2019年11月21日木曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

さて、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。

──ルカ福音書20章27-40節

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1.復活と救い

「7人の兄弟がいて、律法で定められているために、その長男から次男、三男と嫁ぎ続けた女性がいました。彼らが皆復活したとき、その女性はいったい誰の妻になるのか?」という問いを携えて、復活を信じていないサドカイ派の人々がキリストの元にやってきました。
彼らの問いに対して、キリストは「復活は地上の生の単なる延長ではない」と答えていかれました。
そもそも律法で「跡継ぎをもうけなければならない」と定められているのは、そうしなければあっという間に絶えてしまう存在であるからです。
復活は地上の生の延長ではなく、全く新しい永遠の命を得ることですから、もはや跡継ぎをつくることも、それに伴って結婚する必要もないのだと説かれるのです。
しかしキリストはこのように答えていく中で、復活が単に「新しいいのちを得る」というだけにとどまらないことを語られています。
それは、いのちだけではなく、その「関係」もまた新しくされる救いについても説いておられるのです。

2.あなたを救うために来た

「めとったり嫁いだりする」という言葉は、「取ったり取られたり」という言葉が使われています。
サドカイ派の人々が出した女性の例は、現実にも起こりうることでありました。
跡継ぎをつくるために何度も結婚させられていき、やもめになれば一人では生きていけない、自分の生がまったくの他人任せにならざるをえない人々がいたのです。
それは女性だけではありません。病にかかったり、徴税人などの人々から忌み嫌われる仕事のせいで、社会の中で嫌われ、排除され、軽んじられていた人々がいました。
そのような人々のところに、キリストはやってきたのです。
誰も近寄らない、誰も助けない、触れない人々にこそ近づき、手を差し伸べ、あなたは救われているのだとはっきりと語っていかれたのです。

3.新しい関係を与える復活

女だからとか、病気だから、こんな仕事をしているからという、自分では逃れられない地上の生の苦しみから人々を解放するために、復活のいのちがある。
一人ひとりが神様につながって、ひとしく神の子として扱われる新しい関係が与えられるということ。
それこそが復活のいのちによる救いであるということを、キリストはここで、語っておられるのです。

4.関わり続ける神

キリストはさらに旧約聖書のモーセの『柴』の物語を引き、続けて言われます。
アブラハムも、イサクも、ヤコブも、モーセの時代には既に天に召され、地上には生きていません。けれども神は今なおアブラハムの神であり、イサクの神であり、ヤコブの神であり、モーセの神であり、そして今は、私たちの神であるとキリストは言うのです。

5.関わりの中に生きる

私たちの復活の救いは、死の先にしかないのではありません。
神様は一人ひとりの地上の生に関わり続け、さらには復活の命を通して、なおも私たち一人ひとりの神様として永遠に関わり続けてくださる方であるからです。
私達もこの地上のいのちを歩む中で、自分ではどうしようもない苦しみや悩みに満たされることがあります。
しかしそのような私たちにこそ、キリストは語り掛けておられるのです。
そんなあなたのために、わたしはこの世に来た。あなたと一緒に歩んで、あなたと最後まで関わり続けて、あなたを救いたいんだと。
あなたが自分ではどうしようもない生を乗り越えて、神様が願った本当のいのちを生きてほしい。そのためにわたしは十字架にかかったんだと言ってくださっているのです。
み言葉を通して関わり続けておられる神様の声を受け止めるとき、私達のうちに、今、復活のいのちの約束が息づいていくのです。