2020年10月7日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ16:16)

しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、
またしばらくすると、わたしを見るようになる。
──ヨハネ福音書16章16節

† † †

キリストは十字架を前にして弟子たちに多くの言葉を残されました。
その全てはキリストの受難についてでしたが、キリストは決して、そのようなご自分を憐れんでほしくて語られたのではありません。
キリストが常に案じていたのは、十字架によって弟子たちがどれだけの悲しみを背負うかということでした。
だからこそキリストは弟子たちが最も深い悲しみと怖れの中にあるとき、そのただ中に現れてくださったのです。キリストはいつも私たちの悩み苦しみを知っておられます。
そして、キリストほどその苦しみを真底分かち合ってくださる方はいません。
キリストはご自分の血をもって、あなたの痛みの中へと踏み込んでくださる方だからです。
キリストの姿を見出すことのできない時にこそ、悲しみの底に沈み込むときにこそ、キリストの十字架は栄光に満ちて、そのみ言葉は復活するのです。
「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。(同20:20)」 


(20201004週報記載) 

……今週の黙想とは……

日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。