2021年11月17日水曜日

今週の黙想文(1コリ15:1)

これは、あなたがたが受け入れ、
生活のよりどころとしている福音にほかなりません。
──コリントの信徒への手紙 一 15章1節


† † †

パウロは人々にとってキリストの復活こそが福音の要であると言います。
「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」とさえ言うのです。
なぜなら、たとえキリストの十字架によって神の前に全ての罪が赦されたとしても、復活が無ければ、その救いの喜びは私たちが地上のいのちに生きている数十年足らずで再び失われてしまうからです。
私たちのいのちの向かう先が悲しみと喪失しかないとするなら、誰が希望をもって人生を歩めるでしょうか。
それゆえ、十字架と復活は一つのものです。
キリストがわたしたちの罪の赦しのために十字架にかかって死んだだけではなく、神様によって復活させられたからこそ、私たちも死の先に復活と永遠のいのちが与えられているという希望を見出すことができるのです。
そしてその希望のゆえに、キリスト者である私たちは日々の生き方においてもキリストに倣う者として召されているのです。

(20211114週報記載)


……今週の黙想とは……


日曜日だけではなく、平日においても聖書の言葉に触れる機会として用いていただければ幸いです。
引用されているみ言葉だけでなく、聖書を開き、その前後や他の箇所を開いてみましょう。
そして、そこに生きていた人々に思いを馳せ、そこにあなたも生きていて、語りかけられているという気持ちで読んでみましょう。
自分はみ言葉を聞いてどのように感じたかを大切にし、ゆったりと考えてみてください。

あなたの日々がみ言葉によって豊かにされますように。