2020年8月19日水曜日

今週の黙想文(使1:6)

使徒たちは集まって、
「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。
──使徒言行録1章6節

† † †

キリストは彼らにとって待ち望まれたイスラエル王国の再建を成就してくれる救い主であり、その暁には直弟子である自分たちこそ大臣にしてもらえるだろうとすら話し合っていた時もありました。
このような弟子たちの姿は、たとえ信仰があったとしても、目に見えるわかりやすい御利益を求めてしまう弱さを誰もが持っている、ということを表しています。
神を求め、祈る時、その祈りの通りにならなかったからといって、祈りが聞かれなかったというわけではありません。
祈りを「捧げる」と言うように、祈ったその時に神の御手の中に必ず受け止められているものだからです。
しかし、神はその時の私たちにとって最も良いものをお与えになるために、時には祈り求めたものと正反対のものが与えらえることすらあります。
その時、いかに私たちが弟子たちと同じく「ご利益」を願っていたことに気付かされるのではないでしょうか。
祈りは神との対話であり、神との格闘なのです。
祈り続ける道の先に、必ず神はそのすべてを報いる救いを用意してくださっています。
だからパウロもこのように言うのです。「絶えず祈りなさい。(Iテサ5:17)」

(20200816週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。