しかしマルタの中にあった「もてなし」の心は、そのようなマリアへの不満と怒りによってうしなわれてしまったのです。
そのことをご存知であったイエス様は、マリアにこう答えられるのです。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

3.主を愛することから生まれるもの

もてなし、と訳されている言葉は、「奉仕」とも訳される言葉です。
この御言葉を聞くとき、わたしたちは奉仕を投げ捨ててでも御言葉への集中が優先されるべきことだということを受け取るかもしれません。
先週のみ言葉において「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』」という御言葉が上げられていました。
マルタの奉仕をイエス様は否定されませんでした。ただ、「心を乱している」ことを指摘されただけでした。
なぜならマリアが「良い方を選んだ」とされているのは、先週のみ言葉の通りに全身全霊で「主を愛していた」結果として、御言葉を聞いていたからです。
けれどもマルタは心を煩わされ、神様への奉仕よりも自分の思いを優先してしまいました。
だからイエス様は「必要なことはただ一つだけである。」と、あなたのもてなしの心を生んだ、神様を愛する心こそが大事なのだよ、言っておられるのです。

4.必要なことはただ一つだけ

私たちが生きる中で、欠くべきことのできない多くの働き、奉仕のわざがあります。それは教会においても存在します。
しかし、誰しもいつかは、それを一つずつ手放さなければならない時が来ます。疲れのため、老いのため、病のため、不条理な不幸によってかもしれません。
けれどもどのようなときにおいても、私たちから最期まで奪い取られることのない奉仕のわざがあります。
それが神様を愛し、その御言葉に聞くということなのだと、イエス様は今日の箇所で語ってくださっています。
それこそが、私たち一人ひとりをどうしても救いたいと願っておられる神様への、私たちの最大の奉仕であるのです。