2021年5月5日水曜日

今週の黙想文

正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)
──イザヤ書5章7節


† † †

パレスチナに定住したイスラエルの人々にとって、ぶどうは神様からの祝福の証でした。
イザヤを通して神様はイスラエルの民をぶどうにたとえて「ぶどう畑の歌」を告げています。
ここで注目すべきことは、神様が植えられたぶどうは「良いぶどう」であったということです。
神様が良いぶどうとして造り、良いぶどうとして実を付けるように神様が信じてくださったにも関わらず、人々は「すっぱいぶどう」になることを選びました。
そのことを、正義(ヘブライ語でツェダカ)が、悲嘆の叫び(ヘブライ語でツェアカ)となったと表現するのです。
しかし「わたしはこれを見捨てる(6節)」と主がイザヤを通して言われた言葉から、なお人々を信じようとする神様の嘆願が聞こえてはこないでしょうか。
踏み荒らされるにまかせる、ということは、神様はそれをあえて止めずに見ておられるということです。
たとえすっぱいぶどうしか実らなくとも、自らが一生懸命世話をしたぶどう畑を荒らされる悔しさを堪えておられる神様の姿があるのです。
神様は私たちを「良いぶどう」だと信じておられます。
それは揺らぐことがありません。
人々の心に潤いと笑顔をもたらす「よいぶどう」の実をわたしたちが分かち合えるように、私たちが苦難の中にあろうとも、神様はいつも私たちを悔い改めへと導いておられるのです。
その祝福のうちに日々の歩みを進めてまいりたいものです。
(20210502週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。