2021年2月17日水曜日

今週の黙想文(マタイ11:6)

わたしにつまずかない人は幸いである。
──マタイ福音書11章6節


† † †

当時誰一人、極刑の象徴であった十字架が、神の子イエス・キリストの死と復活によって救いのシンボルになるとは思いもしませんでした。
それはキリストの道備えをした洗礼者ヨハネでさえ同じであったのです。
獄中から「本当にあなたは救い主なのか」と尋ねたヨハネの問いは、後に十字架を見上げた誰もが抱えた問いであったはずです。
神様はいつでも私たちの都合の良い方向にばかり働かれるわけではありません。
時には私たちが理解できない、望んでもいない結果を与えられることもあるのです。
それでも神様がキリストの十字架の死を通して復活と救いの道を証してくださったように、 すべてのことが私たちの予想を超えて備えられたご計画であることを、キリストはここではっきりと語られました。
四旬節と呼ばれる悔い改めの季節が始まります。
私たちもヨハネのように祈りによって神様の御心を問い続けながら、そのご計画にこそ委ねる信仰によって日々の歩みに立たされてまいりましょう。

(20210214週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。