2020年11月11日水曜日

今週の黙想文(箴言8:35a)

わたしを見いだす者は命を見いだす
──箴言8章35節a

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「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。(ヨハネ1:1-2)」このようなヨハネ福音書の冒頭は、旧約聖書の創世物語の再録として読まれることがあります。
つまり「言」であるキリストは、この世にお生まれになる前、創世の一番初めから天におられた、という捉え方です。これを「先在のキリストと言います。
さて、箴言は父「わたし」から子に語られる教訓集の形を取って語られていますが、「わたし」の他に「主」と呼ばれる存在が登場します。
しかし、「わたし」は主なる神でないにも関わらず「わたしに聞き従え(32節)」と呼びかけます。そして「わたし」を見出す者はいのちを見出し、見失う者は魂を損なうとすら言われるのです。
わたしとはいったい誰か、という問いに明確な答えはありませんが、これを先在のキリストとして読むこともできるかもしれません。
箴言には日々の中における一般的にも思える戒めが多く語られていますが、それはすべて「主を恐れること」という信仰へと結び付けられています。
私たちが日々のあらゆることの中にキリストを見出し、キリストの言葉に従い、キリストが導き与えてくださるいのちを、旧約聖書からも見出してまいりましょう。

(20201108週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。