2020年1月24日金曜日

今週のみことば~主日説教要旨~

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。


──ヨハネ福音書1章29-42節

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1.キリストを聞き、キリストのもとへ

キリストから「あなたを人間をとる漁師にしよう」と言われたペトロやアンデレがキリストの弟子となっていく記事は有名ですが、このように記されているマタイ・マルコ・ルカの三福音書とは違い、ヨハネ福音書は人々がキリストの弟子となっていく出来事を違った経緯で記しています。
キリストから直接声を掛けられるのではなく、他の誰かからキリストのことを聞いてキリストのもとへやってくる、弟子として従っていく姿が記されているのです。
ヨハネが他の福音書とは全く違うキリストと弟子たちとの出会いを記しているのはなぜなのでしょうか。
それは、キリストとの出会いの機会が、時にキリストとは他の人を通して与えられることがあるということなのだと思います。

2.それもまたキリストの招き

私たちはどのようにして教会に行くようになるのでしょうか。
キリストが私を招いておられると感じたので来ました、と言う方がいるとすれば、なんと素晴らしいことだろうかと思います。まさに他の3つの福音書が語るキリストの招きがそこにあります。
また、ただなんとなく来てみたくて、友達に誘われたから、というきっかけで教会に足を踏み入れる人々は、それよりももっと多いかもしれません。
ヨハネ福音書の中で記されている弟子たちこそ、そのようなつながりからキリストと出会っていったのです。
4つの福音書が語るキリストとの出会いの出来事は、たとえどのような出会いかたであったとしても、キリストが弟子として従う私たちを選別することなく「来なさい」と招いてくださることを伝えてくれているのです。

3.現実とみ言葉が結びつく

ヨハネは「わたしはこの方を知らなかった」と言っています。
キリストの道を整えるために水で洗礼を授けに来たと語り、誰よりもキリストのことを知っていたはずのヨハネがなぜ、このように言ったのでしょうか。
それは、神様の言葉によってキリストの存在は知っていても、それがヨハネの目の前に起こった出来事と結びついて初めて「私はそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである」と心から言えるようになったからなのだと思います。
だからこそ二人も、キリストに翌日出会ったその時には「ラビ(先生)」と呼びかけています。しかしその日キリストと止まった後、そのうちの一人、アンデレは「わたしたちはメシア(救い主)に出会った」と呼び方を変えているのです。
私たちがキリストに出会うということ、それは私たちが聖書から聞いたみ言葉が、現実の出来事と結び合わされる時であるのだと今日の聖書の箇所は語ってくれているのです。

4.神様は奇跡ばかりを起こすわけじゃない

これこそ神の働きだと多くの人が驚く奇跡があります。あるいはささやかで、しかし私たちの予想を越えた小さな奇跡から神様の働きを感じ取るかもしれません。
けれども神様の働きは、奇跡の中だけにあるわけではないのです。
ヨハネがキリストに出会い、キリストを本当に「知る」前から、ヨハネに神の言葉が与えられていたように、私たち一人ひとりにも聖書のみ言葉が与えられているからです。何気ない日常の出来事の一つ一つを通して、あなたを招いておられるのです。
そして今日この瞬間に、何気なくこのみ言葉を読んだあなたを、キリストは招いておられます。

神様はあなたに、「何を求めているのか」と問いかけておられます。
「そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。」
私たちもまた、今日のひと時を、キリストと共に過ごす時としてみませんか。
私たちのささやかな日常の中に、神様を求める時を、作ってみませんか。
「来なさい、そうすればわかる」と言ってくださったように、私たちが聞いたすべてのみ言葉を通して、キリストは私たちの求めに、必ず答えてくださいます。