2021年8月18日水曜日

今週の黙想文(ロマ8:10)

キリストがあなたがたの内におられるならば、
体は罪によって死んでいても、
“霊”は義によって命となっています。
──ローマの信徒への手紙8章10節


† † †

日本語で「霊」と聞くと、魂のように「形はなくとも一人ひとりを個人としているもの」というイメージが強いと思います。
しかし聖書が捉える「霊」は息吹や風とも訳されるように、ただ個人の魂を指すだけではなく「他と関わり動かす力」という意味も持つ言葉です。
「キリストの霊があなたがた内に宿っているなら(11節)」と言う時、生きたキリストが私たちと霊的な関わりにおいて、救いの方向へ背中を押してくださっていると捉えるとわかりやすいかもしれません。
私たちの中に神様から吹き入れられた「息吹/霊(創2:7)」は、キリストを信じる時、キリストの十字架によって与えられた義によって永遠の命を与えられます。
目に見える私たちの体は滅んでも、キリストの義に結び付けられた霊は滅ぶことがなくなるのです。
「見ないのに信じる人は、幸いである。(ヨハネ20:29)」と復活の主がトマスに言われた通り、目に見えない救いを信仰によって受け取る時、私たちの地上の歩みを超えた先に、永遠の命と再会の喜びを私たちに与えようと、復活のキリストが待っておられるのです。

(20210815週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。