2020年7月22日水曜日

今週の黙想文(2テサ2:13)

神はあなたがたを、
救われるべき者の初穂として
お選びになったからです。
──テサロニケの信徒への手紙 II 2章13節

† † †

神が与える救いの選びについて、パウロは「あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって」選んだと言います。
また、「自らの力ではなく、神の賜物(エフェソ2:8)」とも言うのです。
救いの選びとは神の選びなのです。
私たち人間にとって「選ばれる」ということは、そこには「選ばれなかった」人がいるということです。
だから救いが自分の力ではなく神の意思によるものであると知るとき、既に救われる人と救われない人が神によって定められていると考え、絶望するかもしれません。
どうやっても自分が救われるかどうかの確証が得られないからです。
しかし神の選びは、驚くべきことに「すべての人を救いに選ぼうとする」選びなのです。
ここに、人間の予想を超えた神の愛があります。
それを示されるために、神はキリストの姿を通してその愛を表され、すべての人を招いておられます。
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。(ロマ10:17)」とパウロが言っている通り、み言葉にこそ耳を澄ませ、それに信頼して全てを委ねつつ、救いの日を待ち望みたいものです。

(20200719週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。