2021年4月7日水曜日

今週の黙想文(ヨハネ6:51)

わたしは、天から降って来た生きたパンである。
──ヨハネによる福音書6章51節


† † †

人は身体と魂とで出来ています。
しかし、私たちは身体を養う食事は忘れなくとも、魂を養う食事を怠ることが多くあります。
キリストは自らを、魂の飢えを満たすパンだと言われました。
それを受け取ることは、私たちがただみ言葉に聞くということだけに限りません。
私たちが食事ばかりをして一切動かずにいれば、太りすぎてしまって健康に良くないように、魂も同じなのです。
私たちはみ言葉を受けるだけではなく、悔い改めて新しく生きるように押し出されることによって、私たちの魂はいっそう豊かに満たされることになるのです。
ルターはドイツ語聖書翻訳の際、神の召命を修道士的な職業のみならず「Beruf(職業)」と結び付けました。
私たちが一般的な働きをしているときでさえ、それを神の召命として送り出されている働き、祈りの一つとして数えられると考えたのです。
あらゆる働きを神からのBerufとして心に留めて日々過ごすこと、これこそがキリストというパンによって生かされるということなのです。

(20210404週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。