2020年9月9日水曜日

今週の黙想文(IIコリ5:9)

ひたすら主に喜ばれる者でありたい。
──コリントの信徒への手紙II 5章9節

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パウロは信仰的な生き方についてコリントの教会に教えています。
私たちが地上で生きている限り様々な問題や重荷が降りかかってきますし、時には神様の思いから離れるようなこともあります。
しかしそれを自ら知り、悔い改めることができるのは信仰が与えられているからなのです。
問題や重荷が目の前にあるとき、それに対して私たちは何ができて、何ができないかという目先のことに囚われることが多くありますが、その場しのぎでは何の解決にもならないことを私たちは知っているはずです。
信仰生活においても同じです。
私たちの歩みの先に揺らぐことのない神様からの救いが約束されています。そして私たちはそれを受けるにふさわしい者とされているのです。
様々な問題や重荷によって、不信仰や迷いの中にしばしば陥ってしまう私たちであろうとも、神様の約束は揺るがないのです。
だからこそパウロが主に喜ばれる者で「ありたい」という願いは、何度罪に陥ろうとも神から差し出されている救いを懸命に受け取ろうとする、悔い改めの宣言なのです。
私たちが今日を歩むための指針として、この言葉を受け取ってまいりましょう。

(20200906週報記載)

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。