わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
──詩編22章2節
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22編には「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら/助けてくださるだろう。(9節)」という兵士の言葉や、「わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。(19節)」のようにキリストの受難と重なる言葉が見られます。
キリストはそれらを思い起こしながら、言葉にできずともきっと祈られたのです。
「主よ、あなただけは/わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ/今すぐにわたしを助けてください。(20節)」。
この22編は、23節以降は賛美の祈りとなり、「わたしの魂は必ず命を得」るという言葉で締めくくられます。
キリストは十字架の上においてなお、嘆きの祈りと共に、その苦しみでは終わらせることのない復活、神の救いを確信して祈られたのです。
私たちもキリストの十字架と復活を思い起こすとき、苦難と忍耐の先にある希望を、詩編22編から聞いてまいりたいのです。
それゆえに私たちはその次の詩編23編、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」という恵み深い慰めの祈りへと押し出されていくのです。
(20200510週報記載)
……今週の黙想とは……
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。
あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。