2021年7月28日水曜日

今週の黙想文(ルカ22:15)

イエスは言われた。
「苦しみを受ける前に、
あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、
わたしは切に願っていた。」
──ルカによる福音書22章15節


† † †

キリストが十字架にかけられる前の晩、弟子たちとの最後の晩餐でこのように言われた御言葉に、キリストの溢れんばかりの愛が込められています。
過越祭が近づく中でイスカリオテのユダが祭司長たちとイエスを殺す相談をしている箇所と、ペトロの裏切りの予告の箇所に挟まれるようにキリストは弟子たちに聖なる愛餐の時を持たれるのです。
キリストは、十字架の出来事によって引き起こされる弟子たちの挫折と罪の苦しみをここで見抜いておられました。
彼らの罪を赦し、救いに繋ぎとめるために、先んじて聖餐の恵みを与えられたのです。
ですから私たちが思い煩いや悩み苦しみの中にあるなら、なおさらキリストは喜びをもってその身を私たちに分け与えてくださいます。
ルターは聖餐を「見える御言葉」と言いました。
聖餐が長らく執り行えない期間の中にあっても、キリストが私たちを恵みの食卓に招いておられることは変わりません。
「わたしは命のパンである。(ヨハネ6:48)」と言われたキリストの言葉に込められた恵みと赦しに、耳を澄ませてまいりましょう。
(20210725週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。