2021年4月5日月曜日

牧師エッセイ(2021年4月)

令和元年、参院選広島選挙区をめぐる買収事件で公選法違反の罪に問われ、初公判から否認し続けていた河井克行議員でしたが、昨月末の裁判では主張が一転し、大部分の買収を素直に認めたことがニュースに取り上げられていました。
これまで買収を認めなかった理由を「支援者や妻の当選に泥を塗るのではないかと思い、潔白を主張してきた」と説明していましたが、家族同然ともいえる後援会関係者の証人尋問が続く中、拘置所で自問自答を繰り返していたのだそうです。
その時、20年来お世話になっていた神父から「自分の内面に誠実に向き合ってください」という電話を受けたことで、自らの罪を認める決意を固めたといいます。

キリストが復活されたとき、手と脇腹には十字架の傷を残されたままでした。
それは人と同様に、共に痛みを分かち合われる神であることの証です。
誰でも、罪を認めるということは大変難しいことです。
ましてや自分のせいで身近な誰かが傷ついたりしたのだとしたら、尚更撤回しづらいことでしょう。
神はその過ちをなかったことにはされません。
痛みを共に分かち合いつつ、罪に向き合い認める勇気を与えるために「あなたがたに平和があるように」と祈られるのです。

罪を認めた克行議員は謝罪と共に、自分が多くの人々に支えられてきた感謝を述べていました。
私たちも復活のキリストと共に自分の内面に誠実に向き合いつつ、感謝に満ちた日々を歩んでまいりましょう。