2021年3月24日水曜日

今週の黙想文(イザ57:15)

わたしは、……打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり
──イザヤ書57章15節


† † †

悔い改めるとは、必ずしも自ら反省することによって起こるのではありません。
それは神様が私たちを打ち砕かれることから起こる奇跡なのです。
そこで打ち砕かれるものは私たちの罪だけではありません。
時に私たちの心のすべて、これまで積み重ねてきた祈りや善きわざ、信仰そのものですら、粉々にされる出来事が起こるのです。

その時、私たちは絶望しか感じられないかもしれません。
しかし自分がキリスト者であること、その信仰を証しするもののすべてが打ち砕かれ、その後に残る"ありのままの自分自身"こそ、神様が心から愛しておられる私たちの姿であるのです。

 「からし種一粒ほどの信仰(マタ17:20)」すら持てなかった弟子たちを、それでもキリストは最後まで愛し抜かれました。
その証こそが、キリストの十字架です。
神の独り子であるキリストが人の子として生まれ、徹底してへりくだり、十字架において打ち砕かれたのは、ありのままの私たちを明らかにし、愛をもって寄り添ってくださるためだったのです。
キリストの十字架を通して、悔い改めを祈り求めましょう。

(20210321週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。