2020年8月12日水曜日

今週の黙想文(IIコリ1:4)

わたしたちも神からいただくこの慰めによって、
あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
──コリントの信徒への手紙 II 1章4節

† † †

キリスト教の最大の救いとは、苦しみや悲しみが決してそのままにしておかれないということです。
それは苦難の中に自分自身が必ず慰めを与えられることだけではないとパウロは言うのです。
パウロ自身「とげ(IIコリ12:7)」の苦しみに悩まされましたが、それゆえに「わたしは弱いときにこそ強いからです(同10節)」と言いました。
ここに弱さを弱さで終わらせない神の恵みがあります。
私たちの痛みの経験は、他者の痛みに寄り添う慰めと愛の力になるのです。

痛み苦しみを持つ人々に寄り添うことはつらく、もどかしいものです。
何か言葉をかけたくなるし、沈黙の時間を埋めたくなるのです。
しかし私たちが私たち自身の弱さに目を向けるとき、痛みを持っている人々が求めているものを想像することへと導かれていくのです。
ただ沈黙の中で隣にいる、そこに与えられる慰めもあります。
慰めは私たちが与えるのではなく、私たちを通して神が与えられるものだからです。

(20200809週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。