2020年8月26日水曜日

今週の黙想文(ローマ10:10)

人は心で信じて義とされ、
口で公に言い表して救われるのです。
──ローマの信徒への手紙10章10節

† † †

パウロが手紙を送っているローマの教会では、「救われるにふさわしい信仰とはどのようなものか?誰が天国に行くことができ、誰が地獄に堕ちるのか?」と信徒が論じ合っていたようです。
信仰について私たちは「増す」といった表現を使うことがありますが、救われるにふさわしい信仰の“量”を見極めようとしてしまうことは、当時からたびたび起こっていたのかもしれません。
しかし救いにおける信仰とは量が問題なのではないとパウロは語ります。
私たちが他の誰かの信仰の量を推し量り比べることは、当時キリストが最も厳しく非難したファリサイ派の人々と同じ振る舞いであるからです。

キリストは弟子たちにもからし種一粒すら信仰がないことを戒めていますが(マタイ17:20)、裏切られてなお、弟子たちを自らの使者としていきました。
神様が私たちを徹底的に信じてくださり、見捨てることがないという喜びこそが、信仰の原点なのです。
その喜びのゆえに「キリストは私の主です」と言葉が生まれるのです。
だから『「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。(ロマ10:13)』
他の誰かではなく、自分と神様との関係のうちにある信仰にこそ目を向けてみましょう。

(20200823週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。