2021年8月25日水曜日

今週の黙想文(ロマ10:17)

実に、信仰は聞くことにより、
しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
──ローマの信徒への手紙10章17節


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モーセの民への説教である申命記の中には「聞け、イスラエルよ(シェマー・イスラエル)」と呼びかける言葉から神様の律法が民へと語られていきます。
イエスの時代、ファリサイ派の人々は律法を「守る(行う)」ことによって神様との関係、すなわち救いに与る信仰に立っていました。
しかし、このモーセの言葉を振り返ると、神様との関係の中でまず起こってくるのは「聞く」という関係であることがあらわされています。
この聞くは、相手の言葉を深く自分の中に受け止める、"聴く" です。
信仰は聞くことから始まるとパウロも言っている通りに、私たちはキリスト者として生きるためにまず ”聴” かなければならないでしょう。
それはつまり、神様のことを知るということです。
私たちが相手のことを知ろうとするとき、その人と対話し、その言葉やふるまいからその心を受け取ろうとします。
神様に対しても同じです。
神様が私たちにかけてくださった言葉は聖書に溢れています。
私たちが神様と共に善く生きようとする歩みは、私たちがどのような神様との関わりに生かされているのかを聖書から ”聴く” ことから始まるのです。
 
(20210822週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。